山の子 第一章(1-7)

 妖討使の一群の中から、騎馬の武者二人と、十人程度の中間ちゅうげんとみられる軽武装の徒歩かちが離れた。政綱とは正反対の、南方を指して進み始めた。六台山は村の東側に位置している。どうやら、すぐに山に向かうのではないらしい。

 政綱がじっとその様子を窺っていると、こちらへ向かって来る若い男の姿が目に入った。烏帽子えぼし水干すいかん。公家であるのはたぶん間違いないだろう。


 ――三人目。また生意気な官人かんじんか。

 うまやの壁に太刀を立てかけ、背を預けて腕を組んだ政綱は、真っ直ぐ歩み寄る若者を気だるげな目で見守った。


「失礼、人狗殿。身共みども小槻峯匡おづきみねまさ。少しお尋ねしても宜しいか?」

「何だ?」

 今度の官人は、さっきの中原師春とは趣を異にしていた。同じように緊張しているようだが、師春よりは落ち着いて見える。


「ここに、中原師春もろはるという男が来たのではないかと思うのだが」

「ああ。少し前までここに居た」

「少し前?では、今は何処へ?」

「さあな。おれを人に引き合わせると言って、何処かへ行ったが」

「左様か。全く困ったものだ」

 峯匡は広場を振り返り、師春の姿を探す風だ。政綱は、村境に置かれた道祖神らしい大きな自然石を見下ろしながら言った。


「わざわざ探さなくても、じきに戻って来るだろう」

「そうだといいが。悪い奴ではないが、我の強いところがあってな。時々心配になる」

 政綱は、師春とのやりとりを思い返して苦笑した。

「お主にも迷惑をかけていなければ良いが」

「迷惑というか、聊かうるさい奴ではあるな」

「どうもすまぬな。昔からそうなのだ」

「別に構わんさ。用が済めば他人同士だ」


 会話が途切れた。と言っても特に気まずい様子ではなく、峯匡も政綱にならい厩の壁によりかかった。

 政綱は広場に目を向けた。広場を離れた武士の一団は、ぐんぐんと遠ざかって行く。妖討使ようとうしとみられる二人の武士は、相変わらず小具足姿のまま床几しょうぎに腰掛けていた。


「あの妖討使は何をしているんだ?」

「ん?あぁ、実は、それを報せようと師春を探していたのだがな。詳しいことはまだ伝わらないが、どうも――」

「本所の代官が、軍勢を連れて来たらしい」

 師春の声だ。峯匡は、声のした厩の裏手を覗き込んだ。


「師春!やっと戻って来たか」

「そっちこそ、もっと早く報せに来るかと思っていたぞ」

 名主みょうしゅの実量を呼び出した今となっては、別に誰から隠れているというわけでもないが、師春は広場の方を気にして、政綱と峯匡の間に割り込んだ。


「それで?」

 と政綱。

「あぁそうだった。既に師春が言ったが、この上山本名を含む庄園の領主――東洲申次もうしつぎ大寧寺たいねいじ左大臣殿だ――が、代官に軍勢を添えて、ここまで遣わしたらしい。その代官が、山で合戦を起こした一方の当事者だな。言わば、怪異の原因にもなった男だ。すぐ傍まで来ているそうだ。妖討使は、彼等の入部を制止するつもりらしい」

「ほう。領主は、妖討使だけではらちが明かぬとみて、責めのある代官の尻を叩いて動かしたわけか?」

「或いは、代官がそれを進言したのかもしれん」

「手柄を上げるために?」

「究極にはそうだろう。だが単なる功名欲ではなくて、競争相手がいることによる焦りがあるはずだ。聞いたかは知らないが、この上山本名を巡って訴訟が起きている。敗訴すれば、代官も収入の一部を失うことになるだろう?そもそも訴訟が起きた理由はともかく、怪異まで引き起こした今となっては、独力で事を治めて、統治の実力を示す必要があると考えているのだろうな。だが、訴人そにんであれ論人ろんにんであれ、その係争中の土地に軍勢を遣わすのは穏やかではない。この前のことがあるからな。だから妖討使は止めようとしているわけだ。こうした際どう対処すべきか、事前に命じられていたんだろう」

「なるほど」

「それに、大寧寺左府さふが訴えた相手の山僧も、ここに軍勢を遣わしたらしい」

 師春が言うと、驚いた峯匡が「本当か?」と尋ねた。

「ああ。どうもそうらしい。だから、妖討使は猶のこと慌てているだろうな」


 <大寧寺左府>は左大臣の大寧寺教隆のりたか。大寧寺氏は、将軍府と朝廷とを繋ぐことを職務とする<東洲申次>を世襲してきた。隠れもない権勢の公卿くぎょうだ。

 他方の<山僧>とは、<山門>と通称される紹明寺の下級僧侶を指す。今から六百年程昔の紹明年間に、都を護る天照宮を支えることを目的に開山された。都には、<山門>配下の土倉や貸上かしあげといった金融業を行う富裕な者が大勢居る。それを相手に訴訟を起こしたと聞いて、その原因はおそらく金銭に関わるものであろうと、政綱にも察しがついた。


「大体、お前それを誰から聞いた?」

「ここに戻る途中、あの元岡某と行き会った」

重任しげとうだ」

 政綱が付け加えた。

「あぁ、重任殿と言うのか。それで、重任殿は政綱殿に報せることがあるというので、ついでだからと私が聞き取ったんだ。その時に教えてもらった」

「重任は何と?」

しばらく離れられぬ故、約束については待って欲しい、と」

「律儀な男だ」


 頷く政綱に、師春が尋ねた。

「約束とは?」

「お前の申し出と同じようなことだ。機を見て名主に合わせようとな」

「それなら、もう済んでしまったことになるな」

「連れて来たのか?」

「いや、じきに来てくれる。妖討使に会うと面倒だ。遠回りをして来るだろう」


 名主の実量さねかずを待っていた時間は、それほど長くはなかった。

 師春の言う通り忍んで現れた実量は、鬢髪びんぱつの殆どが白く、同じように白い髭を生やした老人だった。着ているものは小ざっぱりしている。


「わざわざすまない、実量殿。聞いたとは思うが、こちらが会ってもらいたかった、人狗の紀政綱殿だ」

 実量翁は強張った顔で政綱に会釈した。政綱もそれに頷き返した。無言の挨拶が済んだのを見届けて、師春は話を続けた。


「あまりのんびりとは出来ないな。早速だが実量殿、私の伝言については考えてもらえただろうか?」

「あの、怪異を鎮めて下さるというお申し出ですな?」

「如何にも。大寧寺殿と<山門>の威を怖れて動くに動けない妖討使を、いつまでも歓待し続けるのは大変だろう。長い目でみれば、人狗を雇う方が安く済むと思うが、どうだろう?」

「仰せごもっとも。大変結構なことです。是非ともそうして頂きたい」

「おぉっ、本当か⁉」


 期待した返事ではあったが、それでもやはり驚くべき答えだ。

 随分とあっさりした返答に驚いたのは師春だけではなく、峯匡も政綱も同じように驚いた。峯匡はこの事を知らなかった所為だろうが、政綱は実量の説得が必要だろうと考えていたからだった。説得が長引くようであれば、ここを去るつもりでいた。


「では早速――」

「待て」

 逸る師春を目と口で制したのは政綱だ。手順を無視され続けてはたまったものではない。

「話が早くて助かるが、本当に大丈夫なのか?」

「大丈夫とは?あぁ、礼のことならば心配無用。この齢で、しきたりを知らぬわけではないのでな」

「それもそうだが、それよりも気になるのは、あんた自身のことだ」

「と言うと?他に何か、心配されるようなことがあるだろうかね?」

「ある。妖討使はどうする?あの連中は、手柄を立てる機会を奪われたといって、遺恨とするかもしれん。この際おれが恨まれるのは構わん。だが、あんたはそうも言えないだろう?どうやってそれをかわすつもりだ?」

「何かと思えば人狗殿。そんなことを心配しておったのかね」

 そう言って老人は顔を皺だらけにして笑った。


「あんたが小気味良く返事をくれた礼だ。気にかかることは言っておこうと思ってな」

「気遣いは嬉しいが、心配は要らん。わしも謂わば重代の百姓だ。その辺の若造とは違うんだよ。向こうがその気でも、こちらにはやりようがある」

「百姓なりの戦い方があると?」

「その通り。公家には公家の、武士には武士の、人狗には人狗の戦い方があるように、わし等百姓にも、それなりの戦い方があるのだよ」


 政綱は感心して頷いた。百姓には、庶民には、或る種のしたたかさがある。時にそれは無軌道な暴力に到ったり、酷く残酷でもあるが、そのしたたかさが権力者を揺さぶることもある。この老人もそうした、したたかな男なのだろう。


「それを聞いて安心した」

「見かけよりも情けのある男だな、人狗殿。で、もう早速発つのかね?」

「そのつもりだが、その前に怪異の具体的な様子が知りたい。そこの中原殿が話を進めてくれたお蔭で、聞きそびれてしまったからな」

「引っかかる言い方だな。私は手助けのつもりで――」

 峯匡は、抗議する師春の袖を引いた。


「山に行って調べるのは政綱殿だ。仕事の仕方というものがあるだろう。なぁ?」

「その通りだ」

 ブツブツと愚痴り始めた師春を無視して、政綱は質問を続けた。

「教えてもらえるか実量殿。人狗にどんな噂があるのか全ては知らんが、少なくとも不死身ではない。おれも怪我はしたくないからな」

「おうおう、喜んで教えようとも。まず、わし等に直接降りかかったものでは――…」

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