第5話

シーン2 その2


 ファミレス。宇治大吾は、根岸さよと対面していた。

「大市たちも来れば良かったのに」

「まあ、二次会が体育館へって、男子ってのは」

 大市、岐原、須賀ら宇治大吾とよくつるむ何名かの男子は一次会の後、市営の体育館でバスケットボールをすると言いだした。もともとそう運動を能動的にしない宇治大吾は、体育館でのバスケ観戦と、ファミレスのおごりを天秤にかけ、後者を選んだ。

「他に誰か来ないの?」

 他の男子はそのグループで、また女子は女子で

「カラオケとか、宮崎さんの家とか分散だね」

 ということで、男子と女子が二人っきりでいる。校内での一次会のバカ騒ぎを、ファミレスで二人だけでやっていたら白眼視である。よって、はしゃぐわけでもなく、小声になるわけでもなく、かといって話題があるわけでもなく、単に思いついたことをコピー機の印刷のようにつぶやくだけだった。

「まるでデートね、宇治君」

「デ!」

 顔が赤くなる。声も若干大きくなる。話題ではないが、とっかかりとしては効果的だったようだ。

「もう冗談よ」

 おばさんじみた手つきであしらう。にやついた顔の根岸さよに、ふてくされるわけでもなかった。こんなことで気を損ねていたら、せっかくのおごりがお釈迦になってしまう。

「で、なにするか決めた?」

「一次会で結構食べちゃったからなあ」

 一次会では菓子類だけでなく、折詰の鮨やおにぎり、サンドウィッチもあった。それは根岸さよにとっても予想外だったようで、教務室に呼ばれ何人かで抱えて家庭科室に持ち込んで、「氷川先生からのおごりだって」驚いた顔で紹介し、クラスが発狂寸前の盛り上がりとなった。高給取りではないと自嘲する氷川は給料の多くを趣味に費やしていると、よくホームルームや授業で嘆いていたが、嘆くくらいなら自制をとの生徒たちの諫言は聞き入られることはなく、氷川の食生活が貧相であると、誰しもが知っていることだったから、ここに至っての氷川の大盤振る舞いにクラスが、それこそ岩戸の前の神々よりも深く深く頭を垂れたのは言うまでもない。そして、クラスメートがすることと言えば、その謝意を食欲として体現することであり、結果氷川提供の差し入れはすべてものの見事に、生徒たちの胃袋に収まった。彼らはきっと成長するだろう。栄養学的に。

「わらび餅ぜんざいとドリンクバーかな」

 だから、宇治大吾も結構一次会で食べていた。とはいえ、せっかくのおごりである。ドリンクバーだけはもったいない。わらび餅が取り立てて好きというわけではないが、デザート替わりとして食べることはできそうだ、くらいの気持ちだった。根岸さよがテーブルのボタンを押しスタッフを呼ぶと、

「わらび餅ぜんざいとドリンクバー二つ」

 同じものを頼んだ。マニュアル化された確認と、ドリンクバーの説明をされた。

「私取って来てあげる。何がいい。あ、エッチなのじゃなくてね」

「な、こ、ここまできて何言ってるの! 分かってるって言ってるでしょ。僕は! 僕も行く」

「冗談だって~」

 取り乱す大人し目の男子と茶目っ気を色濃くする女子の二人してドリンクバーに並び、宇治大吾はコーラを注ぎ、根岸さよはハーブティを淹れた。

「宇治君、マジ? ぜんざい来るんだよ」

 席に戻ると、根岸さよは宇治大吾の選択に首をかしげた。和の食材ならばとの趣旨らしいが、それを言うならば根岸さよの飲料もすっかり西洋風だ。

「いいんだよ。喉乾いてたから冷たい物の方がよかったんだ」

 ストローで静かに吸ったつもりだった。が、思いのほか気管に入りむせてしまった。

「大丈夫?」

 根岸さよの差し出すウェットタオルに遠慮しつつ、ズボンのポケットからハンカチを取り出して口に当てた。

「スサノヲとは思えない柔い感じね」

 揶揄ではないが、聞いた方は少しむっとした。

「好きで役を担ったわけじゃない」

 それを読み取ったのか、啜っていたカップを静かにおいて、慌てて

「ごめんごめん、そういうつもりじゃなくてさ。じゃあ、機嫌直してあげようか、エッチなので」

「!」

 背筋が伸びて、コーラを慌てて飲んだ。今度はむせなかった。ポケットにあるはずのハンカチがなく、うろたえそうになったが、先ほどのことを思い出してテーブルの上に置いたハンカチを取り、汗もないのに額を拭いた。

 ぜんざいが届けられた。配膳するスタッフがいなくなるまで二人はなぜか黙ったままだった。

「それにしても盛り上がったねえ、これも宇治君が張り切ってくれたおかげだよ」

「僕はよく覚えてない」

「本当? 会長もそうだけど、生徒会ってか体育祭実行委員が撮影してたから後でもらおうよ。あ、そういえば生徒会室行ったら、なんか機材とかDVDとか原稿とか散乱してたな。あれ見ると、我々の元に資料が回ってくるのはいつになることやら」

「うーん、見たいような見たくないような。いや、『我々』ってまだ名残でもあるの?」

「いやいや、鑑賞会やるよ、絶対。ホームルームの時とか使って」

「えー、なんか黒歴史見るみたいなんだけど」

「大丈夫大丈夫。まだ数日なんだから歴史にならんて」

「そういうことじゃなくて」

「だって、ダイゴスイッチ見れるチャンスだよ」

「そうか……」

 記録されたのが雄姿ではないと嘆く宇治大吾だったが、根岸さよの一言で風向きを変えた。根岸さよが言い出した「ダイゴスイッチ」なるフレーズ。それは普段穏やかな宇治大吾が、人が変わったようになる瞬間のことだ。彼は大人しいとか物静かなわけではない。運動をあえてしないだけで苦手というわけではない。そうしている理由にもなっているのが、このダイゴスイッチだった。顕著に表すのが、武道だった。剣道の授業で防具をつけるのに四苦八苦していたかと思えば、いざ試技が始まると、面を脱ぎ、目つき言葉尻が急変した。横暴ならまだしも遊んでいると言うよりもあざけるような言動になる。それは音楽の授業でもそうなることもあり、たびたびというわけではないが、めったにというわけでもなく、この人格の急変を、いつからか誰からか「ダイゴスイッチ」と呼ぶようになった。「天の岩戸」実演中にそれまで緊張していた宇治大吾が威風堂々になった瞬間、クラスメート全員がこのダイゴスイッチだなと納得していた。

「う~ん、やっぱり恥ずかしい。その名称も含めて」

 本人はその名称がお気に入りでないらしい。自覚がないので、それを見てみたいと思ったのは正直だったが、シーソーの片側が恥ずかしさでそちらの比重が大幅に上回ってしまったようだ。

「打ち上げにしては人数的に寂しくない?」

 そこへ顔を出してきたのは、海原ちとせだった。生徒会長としての激務があるだろうに、まるでげっそりしている様子も、後始末でてんてこ舞いな様子もなかった。下級生二人は軽く頭を下げ、一次会はすでに終了し散会したのだと告げた。

「知ってる。生徒会長ですから。あなたたちのクラスの乱痴気騒ぎを今度議題に上げようかと」

「そんなに騒動レベルにはなってないですよ」

「冗談よ。ちょっといい?」

 言って根岸さよの横に座った。生徒会のメンバーで来ていたのだが、そろそろ帰ろうかとしたら二人を認めたと言う。

「なんの用事ですか。私、スサノヲとデートしてるんですけど」

 むせたのは宇治大吾である。

「いや、すごいね。宇治君。もうハーレム増やしてんだ」

「会長、言い方が。僕はそんなことしてないですって」

「う~ん、生徒の風紀を守るのも生徒会の使命なんだよね。神とはいえ校内の風紀を乱すのはいかがなものかと……は!」

 実にわざとらしく自分の身をギュッと抱きしめる海原ちとせ。

「こんな、神に逆らうような軽々なことを言ってしまって、私も手籠めにされてしまうのね」

「会長、静かにしましょう。僕らの高校だってのはもう他のお客さんには一目瞭然なんですから、何クレームが来るかしれませんよ」

「宇治君て、ある意味いい度胸しているわよね」

 体から腕を離して、テーブルに肘をついて両手に顎を乗せ、海原ちとせは宇治大吾を見つめ直した。

「ええ、会長。我らが主役ですから。ダイゴスイッチが入った時の宇治君はそれはもう男気の化身というか」

 ハーブティを啜って根岸さよも話題に乗る。

「あのさ、そろそろ僕の気が休まるような話題にしない? これ、打ち上げでしょ。それに、おごりなら、僕をねぎらって欲しいんだけど」

「まあまあ、そんな怒んないでよ」

「あら、おごりなんて、宇治君あなた」

「会長、さすがにもうよしておきましょう。さすがの宇治君も、ネ」

 こそこそ聞こえるように言って、横目で宇治大吾を二人してみた。明らかにおどけている女子二人。

「ところで、会長。他のメンバー帰らせてここに座ったってことは何か私たちに用事でも?」

「そう。あ、注文いい?」

 ベルを鳴らしてスタッフを呼んで改めてドリンクバーを頼んで、海原ちとせは緑茶を持ってきた。

「いやね、体育祭が終わって早々なんだけどさ。文化祭なんかやんない?」

 宇治大吾、根岸さよ二人そろって海原ちとせを見る。凝視する。

「まだ六月ですよ。文化祭一〇月。去年勝手が分からなかった一年の私たちでさえ九月ですよ、準備はじめたの。てか、ホームルームで話しが出たのも九月だし」

「分かってる。それでもまあ、ぶっちゃけ、どうにかなるんだよ。クラスとか部活とか委員会の出し物って。美術も書道も音楽も授業であるから、作品もそれなりにそろうし」

「なら、僕らに話を振るってのは何でです?」

「いや、これから公式になるだけってことだから、別に君たちだけってことではないの」

 要領を得ない説明だった。

「個人参加っていうか、同人参加っていうか、そういうのをさ、ここ数年やってるんだけど、ライブとか、それこそ同人作品の配布とかなんだよね。それで今年はテコ入れっていうか、早いうちから、こっちから催促しようかって話になって」

「それでなんで僕たちに?」

「話しやすいから」

「え~」

「話ししたところ全部が企画してくれるは限らないけれど、無理やり説得ってわけじゃなくて、こういう文化祭の参加の仕方もあるって認知してほしくて」

「会長、真面目に考えてるんですね」

「当たり前でしょ。こういう実績が推薦入試の時、面接で堂々とPRできるんだから」

 ものすごく個人的かつ打算的な主体性であった。

「根岸さんはどう思う? 僕はちょっと遠慮したいな。どうせならのんびりと校内歩きたいよ、当日」

「私は正直どっちでも。クラスの方をまとめないとってのが先だから、私個人で参加ってのは後回しになるかな」

「厳しいかあ。三年も入試があるから及び腰だしなあ。ま、いいや。一応覚えておいて。なんかそういうイベントごとが好きな連中がいたら話題振って生徒会室行くよう言ってくれてもいいし」

「それにしても三年なのに、一〇月までがっつり生徒会に足突っ込んでいて、本当に進路大丈夫なんですか?」

「だから推薦なんでしょ」

「ダメだったらどうするんですか?」

「言わないで……。一応勉強してるけど。でも大丈夫。内申点は猫被っていただけあって評定四.五あるから!」

 その数字なら確かに推薦入試は大丈夫そうだ。

「ちょっと待ってね。お茶持ってくるから。あとはくたびれるくらいしゃべり倒しましょう」

そう言って海原ちとせはまたしもお茶を持って来て、後輩二人と気兼ねのない雑談を始めた。

 数分後。三人の前に、女子生徒が一人静かに立った。

「こ、こんにちは」

 櫛田だった。二年に進級する際に別のクラスになったが、一年生の時に宇治大吾と根岸さよとは同じクラスだった。緊張気味に話しかけてきたのを見れば分かる通り、彼女は根岸さよと違い大人しい部類の女子だった。大人しいのだが、勉強はできる方で、スポーツも一通りこなし、かといってそれらを鼻にかけるわけでもなく、クラスで目立つわけでもなく、クラス全体でのやらなければならないこと――それこそ体育祭や文化祭のクラス単位の出し物や、期末テスト後のスポーツ大会などなど――に参加しなかったなんてこともなく、控えめなそして何かを秘めている女子だった。そんな初見ではない宇治大吾たちにぎこちないのは、

「盛り上がっているところごめんね。ちょっと見えたから」

 遠慮していたようだ。すると、

「ああ、櫛田さん、どうしてあなたは別のクラスなの?」

 根岸さよは大げさ、どこか演技っぽい。まるでロミオかジュリエットを呼ぶようである。

「どういうこと?」

「櫛田さんが同じクラスだったら、宇治君の相手は櫛田さんでしょ。神話的に。脚本もきっとそうなってただろうし」

「スサノヲの妻ってことね。そしたら、全国の櫛田さんがスサノヲの嫁ってことになるんじゃない?」

「まさにハーレムだね。宇治君」

「それでもスサノヲの想うクシナダヒメは一人だろ」

「あのさ、神話のことでなにそんなに熱く討論してんの」

 結局は仮装行列の熱にまだうなされているとしか見えない下級生たちに、冷や水をかける上級生の生徒会長だった。

「だって宇治君がスサノヲ役だったなら、もうずばり櫛田さんはクシナダヒメでしょ。去年みたいに同じクラスだったら、間違いなく配役は秒速で決まったのに」

「いや、僕の名前のどこにもスサノヲ要素ないでしょ。それに、やったのは天の岩戸でしょ。スサノヲとクシナダヒメの出会いはもっと後でしょ」

 海原ちとせの冷や水をも蒸発させてしまう宇治大吾と根岸さよの熱いトークはまだまだ続く。

「詳しいわね、スサノヲ君」

「そういう皮肉っぽいの止めて。少し調べただけだよ」

「調べた?」

「いや、一応スサノヲやるわけでしょ。なら、どういう人か気になるっていうか、知っておかないと、と思って」

「ふ~ん」

「まあ、人ではないでしょ、スサノヲ、神様だし」

「あ、ちょうどいいや。これ、知ってるかな? 関心なくはないってことでしょ」

 熱は勝手に収まったらしい。さっさと根岸さよがノートを出した。そこに書かれていたフレーズ。「スサノヲの鏡」

「仮装行列が『天の岩戸』に決まってから結構調べたのよ、みんなで。脚本も作んないとだったし。制限時間短いからそこで見せ場どうするとか」

 ノートをめくっていく。確かにびっちりと書かれてある。それを真逆に見ている宇治大吾には意味不明な記号が並んでいるのも見えた。

「それでね、いろいろ資料を漁っていてたまたま見つけたのよ」

 ノートを持ち上げて三人の顔の前に上げた。それはノートの最後のページに書かれてあった。

「スサノヲの鏡。スサノヲノミコトがクシナダヒメと婚姻を結んだ際送ったとされる。邪気や魔を払い、暗黒でさえ光で照らし、慈悲に満たすことができると言う。他詳細不明」

 説明文の後には、出典の本の名前とページが書かれてあった。

「ね、なんか怪しくない?」

 と言いながらもどこか興味津々の語調である。

「怪しいとかって、僕にはよく分かんないけど」

「だ~か~ら! んなもんが本当にあるのならなんで私たちは知らんのかって話」

「はあ? 伝説とかってそんなもんでしょ。正体不明っていうか、現代から見たらあやふやっていうか」

 怒気を強める根岸さよに、宇治大吾もたじたじである。

「私さ、大学で比較神話学とかやりたいわけよ」

 唐突に海原ちとせが言い始めた。

「もともと星座が好きでさ、それってギリシャ神話とかと関係していて、そっから日本の神話も星座になんなかったのかなとか思って。それで、日本神話にも関心がなくはなくて。スサノヲってヤマタノオロチ退治で草薙剣を手にして、クシナダヒメに告ったのが短歌の始まりとか、そういうのは見た事あるけど、鏡か。確かに昔は鏡って神秘的で、卑弥呼も鏡もらってるのが記録に残ってて。まあ神話はもっと昔だろうけど。てか神話が弥生時代のどれくらいまえかってのはどうもね」

 つまり海原は

「よく分からんと、言いたいわけですか、会長」

 頷いた。

「ガセじゃない?」

「でも気にならない? むしろさ、剣持ってて、それで終わり? みたいな」

「そう言われると」

「櫛田さんはどう思う? 前世の旦那の遺産、今なら相続できるって言われたら」

「あのさ、根岸さん。まったく櫛田さんには関係なくない、それ。男の櫛田某さんはどうなるわけ?」

 現に櫛田は苦笑いしている。

「主夫ということで」

「だから、意味が」

 宇治大吾が頭を抱えてあきれた時である。

「ずいぶん盛り上がっていますね」

 ずいぶん聞きなれた声だった。悪いことをしているわけではないのに、全員体が一瞬びくっとなった。それは会長である海原ちとせもだった。

「氷川先生、何されてるですか? どなたかとデートですか?」

「プライベートを生徒に勘付かれるようなことはしませんよ。見回りです」

 体育祭当日、翌日。生徒たちが打ち上げと称して乱暴狼藉を働いてないか、教師陣が手分けをして巡回をしている、かいつまめばそういうことだった。

「先生、古典ってことは神話にも詳しいってことですよね」

 根岸さよは食い気味だ。教員側の事情などもはやおかまいなしだ。

「詳しいかどうかは知れませんが、君たちよりは少なくとも多くの知識を有している自負はあります」

「じゃあ、スサノヲの鏡って知ってますか?」

「スサノヲの鏡、ですか?」

「はい、『天の岩戸』の資料を探していたら見つけて。気になって今その話をしていたんです」

「そうですか。これは一般論ですが、古代という時代の資料は常に改められています。一年前まで誰にも知られなかったことが、白日の下にさらされる、そうして今までの歴史がひっくり返るほどの衝撃になる、そんなことは珍しいことではありません。個人的な研究成果が発表当時は白眼視されていても、後年事実だと判明した、ということもあります」

 氷川の説明に誰も分かったような分かってないような表情。

「つまりですね、スサノヲの鏡とやらは現在公式に認知されてはいませんが、誰かが研究の一環として見つけた、という可能性は排除できないと言うことです」

「ほら、あるって!」

 根岸さよは勢いよく立ち上がった。

「いえ、あると断定したわけじゃ……」

 担任は生徒の学力だけでなく、性格も承知している。だからこそ、やんわりと学問的知見を披露したのだが、生徒の性格もやはり日々成長しているのだろう、氷川の予想を軽々と超える反応となった。

「つまり、探してみる価値はあるということですよね」

「それは否定できませんね。けれど、それは研究者が行うことで」

「高校生が興味を持ったことを調べちゃだめなんですか?」

「いけなくはないですが、学業が優先されますから……」

 非常に扱いづらい点を引っ張り出されてしまった。とはいえ、教師としてわきまえさせるというのも覚えさせなければならない。さいわい氷川のクラスはにぎやかでやんちゃな生徒が多いが、かといって無謀をまっしぐらする者はいなかった。割と聞き分けはいい方だ。だから、言って聞かせれば学級委員が大人しくなるはずだ。

「あ!」

 海原ちとせが目を見開いた。その目に決然とした色が隠されることなく光っていた。

「なんです、会長」

 宇治大吾が恐る恐るになってもおかしくはない。彼は嫌な予感を何度となく体験しており、海原ちとせからそれを感じられたからである。

「それいいじゃん」

「何のことです?」

「だから! さっきの件よ。さっきの」

「ん?」

「文化祭の個人参加の件。こうよ! 『DKJK探検隊! 伝説のスサノヲの鏡を求めて!』」

「いや、意味が」

「あの買ったばかりのビデオカメラがまたしても活躍する出番か」

「生徒会で、ええ、体育祭の時自慢してましたもんね」

「映画よ、映画!」

「はあ?」

「ドキュメンタリー映画。スサノヲの鏡の調査よ」

「いや、あるかないかもしれないものを」

 宇治大吾は戸惑うばかりである。予感が的中したのだから、予言者とか占い師と自称してもさしつかえないだろうが、事態がどうものんびりしていられない様相を表し始めていた。

「だから、ドキュメンタリーなのよ。締め切りは編集含めて九月下旬くらいまで。クラスのこともあるだろうから、余力を残しておいてさ。見つかっても見つからなくてもカメラを回し続けてそれを上映するの。生徒たちが自分たちの興味をもったことにどれだけ能動的になっているかも分かるし、先生にしてもそれなら認めてくれるでしょ」

 生徒会長が学校行事を盛り上げるために奮闘することをむげにすることはできず、それは翻って鎮静化させようとしていた学級委員にガソリンを注ぐことになってしまった。となれば、

「う~ん。まあ夏休みを挟みますし、あくまで本来の学業を妨げないということなら、そういう活動は受け入れられますね」

 問題視すべき点は限られたものになる。けだるそうにでも教員としては認めるしかなかった。

「当然、私も参加して、ちゃんとテロップに企画・監督は海原ちとせって載っけるからね」

「会長、これも推薦入試のためですか?」

 ここまで乗り気を見せられると、文化祭を盛り上げようと言う純粋さよりも腹黒さが顕わになってくる。

「え? え、ええ。そうよ。もちろんじゃない。へへ、これで内申書に追加する項目が増えた。それに大学生になった時に研究が楽になるかもしれない」

「会長、独り言が駄々漏れです」

 一瞬海原ちとせは戸惑いを見せた。しかし宇治大吾はそれに気付かず、会長の鷹揚さにあきれている。その海原ちとせは、

「宇治君と櫛田さんは? 参加してくれない?」

 勇むように勧誘を再開した。

「根岸さん、個人の参加はどうのこうのって言ってなかった?」

「それは九月からは抑えるよ。ね、今から夏休み明けくらいって期限を設けるから、協力して」

 やんわりと会長の依頼を回避しようと宇治大吾は取ってつけたように思い出すが、根岸さよの方はどうやら海原ちとせの案に心惹かれたようで観音様にでも合掌している勢いだ。スサノヲ役というなら、本当に神頼みだ。

「まあ、いいか。スサノヲ役としては気にならないと言えばうそになるし」

「やった。櫛田さんは? ここにいた縁で」

 不承不承気味な宇治大吾のおかげでいい気になったのか、根岸さよの勧誘は全く合理的ではない。

「そうだな。それって定期的に集まったりするのかな」

 ただそこにいただけの櫛田にとっては思案気味になるのは無理はない。

「いや、そこまではまだ考えてない。どうしよう、宇治君」

「今思いついたばかりなんだから、詳細はこれからでしょ、どっちにしても」

「そうだよね」

 自分で巻き込んでおいて、動転すると宇治大吾に委ねる辺り、根岸さよの学級委員の権威の無駄遣いである。

「じゃあ、打ち合わせに参加させてもらってそこで決めようかな。けど今から言っておくんだけど、たぶん出れたり出れなかったりすると思う」

 強引さとは皆無な櫛田は言葉を探しながらそんなことを言った。わずかに頬が血色ばんでいた。

「どっちにしろ、文化祭の企画一つ上がった。よし! 乾杯! 先生の分は宇治君がおごってくれるって」

 言いだしっぺの海原ちとせは血気盛んになった。

「ぼ、僕?」

 そのあおりを食らった宇治大吾はうろたえ、

「いや、私はまだ巡回が」

 不意打ちを食らった氷川は困った顔になった。

「一杯くらいいいでしょ。先生の博識のおかげってものもあるんだから」

 軽快に宇治大吾の横に氷川を座らせ、ベルを鳴らしスタッフを呼んだ。ドリンクバー追加。それぞれが好みの飲み物を準備して再び着席。

「文化祭に向けて」

 海原ちとせは陽気に、

「少し静目にしてください」

 宇治大吾は肩を落とし気味に、

「かんぱーい」

 根岸さよはやはり調子に乗った。櫛田と氷川は顔に縦線が入るようすで黙ったままだった。カップとグラスを鳴した。

 こうしてスサノヲの鏡の調査が始まった。

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