第15話

シーン4 その3


 どれくらい歩いたかしれない。なにせ、腕時計もスマホもない。

「たぶん一時間弱ね」

 海原ちとせが手をかざして空を眩しそうに見ながら言った。

「なんで、そんなこと言えるんです?」

「天文の基礎中の基礎」

 つまりは太陽の運行、緯度の違いで測ったらしい。

「さすが会長。ところで、一時間ということで休憩しませんか」

 山間を歩き、森を抜け、ちょうど開けた場所だった。小さいが川もある。

「賛成」

 まっさきに根岸さよが川岸に座り込んだ。

「宇治君、スカート気をつけなさいよ」

 根岸さよの横に座りながら、川に口をつけている女装に注意喚起する。

「てか、宇治君。その川、飲んで大丈夫なの?」

 根岸さよに言われ勢いよく体を伸ばす。

「そういうのは早く言ってよ。もう飲んじゃったよ」

 口を袖で拭いながら嘆く。

「あー、女子はそういうことしないの!」

「女子じゃない! てか、普通のミネラルウォーターより爽やかだよ、この水」

 川を指差す。男装二人が顔を見合わせ、川面から水をすくって口を濡らした。

「いやー生き返る」

「現代の浄水施設もこうはならないでしょうね」

 ご満悦な二人。爽快になった表情で、元気になったはずの男子を見れば、

「どうしたの、宇治君」

「女装をもっと本格的したくなった?」

 宇治大吾がわなわなと顔をひきつらせていた。口もわなわなとするだけで言葉になってない。そこで、震える指でさした。

「なによ、宇治君。はっきり言いなさいよ」

「なにか見えた? 私たちのゴール的な」

 まだ震えている指が伸びている。腕まで伸ばしているのだ。無言で。

「もう、なにじらしてんのー」

「あなたの女装より驚くことある?」

 じれったくなった男装たちが、そう言って同時に振り向くと、

「きゃー!」

「逃げよう!」

 海原ちとせの冷静さが光る。絶叫して頭を抱える根岸さよの背中を叩き、宇治大吾の後頭部を張った。疾走。

「な、なん、なんですかー、あれ」

「逃げても追いつかれませんかー」

「言ってらんないでしょ。でもこれで確定したわね」

 三人が脱兎のごとくになっている理由。彼らは山ほど大きな生物を見たからである。八つの首をうねらせる巨躯。

「ヤマタノオロチってことは、スサノヲに近づいているってこと?」

「いや、それはそうかもしれませんが。僕はこんなところで死にたくないんですけど。あと、頭が八つなのに、ヤマタって股の数違うくないですかー?」

「そんなの私も死にたくはないよー。マタって、その股じゃないんでしょ。いや、そんなことよりも、あんなのじゃなくて、鏡を見つけたいのに」

「あ、それかも」

 いきなり止まる海原ちとせ。置き去りにして何メートルか進んでしまい、慌てて踵を返す宇治大吾と根岸さよ。

「もう、何やってるんですか」

「今は逃げないと!」

 立ち止まってヤマタノオロチを凝視する海原ちとせを宇治大吾と根岸さよは肩を揺らす。

「冷静に。あのヤマタノオロチ。私たちを追ってきているわけじゃない」

 言われて伝説の生物を見る。ヤマタノオロチは各々の首をくねらせて、いかにもな図体をしているが、三人に攻撃を仕掛けてくる様子はない。

「いや、そうですけど。近づくなんて」

「そうですよ。ヤマタノオロチ退治なんてできるわけないでしょ。それより鏡を」

「だから、それよ」

「「どれだよ」」

 生徒会長にこれまでしたことのないため口でのツッコミは、こういう非常事態ならば致し方ないのだ。

「ヤマタノオロチを退治すると鏡がもらえるって、考えらえない?」

 宇治大吾と根岸さよは沈黙してしまい、そのままヤマタノオロチを見直した。

「いやいやいや」

「無理無理無理」

 扇風機よりも激しく、手と首を横に振る。さすが同学の一致団結力とでも言うところだろうか。

「だって、スサノヲはヤマタノオロチを倒して、草薙剣を手にしたのよ。なら、私たちは?」

 いかにも正論風に言うが、

「いや、俺たちにはそんな武力ないでしょ」

「武器もないし」

 宇治大吾や根岸さよの反論の方が正論である。

「甕に酒を入れるんでしょ、倒すには」

「だーかーら、甕ないでしょ」

「お酒もないでしょ」

 下級生の懸念を文献的考証的知識で打開しようと努めるものの、

「無理?」

「「無理です」」

 やはりたしなめられた。とはいえ、

「困ったわねー」

 海原ちとせの声色に困った様子はない。むしろ、二人の言い逃れを無視している。

「せめて、僕たちがスサノヲみたいに強ければ、やっつけますが」

「おお、宇治君。名案」

 やぶれかぶれに宇治大吾が言ったことを真に受けて、海原ちとせは宇治大吾の肩をボンボンと叩く。宇治大吾は痛そうだ。

「氷川先生ー、宇治君が強くなりたいそうでーす」

 山頂でもないのに両手を頬に寄せて大声を叫ぶ海原ちとせ。

「ちょっと、会長何を言い出すんですか」

「てか、なんで今それ?」

「だって先生が私たちをここに送ったんなら、どっかで見てるはずでしょ」

 言い出しなのに、いまさら後悔に感染しかかっている宇治大吾はなんとしても制止しようとしている一方で、根岸さよは海原ちとせを否定まではしない。むしろ、海原ちとせの案を聞いて合点がいった顔をし出した。

「そんな、僕たちはゲームの中のキャラクターですか」

「うーん、そういうことになるかな。だからね、先生のご期待に添えるようこちらの要求も言っておかないと」

「いや、RPGならこつこつザコキャラ倒してレベル上げれば強くなれますから」

「そうなの? でもザコキャラいないよ。それに目の前に中ボスなんだか、ラスボスなんだかはいるわけだし」

「ん? もしかして僕はレベル一で逃げようとしてましたけど、会長はレベル一ではないと考えているんですか?」

「いや、よく知らないんだけど。だからさっきから言ってるでしょ。氷川先生の意図があるなら、知らぬ存ぜぬはしないでしょ」

 ようやくにして海原ちとせの意図が鮮明になった。一時間考えて何も浮かばないから散歩でもしようと靴を履いて玄関を開けたら、その解法を見つけた数学の難問にぶつかっている時と同じである。

「「氷川先生ー僕たち(私たち)にマル秘アイテムをー!」」

 ならばと、海原ちとせに負けまいと大声を張る二人。

「強さを要求しないんだ」

 下級生たちが正攻法よりも求める他力本願に、会長としては現代っ子の軟弱さを嘆くまでには至らずとも遠からずの視線になる。

「だって、レベルどのくらいかしれないし」

「武器があった方がいいでしょ」

「これだから現代っ子は」

「「会長も現代っ子ですよ」」

 晴天が曇った。というよりも黒々とした空に変化した。いきなりだった。狼狽する三人。思わず天空を仰いだ。

「ちょ、会長があんなこと言ってるから」

「もう逃げらんないじゃないですか」

「行くも地獄、帰るも地獄よ」

 三人は体躯をうねらせて空から落ちてくるヤマタノオロチを目撃した。三十六計逃げるにしかずだが、火事場のクソ力でダッシュする間も、思考もなく、ただ絶叫するだけだった。

次の瞬間三人の目の前は暗転した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る