第11話

シーン3 その6


「それでさっきのは何なんですか?」

 館内の喫茶店。一同が一つのテーブルに座っている。それぞれの席の前にはそれぞれの飲み物が置かれてある。宇治大吾はアイスコーヒー、根岸さよはオレンジジュース、海原ちとせはアイスティ、櫛田はアップルジュース、氷川はホットコーヒーを注文していた。完全に休憩にしか見えないが、

「僕の業務を増やさないでください」

 氷川は嘆いた。根岸さよの音声再生はやはり周りの観覧者にざわめきをもたらし、当然警備員だけでなく学芸員まで来た。カメラ撮影は禁止されていたが、音声の再生が禁止されていたわけではないと根岸さよが言い始めたものだから、担任は頭を下げてからそそくさと一同退出したのである。

「スサノヲの鏡が力を発揮するための、えっと呪文?」

 悪びれもせずスマホを振って動機を吐露する。頭を抱える氷川。

「あのですね、学業として歴史に関心を持つことはいいですが、一般的な常識をかけはなれたことを公共施設で行うことは別のことです。何をしてもいいってわけではないでしょ」

「だって、禁止されてなかったもん」

「禁止されてなくてもマナー的に慎まなければならないこともあるでしょ」

 休みの日に担任から説教をされるのはいたたまれない。生徒はそう思うだろうが、趣味に没頭できる貴重な休日に週日と変わらない職務を強いられた教員の方もいたたまれない。

「でも、そんなことも調べたんですか?」

 氷川にしてみれば、単に叱っても教育的指導ではない。フォローもしてみる。

「根岸さんが見つけた本に書いてあったんです」

本にあった記述とは「これはあくまでの推論と断って述べさせてもらいたい。鏡の前で柏手を打ちあの歌を詠む。これこそがスサノヲの鏡の本当の力がみなぎり始める作法なのだ」とのことである。そこで根岸さよは、さすがに館内で柏手を打ち「あの歌」を詠むのははばかれるので、事前に録音しておいたのだ。

「やっぱり録音じゃなくてライブじゃないとダメとか。昔はこんなのなかったんだから」

「古代の装置が人の声と録音機器の音声の違いを認識できるとでも?」

 人気のなくなったところで流すつもりだったが、現前に物があったので、そんな段取りなど無視しておっ始めてしまったらしい。根岸さよにはまるで反省がなく、頭ごなしの小言というよりも、皮肉で猛省を促せようとしたのだろうが、それさえも根岸さよの耳には入っていなかった。

「例の本に書かれてあった『あの歌』というのが、スサノヲが詠んだとされる『八雲立つ』の短歌だったわけですね」

「さっすが古典教員」

「調子に乗るんじゃありません」

 やらかした生徒は、やらかしただけあってちょっとしたことですぐに調子に乗る。教員はたしなめなければならなくなる。休日だというのに。

「あの教授先生の言ったことが正しいとは限らないでしょ。だって本人が推論て言ってたじゃないか」

「そんなこと言ったら何もできないじゃない」

 氷川の威を借りて宇治大吾も反撃ののろしを上げてみたが、逆ギレにはかなわない。何倍返しになるかしれないので、肩を竦めるしかない。

「あの一つ聞いてもいいですか?」

「はい?」

「その見つけたっていう本見せてもらえます?」

「これです」

 氷川は本を受け取ると、いつものひょうひょうとした表情のまま、さらっと全ページを流した。

「なるほどね」

「先生も速読ですか?」

「僕も?」

 あくまで流し読みをしただけのつもりだったが、根岸さよがひょんなことに食いついて来て、氷川の首がかしげる。

「会長も速読できるんです、ね、会長」

「ええ、まあね」

「速読、まあ、そういうことになるんでしょうかね。確かこの先生はすでに引退されているはずです」

 海原ちとせをちらと見てから、本題に戻った。

「先生、この先生知っているんですか? じゃあ、この本も」

「いえいえ、なんと言いますか、常識的範疇でという意味です。本も読んだことはありません」

 常識的範疇というのが何を指していたのかは不明であるが、生徒たちにとってはさすがに教員だとその博識に溜飲を下げる面持ちだった。

すぐに根岸さよなどは顔色が暗くなり始めてしまった。

「じゃあ、また方法を探さないとね」

 宇治大吾の何気ない一言に、その顔色に艶が戻った。とはいえ、他にどんなことがあるのか、模索もできない生徒たちはだんまりにならざるを得なかった。ところが、

「アマノサカテ」

「なんですか?」

 あまりに唐突な単語に根岸さよ以外はぼんやりとして氷川を見た。その予想外の視線の圧に押されたのか、

「いえ、伝説の作法で今は誰も分からない作法で、呪いがって。あ、これは呪法でした」

 思い付きを口にしてしまった以上それを説明しなければならず、慌てた様子で早口になってしまった。

「先生、古典だっての分かりますけど、生徒に呪いの方法教えちゃダメでしょ」

「古典の中には現代にはまるで分かってないことがあるってのを伝えたくて、思い出したのがそれだったので」

「それに作法が分かんないだから、やりようがないじゃない」

「そうですね。失敬」

 もはや根岸さよには教員を敬い、せめてもの敬語を使うなんて気分ではなくなってしまっていた。それこそ教育者としてその是正を施せばいいはずだが、氷川はそういう点に拘泥するタイプではなかった。

「櫛田さん、なんかいいアイディアない?」

「え? 私?」

 急に話題を振られ、別に聞いてなかったわけでも、ジュースを飲み干そうかになっていたわけでもないが、櫛田はうろたえてしまった。

「だって、櫛田さんタイミング良いっていうか、ナイスアイディアみたいなこと言ってくれるから」

「いえ、私は……」

「櫛田さんを困らせない、根岸さん」

 根岸さよはまったく悪びれる様子はないが、そんな無茶ぶりをされてしまっては櫛田も何か発案しなければならないとおろおろし出してしまった。根岸さよに対する制御装置として、櫛田への重圧は宇治大吾がフォローしなければならない。まったく根岸さよが大人しくなるような反論にはなってなかったが。

「あれ? ちょっと待ってよ。なんか氷川先生見てたらなんか浮かびそうなんだけど」

 そんなことをしていたら、アイスティを飲み終えた海原ちとせが瞑目でもしそうな表情をして指先でこめかみを撫でまわし始めた。

「会長? 氷川先生が何かセクハラを?」

「聞き捨てなりませんね、根岸さん。今のご時世厳しいんですから公の場では発言に気をつけてください」

 さすがにそこは注意をしなければならなかった。やはり助長させていけない生徒は、その都度小言を挟まなくてはならないのだ。休日だとしても。そんな氷川の肩の荷の重さなどまるで無関心に舌を出す根岸さよ。

「ところで、スサノヲの鏡って、本当にあったら、どんなき、機能があるんですかね?」

 主に根岸さよが鬱憤を晴らすためのマシンガントークだったのだが、話しの進展が見込めない以上、櫛田の思い付きのような疑問も一同にとっては清涼剤となる。

「それは断然武力でしょう。勇猛果敢によって全国土を治める力、そうよ、私に人を統べる力を授けてくれるのよ。櫛田さんはどう思うの?」

 まだ発想を浮かばない海原ちとせはさっさと言ってしまった。さすが会長を務めるだけあって、言い出しっぺの見解を求めることで、思い出す作業に頭を悩ますことを再開させた。

「そうだなあ、やっぱり恋の力がいいですね。あんな素敵な詩を詠むくらいですよ。おまじないでもなんでも恋を叶える力、そういうのが秘められているんじゃないですかねえ」

「えらくロマンチックですけど、櫛田さん。ここはダイゴハーレム一択でしょ」

「ハー……ですか?」

 櫛田のロマンチシズムは、根岸さよの冷徹なリアリズムによって上書きされ、宇治大吾は赤面した櫛田によって矢のような視線で貫かれることになった。

「どっちかっていうと会長の意見よりかもしれないけど、全人類の半分を思うがまま良い様に侍らせる、そういうことよ」

「あのさ、それをダイゴハーレムとは言わないと思うけど」

「実質そうでしょ。他人侍らせてるんだから」

「だから、神様がすごい権威で従わせるのはさ、そりゃ神話とかであるんだろうけど、そのことに僕の名前を出さないでもらいたいってことを言ってるんだけど」

「しゃーない、他の名前を考えないと」

「いや、だからスサノヲの鏡の働きの話しなんだから、別に名前つけなくても」

 学級委員の横暴を一介のクラスメートとはいえ、その場に他にいなければ、やはりその責務は全うしなければならない。ならないのだが、根岸さよの方が上手で、というよりもいつも通りに宇治大吾は一蹴され、形無しになるしかない。とはいえ、根岸さよに妥協をひっぱり出させた点は、宇治大吾の成長と言えなくもない。たかだか名前の改案とあなどるなかれ。宇治大吾にとってはいわれなきレッテルをはられる危険を回避したのだ。これをあの宇治大吾の成長と呼ばずして、なんと呼べばいいだろうか。

「で、その宇治君はどう思うの?」

 ただ、会長にとっては、そんなことどうでもよかったらしく、そもそも宇治大吾の意見だけが残されているので、とっとと言ってしまえと言わんばかりである。二人を放っておいた方が、自身の思い出す時間稼ぎになるはずなのだが。

「う~ん、一応スサノヲ役を務めた者としてはですね」

「調子乗んなよ」

 ずっと調子に乗っているというか、図に乗っているというか、権威に乗っているというかしているのは根岸さよのはずだが、それでも咎めることもできず身を縮める辺り、宇治大吾の人の良さが垣間見られる。

「すんません。でも、洒落じゃなくてさ、セリフとか演技とか大変だったけど、スサノヲの役やってみてさ、スサノヲって素直な人だったのかなと思ってさ」

「人じゃないけども」

「素直って言うと小奇麗に言っちゃうんだけど、心の赴くままに行動してたんだろうなって。その結果いろいろやらかしてってことなんだけど。なんかそういう生き方って憧れるなあって。普通に生きていたら、今の社会だとさ、常識とか慣習とか暗黙の了解とか読まなきゃならない空気だとか、従わなきゃならないことで、なんていうか荒むっていうか、出ない杭に甘んじるようになるっていうか、どんどん素の気持ちが淀んでいくっていうか。そんなだから、スサノヲの鏡ってさ、そういう心を洗うっていうか、そんな力があるんじゃないかって……。あれ、どうしたの?」

「いや、思いのほか、ガチで語られたので……」

「ちゃんと人物評価しているんだなと、驚いて」

「宇治君の方がロマンチストさんに見えます」

 途中の根岸さよのツッコミにも耐え、滔々とスサノヲの鏡についてどころか、自身のスサノヲ像にまで言い及んでしまっている点を宇治大吾はおそらく気付いておらず、女子三人にとってもその評価が自分たちの発言よりも情緒に富むもので、聞いているだけで小っ恥ずかしくなったのである。

 宇治大吾は三人から目を離して、うつむきがちにストローで啜った。もう大半飲んでしまっていたアイスコーヒーは溶けた氷のせいか、苦くはなかった。

「あ、そうか。『古事記』とかの神話を現代風に解釈する方法とかなかったでしたっけ?」

 この流れのどこがトリガーになったのかしれないが、海原ちとせはようやくにして気にかかっていたことを見つけ出したようである。

「えっと、どういうことでしょう?」

 ようやくにして氷川の出番である。伝説の物に対する個人的感想など、当該の生徒ではないから言っても仕方なかったが、海原ちとせの問いが知識に関することである以上、そこは教員としての研究課程にのっとって披露しても差し支えない。

「ああ、もうロマンにならないとかいってよく読まなかったことがここにきて。なんていうかな、もっと現実的な問題ととらえてだっけかな」

 せっかく思い出したのに、正確さを欠いているのか、先ほどよりも頭を抱えている。

「もしかして、ヤマタノオロチはたたら製鉄とか治水事業だったとかいうことですか? クシナダヒメは……」

「そうそれ!」

「どう、どれ?」

 博識たちには了解されている事項でも、一般的高校生にはそれこそ呪文以外に聞こえようもない。

「だからスサノヲの鏡もロマンもクソもなければ」

「会長、ていうか女子がクソとか言わないでください。つまり、ヤマタノオロチが製鉄とか治水の比喩だったように、スサノヲの鏡も何かの比喩なんじゃないかってことですか?」

「そう! さすが宇治君」

「クソはいらないでしょ、やっぱり」

 会長へ諫言をしてみたが、結局のところ海原ちとせはまったく聞き入れておらず、却って宇治大吾がフォローする羽目になってしまった。

「ん? でもあの本のあの教授先生は使い方書いてあったよ」

「だから、スサノヲの鏡として比喩されている何かの使い方ってことでしょ」

「それは何?」

「……」

 海原ちとせ沈黙。学級委員と会長との対決は前者に勝利の旗が上がった。こういう時に変にまともになると言うか、元も子もないというかを知っている宇治大吾は海原ちとせを慰めようとして、

「それを探すんじゃないの?」

 などと言ってみるが、

「だから、どうやって?」

「……」

 結果、宇治大吾沈黙。フォローも話題展開も対根岸さよ迎撃技術もまだまだである。

「あの、どっちにしろ山に絡んでませんか?」

 唐突な一言に一同が氷川を見る。きょとんとした目を集めてしまった氷川は急に落ち着きなく、

「いえ、これが打開策とかではなくですね、スサノヲの活躍がどうも海よりも山だなと思ったもので」

 一息で言い切って、カップに口をつけた。生徒たちは顔を見合わせた。かかっていた雲が晴れ、月どころか星々が燦々とまばゆく光っている風景を目の当たりにした、そんな顔つきになった。

「山ならさ、鉱山と言い換えられない?」

「市内だったら金鉱だった山とか。でも、スサノヲ伝説ないよ」

「いえ、伝承があるから関係があるっていう方程式も怪しいもんよ。それにね、私見たのよ」

 資料をさんざん調べた根岸さよは、海原ちとせの思い付きを一蹴できる材料がある。とはいえ、海原ちとせの言い分も説得力がある。あるのだが、文末が気になる。根岸さよは気にしなかったようだが、宇治大吾はこういう時目ざとい。根岸さよに鍛えられていたからである。

「何を見たんです?」

 いぶかしい表情で問うしかない。

「霊夢よ」

 胸を反り返さんばかりに言い切った海原ちとせ以外は絶句である。氷川なぞメニューを見始めた。

「言っとくけど、けっこう当たるのよ。悪い感じじゃないから、安心して」

 なにも詳細が語られないうちから安心を求められても、それを受け入れられるわけはないのだが、

「山がね、輝いていたのよ。仏像の光背みたいに。きっとあれは山がヒントだっていうことを、今思い出させるための夢だったのよ」

 メニューの端っこから氷川の視線があり、伏し目がちからのためらいがちの櫛田の視線があり、もはや遠慮がちにといった分別のない根岸さよの雄弁な視線があり、どこに向けられたのかはたった一人にしかなく、誰にも聞こえないように静かにため息をついてから、

「会長。根拠は他にあるんですか?」

 宇治大吾は視線を泳がせてから、ためらいがちに聞いた。

「ないわよ。さっき言ったじゃない。もうこうなったら根拠があるからっていうのは、打開策にはならないと思うの。それにね、私の夢、聞いて何か不気味な点や悪いこと怒りそうだと思った?」

 あっけらかんと言ってのける海原ちとせに、宇治大吾が何か言い返せるわけもなく、ただ首を横に振るだけだった。

「よし、鉱山へ行こう!」

 根岸さよが拳を上げた。もはややけくそにしか見えない。だが、文献資料を当たったり、それこそ著者や出版社に当たったりする時間があると言うなら、他の選択肢というか作業を試みるのもありと言えばありである。徒労かつ骨折り損かつ無駄足が見え見えだが、それならば図書室や図書館、本屋であの本を探し続けたあのプロセスも同じになってしまう。結果としてあの本はまったくの偶然で手に入った。という経験がある以上、二度目の偶然に宇治大吾はおろか、根岸さよも頼ったとしても不思議はない。よって、翌日日曜日の探検隊の予定が決まった。

「僕は行きませんから」

「あの、私も用事があって」

 氷川はあくまでたまたま会っただけで、これ以上の関与は必要でないと言うか、そもそものメンバーではないから出欠の確認は必要なかったのだが、櫛田は以前から言っているように出られるか出られないかは不確かだったので致し方なく、有志三人による探索隊が組まれた。

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