RUN FOR YOUR LIFE
鈴木怜
RUN FOR YOUR LIFE
どこまでも続きそうな荒野の上を、泥まみれになったトラックがぺぺぺぺぺと力のない音を立てながら走っていた。
「相棒、この荒野はどこまで続くんだ?」
ハンドルを握った見るからに優しそうな男は、そんな質問を投げかけた。助手席には誰もいない。
代わりに車に備え付けられたナビシステムが合成音声で返事をした。
「次の街までおよそ五時間と二十分程度かかります」
「まだそんだけかかんのか」
イエス、と事務的な音声が流れた。
「旅ってのはこれが長くていけねぇや」
着いてからは楽しいってのにねぇ、と男はぼやいた。
つまるところ、男は旅の途中の寂しさに耐え兼ね、ナビシステムを相棒と呼んだり、窓を開けて誰かいないか探るような、そんなちょっと情けない男だった。
そして同時に、ナビシステムを相棒と呼んだり、窓を開けて肘をかけたりするような、そんなちょっと気取った男でもあった。
「音楽を再生しますか?」
「今日はいいや」
相棒の提案は気分じゃないと断り、360度すべてが土と岩で彩られた世界で、男はタイヤが地面を蹴る音を聴きながらアクセルを踏む。旅は移動が長くていけないと言いながら、鼻歌を歌いながら走る姿はそれすら楽しんでいるようにも見えた。
しばらくしてから不意に、男は車のブレーキペダルを踏んだ。
「……?」
「どうされましたか」
「サックスの音がする。相棒、この辺りに街は?」
「この車で四時間ほどのところにひとつ」
「そうか」
「向かいますか」
「もちろん」
音のする方へ男は車を走らせた。理由はただ一つ。もし遭難者だったら寝覚めが悪い。ただそれだけである。
────────────────────
まさかのそのまさかだった。
男のそれより一回りも二回りも大きな車が停車していた。
隣ではサックスをひたすら演奏する若い女が一人。どうやら車の主のようで、すぐ近くに立っている。
「お嬢さん、どうされました?」
男が声をかけると、女は驚いたように声を上げた。
「ひゃっ!?」
「ああこれは失礼。驚かせてしまって申し訳ない。サックスの音がしたもので」
女はあっけにとられたような顔をしていたが、すぐに我に返ったのか、男の方へと歩み寄った。
「あの! この辺りに街はありませんか?」
「車で四時間ほどのところをこの辺りと言うのなら」
「そうですか……」
困ったなぁ、と女は呟いた。
「パンクですか?」
「おそらく」
「失礼」
男はタイヤに触れた。ゴムの反発する感触はあったが空気が跳ね返ってくる感触はない。パンクで間違いなかった。
「替えのタイヤは?」
「それが、すでにパンクしたものを交換したときから変えていなくて」
「そっちもだめ、か」
「どうしようって思って、SOS呼べるようなものもなくて」
「この荒野ですからね」
「それで半ば自棄で、サックスを」
「誰かが来るかもしれないと思ったわけだ」
「はい」
タイヤの規格は、男のそれとは異なっていた。
その事実に、頭を掻く。
さすがにこれで助けないのは人として寝覚めが悪すぎる。
「ちょうど、話し相手が欲しかったんですよ」
「え?」
「俺の車で引きます。色々、聞かせていただけませんか?」
────────────────────
男の車は、レッカー車にするにはあまりに貧弱だった。
全く速度が出ないということではないものの、力のない音を立てながらゆっくりと進む姿は、どうにもキマらないものがあった。
しかし、車内の二人にはそんなことはどうでもよく。
「へえ。大道芸人ですか!」
「そうなんです。旅費を稼いで次の街に行くところだったんです」
「もしかして、あの車体は芸に使うものを運ぶためのものなんですか?」
「ええ」
会話を楽しんでいた。当然二人ともペースのことなど織り込み済みである。
「だとしたら、ほんとうに生命線になるんですね。あの車」
「はい。ただ、収入が安定しない分、整備やタイヤにはお金があまり回らなかったんですよ」
「で、こうなったと」
「お恥ずかしい限りです。もう整備代を節約することはないでしょうね」
「それがいいですよ」
「骨身に沁みました。そういえば」
「なんです?」
「どうしてあなたはあんなところを?」
男のハンドルを握る手が固くなった。
「旅です」
「旅?」
「ええ。時々出たくなるんですよ、旅に。いろんなところに行ってみたくなるんです。そして、現地や道中でこれまた色々な人やものに出会うんです。だいたいは、いや出会う人誰だって普通の人なんですけど、やっぱり出会いは特別です。言うなれば、ライフワークみたいなものですよ」
「……だったら、似てますね」
女がかすかに笑った。
「似てる?」
「私たちは二人とも生きるために走るんだなって」
男は、どこか腑に落ちたような顔つきになった。
「生きるために走る、なるほど。……じゃあこれも特別な出会いの一つだ」
そうして二人は笑いあった。
────────────────────
予定を大幅に遅れて、男の車は街に着いた。目指すは車屋、タイヤの交換である。
幸いにも他に大きな故障はないとのことだったので、女は喜んだ。
そして数日後、男は女の大道芸を一目見て、チップを投げ込んだ。
「いいもの見せてもらいました」
「こちらこそ。あなたがいなければ今頃どうなっていたことか」
「幸運だったということで。……それじゃ、またどこかで」
男が立ち去ろうとするところを、女は呼び止めた。
「あの!」
「なんです?」
「私には夢があるんです」
「……どんな?」
「この国一番の劇場で、芸をするっていう夢です」
「いい夢ですね」
荒野でサックスを演奏できる人だ。劇場なら、それはどんな演奏になるだろう。
「いつか、それが叶うとき、観に来ていただけませんか」
答えなど、決まっていた。
「もちろん」
手を振りあう。
男は曲がり角を曲がるまで手を振った。
その足で車に乗り込む。
此度の旅も良かったという思いを馳せながら。
「相棒、いつか、この国一番の劇場に行こう」
イエス、とだけ、合成音声が流れた。
RUN FOR YOUR LIFE 鈴木怜 @Day_of_Pleasure
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