第5話 卒業

 千里は自宅生だった。付き合い出した頃は、週2回会う程度だったが、段々会う頻度が増え、学校とバイトに行く以外はほとんど僕のアパートで過ごすようになった。そして夜になると門限までに家に帰って行くようになった。


 そんなふうだから、友達と過ごす時間はお互いに少なくなっていった。

 僕はといえば、仲の良かった宮本とも学校でつるむだけになったし、彼女も友達のノンちゃんやモコ達との女子会に行かなくなったようだった。

 僕たちは濃密な時間を過ごした。無駄な時間など少しもなかった。僕らは図書館やアパートでしっかり勉強し、授業もバイトも遊びもサボることはなかった。僕らは何かに急き立てられているかのように何にでも一生懸命だった。


 彼女は研究室の飲み会や旅行に行かない僕に不満を持っていた。

「良はどうして宮本さんの誘いを断るの?私は友達といるあなたも好きなのよ。男の人はそういう付き合いが必要よ。それに私もたまにはひとりの時間が欲しいの」

「じゃあ千里も女子会に行けよ」

「あなたは男でしょ。私はあなたに養ってもらう身になるんだから、そんな付き合いはいいの」

「でも、私もこれからは時々顔を出すようにするわ。だからあなたもそうして!」僕は彼女が僕のことをそんな風に考えてくれているのが嬉しかった。

僕達はその日からはその話はしなくなった。


 僕はそれ以来、研究室の行事には必ず参加したし、友達を部屋に呼ぶようになった。彼女を自慢したい気持ちもあったが、何より彼女が僕が友人を連れてくるのを喜んでくれた。

 彼女は酒のつまみを作り、友人をもてなしてくれた。彼女はいつも手早く料理を作った。すべて美味しかったし、僕の友人にも好評だった。彼女は一緒に酒を飲み、よく会話にも入ってきた。


 こんな生活が彼女が短大を卒業し、電力会社の支店に就職するまで続いた。彼女が就職すると、彼女と会える時間はずっと少なくなった。僕のほうも卒論を書くための研究や就職活動で彼女と会える時間が限られた。


 ゆっくり二人で時間を過ごせるのは連休のツーリングぐらいだった。片道200kmくらいの範囲で僕がツーリングの計画を立てて彼女に意見を求める。でもいつも彼女から意見はなかった。二人とも本当は行き先などどうでもよかった。ただ少しでも長く一緒にいたかった。


 僕は専門教科だけでなく、教職課程をとっていた。卒業後は高校の教諭になるつもりだった。4年生の春までは。教職について、真剣に考えはじめたとき、僕はこれまで接してきた先生達を思い出すようになった。


毎年同じメモを書き込んだ教科書やノートを使って、毎年同じような授業をする国語のおじいちゃん先生、

英語がまともに喋れない英語の先生、

フケが肩や背中にいっぱい落ちている理科のハゲ親父、

感情の浮き沈みが激しい音楽教師、

社会で通用しないような奴らが学校にはいっぱいいた。


 生徒は生徒で問題がある。成績別でクラス分けされた学校では、最下位のクラスの生徒は、授業を聞かず何となく同級生と時間を過ごし、進学クラスの生徒も授業を聞かず勝手に受験勉強に集中する。


 教師や生徒のことも気になるが、問題は僕の方だった。「僕は何をやるために教師になるのだろうか?」僕はこの時期になってもはっきりした答えを持っていなかった。

唯一、先生になる理由としては、転勤が県内に限られ、彼女とずっと一緒に居ることができそうなことだった。今はこれだけで教師になる理由としては十分だが、40年近くある職業生活をこれだけでやっていけるとは思えなかった。

僕は一人でずいぶん悩んだ末、宮本に相談した。


 宮本は実家に帰り、家業の酒蔵を継ぐと早くから決めていた。

「お前はよく実家を継ぐって決められたな」

「そうか?難しくはないぞ。俺は酒造りが好きだから家業を継ぐんだ。早くから決めていたし、何より好きな事だったら、頑張れるだろ」


「お前は好きな事見つかったか?教師になりたいんだっけ?」

僕は宮本の言葉にはっとした。恥ずかしながら、仕事はお金を稼ぐための手段とか、どうしたら千里と一緒に暮らせるかという観点でしか考えてなかった。こんな基本的な事から僕は目を逸らしていた。その仕事が好きだから自分の一生の仕事として選ぶ。

「僕のやりたい事は教師じゃない」

僕はこの時やっとそれを認められるようになった。

 

 この時から僕の新たな就職活動が始まった。

僕が会社を選ぶ条件は「地元で勤務できること」

「内勤ではなく、出来れば外回りの営業職」

「好きな商品を扱う会社」

この条件に合う企業を探せれば、僕は仕事に満足し、彼女と幸せな人生を送れる筈だ。少し就職活動の開始時期は遅れたが、まだ間に合う筈だ。


 就職活動の第一歩は今も昔も会社研究だ。僕の頃は求人は全て学校の就職科にきた。僕は僕の決めた条件に合う会社を就職情報誌や就職科で必死に探した。

僕はすぐに条件に合いそうな会社を20社ほどピックアップして応募した。応募した全ての企業の本社は東京にあった。僕は会社訪問や選考試験のために、たびたび上京した。


 はじめての東京だったので、それだけで僕は緊張しっぱなしだったが、かえってそれが良い方に働いたようで、僕は最終的に5社から内定を貰い、その中から1番条件に合う意中の会社に入社することにした。

 僕はすぐさま千里に電話で伝えた。

「良かったね。これで来年から東京で社会人だね。」

彼女は普段の調子で答えた。

僕は何だか不思議な心持ちだった。彼女はどう受け取ったのだろうか。僕は彼女に残念がって欲しかった。そうしたら僕は・・・。


千里にはまだ細かい事まで、話してはいなかった。8割の新卒者は出身地域で勤務することになるのだとか。

彼女の気持ちをすぐにでも確かめたかったが、結局僕は彼女に細かい話はしなかった。そして、彼女も訊いては来なかった。


 就職先が決まってからは、僕は卒論に打ち込んだ。それでも彼女が休みの日には大抵デートしていたし、連休には一緒にツーリングに出かけていた。

だが、9月になった頃から彼女に会える日がだんだん減ってきた。彼女の母親が癌になった事がわかったのだ。基本的に世話は看護師さんがやってくれるものの、ある部分は一人娘である彼女の役割になった。それは彼女の母親の望みでもあった。彼女には他の選択肢はなかった。


 僕は卒論を書いていたから、以前ほど彼女に会えなくなったことは仕方がないとして、それ以上考えることはなかった。その分卒論に集中することが出来ると、むしろいい方に捉えるようにした。


 やがて春が来て、僕は大学を卒業し、東京での2か月間の集合研修に参加するために上京することになった。

東京に行く前日に、彼女と宮本は僕の部屋に集まった。宮本はもうすでにアパートを引き払い、今日のために実家から来てくれた。

 僕は二人の前で約束した。

「研修に行くが、新卒者の8割は地元に配属されるらしい。きっと帰って来れる」

「そうしたら、僕は千里と結婚する。宮本、お前が証人だ」

「わかった。その時は俺が友人代表でありがたいスピーチをしてやるよ。まあ安心して行ってこい」

千里は何も言わずただ微笑んで聞いていた。


 僕は次の日飛行機でこの街を後にした。この日はあいにくの雨模様だったが、フライトに支障があるような風はなかった。平日だったが、千里は仕事を休んで空港に見送りに来てくれた。


「身体に気をつけてね。良、あなたは本当に良い人よ。きっと成功する。自分を信じてね」

「研修が終わったら、こっちに帰って来る」

「それまでは電話はしない。きっと千里に会いたくなるからな」

「体に気をつけて。じゃあまた」

と搭乗手続きに進んだ。


 彼女はずーっと僕の方を見つめていた。その表情ははじめてみるものだった。まるで僕が戦争に行くみたいなせつない表情だった。僕は思いっきり手を振って、しばらく会えない彼女の姿を目に焼きつけた。


第5話完

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