第8話 洋子との再会

 あんなにいろんな思いをして新卒で入った会社を、僕は3年で退職した。研修の時に感じた通り、そこは変化がなく、窮屈で息が詰まるところだった。

「石の上にも三年」を実践したが、三年が限界だった。


 転職活動の末、3社から内定を貰い、その中から外資系企業としては割りとサイズの大きなところを選んだ。

そこは今まで働いた日本の大企業とは全くカルチャーが違い、社員は笑顔でリラックスしていた。役職名で呼んでいる人はいないし、自分の仕事が終われば、皆とっとと帰っていく。

また、女性が多く、産休後に復職している女性がいくらでもいる。

イヤホンをつけ、音楽を聴きながら仕事をしている社員もいた。

さすがにこれには驚いたが。


 その会社は仕事の面では大変厳しく退職者も少なくなかった。それでも僕にはそこがあっていた。いい仕事をすればきちんと評価され、昇進や昇給に反映される。全ては自分次第だ。


 新卒で入った会社のように、新人が入ってくるまでは何年経っても同じ仕事をしている先輩たち、定年まで無事勤めあげることが目的になっているような古参の社員はいない。


 ここではいい人材には引き抜きの電話がかかってきて、給与の高い良いポジションに転職していく。

これは珍しいことではなかった。だから、社員は仕事で実績を出そうと必死で、教育研修にも積極的だった。


 最初の転職以降、何社か会社をかわったが、決して日本企業に移る事はなかった。僕は仕事に打ち込み、30代の後半には日本の現地法人の人事のトップになった。

今は米系企業の人事ダイレクター、日本企業でいうところの人事部長だ。


僕の日本企業での経験では、上の職位ほど出勤は遅く、帰りは早かったが、ここは事情が全く違う。上の職位ほど出勤時間ははやく、帰りはみんなと同じか遅い。


 仕事はきついがその分報酬はいい。昨夜も夜の11時からボストンにある本社のVice President と電話会議だったが、今朝は採用面接でいつも通りの早い出勤だ。


採用担当者に面接のある日は早く出勤し、候補者を迎え入れるように言っておいたが、また忘れたのだろうか、まだ出社して来ない。時計の針はもうすぐ7時20分を指そうとしている。そろそろ候補者が来る頃だ。


 会議室を確認しに行くと、案の定椅子は出しっぱなし、ホワイトボードは社内情報が書きっぱなしになっている。取り敢えず外部からの訪問者をお通しできるような状態にして、自室に戻る。


 暫くして受付から内線電話が鳴った。

「私、安達洋子と申します。採用面接に伺いました」

それにしてもうちの部下はどうしたものか。

「椅子にお掛けになってお待ち下さい。そちらに伺います」

と答え受話器をおく。


 面接の2分前に席を立ち、受付に候補者を迎えに行った。

 受付が見えると、明るいグレイのスーツを着た女性が椅子に浅く腰掛けて、何やら資料を読んでいる。足音に気付いたのか、その女性は顔を上げた。

 「おはようございます。朝早くからお時間をいただきありがとうございます」

と落ち着いたトーンで挨拶をしてきた。その顔はゴルフ練習場で見たあの女性だった。


 「ああ、こちらこそ出勤前に時間を作っていただきありがとうございます」

僕は気持ちを落ち着かせ、ゆったり構えて会議室に導いた。

この部屋は会社の会議室で一番眺めがいい。彼女も窓の外に広がる景色を眺めながら、席に着いた。


 若いのに妙に落ち着いている。どんな家庭で育ったらこんな立ち振る舞いが出来るようになるんだろう。僕は彼女を見ながら、その向こうに千里を想った。


「安達洋子さんですね。人事部長の工藤です」

「今日の面接は、安達さんに応募いただいたポジションで安達さんが活躍していただけるかを確認させていただく目的だけでなく、安達さんにとってこの会社が働きたい職場であるか確認できる機会です。ですから遠慮なく質問をしてください」

「応募いただいたポジションはトレーニングアシスタントですね。

最初に応募動機をお聞かせ願います」

と型通りの質問から入った。

「私は人事で教育スペシャリストのキャリアを積みたいと希望しています。且つ、身近で個性のある製品を扱う会社で働きたいです」

「ですから、個性的で魅力的な御社のアパレル製品にはとても興味を持っています。」

「それを販売する社員の教育に携わり、売り上げを上げられる教育担当になりたいと思い応募いたしました」

堂々として、人を惹きつける華のある子だなと僕は思った。

 

 それからは適性やスキルを確認する質問を続けた。最後に

「質問はありますか?」

と尋ねると、安達さんはこれまで以上に背筋を伸ばして、

「工藤部長はどんな人材にこの会社に入ってきて欲しいかお聞かせいただけますか?」

 「そうですね。私は人事だからといって特別である必要はないと考えています」

「謙虚で誰にも同じように接することができる。向上意欲があって、責任感が強く、間違ったら自分の否を認めて素直に謝ることができる。そんな人間の基本を持っていれば、あとは知識をちょっと補えば、それで十分だと思いますよ」

「英語も勉強すれば身に付きます。」。


 「もう一つ宜しいですか?」

「ええ、幾つでも良いですよ」

「先日、ゴルフ練習場でお会いしたのを覚えていらっしゃいますか?」

「あの時、私を見て千里って言ってらっしゃいましたが、そんなに私はその方に似ているのですか?」

彼女があの時のことを正確に覚えていて、ストレートに聞いてきたので、僕は少し動揺した。

「いや、自分でもなぜあんな事を言ったかわからないのです。もう昔のことで記憶も曖昧ですしね。すいませんでした、あれは忘れて下さい」


安達さんは表情を変えることなく

「そうですか。すいません、仕事以外の話をしてしまって」

その後少し会話が途切れた。


 「最後にもう一つお聞きして良いでしょうか?」

「ええ、いいですよ」

「お好きな言葉はなんですか?」僕は間髪をいれずに答えた。

「Tomorrow is another day.かな。明日は明日の風が吹く。」

千里の好きな映画のワンシーンだ。

「風と共に去りぬですね。私もこの言葉好きです」

このくらいの若者がこの映画を知っている。ましてやこの一言を覚えているのは意外だった。

 

 「よくご存知ですね。この言葉」

「はい、母がよく口にしていましたから、自然に覚えたんです。もっとも映画は見たことはありませんけど」

「他には質問はありません」

と言って私の方を真っ直ぐに見た。


「お母さんは?」

と聞きたかったが、本籍が東京になっているし、それを聞くことはなかった。

「では、結果は1週間以内にエイジェント経由で連絡させて頂きます」

と伝え、彼女をエレベーターホールまで見送った。


 安達さんを見送った後、あの娘は何故面接で僕の好きな言葉を聞いたのか気になった。でもその時はそれ以上詮索することが出来なかった。


 ちょうどエレベーターから採用担当の部下が出てきたからだった。

遅刻ギリギリで滑り込んできた青木は入社5年目の人事部員で、僕の顔を見るなり悪びれずに、セーフと手を横いっぱいに広げて見せた。「何を言っているんだ。今日は朝仕事が入っていなかったか?完全にアウトだよ、アウト」

そういうと、僕は自室に早足に戻った。


 この後10時から経営会議が予定されている。今日は私からのプレゼンがあるので、会議の前に資料をもう一度見ておきたかった。


 この日14時からは定例の採用会議を行った。毎週1回の採用状況確認の報告会だ。司会進行は例の青木だ。

彼は採用活動中のポジションと最新の採用状況の一覧表をモニターに映し、上から順番に説明を始めた。


 他の部署の発表が終わり、我が部署の2ポジションに移った。

「まず、採用担当者ですが」

と説明を始めた。彼はこのポジションが埋まり次第引き継ぎをして総務に移ることになっていた。


 応募は16名、一次面接をマネージャーの高木さんと行いまして、2次面接に進んでいただく候補者が2名います。いま面接日程の調整をしていますので、調整でき次第、工藤さんにミーティングリクエストをお送りします。」


 「次にトレーニングアシスタントですが、このポジションには22名の応募があり、マネージャーの小林さんと一次面接を行った結果、1名のみ通過です。」

「今朝がた工藤さんに最終面接を行っていただきましたが、工藤さん如何だったでしょうか?」

「その前に小林さんは安達さんをどう評価している?」とこの採用ポジションの直属の上司になる小林さんに意見を求めた。

「非常にしっかりしていて、存在感があり、売り場の子たちとも上手くやっていけると判断しています。是非採用したい人材と見ました。」


 正直僕は迷っていた。小林さんの見立てに間違いはないだろう。僕も同じ意見を持っている。

ただ、僕の心には引っかかるものがあった。彼女が僕の近くに来て、僕が今まで通りでいられるんだろうかと不安が横切った。


 ただ、反対する理由もないので、

「僕も君と同じ意見だ。あとはいつも通り進めてくれ。」

と承認をし、会議は終った。

 

今日は午後5時に会社を出る事にした。昨夜は遅くまで本社と電話会議だったし、疲れを癒したかった。


第8話完

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