第8話 むかーしむかし(後編)

 「むかーしむかし……」


 見慣れぬ女は、ヘンテコな声でぼくにそう言った。

 

 絵本を聞くというのは、案外気を遣うものだ。

 絵本を読む大人の気を損なわないように、面白がっている演技をしなければならないし、その一方で、大人がよく出すこのヘンテコな声では笑わないように、笑いをこらえるのがとてもしんどい。

 まさか、この5歳で他人にこびへつらうことになるとは思わなんだ。


 ところで、この見知らぬ女は、ぼくの姉らしい。

 ぼくは、そんな彼女のことをまだよく知らないが、大人の女だ。大体の予想はつく。

 

 ぼくが聞かされているのは『うらしま太郎』。

 ぼくは、もう何回もこの昔話を大人に聞かされている。

 亀を助けて、竜宮城に連れて行かれて、そこのお姫さまにもてなされて、玉手箱渡されて、開けて、結果的に爺さんになる。というくだらないストーリー。


 もちろん、聞いててもなにもおもしろくない。

 こういうときは、なにも言わずに、ただひたすら「無」になってしまうのがいい。なにか言ったりしたら、後が面倒だから。

 

 絵本を読み終えると、姉と名乗る女は、ぼくの方をジーっと見つめた。

 目が怖い。

 なんだよ。何も言ってないじゃないか。


  「ごめん、ごめんね。あんまり面白くなかったね。でも、お姉ちゃん、絵本読み聞かせるの初めてだから……、慣れてなくて」


 あれ?

 絵本読んだあと謝るなんて変な大人。

 たいていの大人は読んだあと、絵本を放り投げてエラそうに新聞を広げるか、こっちのことを睨みつけながら、足早にぼくから離れてしまうっていうのにね。


 ふぅーん。

 じゃあ、ちょっと意地悪してやろう。

 この姉きどりの女は、いつヒステリックに怒り出すのかな?


 「ねえねえ」

 「うん?なに?」

 「聞いてもいい?」

 「え?うんうん!いいよいいよ!」


 元気なお返事ですこと。

 この女が愚かそうでよかった。

 

 「どうして、最後、お姫さまは太郎をおじいさんにしちゃったの?ひどくない?」

 「うん。それはね、太郎が竜宮城で、時間を忘れちゃうぐらい遊んじゃったからだよ」


 はいはい。

 大人は皆さんそうおっしゃるんですよ。

 多分。


 「でも、楽しいんだったら、それって普通のことなんじゃない?それに、そもそも太郎を竜宮城に誘ったのはお姫さまの部下の亀でしょ?しかも、太郎をもてなしたのは、そのお姫さまだし。ってことは、太郎が遊びすぎちゃったのは、竜宮城サイドに責任があるんじゃないですか?」


 さあ。

 もう五月蠅いって思ってるんじゃないか。

 ぼくって、こどものくせに生意気だろう?


 「で、でも……」

 

 なかなか怒らないな。この人。

 しぶとい。

 

 「あ、ほら!お姫さま、玉手箱を太郎に渡すとき、『絶対に開けないでください』って言ってたじゃない。それなのに、太郎は開けちゃったんだから、おじいさんにされてもしょうがないんじゃないかなあ」

 「いや、それなら初めから渡すなよ(笑)」

 

 自称姉の顔がすこし歪んだ。

 まあ、さすがにイラッとくるよねえ。

 

 さあ、もうどっかに行ってくれ。

 ぼくは大人の弟になんかなりたくないんだよ。


 *


 「ふふふ。ははは。キミ面白い子だなあ。お姉ちゃん一本とられたよぉ。ひひひひひ。ふはは」


 は?

 笑ってるの?この人。

 子どもに言い負かされたのに?


 「へんな大人。ふふっ」


 ほんと、変わった姉だ。




 というのが、今から四年と七か月前の話。

 姉は、次の日もそのまた次の日も、絵本を片手に僕のところへやってきて、僕に面白くない話を聞かせた。

 

 けれど、そんな面白くない体験を、僕は忘れることが出来ない。これからも、きっと忘れることはないだろう。

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