山の子 第三章(1-20)

 探題勢は、半町程の距離を置いて村を包囲した。それ以上近寄る前に、村に居残った妖を何とかする必要があった。大将の時次は、村から妖を追い立てて、追物射おうものいにして片付ける作戦を提案した。平場で妖を討つ場合、御家人ならば誰もが採る手段である。誰一人として異論を挿む者は居なかった。

 村の北と南を塞いだ秋月、春日の両勢から人手が割かれ、早速行動が開始された。徒歩の中間ちゅうげんや青侍が先頭に立ち、<悪党>達に向けて呼ばわった。

「<悪党>共!邪魔をするな、屋根に上がれ!」

「身を隠せ!一緒に追物射にされたいか!」


 三田入道方も果妙方も、梯子を使って、或いは窓を足場に屋根まで上がり、間に合わぬ者は屋内に駆け込んだ。敵も味方もなく身を寄せ合っている。騎射の覚えのない西洲の<悪党>達は、追物射にされる恐ろしさが身に染みているのだ。

 武士達は、南北から同時に村に踏み込み、山に通じる東口を塞いで喚きながら西へ西へと獣を追いやった。村の西口には、横山勢に加わった御家人達が矢を番えて待ち構えている。

 俊敏な鹿達が他の獣よりも一足早く、即席の狩場に踊り込んだ。


「鹿だ!囲みを解いて外に逃がせ!」

 時次が命じると、人垣の一部がぱっと割れた。鹿がその隙間に殺到し、疾風のように走り去る。

 人垣を作った武士達にとって幸運だったのは、村に残った猪の数が少なかったことだ。文字通り猪突猛進する猪は、時次が命じるまでもなく囲みを突破し、何処かへ逃げて行った。


 残るは懸案の妖達だ。ホウドラ、風狸ふうり、雷獣。どれも馬よりは小さいが、鋭い爪や牙を持つ肉食の猛獣だ。風狸はムササビのような皮膜を持っており、この中では見分け易い。ホウドラと雷獣は、どちらもイタチやカワウソに例えられる通りで姿形が似ているが、毛皮の色で判別できる。ホウドラは黒く、雷獣は灰色だ。


「助けてくれ!後生だから!」

 屋根の上から悲鳴が上がる。風狸、雷獣は木登りが得意で、普段は木の上で生活している。逃げ場に窮した個体が、前後の足を巧に使って屋根まで上がって来ていた。

 もとを糺せば<悪党>達の自業自得なのだが、さりとてこのまま放っておくわけにもいかない。時次は号令をかけた。


「それ!」

 御家人達が猟場の中に飛び込む。人の垣を割って猟場に駆け入った強弓自慢の武士達が、入れ替わり立ち替わり騎射の技を披露し合う。

 馬に攪乱されたホウドラが、一匹、また一匹と射殺される。

 地上の獲物を追う武士も居れば、屋根に上がった獲物を矢継ぎ早に射て<悪党>を助ける者も居た。

「いいぞ!」

 屋根の上から<悪党>が応援した。


 武士の技は一種の芸能である。好ましい連中ではないとは言え、観客が居ることで御家人達の技に一層磨きがかかったようだ。黄河原毛きかわらげの馬に跨った小柄な武士が、前脚の爪で襲い掛かる雷獣とすれ違いざま、身を捻って正確に眉間を射抜いた。

 <悪党>達から野太い声で声援があり、人垣を作って見守る傍輩ほうばい達からも「見事なり」と称賛の声が上がる。

 と、別の<悪党>が叫んだ。

「用心召されよ!猫又がそちらへ行くぞ‼」


 尻尾まで入れて長さが一丈(三〇〇㎝)以上もある茶色に黒い縞模様の猫又が、飛ぶように囲みに入って来た。猫とは言うが、その姿は大陸に棲む虎のようだ。先の割れた尻尾を立て、値踏みするように人垣を睨んでいる。


 猫又は武士でも躊躇する相手だ。勇気だけの問題ではない。猫又は俊敏で、しかも力が強い。馬ですらあっさり仕留めるのだから、人間が組み伏せられようものなら、最早なす術はない。任に堪えないと悟った武士が囲みを出ると、栗毛馬に乗った武士が入れ違いに飛び込んだ。横山時次の弟、時良だ。


 重藤しげどうの弓に矢を番え、猫又を中心に大きく輪を描いて馬を駆けさせる。相手が逃げようとすれば道を塞ぎ、向かって来れば離れる。犬追物いぬおうものの要領だ。人々はまるでお手本のような時良の追物射を、固唾を飲んで見守っている。


 探題勢の一手を委ねられている秋月波渡はど大夫判官たいふはんがん宗尊も、月毛の駿馬に乗りその成り行きを見守っていた。色々おどしの大鎧の下に着ているのは、金糸を贅沢に使った赤と浅黄色の片身替わりの鎧直垂ひたたれ。兜から覗く顔は色白で整っているが、口元は平素から薄笑いを浮かべていた。


人狗にんぐが馬を使わずに太刀であれと戦うと言うのは、まことであろうか」

「さて、どうでしょうな――」

 後ろに控えていた判官宗尊の被官、葛原金媛かなめ入道厳秀が応える。

「人狗の噂はどこまでが本当で、どこからが嘘なのか、よう分かりませぬ」

 判官宗尊はそちらを振り向いて笑った。

「では何か賭けてみぬか?」

「賭け、ですか?」

「聞けば、山には人狗がおると申すではないか。直に聞いてみれば嘘かまことか分かるであろう」

「うぅむ…しかしこの騒ぎでは、もう死んでおるのではございませぬか?」

「そう思うか?では、それも賭けてみるか?噂通りなれば、そう簡単には死なぬと思うが」

「殿、我等は遊山に来たのではござりませぬぞ」

「つまらん男よ」

「殿、ご覧あれ!」


 厳秀が指差す方向に判官宗尊が目を転じると、ちょうど時良が矢を放つのが見えた。猫又の頭を狙った一矢は、すんでの所で相手が身を捻った所為で背中に命中した。致命傷ではない。続けて射出された二の矢を跳んで躱した猫又は、一声吠えるや時良の栗毛馬を猛追し始めた。


 人垣から悲鳴に似た声が漏れ出す。兄の時次は馬に鞭を入れようとして、被官達に押し留められている。

 時良は矢を番える暇もなく、真後ろから迫る猫又を振り切るのに必死だ。


「いかん、あれはマズい。定俊!」

 宗尊は被官の菅浦定俊を招き寄せた。主人の言わんとするところを察した定俊は、弓を手に馬の腹を蹴って駆け出した。


 それと同時に、春日憲秋の一手に加わっている御家人の犬淵将篤まさあつも、囲みの中に飛び入り、時良と猫又の間を駆け抜けて攪乱する。

 一瞬の間時良を見失った猫又目がけて、菅浦定俊が矢を射かけた。狙いは甘く、難なく躱されてしまう。だがそれこそが狙いだった。脚を止めた猫又の背後を、犬淵将篤が駆け抜けた。猫又は身を捻ってそちらを向くが、今度はその背後を菅浦定俊が駆け抜ける。猫又は入れ替わり立ち替わり駆け寄る二人に惑わされ始めた。


「ご助勢痛み入る!」

 駆けながら時良が叫ぶ。猫又が声の主を目で追う。

 隙を見せたその背後から、犬淵将篤が弓手に弓と手綱を握り、馬手で太刀を抜いて斬り込んだ。ガツっと鈍い音が響き、猫又の左肩から血が舞った。甲高い悲鳴が響く。


「やったぞ!」

 猫又の横を駆け抜けながら将篤が吼えた。それを追おうとする猫又が、ガクっと体勢を崩した。


 時良は馬に拍車をかけた。矢を番え、猫又の正面から真っ直ぐ突っ込む。

 猫又が頭を下げた一瞬を狙い、弦を引く右手を離した。漆塗り十二束三伏の征矢そやは、吸い込まれるように猫又の首を射通した。

 崩れ落ちた猫又の牙の間から、どす黒い血が溢れ出す。


「お見事!」

 定俊と将篤は自然と声を揃えていた。時良は弓を掲げてそれに応える。

 喝采が轟いた。香春かわらを出立した時以上の大音声だ。胸を撫で下ろした時次も、鞍を叩いて共に叫んだ。


 狩場の上空を旋回していた腐肉食の怪鳥の群れが、突風にでも遭ったように逃げ散った。

 その怪鳥の流れに逆らって六台山に飛んで行く一羽のとびに気付いた者は、一人も居なかった。

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