第9話

シーン3 その4


 放課後、というよりすでに下校である。宇治大吾、根岸さよの姿はカラオケの一室にあった。歌いに来たわけでも体育祭の打ち上げのやり直しでもない。あの作業の続きに来たのである。

 登校後、頑として本を所有すると言い張った根岸さよへの宇治大吾の懸念は一限目で現実化した。授業どころではないのである。机と自分の腹の間に置いて本を読んでいた。幸いなこと、と言ってしまうと教育上の問題になってしまうのだが、教室後方の根岸さよの内職を教員が気付かずに済んだ。済まなかったのは、それを目撃していた宇治大吾であり、二限目以降いつ見つかって教育的指導を加えられ没収されてもおかしくはない。よって回収。本は宇治大吾が管理することになった。休み時間や昼休みに根岸さよは喉を潤そうとするドラキュラの勢いで宇治大吾に接近、むさぼるように読み始めるが制限時間は短いうえに、こういう行動がクラスメートの目を引いた。宇治大吾としてはまあ文化祭のためなら仕方ないかもしれないが、こうも公にあけっぴろげ状態で話しが進むのも映画的なネタバレと注目される恥ずかしさも相まって、人の目のない場所でという提案をした。すると、それは誰かの家というのがまっさきに浮かぶ案なのだが、それはそれで小っ恥ずかしいと言い出した宇治大吾の発案が、根岸さよが絶叫しても何の不思議も誰の注目も引かない場所、すなわちカラオケ店となったのである。

「宇治君! やっぱりすごいよ!」

 この驚嘆のボリュームをファミレスやファーストフード店でされたのでは肩身が狭くなるのは間違いない。

「そもそもスサノヲの鏡って何?」

「なんか力あんの?」

「てか、あるんならもうとっくに見つかって保管されているんじゃない?」

 独り言を通り越して雄叫びである、女子だが。それは声だけではなかった。誰かの家で、根岸さよのあれらの顔を見せることがなくてよかったと、宇治大吾は本当に思ったのだった。

「始めてる?」

 ノックも遠慮もなく入ってきたのは海原ちとせである。

「会長、言ってたよりずいぶん早いですね」

 宇治大吾から事前に場所と時間を伝えてあったが、生徒会の仕事があるから遅れるとの返答があった。遅れる、からには一時間前後とかが予想されるが、海原ちとせは宇治大吾と根岸さよが入室し、十五分も経たずに入って来た。

「私がやる分は明日にして、後は任せてきた」

 業務遂行ではなく延期しただけのようである。かといってそれが横暴であると非難されるなどということは決してないだろうと推量するのはいともたやすいことで、それというのも海原ちとせのキャラクター性が重きをなしているだろうが、確かに会長職をこなす実務能力という点ではやはり卓越したものがあり、現に生徒会会長と体育祭実行委員、文化祭実行委員を兼務しても学力を学年三位内から下げることはなく、業務を処理できている時点で優秀さを裏付けているし、他の役員がその職務を放棄したり、あるいは職責につぶされたり、などいうことはなく、リーダーシップを適切に振る舞っているからこそ、「海原ちとせならば」とつき従っている現状がある。また、このような長々とした解説がなくとも、海原ちとせが先ほど「任せて来た」と言い、任せることが出来る関係性が出来あがっている時点で、それは証左であったのだ。

「会長……」

 それでも個人的関心に走ってしまったことに、宇治大吾は生徒代表者としての責務を全うしてほしい分、ジト目になる。

「文化祭の準備も会長の務めです」

 正論ぽいことをいともためらいもなく言いやがる。今やるべき会長の仕事としては優先順位が一番ではないだろうが。

「で、根岸さんはまだああやって興奮していると」

 海原ちとせへの挨拶もそぞろに、本をしきりにめくっている根岸さよをさっと横目で見てからソファに腰を下ろした。

「はい。入ったなり僕からぶんどるようにしてそれからずっと」

「呪いの本ではないでしょうね?」

「はい?」

「読者をああやって本から目を離さないっていう」

「はは」

 乾いた笑いだ。正論ではないから、冗談だろうが、しかし、根岸さよはまさに呪われたように本に食い入っている。まるで宇治大吾の声など聞こえてないようである。

「聞こえてますよ、会長」

 感情をこめてないように言って、海原ちとせに向いた。聞こえていたようだ。

それから本をテーブルの上に置いて背伸びをし、置かれてあったジュースをストローで飲んだ。呪いの効き目はまだ浅かったのかもしれない。

「もう! 索引作っといてよ! これだから文系の本てのは!」

 マイクを持っていたらハウリングが間違いなく起こっていただろう。あれだけ熱心に見ていた割には、開いた口からは愚痴を出した。

「そんなに記述があったの?」

 文系の本という特定云々はさておき、根岸さよがあれだけめくっていて、こういう愚痴である。さぞや多岐に渡る記載かと思えば、

「ううん。他のページには少しあるだけ」

 ソファの背もたれに身を預け、顔を天井に向ける。こけたいのは宇治大吾である。集中する根岸さよを妨げないように、音を立てずに歩いたり、ため息をつかなかったりなどなど気を使わなければならなかったというのに、蓋を開けてみれば本を閉じてこうなのである。

「私にも見せて」

 海原ちとせが手を伸ばし、ぺらぺらとページをめくった。めくるというより、さらさらとページを流していた。

「根岸さんが嘆くほど少量ではないでしょうけど」

 本を置いた。本に落した目を宇治大吾に向けた。誰もが憧れる会長の自信にあふれた潤いのある目とは違っていた。

「会長……もしかして、速読ってやつですか?」

 海原ちとせから視線を外して、本に手を伸ばして同じようにやってみる宇治大吾。

「ええ。速読っていうか、こういうふうに読めちゃったっていうか」

「読めちゃったって」

 やはり宇治大吾には読めなかったようで、本の最後まで進めてから、再度一頁ずつめくり始めた。

「ああ、書いてあるね」

 かいつまむと、「古代において剣だけでなく、鏡と玉は権威を示すために必要なものだった。武力とともに。写す、ということに現代では考えられないほどの意味を重視させていた。しかも鏡は希少な物であるから、その象徴性はそれを保有する者の威厳を保つには充分であった」などなどが書かれてあった。

「もうそれってさ、スサノヲの鏡じゃなくて、鏡の存在価値っていうか、そういうのの説明だよね。なんかさ、スサノヲっぽいスーパーパワーの記述ないよね」

 根岸さよは期待が高かったのだろうか、手ごたえのなさにがっくりしているようにも見える。「スサノヲのスーパーパワー」とやらが何を示しているか、ツッコミを入れるべきなのだろうが、

「でも、この本だけがスサノヲの鏡を説明しているわけじゃないでしょ」

 自重してフォローにもなっていない、矛先を変えた。ただ、宇治大吾のその一言に根岸さよは体を起こして素っ頓狂な目で見た。うろたえたのは宇治大吾である。まごまごと、

「いや、だってさ、この本は会長が言い出したことのとっかかりっていうか、スタートみたいなのが手近な情報としてあったんで、これが全部ってわけじゃないじゃん」

 思い付きで言ってしまったことを、それらしい意見として提示しなければならなくなったのである。それでも、みるみる内に根岸さよの顔が血色よくなっていく。宇治大吾としては根岸さよを元気づけようとして言ったわけではないが、結果として萎れかかった根岸さよに栄養剤を注入してしまったようだ、などということにまるで気付いていない宇治大吾が、

「それにほら」

 本の表紙を根岸さよに見せるため掲げた瞬間。

「こ、こんにちは。ノックしたんだけど、返事ないから開けました」

 申し訳なさそうに、恐る恐るドアを開け入って来たのは櫛田だった。朝、本が見つかり、根岸さよは歓喜、海原ちとせは驚いていたのだが、もう一人「スサノヲの鏡」の件を知っている櫛田に休み時間声をかけていた。置いたのは櫛田という可能性もあったからだ。

「わ、私じゃないよ。他のクラスに勝手に入らないし。盗まれたらとか考えたら、もし見つけたら直接渡すし」

「そうだよねえ。でさ、放課後時間あったら一緒に見ない? 根岸さんや会長も来るんだけど」

 と言っておいたのだが、委員会だか何だかの用事があるとのことで、

「遅れてもいいなら」

「うん、かまわないよ」

 という経緯があったのだ。

「櫛田さん、これがあの噂の本」

 宇治大吾から引っ張り取って櫛田に渡す根岸さよ。どことなく宝物を共有したいワクワク感がにじみ出ている。

「へえ。いっぱい書いてあったんですか?」

 櫛田も興味深そうに本に目を落とし、ぱらぱらと一頁ずつめくる。

「あれ? 変なこと言った?」

 しかし返答が誰からもされないので、櫛田はすっと顔を上げた。少しだけ居心地が悪くなったような表情である。

「根岸さんの表情が多弁に語ると思うよ」

 宇治大吾に言われ、根岸さよを見る。

「あ、ごめん」

 根岸の顔、艶がかすれ、目がしばしばしていた。櫛田のおかげか、改めて宇治大吾も海原ちとせも根岸さよの顔を凝視した結果、目を逸らすことになった。

「いやいや、櫛田さんが謝ることは何もないから」

 宇治大吾は手の平をそっと出して、櫛田に本を読む再開を促す。

「そう、私が過剰に期待しすぎていただけ。けれども!」

 根岸さよはすくっと立ち上がる。

「宇治君が妙案あるそうで、さっき何言おうとしてたの?」

「あ、それはね」

 宇治大吾が思い出したように言いだそうとすると、

「著者と連絡してみたらどうですか?」

 櫛田は本の後ろの方のページを開いていた。著者紹介のページだった。手を伸ばしてくる海原ちとせに本を渡した。

「あれ? また私変なこと言いました?」

 今度は宇治大吾が変な顔をしていた。

「いや僕が言おうとしていたのはそれだったから」

 一方、根岸さよは見る見るうちに満面の笑みになる。

「そっかー。その手があったか」

 わざとらしいのか、大げさなのか額に手を当てて嘆いて見せる。

「よし、そうとなればメールを打って」

 こぶしを握って決意を固める。

「宇治君、さっそく文面を」

 宇治大吾に勢いよく指をさすと、

「今、出版社に電話してみたけど、著者の住所とか連絡先はプライバシーとかで教えられないって」

 海原ちとせはしれっともう電話を切っていた。

「で、著者紹介の欄に書いてあった大学にも聞こうと思ったけど、出版社の人は、その先生はもう退任されてるって言ってた」

 頭を抱える根岸さよ。手際の良さにあっけにとられる宇治大吾。著者本人へのアプローチなら即応性があるだろうが、例えば感想を出版社に送るなどという手法は間接的すぎて、また時間もかかることが見込まれる。となれば著者に当たるというのはここで壁にぶつかる。さらには、

「どうやって知ったんだろうね、この人」

 櫛田が何気なく言った。あわてて本を開き直し、「スサノヲの鏡」関連のページを開いてみるが、ヒントになりそうなことさえも書かれてなかった。

「なんか、そうするとあまりにも唐突過ぎるって気がしてきたな、スサノヲの鏡ってのは」

 宇治大吾が否定的な見解を述べると、

「この人がヤバい人だったってことも考えられなくはないし」

 海原ちとせが追い打ちをかける。あわててスマホで著者名を検索する。さほど検索結果に量はなく、高評価も低評価もなく、ましてや学会追放などがない分、海原ちとせが言ったようなマッド系ではないにしろ、著者の人となりがあまり見えてこないとあって、雰囲気も悪くなっていった。

「救いなのは、まだ発見されてないだけと書いてあるんだけど」

「ここまでくると、言い方ひとつだなって思えるね」

 海原ちとせも宇治大吾もあまりにしょげてしまった根岸さよをフォローする羽目になっている。

 そこへ、室内の壁掛けテレフォンが鳴った。誰ともなくため息をついた。それがもう終了時間というのは、カラオケに来たものならば分かり切っているシグナルだったからだ。

「続きは明日ね」

 海原ちとせが励ますように根岸さよの肩をたたいた。無言で頷く根岸さよ。どう言っていいのか分からず海原ちとせに感謝すらしそうな宇治大吾。

「あの、これって関係ありますかね?」

 櫛田が怯えているのか、恐る恐る言った。スマホの画面を一堂に見せている。そこには、新聞記事らしいページがあり、「六月○日より展示。新発見された古代の鏡。調査を終え、本邦初公開」の文字が。しかもその展示されるのは市内の博物館だった。古代の装飾品の展示企画のようだ。あっけにとられ、言葉なくただ互いに見つめ合う宇治大吾、根岸さよ、海原ちとせ。その後、根岸さよの小躍りっぷりは狂乱と呼んで差支えないほどの復活具合で、宇治大吾でさえ櫛田に

「でかしたよ、櫛田さん」

 と櫛田の両手を自分の両手で包んではしゃぐ始末。海原ちとせなどは櫛田の頭を無言で撫で続けていた。

「いや、でも関係あるかどうか知れないし」

 櫛田が言うのももっともだったが、打開策どころかお先真っ暗な気分に満ちていた空間にとっては一筋の光明であったのは間違いない。なんといっても高校生なのだ。研究の手順など習ってもない。行き当たりばったりにどうしてもなりがちだが、それでも自主的に取り組むことになった以上、手法が効率的だとかは言っていられない。

「よーし、今週末見に行く人は手を挙げて!」

 根岸さよの号令に三人がピシッと手を挙げ、一人は恐る恐る目立たぬように肩までしか手を上げなかった。なぜなら、櫛田は時刻表を見ようとして別のアプリを開いただけなんて、いまさら言えなかったからである。

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