第3話

シーン1 その3


 いよいよ番となった。軽やかな、それでいていかにも古風な曲がスピーカーからつんざいだ。入退場門から出て行く。宇治大吾一人で。動作はト書き通りにできた。グラウンドの中央で仁王立ち。口を開いた。声が震えた、いや掠れた。

――やっぱりとちる。こんなしょっぱなから

 恥ずかしいという気持ちになったのだろう。しかしそれが、大げさに咳払いをする、という台本にない行動になった。いや、むしろどことなく威厳があるような感じになった。息を飲んだのはクラスメートたちである。練習とは違う、しかしこのまま進めるしかない。他の役者が登場し、絡んでいく。演技が進む。その時である。クラスメートの誰しもが、「ああ、来たか」と思ったと言う。

「この場所を」

 言い始めた宇治大吾の表情が変わった。動作のキレが変わった。そもそもの雰囲気が変わった。観客がざわつくくらいである。その迫力たるやまさに熟練の舞台俳優かのごとくである。

 アマテラスオオミカミが天の岩戸から登場した。とはいっても配役があったわけではない。竹を組み、紙を貼り、着色デザインした張りぼてのアマテラスオオミカミである。その大きさ二メートル。この圧倒的な迫力を出すために作成するという方法にしたのである。その大きな張りぼてに拍手がされる。いやそればかりではない。平伏する宇治大吾の所作がアクションのようだった。ト書きを実行しているだけではない、まさに宇治大吾の奥深い心情から湧き上がってきた心身一体の五体投地に観客から万雷の拍手が起こった。

 太鼓が別の曲を鳴らす。役者たちが軽妙かつ緩やかに踊る。もう終了である。宇治大吾はグラウンドの真ん中でアマテラスオオミカミの前に立ち、一列に並ぶクラスメートを代表するように一礼をした。それに続いてクラスメートたちも礼をした。拍手が盛大に打たれた。顔をあげた宇治大吾は顔が熱かった。鼓動が早かった。本部席からアナウンスがされる。退場。ミネラルウォーターをがぶ飲みしていた、疲れたにこやかさのカメラマンに整列させられた。興奮、高揚を感じたまま、宇治大吾は言われるままにポーズを構え、写真を二、三枚撮られた。

 これで午後のプログラムが終わる、ということではない。着替えなければならない。教室に行く。ようやく肩の荷が下り清々したはずなのに、着替えが重々しかった。男子たちは意気揚々というか陽気なままだ。宇治大吾にそういう感じがなかったかと言えば、確かになくはなかった。が、疲労感に勝るものではなかった。

「皆さん、お疲れ様」

 言って教室に入って来たのは担任の氷川である。男子たちはまるで兄のように親しんでいるこの二〇代後半の担任に今しがた終えたばかりの演目の感想を求めた。一通り応じて、

「いやー、見事でしたね」

 宇治大吾をねぎらった。

「かつてなく疲れました。もう途中から何しているかはっきり思い出せないくらい」

「大丈夫です。ちゃんと演じられていましたよ。まるで本物のようでした」

「僕は人間ですよ、先生」

 時折過剰に評価する気のある担任を今は軽妙なボケとツッコミでこなせず、体操着に腕を通す。

「いえ、本物の役者のようだ、という意味です」

 どこまでがボケなのか本心なのか、相変わらず読みづらい人だ、というのはクラスメートたち誰しもが言うことである。宇治大吾もそう思った。

「さあ、みなさん。この勢いで午後のプログラムも爆走しましょう」

 大きく手を広げて、クラス男子たちを煽る。男子たちもこの日とあってはそれに乗る。宇治大吾はなんだかわざとらしくしているように見えたが、疲労感緩和のスポーツ飲料を飲み干すことの方が優先すべきことだった。


 閉会式。グランドには全校生徒が整然とクラスごとに並んだ。会は淡々と進む。表彰式。例年通り、プログラム上の競技の得点、対抗は雌雄を決するような僅差となり、歓喜と落胆と、そして健闘をたたえる拍手に満たされた。

 今年はそればかりではない。特別な仮装行列が企画されていたのだ。それは本プログラムとは別口で採点、表彰された。宇治大吾たちのクラスは、あの演技、あの拍手だったのだ。それこそ優勝も狙える、はずだった。結果は二位だった。一位は三年のあるクラス。興奮の三年、宇治大吾たちのクラスのどよめきと残念と精いっぱいやったことの満足感。さまざまな表情と声がグランドに溢れた。

 氷川は音のない拍手をしながら、それをただにこやかに見つめていた。

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