山の子 第三章(1-19)

「入道殿!入道殿‼」

「ええい、今度は何だ⁉」

 上山本みょうの請負代官、三田兵衛三郎入道光恒こうこうは、激戦地の村の広場まで報告に現れた手下に、噛みつくように言った。


「西から新手の軍勢が近づいております!数はおよそ二千余!旗の紋からして、あれは御家人の軍勢です!」

「何だと⁉」

「既に五町の距離まで迫っております‼」


 合戦の喧騒に負けないように、二人とも怒鳴り散らしている。

 今朝から、三田入道と果妙の本隊とは、村の争奪戦を繰り広げていた。この広場は、麓で最も激しくぶつかり合っている場所だ。双方共に今朝駆け付けた増援を投入しており、合わせて四百人以上の<悪党>達が血みどろの戦いを続けている。


「おのれぇ!この畜類共さえ来なければ!」


 村で戦う<悪党>達も、山中と同じく浮足立っていた。

 それを決定付けたのは、ついさっき突っ込んで来た獣達だ。地響きと鳴き声と臭いをまき散らしながら山を駆け下りてきた獣の波は、本所、<山門>双方の部隊を掻き乱した。最悪だったのは、波の中から飛び出してきた化け物が、狂乱状態で襲い掛かってきたことだ。三田入道自身も、何処からか滑空してきた風狸ふうりに顔を引っ掻かれ、左の頬から血を流している。

 そこに来て御家人勢の到着である。香春探題の命令によることは、三田入道にはすぐに分かった。もはや名の実効支配などは、到底叶えられない夢であることも。


「いいか、お前はこれから――クソっ!誰かあのホウドラを殺せ!」

 尻尾まで含めて七尺(約二一〇㎝)はありそうな黒に銀斑のホウドラが、乗り手を失った馬の尻に喰らいついていた。馬は口の端から白泡を噴きながら、ホウドラを振り落とそうと暴れ回っている。

「いいか、よく聞け!その新手は探題の送り込んで来た連中に相違ないわ!この状態では山に引き込んで戦うわけにもいかん。そうとなれば、あの果妙より先に探題勢に降参するのが得策だ!お前、今から走って、〝お味方仕る〟と御家人共に伝えて参れ!」


 手下は馬に飛び乗ると、逃げ場に迷った狸の家族を蹄で追い散らしながら飛び出して行った。何となく不安を感じた入道は、身辺を固めていた手下に使者の後を追わせた。

 使いが走るのと同じ方角には、鳥の群れが飛んでいる。それに交じった尾羽の長い怪鳥が入道にも見えた。気味の悪さに寒気がする。


 それを僅かの間見送った三田入道は、すぐに向きを変え、太刀を抜き払って喚いた。ホウドラがまだ馬に噛みつき、馬は跳ね回っていた。

「誰かあの忌々しい化け物を片付けろ!」





 探題勢の大将横山時次は、着到状への証判と軍陣の手分けを手短に済ませると、進路をまっすぐ西に取り、黒い波が雪崩れ込んだ村を目指した。先陣は下原留しもばる載冬としふゆを大将とした一手だ。

 指揮下に入った御家人から成る騎馬武者の一群が、弓を片手に猛然と駆けた。後に続く徒歩を引き離し、見る間に村へと迫って行く。


 真原国は古くは<馬原国>と書いたことから分かる通り平地が多く、各地に馬や牛の牧が設営されている。東洲の武士は、自分達こそ本朝最高の騎射技術を持っているとして疑わないが、真原の御家人達の方にも、東洲武者に引けをとらないという自信があった。

 先陣の後を走る東洲生まれの大将時次も、副将格の春日憲秋も、迷いなく真っ直ぐ矢の様に突撃する真原御家人の姿に、内心感じるところがあった。


 下原留載冬の陣に加わった真原御家人の犬淵兵衛次郎将篤まさあつは、一族郎党二十騎を率い、先陣の最前列を走っていた。馬に拍車をかけ疾駆する将篤の目に、馬の首にしがみつくようにしてこちらに向かって来る四、五名の男達が映った。口々に何かを叫んでいる。


「止まれえぇぇーっ‼」


 騎馬の群れに対し、たった数騎で現れたのは勇気の証しか。討ち取って手柄にしようと、疾駆しながら矢を番えた犬淵将篤に、向かって来る男達の叫び声が届いた。

 隣を走っていた従弟の兵衛又太郎が吼えるように言った。

「次郎兄、〝止まれ〟と申しておりますぞ!」

「そうか、やはりそう聞こえるか」


 共に走る御家人達にも聞こえているらしい、最前列の武士達は速度を落とし、徒歩を従えて続く下原留載冬が追い付くのを待った。


 異常を察知して、載冬が馬廻り三十騎と共に最前列に姿を見せた。有力御家人立花氏の一族なだけあって、堂々とした戦装束だ。逞しい連銭葦毛れんせんあしげの馬に銀糸の混じった青い厚総をかけ、鎧は色々おどしの腹巻で、しころの色を揃えた兜には金の鍬形が打たれている。鷹羽の征矢を筈高はずたかに背負い、太刀の尻鞘には虎の毛皮――もしかすると猫又かもしれない――が贅沢に使われていた。


「如何なされた」

「下原留殿、あれをご覧下され。<悪党>共が〝止まれ〟と申しながらこちらに」

 家の規模はまるで異なるが、互いに御家人同士である。今は下原留載冬の指揮下にあるとはいえ、犬淵将篤は下原留氏の被官ではない。二人は対等に言葉を交わした。

「〝止まれ〟と……?」


 先陣の五百人が見守る中を、騎馬の<悪党>達が近付いて来た。全員顔は強張っているが、真ん中の一人がよく通る声で「御大将殿にご披露願いたい」と言った。

 載冬がそれに応える。


「わしは先陣の将、下原留刑部ぎょうぶだ。そなたは本所方か、それとも山僧方か?」

「これは、あなたが下原留刑部殿ですか。お噂はかねて――」

「つまらぬ世辞は要らぬ。時間を稼ぐつもりならば、既に手遅れぞ。村まではもう一息じゃ。その方共に逃げ場はない」

「いいえ、決してそのような……」

「では早う答えよ」

「我等は本所方、三田入道の手の者にございまする。主の三田入道光恒は、皆々様に味方し、<悪党>の果妙を誅伐したいと願っております。どうかこの旨、御大将殿にご披露を……」

「ふん」

 載冬は胡散臭そうに鼻で笑った。

「<悪党>が<悪党>を〝誅伐〟するとか?……ええい、あと一息という所で水を差しおって。この者共を、横山殿の所まで案内せよ」


 載冬は馬廻りの半数を護衛兼見張りとして付け、すぐ後ろから続く横山時次の本隊まで送らせた。

 時次からの返事は早かった。

 曰く、使いの<悪党>を先頭に走らせ、一気に肉薄し、村の山手以外の三方を包囲の後に接収する。

 要するに、味方――降参を受け容れるということだった。載冬は何らかの策ではないかと不安になったが、この物量と練度の差は小手先の策で覆せるものではない。載冬は異議を唱えなかった。


 ここから村までの距離は僅かに四町(約四〇〇m)。横山時次の指示で、探題勢は縦列での進軍を改め、果妙方への示威のために横に大きく広がることになった。六台山東方に向かう下原留勢が最も左――北側を受け持ち、その右に秋月宗尊むねたか、横山時次、春日憲秋の各勢が連なる。

 大将の時次が鞭を振り上げ、号令をかけた。

「進め!」


 それと共に、三田入道からの使者が駆け始めた。続いて、南北に連なった二千の軍勢が、灰色の空の下を走る。頭上には入り乱れる怪鳥の群れが、目線の先には山の喧騒から逃れ出た化け物の姿があった。騎馬武者達は或いは矢を番え、或いは太刀を抜き、高揚感に任せて雄叫びを上げた。

 三田入道は探題勢の急速な接近を確認すると、それに向けて旗を振らせ、歓声でもって迎えさせた。まるで自分達の援軍であるかのように。しかしこれが効果を発揮したらしい。果妙配下の<悪党>達は、その様子を見て色めき立った。三田入道配下の<悪党>が、すかさずに攻勢に出る。


 村の戦況が動き出したのを看て取り、横山時次は舌打ちした。

 三田入道は敵方を〝誅伐する〟と言って寄越した。香春探題の綾瀬利之も訓辞では、〝武功を上げよ〟と言った。但し利之のそれは、謂わば献辞としての言葉なのであって、本当に戦えと言うのではなかった。<悪党>同士の合戦を停止させ、張本を――勿論、三田入道も――召し捕ればそれで充分なのである。時次もそのつもりで来ていた。探題勢に戦う必要があるとすれば、それは山の妖の方だ。


 村までの距離が二町(約二〇〇m)に縮まった所で、探題勢の軍列が再び形を変えた。下原留勢が離脱し、六台山を迂回してその東麓へと進路を取った。それを見ていた果妙の手下達が、退路を断たれるのを嫌って逃げ散り始める。一部は一か八かで山に逃げ込んだ。


 真っ直ぐ村の接収に向かった横山時次以下、千五百余の軍勢は、何もかもを踏み荒らされ、人と獣と妖の死骸が転がる村の惨状を目にした。臭いは当然ながら酷い。


 村境に廻らされた垣は、両日の合戦で殆ど跡形もなく、その周辺では行き場を失った獣達の乱舞が演じられている。御家人達は経験の多少こそあれ、誰もが一度は妖討使の役目を仰せつかるものだ。目の前で<悪党>達を追い回しているのが、興奮した猪や鹿だけではないことはすぐに分かった。

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