第2話 最初のデート

 僕の彼女、坂井千里 (正確には25年前に別れた元カノ)は地元の短大生で僕より2つ下だった。出会いはバイト先の喫茶店。僕は厨房で働き、彼女は僕より少し遅れてホール担当で入ってきた。


 目鼻立ちのハッキリした顔とスレンダーな彼女に僕だけじゃなく、そこで働いていた男どもは皆憧れていたが、彼女は誰にも興味はないようで、特定の彼氏はいないとの噂だった。


 もちろん僕も会った最初の日から彼女に惹かれていた。でも、声をかけるチャンスも勇気も無くて、何日経っても一言も言葉を交わすことはなかった。


 僕は3回生のある春の日、お城の公園で開かれたバイト仲間の花見に参加した。この頃僕は酒があまり飲めなかったから、パスしたかったが、バイト仲間であり同じ研究室の宮本と大西の強引な誘いに負けて顔を出す事にした。


 開始時間の夕方5時にはもう10名くらい集まっていた。まもなく日が暮れて照明が焚かれ、桜がライトアップされる。時々吹く緩い風に花びらが舞い落ちる。僕は幻想的なその様子に見とれていた。


 参加者のほとんどがいつものバイト仲間なのに、男どもは女の子と仲良くなろうと必死で、花をみている奴はいない。僕は千里を除けば誰にも興味は無かったから、人と話す事もなく、本当の花見を楽しんでいた。


 花びらを目で追っていると、千里と目があった。

彼女も向かい側で舞い落ちる桜の花びらを目で追っていた。僕らは頭を軽く下げて挨拶を交わした。

千里は酒が嫌いなのか烏龍茶を飲んでいた。話しかけてくる酔っ払いを上手く交わして夜桜を楽しんでいた。


 僕はバイクで来ていたから、専らジンジャエールを飲み、相変わらず桜の花びらの舞を楽しんでいた。

 1時間くらい経過した頃、千里はすっと立ち上がり、僕の方に向かってきた。僕はドキドキしながら彼女の動きを目で追った。彼女は確実に僕の方に真っ直ぐ近づいていた。思いもしない展開に、僕の心臓は張り裂けそうだった。千里は僕の前で立ち止まって言った。

 「工藤さんバイクできているんでしょ。私をバイクに乗せてくれませんか?」

「お互いもう参加義務は果たしたでしょ」僕は急な彼女の接近に戸惑いながらも、すぐ彼女に提案した。

「そうだね。出来るだけみんなの目に止まらないように別々に抜け出そう。バイクは図書館の駐輪場に停めてある。そこに集合」


 最初に僕、次に彼女、が酒宴を抜け出した。宴席は盛り上がり、誰も僕たちのことなんか気に留めていなかったようだった。僕は足を少し早めて図書館を目指した。


 図書館の駐輪場でタバコを吸いながら彼女が来るのを待っていると、駐輪場の向こうに人の姿が見えた。僕はてっきり彼女かと思い、「早かったね」と声をかけた。

「俺だよ、俺」

その声は宮本だった。

「お前どうしたんだ」

「お前こそどうしたんだ、宴会抜け出して」

「俺はもういいだろ。もうみんな酔っぱらっているから、シラフの俺にはキツいよ」

そんなやりとりを宮本としていると、彼女が駐輪場に現れた。宮本は「やっぱりな」という顔をして、僕の肩を右手で軽く叩いた。

彼は花見の席で千里と僕が話しているのを見て、僕の後を追ってきていたのだった。


 「悪いな、宮本。そういうことだ。彼女と少し走ってくる」

そういうと宮本は少し顔を歪めた。僕は宮本も彼女に気があったことに初めて気がついた。

僕は少し気が咎めたが、彼女にヘルメットを渡して、とりあえずこの場を離れることにした。千里を後ろに乗せた僕のバイクが、走って去ってゆくのを、宮本は悲しそうな表情で見ていた。


 最初の信号機で止まった時に、彼女にどこに行きたいか尋ねた。

「三国半島の海沿いの道を走ってくれますか?」

「夜の方が、ライトをつけるから、対向車が来ても走りやすいんでしょ」

どこで知ったかわからないが、僕は彼女の提案通りにキツいコーナーが続く海沿いの道を走ることにした。

「少し飛ばすけど大丈夫?」

少しビビらせてやろうと思った。でも、彼女は平気そうに

「うん、頑張って」

と僕の予想に反してサラッと言った。


 国道から半島に向かう県道に入るとまもなく海沿いの道に出る。このあたりは電灯も少なく、普段はあたりは真っ暗だ。今夜は月明かりが綺麗で、ぼんやりだがあたりを照らしてくれている。対向車は全くなく、僕のCB750は快調にコーナーを駆け抜ける。


 行程の半分くらい来たところで、桜並木にさしかかった。桜の花びらがライトに照らされてヒラヒラ雪のように舞い落ちる。千里は右手を離して花びらを掌で受け止めている。僕はスピードを落として桜の花道を通り抜けた。


 桜並木の少し先の右手に砂浜を見つけて、僕はそこにバイクを停めた。

「少し休憩しよう」

「後ろは怖くない?」

と聞くと、彼女は平然とした様子で言った。

「ううん、ちっとも。すごく気持ち良かったです。こんなの初めて」


 僕らは砂浜へ降りる短い階段に腰掛けて、お互いのことを喋った。彼女は母親がシングルマザーで、父親の顔は写真でしか見たことがないとか、母親が千里の幼い頃から友達と遊ぶのを抑制するとか、いまだに彼女の洋服は母親が見立てるとか、母には逆らえないとか、門限が厳しいとか、短大を出たらこの街で就職するとか、そんなことを話した。


 僕は彼女と同じ県の生まれで、実家は山間部にあり、親はなくおじいさんに育てられたこと、今は大学近くのボロアパートに一人で住んでいること、長い休みの時はバイクでツーリングに出かけることなどを取り留めなく話した。


 話しているあいだは波の音は少しも気にならなかったが、風で海はけっこう波立っていて、波が左手の防波堤に打ちつける強い音がしていた。あっという間に一時間が経っていて、僕らは帰ることにした。


 僕は少し小高くなった彼女の住む住宅地の入り口あたりで彼女を降ろした。彼女の家の近くまで送って行くつもりでいたが、彼女はそれを嫌がった。

「母は私が男の人と付き合うのを凄く気にするの。だからここでいいです」

と彼女は申し訳なさそうに言った。

「今度バイクの免許を取ろうと思って。それまでは時々乗せてくれませんか?」

「うん、いいよ」

「私から連絡するから。じゃあまた。今日はありがとうございました」

小さな声で彼女がさよならをいう。

彼女はしばらく僕を見送っていたが、坂を降る僕のバイクのミラーから次第に小さくなって消えていった。僕は今日が一生続けばいいと願った。


それ以降、1週間に2度のペースで千里をバイクの後ろに乗せて、あの街やその周辺の街を走った。


 毎週金曜日は、彼女とバイトのシフトが重なるので、バイトの後に僕のアパートに寄って、二人が好きだったユーミンのレコードを聞いて、お互いの共通の友達のことや将来の夢について話をした。

彼女は門限が設定されていて、バイトの日でも夜10時には家に着く必要があった。バイトが8時に終了だから、二人に与えられた時間は移動時間を含めてたった2時間だった。


 毎週土曜日は、学校もバイトも休みだったから、タンデムで二人でよく行った海岸や湖の廻りや県内ではそれなりに知られている名所に行った。

彼女はどこに行っても人目を引いた。ヘルメットを脱いでいるときはもちろんだが、ヘルメットをかぶっている時でもそうだった。髪を背中まで伸ばしていたから、ヘルメットの後ろから風に靡く髪がとても素敵だった。


第二話完

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