第18話

シーン5 その0


 教室内はオレンジ色に溢れていた。斜陽が眩しいくらいだ。窓の外では部活の盛んな声が飛び交っていた。

 教室の戸が開かれる音が鳴った。

「あらまあ、みなさん起きてください」

 氷川が嘆くように教室に入って来た。宇治大吾、根岸さよ、海原ちとせ、櫛田が臥せっていた机から重々しく体を持ち上げた。

「あれ、寝てた」

「いつの間に」

「ふぁー」

「首が痛いです」

 宇治大吾、根岸さよ、海原ちとせ、櫛田の順にけだるい一言目が漏れる。海原ちとせなどはあくびだったのだが。第三棟の使われてない教室を文化祭の準備のために借りていた。各自の机にはパソコンがあり、スクリーンセーバーが揺れていた。

「文化祭間際で大変なのは分かりますがね、クラスの出し物の方にもきちんと顔を出すんですよ」

 彼らは自主映画の編集をしていたのだ。

「こんなに大変になるとは。編集難しすぎ」

「で、どれくらい進んだ?」

「九割くらい」

「あと残ってるシーンは?」

「みんなが戻って来た教室で氷川先生が鏡を持って笑うシーンの微調整」

時間をかけて企画し、会長自らが率先して関与していた、文化祭の自主製作映画はついにここまでこぎつけた。

根岸さよがエンターキーを叩いた。すると画面では、宇治大吾とも違う、低音なナレーションが、

「さまざまな憶測『信じてたのに』、策略『まさかここまでとは』、裏切り『どうして、どうして!』、彼らは傷つけ合い『もう遅い、何もかも』、それでも求めるのだ『これで完遂だ』。そして、彼らが到達したスサノヲの真の姿は! 『嘘、でしょ』『ありえない、そんなこと』 Coming soon!」

 いつ録ったのか、宇治大吾の記憶にない映像を交えて仕上がっていた。

「どう? 番宣のプロモーションを作ってみたの」

 屈託のない笑顔だった。疲労で乾いてはいたが。

「あのさ、こういうのを作ってる暇があったらさ……」

 額を抑え批判めいたことを嘆こうかとしたが、宇治大吾も根岸さよの心意気が分からなくはないし、いまさら否定したところでお蔵入りさせてもまさに無駄骨になってしまう。すでに宣伝用のチラシは完成しており、それを配布だけでは確かにPRとしては弱いかもしれないと懸念がなかったわけではないから、無下に頭ごなしというのもお門違いだし、なにより愚痴る体力がもったいない。まさにそんなことをしている暇があるなら、映像の質を上げ、観客を引き込む方法に体力・知力を使った方がいい。

言葉を端折って、キーボードを打ち始めた宇治大吾に首を傾げてから、

「それにしても先生。テンション上がっちゃったんですか?」

 根岸さよはあくびをかみ殺して訊いた。

「どういうことでしょう」

 教室の窓の側に寄った氷川は、横目で窓外を一瞥してから、根岸さよに向き直った。

「なんか出番の時にちょいちょいアドリブ入れてるから」

「いけませんでしたか?」

「いいえ、むしろなんか雰囲気あって良かったかも。ナイス氷川!」

「あのですね、陰でいろいろ言われるのなら覚悟してますが、本人目の前にして呼び捨てはいけませんよ。私、先生で、年上ですし」

「ゴメン」

 教員から注意されて謝罪するものの、根岸さよに悪びれた様子はない。

「それより本編のナレーション、堅苦しいっていうか、拙いっていうか、もったいぶってるっていうか、いかにもって感じすぎません。見ている方が飽きないかな」

「他に言い様ある?」

 せっかくの前向きな改善案だが、やはり根岸さよの疑問文なのに否定になっているので、宇治大吾は、

「櫛田さんは最初のファミレスのシーン、かなり緊張してたね」

 パソコンをシャットアウトした櫛田に振る。

「セリフがもうたどたどしくしか出なくて。しかもファミレスって一般のお客さんいてハードル高いよ」

「あと氷川先生の意味ありげなシーン。思金神は分かりづらいんじゃ?」

「天の岩戸の開扉に関する神様だから登場キャラにしたんだけどな、ダメかな」

「それより、櫛田さんよくやってくれたよね」

「覆面で顔隠れてたから」

「その覆面に漢字で「思」も「金」も書いておいたんだから、『これ謎キャラじゃね?』と思った人は調べるからいいんじゃない?」

 やんわりとフォローをして、受け答えに疲労感を催さなくなった宇治大吾はその勢いで

「あとダイゴスイッチはやっぱりヤなんですけど」

 さらなる提案を再度試みるが、

「取り直す時間なし! 以上」

 根岸さよにやはり一蹴された。もうこうなってしまっては、

「て言ってると、大市からだ。風景の撮り直しが終わるって」

 ラインを既読するしかなかった。宇治大吾の協力者たちは主に撮影関係で精を出していた。

「宇治君、校内でのスマホ利用はダメですよ」

「あ? 岐原? げ」

「どうしたの? あ、私も宮崎さんからだ。悲鳴上げてる」

 宇治大吾、根岸さよはクラスの出し物の準備に戻らなければならないようだ。担任の注意に手を合わせて肩をすくませる。

「海原さん、島先生が呼んでましたよ。生徒会の方は大丈夫なんですか? 先生がおかんむりにならないうちに」

「あ、ヤバ。ああ、もう少しなのに」

海原ちとせは慌ててパソコンを終了させる。

「会長、今日はここまでじゃないですか? 僕たち行きますから」

「私、家で続きするわ」

 宇治大吾もパソコンを終了させ、根岸さよもUSBメモリーを取り外して片づけを急ぐ。

「私もそうしよう、いや生徒会室でもやるか」

 すでにUSBメモリーを取り外していた海原ちとせはそれを軽く放って握りしめた。

「先生、さようなら」

「お先でーす」

「島先生に後でうまいこと言っておいてもらえますか? よろしくお願いします。では」

宇治大吾、根岸さよ、海原ちとせはそぞろに挨拶して出て行った。

三人が抜けた教室。廊下からは、

「先生、よくあんなアドリブ出るよな」

「ん? どんな?」

「『わが魂の分霊よ、好きにふるまって見せよ』って」

「いいんじゃない、変なアドリブでもないし。先生も中二病とかかね、結構テンション上がっちゃったんじゃない」

「上映後は打ち上げだね、この疲労感を吹き飛ばしたい」

「そもそも会長が……。あ、会長、あのドアの文字って結局……」

「あれはホツマ文字と言って……」

「あとさ、会長の夢の件をフォローする意味で、根岸さんが集めてた資料に山があったとかにしないと、あれだと……」

 などという声が聞こえる。その声も遠くなっていく。

「櫛田さんはいいんですか?」

 一人ぽつんねんと呆けていたような櫛田に声をかける。心配というよりも、何かを探っているような声色である。

「はい?」

 正気に戻ってやんわりとして氷川に問うた。

「クラスの方です」

 答える氷川の声に、わずかにだが苛立ちのようなさざ波があった。

「えっと……じゃあ、私も」

 ぎこちなさそうに辺りを見渡しながらそう言って、櫛田も荷物をまとめた。

「さようなら」

 教室から出て行く時、一瞬氷川の細い目を横目で見た。それはさきほどまでののんびりとした櫛田らしからぬとげとげしさがあった。

教室のドアはわざとらしく静かに閉められた。

誰もいなくなった教室。外からはやはり部活動の声が聞こえる。窓外からは氷川の大きくはない背が見える。

「我が魂の分霊……か、少し口が滑りましたかね」

 氷川はおもむろに背広のポケットをまさぐりながら、

「ところでスサノヲの鏡とはいったい誰の入れ知恵なんでしょうね」

 取り出したものを見て笑んだ。

「そうです、これが」

 氷川は窓外を見た、いや一点を見つめた。どこかしらからの視線に呼応するように確信的に凝視した。そして、続けてこう言った。

「あなたの望んだものです」

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