第8話 むかーしむかし(後編)
「むかーしむかし……」
見慣れぬ女は、ヘンテコな声でぼくにそう言った。
絵本を聞くというのは、案外気を遣うものだ。
絵本を読む大人の気を損なわないように、面白がっている演技をしなければならないし、その一方で、大人がよく出すこのヘンテコな声では笑わないように、笑いをこらえるのがとてもしんどい。
まさか、この
ところで、この見知らぬ女は、ぼくの姉らしい。
ぼくは、そんな彼女のことをまだよく知らないが、大人の女だ。大体の予想はつく。
ぼくが聞かされているのは『うらしま太郎』。
ぼくは、もう何回もこの昔話を大人に聞かされている。
亀を助けて、竜宮城に連れて行かれて、そこのお姫さまにもてなされて、玉手箱渡されて、開けて、結果的に爺さんになる。というくだらないストーリー。
もちろん、聞いててもなにもおもしろくない。
こういうときは、なにも言わずに、ただひたすら「無」になってしまうのがいい。なにか言ったりしたら、後が面倒だから。
絵本を読み終えると、姉と名乗る女は、ぼくの方をジーっと見つめた。
目が怖い。
なんだよ。何も言ってないじゃないか。
「ごめん、ごめんね。あんまり面白くなかったね。でも、お姉ちゃん、絵本読み聞かせるの初めてだから……、慣れてなくて」
あれ?
絵本読んだあと謝るなんて変な大人。
たいていの大人は読んだあと、絵本を放り投げてエラそうに新聞を広げるか、こっちのことを睨みつけながら、足早にぼくから離れてしまうっていうのにね。
ふぅーん。
じゃあ、ちょっと意地悪してやろう。
この姉きどりの女は、いつヒステリックに怒り出すのかな?
「ねえねえ」
「うん?なに?」
「聞いてもいい?」
「え?うんうん!いいよいいよ!」
元気なお返事ですこと。
この女が愚かそうでよかった。
「どうして、最後、お姫さまは太郎をおじいさんにしちゃったの?ひどくない?」
「うん。それはね、太郎が竜宮城で、時間を忘れちゃうぐらい遊んじゃったからだよ」
はいはい。
大人は皆さんそうおっしゃるんですよ。
多分。
「でも、楽しいんだったら、それって普通のことなんじゃない?それに、そもそも太郎を竜宮城に誘ったのはお姫さまの部下の亀でしょ?しかも、太郎をもてなしたのは、そのお姫さまだし。ってことは、太郎が遊びすぎちゃったのは、竜宮城サイドに責任があるんじゃないですか?」
さあ。
もう五月蠅いって思ってるんじゃないか。
ぼくって、こどものくせに生意気だろう?
「で、でも……」
なかなか怒らないな。この人。
しぶとい。
「あ、ほら!お姫さま、玉手箱を太郎に渡すとき、『絶対に開けないでください』って言ってたじゃない。それなのに、太郎は開けちゃったんだから、おじいさんにされてもしょうがないんじゃないかなあ」
「いや、それなら初めから渡すなよ(笑)」
自称姉の顔がすこし歪んだ。
まあ、さすがにイラッとくるよねえ。
さあ、もうどっかに行ってくれ。
ぼくは大人の弟になんかなりたくないんだよ。
*
「ふふふ。ははは。キミ面白い子だなあ。お姉ちゃん一本とられたよぉ。ひひひひひ。ふはは」
は?
笑ってるの?この人。
子どもに言い負かされたのに?
「へんな大人。ふふっ」
ほんと、変わった姉だ。
というのが、今から四年と七か月前の話。
姉は、次の日もそのまた次の日も、絵本を片手に僕のところへやってきて、僕に面白くない話を聞かせた。
けれど、そんな面白くない体験を、僕は忘れることが出来ない。これからも、きっと忘れることはないだろう。
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