第3話 良の告白
こんな日が3ヶ月続いたある初夏の夜に、彼女は赤いスクーターで僕のアパートにやってきた。カンカンカンと外階段を上がる音がして僕の部屋のドアをコンコンとノックした。
「良、居る?」
「うん、千聖入れよ」
「ちょっと、外出てこない?」
「うん、わかった。ちょっと待ってて」
しばらく経って、僕は白いジーンズと黒いTシャツを着て出ていった。
「どうした?もう8時だよ。家の方は大丈夫?」厳しい母親のことが気になった。
「今日は、母の勤める中学校の先生方の飲み会だって。先生の一人が退職するみたい。だから、今日は母の帰りが遅くなるの」
千里は夜に出てこれたのが嬉しそうだった。
千里は階段を駆け降り、スクーターの座席を上げて、そこから花火セットと百円ライターを取り出して、手をいっぱい上げて、2階にいる僕にそれを見せた。また、2階の階段を駆け上がり、
「バケツがあったら、水を半分くらい入れてきてくれる?」
と言って、良の部屋の前から花火ができそうな場所を探していた。
「水はOKだよ。じゃあやりますか」
と、水の入ったバケツを持って階段を千里と一緒にゆっくり降りた。
「今日は浴衣なんだね。すごく似合っているよ」
「あら、知らなかったの。私はなんでも似合うの。ちょっと色っぽいでしょ」と悪戯そうに笑う。
僕は何も言い返せなかった。紺の浴衣は、細身で背が高い彼女に本当に似合っていた。アップにした首の襟足がセクシーで、尚且つ風にのって芳ってくる石鹸のような匂いが彼女をさらに魅力的にしていた。
僕は、アパートのすぐ先の小さな川の周りに生えた背の高い植物を倒し、花火をやるスペースを設けて、千里を呼んだ。
「場所柄打ち上げ花火はできないから、それ以外で好きな花火を選んで!」
「じゃあこれ」
と赤い持ち手の先が膨らんで銀色に塗られた花火をしゃがんだ僕の前に差し出した。
ライターで火をつけると定番のススキの帆のような青い火が出てくる花火だった。千里は子どものような顔でそれをぐるぐる円を描くように回し始めた。終わるとバケツに投げ入れる。そのジューという音も好きなのだそうだ。もう完全に子供に帰っていた
次々に花火を選んで行く。次は細い紙の円柱が先端に付いているタイプだ。
今度は赤い火が飛び出す。パチパチと音がして、右や左に花火が飛ぶものやいろんな花火を楽しんだ、千里は花火が相当好きなようで、ほぼ一人で花火を消費し、持って走ったりして、はしゃいでいた。
「千里もはしゃぐ時があるんだ」
「当たり前でしょ。二十歳の乙女なんだから」
「それに母が花火を友達とやるのを嫌がっていたから、こんな楽しいことをずーっと禁止されてきたの」
「良はやらないの?」
「俺は最後の線香花火が好きなんだ」
「こんなに面白いのに、やりなよ!」
僕は千里が花火ではしゃぐ姿を見る方が楽しかった。
本音は花火どころじゃなかった。どうやって彼女との付き合いをもっと前に進めるかで僕の頭はいっぱいだった。
一通り花火が終わって、あとは線香花火を残すだけになっていた。僕は彼女を呼んで二人並んでしゃがんで線香花火を一本ずつ持って、ライターでほぼ同時に火をつけた。
僕たちは花火のお尻の丸いオレンジ色の火玉を落とさないように、動かずじっと見つめていた。火玉の勢いがなくなる前に儚そうな花火がぱっぱっと続く。彼女の瞳にもそれがはっきり見えた。
そして、ついに火の玉が落ちて、その線香花火は終わった。
「あーあ。私の負けか」
と言って、彼女が顔を上げた瞬間、僕は彼女にそっとキスをした。
突然だったが、彼女に驚いた様子はなく、少し恥ずかしそうに僕の左手を抱えて、体を寄せてきた。これまで以上に石鹸のいい匂いがした。
「これまではっきり言ってなかったけど正式に付き合ってください」
って僕は言った。よく覚えていないが、もしかしたたら、その時、僕の声は震えていたかもしれない。
彼女は、俯いて
「うん、ありがとう、良。よろしくね」
と照れ臭そうに答えた。
月明かりが僕らを優しく包み、僕たちはアパートまで手を繋いで帰った。
彼女を家の近くまで送って、アパートに帰ったのはもう十一時を回っていた。
アパートで僕は、今夜の素敵な余韻に浸っていた。でも、この幸せは一瞬だった。カンカンカンと外階段を上がる音がしたと思ったら、外で聞き覚えのある声がする。
「やばい」
僕は玄関の鍵を閉めて、電気を消そうとしたが、もう遅かった。
いつもの悪友の訪問を受けた。
同じ研究室の三人だった。親友の宮本、ガッチリとした体で発掘調査であちこちを飛び回っている考古学の虫の大西、そして西洋史専攻の長髪(ながみ)しおり先輩だった。
「良、今日も麻雀やるべ」と宮本が口火をきる。
「どうせおまえ暇だろ?」
「夜十一時過ぎに用事がある奴なんてそんなに多くないだろ」
皮肉を言ったつもりだったが、誰もそれには取り合わず、勝手に押し入れをあけて、麻雀の用意を初めてしまった。まあ、いつものことだ」
「お前ら、他にすることないのかよ」
「お前そんなこと、長髪先輩の前でよく言えるな」「そうだ、失礼だぞ、良」大西も乗っかってくる。
僕は諦めて徹マンを覚悟した。明日はドイツ語初級の試験があるのに、こいつらほんとアホだ。
メンバーが足りない時には長髪先輩を連れてくる。先輩は僕らの一こ上の同じ研究室の先輩だ。メガネをかけているので、皆あまり注目していないが、かなりの美形で大人の女性だ。どうしてこのメンバーに入っているのかわからないが、満更嫌でもないらしい。この二人のどちらかに興味があるのだろうか?
夜十一時半から始まり、朝八時まで麻雀をして、僕は結局二千円の負け、長髪先輩の一人勝ちで、いつも通りダントツの勝ちだった。終わると昼過ぎまで、僕の部屋で雑魚寝だ。長髪先輩にはシーツを変えて僕のベットで寝てもらった。
午後2時すぎには皆目を覚ました。そしていつものように喫茶店「たかひろ」で長髪先輩にご馳走してもらった。先輩が勝ったお金で僕達がご飯を食べさせてもらうという決まったパターンだ。
「俺たち弱いよな。もうこのパターン何回めだ」
と宮本が口を開く。
「大西、お前が問題だと思うぞ。お前が振り込みすぎなんだよ」
と大西も負けてはいない。
「宮本、お前だろ。もう一歩で国士無双で俺役満だったの。それなのに平和(ピンフ)であがったの誰だ?」
「あれでツキが一気に落ちたんだからな」
「馬鹿野郎。実力だ実力。役満一回でどうにかなる話か」
「二人ともやめなよ。今度勝てばいいでしょ」
先輩はいつも優しい。
この二人の先生かお母さんのようだ。
この先輩に彼氏がいないのが不思議だ、いたら、あの時間から麻雀なんてするはずがない。
いずれにしても、僕の記念すべき千里との初キッスは、彼らの邪魔のせいで、感動が減ってしまったではないか。あいつら・・・。
第3話完
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