第8話

シーン3 その3


「根岸さん!」

 月曜日。下駄箱に来たばかりの根岸さよはぐったりとしていた。

「おはよう。宇治君。その元気は眩しすぎる」

 土曜日とはまるで逆である。ともなれば、根岸さよが抑制されている方が好ましいはずだが、それはそれで不気味にも感じられるし、休火山の噴火が予知できない以上、根岸さよにはちょうどいい感じに回復してもらわないと困る。

「どうしたの? 一日でやつれたみたいになってるけど」

「土曜の夜はパソコンの前。昨日の日中は古本屋めぐり、夜はネット検索。私、二十四時間は戦えないわ」

「お、お疲れ様」

 ねぎらわれているのに、自分に引き替えちゃんと寝たであろうすっきり感のある宇治大吾を思わず睨む。やはり宇治大吾の声にそれだけでない色を聞き取ったのだろう。

「で、朝っぱらから空元気をおごってくれるために下駄箱で待ち伏せってわけ?」

「言い方、棘があるな。いや、それどころじゃないよ」

 どんなに言われても、元気というよりも興奮だった。なぜなら、宇治大吾が根岸さよに声をかけたのは、なにも地雷を踏むためではなく、むしろ根岸さよにとってはそれこそ興奮する情報を持っていたからである。

「なに? 今日は図書室だけじゃなく校内くまなく捜索するつもりだから」

「そう! それだよ。これ!」

 両手で持った古めかしい本をえらい勢いで根岸さよに向けた。

「これじゃないの? 根岸さんが言った本て」

 見る見るうちに根岸さよの顔に鋭気が満ちる。

「これ! これよ!」

 元気が興奮に上昇した。自身への噴火として現れなくて、心底ほっとする宇治大吾。

「宇治君! でかした! てか、どこにあったの」

 宇治大吾をほめている割には本にしか視線を向けていない根岸さよ。

「学校に来たら僕の席の上に置いてあった」

 宇治大吾の執念による取得、ではまるでなく、棚から牡丹餅である。

「アーっ、でも、まあ良しとするか」

 なにかやりきれない感情が湧いているのだろうが、どうしても見つからなかった物がこうして触れられているのだ。

「えーと、たしか」

 ページをめくる。根岸さよが自分のノートに書き写すまでしたページ。

「あった。スサノヲの鏡。やった。私が書いたとおりだ」

 本を閉じて胸に抱え、小刻みにジャンプしだした。

「ずいぶん陽気ですけど、今日は体育祭じゃありませんよ」

 海原ちとせが通りかかった。三年の下駄箱から靴を履きかえて覗いたようだ。あれだけ騒いでいたら当然と言えば当然である。何人かの生徒が宇治大吾たちを遠巻きに見てそそくさと行ってしまっていた。

「おはようございます。実は」

「会長! これですよ!」

 宇治大吾がそれなりの挨拶からの話題にふろうとしているのに、すっかり滋養が整った根岸さよが割り込んで、海原ちとせにあの本を掲げた。

「あったの?」

 あっけにとられた、ハトが豆鉄砲を食らった、そんな顔をして海原ちとせは宇治大吾を見た。

「会長? どうかしました?」

 宇治大吾は不思議そうに尋ねた。

「いえ、良かったじゃない、見つかって。これで調べらるね」

 宇治大吾に正気に戻らされたような感じで、海原ちとせはつとめて冷静に答えた。

「そうです! ああ、もう授業なんていいから早くもう一度読み直さなきゃ」

 恍惚に至る道を歩んでいるような顔をして本を抱きしめる根岸さよ。

「根岸さん。あなた学級委員でしょ。クラスの模範となるべきです。それに、私が聞いてそうしなさいと言うわけないでしょ。ちゃんと授業を受けてからにしなさい」

 生徒代表たる会長としての正論である。

「え~、会長が映画録るって言ったんじゃなないですか。その良い素材がようやく入ったのに」

 ふてくされている。言っていることはそうかもしれないが、完全に責任転嫁である。

「言いましたが、勉強をするなとも言ってません」

 ド正論である。これ以上言い返すのは無理と踏んで、何も言わなくなったがその代りに、根岸さよの唇はとんがった。アヒル口でもあるまいに。

「はあ、宇治君。根岸さんのことよろしくね」

 肩こりを吐き出したいようなため息をついて、海原ちとせは行ってしまった。

「根岸さん、さすがに授業はでないとだよ」

 インフルエンザウィルスよりも迅速に伝搬したのであろう、宇治大吾もため息を吐いた。

「分かってるよ~、それくらいの気持ちだったってことジャン」

「そのアヒル口は決して反省してない口だよね」

「これはアヒル口ではありませ~ん。単なる口周りの筋トレで~す」

「はあ。教室行こう。んで、休み時間とか放課後しっかり見直そうよ」

「は~い、分かりま~した。会長びいきの宇治大吾君の言うとおりにしま~す」

 カバン片手に、本を片手で胸に置いて、替えた校内履きで下駄箱を出た。その際にカバンで背中を叩かれた宇治大吾はもう一つため息をついた。

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