第7話 むかーしむかし(前編)

 「むかーしむかし……」

 

 私は、出来る限り低い声でそう言った。


 絵本の読み聞かせというのは、案外体力を使う。

 絵本の文字を見ながら、目の前の子どもの様子も注視しなければならないし、なによりこの雰囲気のある声を出すのが異常に疲れる。

 まさか、この15歳でお母さんみたいなことをすることになるとは思わなんだ。


 ところで、私には弟がいる。五歳の弟だ。

 けれど、私はそんな弟のことをまだよく知らない。


 私が弟に読んであげているのは『うらしま太郎』。

 普通の、一般的に知られているそれだ。「大人の~」とか、「本当は怖い~」みたいなやつではない。

 亀を助けて、竜宮城に連れて行かれて、そこのお姫さまにもてなされて、玉手箱渡されて、開けて、結果的に爺さんになる。そんなストーリー。


 しかし、『うらしま太郎』を読み聞かせたのは失敗だった。

 弟の表情は終始固いままだったのだ。

 そっか……。つまんないか……。


 姉というものの難しさを思い知らされた。私が今の今まで抱いていたような薄っぺらい憧れなどは、無惨に踏みつぶされてしまった。

 それと同時に、弟に対して申し訳ないという思いもこみ上げた。

 

  「ごめん、ごめんね。あんまり面白くなかったね。でも、お姉ちゃん、絵本読み聞かせるの初めてだから……、慣れてなくて」


 情けない。

 年上としてのプライドゆえか、真正面から謝ることもできない。

 私のこんな姿を見て、目の前の少年はどう思うだろうか。


 「ねえねえ」

 

 気まずい空気を変えてくれたのは弟だった。


 「うん?なに?」

 「聞いてもいい?」

 「え?うんうん!いいよいいよ!」


 私に気を遣って、話しかけてくれたのだろうか。

 弟は優しい子なんだなあ。

 聞きたいことってなんだろう。


 「どうして、最後、お姫さまは太郎をおじいさんにしちゃったの?ひどくない?」


 なあんだ。そんなことか。

 まあでも、子どもらしい疑問か。

 

 「うん。それはね、太郎が竜宮城で、時間を忘れちゃうぐらい遊んじゃったからだよ」

 「でも、楽しいんだったら、それって普通のことなんじゃない?」

 

 ん?まあ確かにそうか。

 

 「それに、そもそも太郎を竜宮城に誘ったのはお姫さまの部下の亀でしょ?しかも、太郎をもてなしたのは、そのお姫さまだし。ってことは、太郎が遊びすぎちゃったのは、竜宮城サイドに責任があるんじゃないですか?」


 んん?

 部下とか責任とかサイドとか。最近の子は割と難しい言葉を使うのね。

 しかも敬語って……。


 「で、でも……。あ、ほら!お姫さま、玉手箱を太郎に渡すとき、『絶対に開けないでください』って言ってたじゃない。それなのに、太郎は開けちゃったんだから、おじいさんにされてもしょうがないんじゃないかなあ」


 *


 んんん?

 今弟の目が怪しく光ったような……。

 え。ワタシ……、ナニカされるっ?

 

 「いや、それなら初めから渡すなよ(笑)」

 

 なんともまあ、弟の顔の憎たらしいことよ。

 こっちはせっかく読んであげたのに。

 でも、まあ、確かに弟の言う通りだ。これ以上何も言い返せない。


 なるほど、弟はかわいくて、頭が良くて、それに……。


 「ふふふ。ははは。キミ面白い子だなあ。お姉ちゃん一本とられたよぉ。ひひひひひ。ふはは」


 弟は、終始不思議そうな顔で私を見ていた。

  

 

 

 というのが、今から五年前の話。

 あの時、弟をきつく叱っておけば、私は今も弟に振り回されることはなかったかもしれない。

 

 でも、たとえタイムマシンであの時へ戻れたとしても私は、弟を叱ったりなんてできないのだろう。

 きっと。

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