山の子 第三章(1-18)

 六台山は合戦のとよみに包まれていた。麓の合戦に伴う騒音だけではない。山中の方々からも、戦う者達の叫び声と得物のぶつかる音が響き渡る。


「どこに行きゃあいいんだ?あっちでもそっちでもやり合ってるじゃねぇか!」

「本所の連中も散り散りで戦ってるようだな」

「その所為で、誰が敵やらよく分からんぞ…」


 山の木立を楯にして、けばけばしい装束の男が六人集まっていた。まるで風流ふりゅう行列のような赤や金色の華やかな衣の上に、不揃いな具足を着している。派手な身なりのこの男達は、山僧果妙かみょうの手下だ。


 妖のいる山への立ち入りに尻込みする者が多かったが、それも開戦から暫くの間のことだった。頭に血が上った男達は、気が付けば先を争うように山に入り、高みを取って相手よりも優位に立とうとした。考え自体は悪くはなかったが、場当たり的な行動で、統制のとれた動きにはなっていなかった。その結果が、今の彼等の状態なのである。


 坊主頭の男が、仲間を見回しながら言った。

「とにかく、この六人は一蓮托生だぞ、いいな?見つぎ見つがれってやつだ」

 ざんばら髪の男がそれに応えた。

「おぉ、そうとも!神水は吞んでねぇが、おれ達は一味だ!」


 男達は戦う内に仲間からはぐれ、山中を駆けずり回っていた。小勢で戦っているのはこの男達だけではない。彼等が見た限りでは、この六台山では敵も味方も皆が同じ状態にあった。文字通りの乱戦である。


「一味は結構だがよ、大将の果妙殿は何処に居るんだ。誰か見たか?」

「まさか討たれたんじゃないだろうな?」

「冗談じゃねぇぞ。負け戦じゃあ、たぶん分け前もないぞ」


 六人が味方している悪僧の果妙は、上山本の村を占拠していたが、それも昨晩までのことで、今朝受けた攻撃で一旦村を手放していた。それ以来、村を巡って<悪党>の大将同士の熾烈なぶつかり合いが繰り広げられている。


 傷だらけの兜を被った小男は、全員の思いを代弁するつもりで言った。

「手ぶらで帰れるかってんだ。桶の一つ、筵の一枚だろうと持って帰らなきゃあ――」

「うるせぇな、ちょっと静かにしろ!…静かにしねぇか!」

 胴だけ大鎧を着た男が、地面に耳を当てて喚いた。

「何やってんだよ?」

「…聞こえるぞ、地鳴りみたいな音が」

「あ?地鳴りだ?…気の所為じゃねぇのか」

「だったらお前等もやってみろ!」


 半信半疑ながら、全員が地面に耳を押し当てた。大鎧の男が目をつぶったまま言った。

「ほら…どんどん大きくなってるだろ?」

「……あぁ、本当だ。地震か…?」

 他の五人にも次第次第に大きく、しかも地面を微かに揺らし始めた地鳴りがはっきりと分かった。


 やがてうるさい程大きくなった音に耐えかねて耳を離すと、今度は異臭が鼻を突いた。獣の臭いだ。それも、息の詰まるような凄まじい臭気だった。


 鼻を摘み、毒づきながら周囲を見回した坊主頭は、「あぁっ!」と一声叫んで立ち上がった。

「お前等立て!ぼさっとするな、走れ!逃げろ!」

「うわっ、何だありゃ⁉」

「逃げろ、逃げろ逃げろ逃げろ‼」


 何百という大小の獣の群れ。男達を目がけ斜面を駆け下りて来ている。先頭を走るのが鹿だというのだけが分かった。


「おいおい何なんだよ、勘弁してくれ!」

 大鎧の男は木の切れ間から、空にも黒い筋がたなびいているのが見えた。何とは見分けられないが、山に住む鳥達に違いない。


「走れ!振り返るな!」


 男達は散らばって走り出した。手に持っていた金砕棒かなさいぼうも薙刀も弓矢も、分捕っていた僅かなお宝も、全てを放り出して走った。木や石につまづき、坂を転げ落ち、行く手を阻む低木の茂みに突っ込みながら、必死で走った。


 だが狂奔する獣の群れは、全てを薙ぎ払わんばかりの勢いであっという間に男達に追いつき、群れの中に吞み込んでしまった。鹿達は跳ねるように走りながら泣き叫ぶ男達を避けたが、猪の群れはむしろ後を追うようにして迫り、武装した男達を軽々と吹き飛ばしてしまった。最初の犠牲になったのは坊主頭だった。倒れた所を更に別の猪が突っ込み、その後からは狸、狐、穴熊、いたち、野兎、鼠……。一体いままで何処に隠れていたのか分からない山の獣達が、力尽きた坊主頭の上を乗り越えて走り去る。

 他の男達の最期もあまり大差なかった。一人を除いては。


 大鎧の男は、急勾配を転げ落ちた所で、幸運にも身を庇ってくれそうな岩を見付けた。目を回しながら岩の陰に這い入り、膝の間に頭を押し込むようにして、固く目を瞑った。男の頭上五寸の辺りを、獣達が跳び越えて行く。凄まじい音と震動、そして酷い悪臭。


 群れが走り去って目を開いた男は、頭が真っ白になっていた。耳の中ではまだ、獣達の波の押し寄せる音が、しつこく木霊しているようだ。

 何とか立ち上がった大鎧の男は人の気配を感じ、口を半開きにしたままゆっくりとそちらを見た。左手に生えている太いクスノキの陰に、山伏風の黒い装束に腹巻を着した長身の男が立ち、とび色の大きな瞳でこちらを見ていた。


 大鎧の男は、異能の持ち主達は身体の何処かに印があるらしいと聞いたことを思い出した。

「あ、あんた、もしかして――」

 それが、彼が最後に発した意味のある言葉だった。


 長身の男――人狗の政綱は、山の上手から近付く大きな影を目の端で捉えた。大鎧の男に警告しようとしたが、その暇もなかった。翼で風を切り滑空して来た黒い影は、一瞬だけ政綱を見たが、着地せずにそのまま男を咥えて飛び去った。


「うわあああああぁぁ――……‼」


 羽毛のない黒い翼で高度を上げ、クスノキやスギ、コナラ、イヌブナの雑木林を抜け出したそれは、いつの間にやら政綱達の頭上を通り過ぎていた鳥や怪鳥の波を追っているらしい。政綱には、化け物に生えたアオダイショウのような尻尾がよく見えた。

 空に舞い上がった男の叫び声は、すぐに聞こえなくなった。昨日とは打って変わって分厚い雲に覆われた空を見上げ、政綱が呟いた。

「あれはもう助からんな」


「政綱、いまのは何だったんだ…⁉」

 その政綱の横でクスノキにへばりついていた雲景が、鼻を覆ったまま尋ねた。

ぬえ――ダイオウヌエだ。お前にやった革袋の兄弟かもしれんぞ」

「あれが…。この山にも鵼が居たのか。合戦は別として、静かな山だと思っていたが…」

「あれは他の鵼とは違って決まった縄張りを持たん。たまたまこの山に来ていただけだ。餌にされたあの男に感謝しよう。今はあんな化け物と戦いたくはないからな」


 鼻を拭いながら、元岡重任しげとうが姿を見せた。政綱達とは別の大木を楯にして身を守っていたのだ。

「うぅ、酷い臭いだ…」

「元猟師でも堪えるか?」

 政綱が口元を緩ませて言った。

「それはもう。あんな群れに出くわすことなど無いからな。…凄かった。まるで山火事にでも見舞われたような慌てぶりだったな」

「それも妖の群れまで一緒になってな。尋常なことではないぞ」


「妖?」

 雲景が獣達の走り去った方角を見ながら言う。

「鵼の他にも何か居たのか?怪鳥は何となく分かったが」

 群れがどちらに走ったのかは、政綱や重任でなくともすぐに分かる。特に鹿や猪の蹄が深く土を抉り、幹の細い若木等はへし折られてしまっていた。


「ホウドラが多かった。それから風狸ふうりだ。身体が小さいところからすると、猿手狸さるてたぬきやシイではあるまい。猫又も少し混ざっていた。後は雷獣だ。大木がちらほらあるから、たぶん居るだろうとは思っていたが。今日が嵐じゃなくて良かったな。他にも何か居た気がするが、あの騒ぎではよく分からん。怪鳥の方は遠過ぎて、種類までは何とも」


 政綱が言うのを、雲景は半ば呆れながら聞いていた。

「よく見分けがつくものだ」

「人狗になれば、嫌でもこうなる」


 政綱は獣の群れが残した狂奔の跡を目で辿り、どの方角から来たのかを確かめた。山の上の方から出て来たらしい。遡って歩いて行けば、上二つの峰のどちらかに着くだろうと予想した。

「急ごう。隠れていた獣達が何かに追われるように駆けて行った。おれの思う通りならば、いよいよだぞ」

「いよいよ?」

 雲景が水干を叩きながら言った。臭いが付くのを防ぎたいらしいが、無駄な抵抗だろう。


「山神かその眷属神が、<庭>を出ようとしているはずだ。もしかすると、もう出て来ているかもしれん。おれにはまだ肌では感じられんが、獣達にはそれが分かったんだろう」

「神の怒りを避けようとして、走り出したと言うのか?」

「そこまでは分からん」

「とにかく行こう。群れが通った跡を辿れば、神に辿り着くかもしれない」

 そう言った重任は、手に弓を持っていた。悪党の一人が捨てたものだろう。その持ち主らしい男の遺体から矢筒を取り、背負っている。折れずに残っていた矢は、僅かに四本しかない。


 政綱が頷いた。

「ああ、行こう。この臭いと付き合いながら歩くのは人には堪えるが、辛抱するしかないな…」

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