第20話
シーン6 その2
観客がいなくなった視聴覚室を片づけていた。窓を隠していた黒いカーテンを開いたり、暗幕を外したり、床を掃いたり、机を拭いたり。氷川も監督係で穏やかな表情で見守っている。
「まさかあんなに人が来るとはね」
海原ちとせの声色が弾んでいる。嬉々としているのはその表情からでも分かる。会長として文化祭全体を取り仕切っていた分、相当な不安もあったのだろう。
「クラスでも部活でも委員会でもない、いわば同人作品みたいなのにみんなが関心持ってくれたのかな」
「関心ならいいけど、失笑は嫌だな」
さすがの根岸さよも苦笑いをした。宇治大吾のほっとしたといわんばかりの感想には同意だが、まだ客観的にはなれないから、集客が予想以上だった分、やはりどのように鑑賞されたのかが気になるのだ。
「評価はそうそう厳しくないんじゃない、別に本格的な映画じゃないんだから。とはいえ、展開がアンバランスだったかなぁ」
「いや、後半はあれでもギュウギュウ。じゃないと、CG担当でデスマーチになってた櫛田さんがもたなかったと思う」
「さすがにねえ、CGが幻想なのか現実なのか分別できない時もあったからなあ。ビームとか光線系は難しかった」
完成試写は数日前に行われていた。当事者の高揚感のまま見てしまったため作品の質ではなく、最後まで創作できたという感無量の方が勝っていた。文化祭当日、観客に交じって見れば、やはり気になる点は出てくる。定期試験で、数学の証明問題をなんとか仕上げたと思って提出したが、休み時間になって唐突に“どこか”違っているように感じて、ああすれば良かった、こうすれば良かったと思いあぐねるのに似ている。
これが文芸作品や本格的な映像作品だったのなら、海原ちとせの主張も当てはまるかもしれない。けれどもこれはあくまで高校生の、しかも文芸部でもなければ写真部でも動画撮影研究会でもないチームが企画から始めて、どうにかこうにか辿り着いた作品である。批評や評論などを差し挟むのは、仰々しすぎる。それは根岸さよの今更な不安感と通じるものがあり、観客が催し物の好悪をわざわざ校外に非難として出したりはしないだろう。会長の身分としてはそのような生徒がいないことを願うばかりであるが、文化祭の他の企画でも、それほど非難めいた感想は出ないだろうし、あれば単なる愚痴ぐらいなものだ。“設定が甘い”とか、“五体投地は仏教に関する用語だから日本神話ネタにはふさわしくない”とか、“安直だ”とか、“唐突感が否めない”とか、“ストーリーに無理がある”とか、“伏線が回収できてない”とか。誰しもそれくらいは言うから、気にしなければいいだけである。
それになにより、宇治大吾がねぎらうように、画像処理は櫛田の技術的にもスケジュール的にも間一髪だった。まったく疲労感が顔の肌艶をかげらしたままの櫛田は作業工程を思い出しているのだろう、苦笑いが消えなかった。
「櫛田さんがCGとかエフェクトが得意で良かったよ」
「得意って程じゃなくて」
「いや、あれは得意に入れた方がいいって」
宇治大吾と櫛田の手が止まっているので、海原ちとせが盛大な咳払いをして掃除再開を促した。
「脚本もがんばったよね」
「本当はさ、マンションから夜の街を見おろしながら『ここも治めるべきか』なんてシーン考えてたんだけどね」
脚本は基本シーン別に分業にして、進捗状況に合わせて共同作業と調整しながら進めていたが、自ら進んで海原ちとせが平均分量よりも多く担ってくれた。だから、宇治大吾や根岸さよ、櫛田に知らないシーンを差し込もうとしていても不思議はない。
「そのシーンは本当になくてよかった」
誰に言わせるのか問う代わりに宇治大吾は安堵のため息をついた。
「氷川先生が意外にノリノリだったね。先生のアドリブがやっぱり生きてるなあ」
「以前劇場でバイトをしていたことがありまして、どうも気分が高くなってしまって。そうですね、スイッチが入ったみたいに」
宇治大吾はあっけにとられていたが、彼以外の視線は一斉に宇治大吾に向けられていた。ここに至ってこういう振りをされるとは思いもつかなかったことである。
「ダイゴスイッチじゃないですから」
慌てて訂正を促す。顔が赤くなっていた。笑いが起きる。
「ダイゴスイッチ、やっぱウケるー」
「僕はイヤだって言ったんだからね」
「宇治君が女子侍らせてるシーン、あれも爆笑だって」
「ああ、もうあれは!」
まるで作品と同じように根岸さよ、海原ちとせにいじられて、宇治大吾はやけっぱちになっている。
「ほら、櫛田さんも宇治君をおちょくるなら今だよ」
もう宇治大吾の扱いについて誤魔化そうという意図がまるでなくなっている根岸さよがケタケタとして、まったりと状況を見ていた櫛田にふってみると、
「宇治君、頑張ってたと思います」
少し照れくさそうにうつむきながら言った。それはそれで宇治大吾にとっては赤面もので、かえってどうリアクションしていいかしれず、あたふたし出した。
「それなら、本当に櫛田さんが暗躍してたらどうしますか?」
氷川も調子に乗ってきたのかと、一同が一瞬フリーズした。が、すぐに
「ないない、あの櫛田さんが、んなことするわけないって」
根岸かよがケラケラを再開し、宇治大吾も海原ちとせも同意の笑みになっていた。氷川は肩をすくませた。
櫛田は肩を下ろしたような息を吐いてから、
「ねえ、それなら、もし『スサノヲの鏡』が本当にあったらどうしますか?」
「なに、櫛田さん。動画と同じこと聞くの?」
「ええ、作品の中は作品として、現実だとどうかなって思って。氷川先生が言い出したことなんで、それに沿ってみました」
あれだけ作品に精魂を込めた分、夢物語をしてみるのも、上映が済んだからこそ戯れられることである。マンガやアニメを見て、キャラや設定や道具や能力などが実際現実化するなら、なんてことはやはり試みるのと同様である。
「僕はこの疲労感を消化させて、バイタリティ溢れさせる設定にする。それこそスサノヲみたいに統治するくらいにエネルギッシュにね」
「この作品をアニメ化してDVDが史上一位の売り上げにして印税生活できるようにする。そして、その金の一部を宇治君にお小遣いとしてあげてダイゴハーレムを作らせる」
「霊夢というか霊能力を使えるようになって、未来をいいように創造する。主に宇治君を働かせる形で」
達成感と疲労感によるナチュラルハイのせいか、三者三様にガッツポーズなのか決意表明なのかともつかない胸の張り方である。
「そんな設定はなかったでしょう」
生徒の積極的な企画に関与することになった教員は当然企画書に目を通している。古典教諭である氷川の知識もこの作品の質を上げるのに大変役に立っていた。だからこそ、生徒たちの設定を無視した感想にはさすがにげんなりする。「ここはテストに出ますから、しっかり押さえておいてくださいね」と言っておいた試験に全然違うことが出題されたら生徒たちは大いにクレームの絶叫をするだろう。それと同じことである。
「櫛田さんは? どんなことする?」
「私かぁ、せっかく作ったんだから、設定を最大限使い切るかなあ」
「櫛田さんがいろいろ調べてくれたおかげで、まあ重厚な設定になったものね」
宇治大吾は自分で言ったことに酔っている二人をおいて、言い出しっぺに聞いてみた。櫛田は作品内と同じようにメルヘンを思い描いているような目で優しい口調だったが、言っていることはどこか非常に現実的であった。
「氷川先生は? どう思いますか?」
海原ちとせが言い残しを逃さない勢いで聞いた。
「僕ですか? そうですねえ」
氷川が思案気に続きを言おうとしていると、校内放送が鳴った。生徒会会長の呼び出しである。それはそうである。一つの企画に拘泥できないのが会長である。見回りもあれば、生徒会主催の企画にも顔を出さなければならない。
「じゃあ、私行くわ。えっと、宇治君、……まあ、いいや。まだまだ宴は続くからねえ」
血気盛んに手を振って嬉々として視聴覚室を出て行った。
「先生、さっきの続き」
今度は根岸さよが息巻くように催促した。困った顔でそれを制止させ、氷川が渋々語ろうとした矢先、視聴覚室を覗く顔があった。ひきつった顔をして、すごい勢いで手招きをしていた。
「宮崎さん、え、私? あ、そうか。でも、今いいとこ。あー、しゃあない。私も行くわ。宇治君、……またでいいや。じゃあ、先生、後で聞かせてくださいねー」
呼びに来た同級とともに早足で行ってしまった。
「あれで学級委員なんだから」
「根岸さんが学級委員だから、宇治君たちのクラスがああなんじゃない?」
「まあ、団結力はありますしね。上手いこと宇治君がこっちに専念できる采配もしてましたし」
「そこがね、もっと違う役割分担をしてもらいたかったですよ」
宇治大吾がこの後クラスの企画に関与できる分野があるとすれば、後片付けと掃除だけである。これほどの処理能力があるくらいなら、撮影などなどの宇治大吾への重圧も減らしてもらえたのではないかと、まさに今更嘆く始末である。さらには文化祭が終われば、終わったで打ち上げがあるだろう、いや、すでに話しはまとまっている、確実にあるのだ。さらなる無茶ぶりがあるのかと思い、宇治大吾は肩こりでもないのに肩を回した。
「片付けも終わったし、少し休んだら?」
「うーん、どうしよっかなあ」
櫛田の提案を思案しながらストレッチを始めた。目を閉じて両腕を耳につけて背筋をじっくりとのばした。
「思惑に縛られて各自の目的は大差ないのに成しえない」
唐突に氷川はつぶやいた。櫛田は黙って氷川は顔を見上げた。
「そんないかめしい目にならなくてもいいですよ。アドリブですよ、アドリブ。入れてみようかと思っていたのを口ずさんだだけです」
「そうですか、でもそれは言わなくてもよかったですし、もう言うことはないでしょう」
肩をすくませて氷川は首を小さく左右に振った。櫛田はぶっきらぼうに一息で言い切った。片付けに使っていた道具類を片付け始めた。
「ああ、櫛田さん。手伝うよ」
体の緊張をほぐした宇治大吾はいそいそと櫛田に並んで道具類をしまった。
「どうです? ようやく肩の荷を下ろせたんですから、文化祭を見て回ったら」
二人の背中に、相変わらず飄々とした氷川からの提案のしかかった。顔を見合わせる二人は、掃除用具入れを閉めて、いくばくか逡巡した。氷川は小さく咳ばらいをした。
「櫛田さんは、この後予定とかある?」
「一五時に教室に戻るまでは特にはないかな」
「じゃあ、えっと一緒に見て回る?」
「いいの? 私で」
「逆に聞きたい。嫌かな、僕とは」
「遠慮なく回らせていただきます」
照れ隠しをするように体を落ち着かなくゆすっている二人。
「あの一応、教員の前ということは分かっててくださいね」
氷川から言われ、急に背筋を張る二人。
「じゃあ、先生、僕たちも行きますね。あ、そうそう。打ち上げの時にでも聞かせてくださいね。先生が『スサノヲの鏡』で何をしたいかを」
「……」
ぎこちない笑顔を見せて歩き出す宇治大吾の後ろで、櫛田は無言で頭を下げた。
一人っきりになった視聴覚教室。氷川は大きく息を一つすると、映写室の点検、窓の施錠確認をして視聴覚室のドアを閉めようとした。
その時である。ポケットが震えた。スマホを取り出した。生徒たちに注意する日常とは違い、今日という日は諸事情があるだろうからと、その使用が許容されていた。設定した着信音ではなかった。まるでくぐもった声のように聞こえた。メールだった。アドレスは登録のない、知れない文字列だった。氷川はにたりと笑った。それはアドレスの文字列の意味するところを推察できたせいか、あるいは開いたメールの内容か。
氷川は簡素な返信をした。「あなたの思い通りになるとはゆめゆめ思わないことですね」
スマホをポケットに戻し、ドアに鍵をかけると、もう一度スマホが鳴った。手間そうに取り出して、その画面をあきれるように一瞥してからいつものように作った口調になった。
「ええ。児戯ほどには。大学教授が分身だとか設定読んだ時、吹き出しそうになりましたよ。私がやってることまんまなんですから。ええ、それぞれ今回の件を。ええ、だから児戯と。姉上こそ。よくもあんなものをお持ちでしたね。誓約で歯が欠けたなんて、私ですら気にも留めなかったのに。それを鏡だなんて、大層な戯言を。他にもご活躍の方々もいるようで、今も肩肘張ったメールが来たのでからかっておきました。今頃即行で返信メールを削除してるでしょうね。姉上があの時駄々をこねずに私の血統に任せていれば、こういう風に至らな、いえ、
これはこれで、姉上もお楽しみになっているのでしょう。ええ。では」
スマホを切るとポケットに放るようにして入れた氷川は、
「戯れだけれども、精は尽くしてもらわないと。本物があるならば、ね」
独り言して熱気に溢れる廊下を音もなく歩き出した。
宇治大吾は舌打ちしそうな表情でスマホをポケットに押し込んだ。
根岸さよは苛立たしげにスマホを片づけた。
海原ちとせは忌々しそうにスマホをしまった。
櫛田は感情が死んだ目のままスマホをオフにした。
それから、遠くを眺める目をした。
文化祭でにぎわう校内で、
その人はこう言って、ほくそ笑んだ。
――これで本物の「スサノヲの鏡」を起動できる
スサノヲの鏡 金子ふみよ @fmy-knk_03_21
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