第8-10話 任せられる人
託された公務も、マナがあらかた片付けていたおかげで特にすることもなく。ロロ、タルカ、ウーラのいつもの集まりに、ステアとギルデルドを加え、五人でまったりとした時間を過ごしていた。
「ナナヒカリー!」
穏やかな空間に、切迫した声が降ってきた上空を五人そろって見上げると、夜闇よりも黒い、漆黒のドラゴンが空中を旋回しているのが視界に入った。
そのドラゴンはゆっくりと高度を落とし、ちょうど、立ち入り禁止のスペースで翼を畳む。自分をナナヒカリと呼ぶのは、この世にただ一頭。ベルセルリアのみ。
剣神を親に持つギルデルドだが、七光りすらできていないというのが実に皮肉だ。そんなことを思いつつ、ギルデルドは立ち入り禁止ギリギリのところまで駆けていく。
「ベルセルリア様、突然どうされたのですか? マナ様がそちらに向かったとお聞きしておりましたが──」
「それより先に、まず受け取って! 早く早く!」
太く鋭い爪の生えた手に、アイネが乗せられているのが見えて、ギルデルドは慌てて受けとる。アイネは彼の腕の中ですやすやと寝息を立てて寝ていた。
「つ、潰れたりしてないよね! ねえ!?」
「はい。大丈夫ですよ」
「良かったー……!」
ほっとしたようにベルセルリアが吐息をつくと、その風圧でよろけ、ギルデルドの足が自然と一歩、後ろに下がる。
「よろしければ、人の姿になってはいただけませんか?」
「うん、分かった」
聞き分けのいいベルセルリアなど初めて見る。マナがアイネを託したという事情を考慮しても、何かあったと考えるべきだろう。
「あのね! トリコちゃんが、変になっちゃったの!」
「トリコちゃん、とは?」
「チアリターナのこと!」
チアリターナ──水神龍とも称される、人智を超えた癒しの力を司る、世界最古の龍だ。その血液はすべての病や傷を癒すと伝えられており、涙一滴で、荒れた山脈を、死んだ海を、そして、焦土と化した大陸を潤すとも言われる。
「チアリターナ様がどうされたのですか?」
「なんかね、急にボクに攻撃してきて、ユタちゃんを復活させないと、アイネちゃんを殺すって!」
「……随分と物騒なお話だこと」
その声に振り返ると、後方にステアが立っていた。どうやら、ギルデルドが気づかなかっただけで、最初から追いかけてきていたらしい。
「ねえ、どうしよう!」
「あなたはドラゴンなのでしょう? しゃんとなさい」
「だって、今のボクじゃ、トリコちゃんには勝てないよぅ……」
「陛下がきっと、なんとかしてくださいます。それよりも、ギルデルド」
「ああ、分かっている。今、僕たちが優先すべきなのは、アイネ様だ」
「そう。きっと、チアリターナ様の暴挙の裏には、今までと同じ敵が潜んでいる。ドラゴンすらも操るような、それこそ、陛下と同じくらいに知恵の回る存在がね」
状況を素早く理解し、ステアは思考を巡らせているようだった。その横顔の中で最も輝く、ターコイズの真剣な眼に意識が吸い込まれ──突然、頭を叩かれて、アイネを取り上げられる。
「いっ……!?」
「下! 障壁!」
叩かれた衝撃もそのままに、ギルデルドは声に反応して、地面に最大限の魔力を込め、障壁を張る。
──直後、障壁が想像を超える、重い打撃に突き上げられて、やっと、いつもの調子を取り戻す。
「これは……っ」
「助けが来るまで、一人で耐えられる?」
正直、厳しい。相手が誰かは知らないが、相当の魔力の持ち主だ。だが、彼女の前で弱音は吐けない。
「ああ、任せてくれ」
「──信じてるから。ベルセルリア様、こちらへ」
そうしてこの場にはギルデルドだけが残される。これを相手取る上で戦力となり得る存在など限られている。自分では間違いなく役者が不足している。
そんなことを考えていると、二回目の衝撃が来た。早くも破られそうになりながら、全力で抑えつける。そんな状況を見て、たいして強くないと判断したのか、一ヶ所を集中的に狙って、繰り返し打撃が加えられる。障壁は一点への攻撃に弱い。
「くそったれ……っ!」
そこに魔力を一点集中させて、なんとか、持ちこたえる。地面が丸ごとひっくり返りそうな衝撃が、人の身である彼の全身に走る。
重い痛みに、何度も、諦めそうになる。だが、ここで負けるわけにはいかない。
この場所で地下からの敵ということは、相手はただ一人。──魔王ユタザバンエ・チア・クレイアだけだ。
「封印は解けないはずだろう!?」
衝撃に骨が軋み、筋肉が悲鳴を上げ、魔力の消費に目眩がする。それでも、歯を食い縛り、耐える。
頼まれたのだ。マナに。
引き受けたのだ。ステアから。
何より、ここで通せば、アイネに何が起こるか分からない。彼女だけは、絶対に守り通さなければならない。まなが命を
「ぐっ──!」
障壁にヒビが入る。体が粉々に砕けそうだ。だが、引かない。引くわけには、いかない。
「はあああああ!!!!」
非活性の魔力の、そのすべてを活性化して、障壁に当てる。鼻血が垂れ、喉の奥から血が込み上げてくる。聴覚と視覚が遠のき、全身の毛穴から汗が吹き出す。血液が沸き、一周回って冷たくすら感じる。
敵が上がってくるほどに、自分に重りが乗せられていくかのように、体が重くなっていく。膝を折らされ、それでも、なんとか、魔力を込めて。
──そうして、ついに、障壁が破られた。
そこには、八年前に見たままの、愛らしい八歳の少年の姿をした、災厄が
「疲れたー! もう、疲れたんだけど! 誰かと思ったら、ギルデだし!」
「なぜ、封印が……」
「ああ、あれ? 封印される直前、たまたま、魔法陣に攻撃した余の魔力が残ってたから、ちょっと大変だったけど、八年かけてなんとか制御したんだ。すごいでしょ。へへん」
まるで子どものようだが、その魔力は間違いなく、マナと同等かそれ以上。人間に戻っていたから良かったものの、これが魔族だとしたら、その強さは、さらに計り知れないものとなっていただろう。
「まあ、最後の最後に、勇者が近くに来てくれたから、それも利用させてもらったんだ。てか、太陽めっちゃ眩しいんだけど!」
「何をするつもりだ」
ユタザバンエは至って自然体で、膝をついていてもなお、さらに地に伏せてしまいそうな自分とは、天と地ほどの差がある。
「何って、世界征服に決まってるじゃん」
「世界征服……?」
それは、いかにも子どもが掲げそうで、たいていの場合、なし得ることができないものだ。
「世界を征服して、何になる?」
「みんなに、ユタザバンエ様って呼ばせて、色々命令して、一番高いところから見下ろすんだ! いいでしょ!」
現に戦時中、人間に比べ、圧倒的に少ない数の兵士を操り、魔王討伐直後のルスファの領土を侵しつつあったのは彼だ。人間側はマナが指揮を取っていなかったとはいえ。
「だから、尊敬されるように、先代の魔王カムザゲスの真似して喋ってたんだけど、あいつ、めちくちゃ弱いからさ。もっと強い、皇帝サマの真似することにしたんだ。あとは、あの、裏切り者の師匠にもちょっと似ちゃってるかも」
「聞いてもいないことまでよく喋る口だな」
「だって! 八年も誰とも話せなかったんだもん! 色々聞いてほしいこととかたくさんあるんだよ。聞いてよギルデー」
聞いてやれば、戦うよりも時間が稼げるだろう。よし、今は面子よりも、安全策を取るべき──。
瞬間。ユタザバンエの首を背後から狙って、少女が姿を表す。水色の髪に蜂蜜色の瞳の少女──ロロだ。
「誰、君?」
「名乗るほどの名前はない」
「なぜ君がここに……」
「マナちゃんから頼まれた。初撃は任せるって」
初撃は、ということは、それ以外は一体どうするのだろうか。自分はまったく、動けそうもない。魔力もからからだ。だが、始まってしまった戦いは、止められない。
──直後、ユタの首がずり落ち、断面から出血する。だが、魔王が首を切られても、生きようと思えば生きられるのは、常識だ。
そこには白い頬に青いダイヤが印象的な女性──ウーラがいた。当然、彼女は勇者にしか魔王を殺せないことは知っている。
「ここは、私が引き受けます。陛下に任されていますから」
「ですが、あなた一人で勝てるような相手では……。それに、あなたは以前、彼に仕えていたのでは?」
「見くびらないでください。昔はそうだったとしても、今は陛下を心からお慕いしています。それに、彼は陛下よりも圧倒的に弱いので。時間稼ぎなら、私一人で十分です」
それは強がりのようにも聞こえたが、自分がいても足手まといになることは、さっきの攻撃で痛感させられていた。
「早く、その子を連れて逃げてください!」
「──助けを呼んできます! 必ず無事でいてください!」
そうしてギルデルドはロロを抱えて走った。全身が悲鳴を上げていたが、ウーラを残して逃げている今、泣き言は言えない。
──向かった先では、ステアとタルカにより、ユタを倒すための出陣の準備が行われているところだった。
「タルカ様、どう思いますか?」
「そうですね……。これでもまだ、少し厳しいかと。隣国から兵を集めてきた方がよいかもしれませんね」
ロロを地面に降ろし、平然を装って話に加わる。
「タルカ様もこちらにつかれるのですか?」
「うん、そうだよ。陛下に命を救ってもらってるからね。その恩を返さないと」
これなら、自分の出番はなさそうだと、安心していたそのとき、袖を引っ張られて振り返ると、視線の先にロロがいた。
「どうしたんだい?」
「アイネは……?」
先ほど眠っていたので、どこかのベッドに寝かせているのだろうと思い、ステアに問いかける。
「ステア、アイネ様はどうした?」
「アイネ様なら、ベルセルリア様が寝室で見てるところ。ロロ様は行ってもいいけど、ギルデはここに残って」
そうして、ロロはアイネの部屋へと向かっていった。ギルデルドは全身の痛みに、泣きそうになりながらも、平然を装ってステアの話に応じる。
「魔力は空にしてきた?」
「え? あ、ああ。彼と戦えば出し惜しみはできないからね」
「それなら、探知に引っ掛からないわね」
──まだ酷使するつもりかと、弱音の一つも言いたいところだが、言わない。自分のカッコつけ癖が嫌になる。
「あなた、剣は使えるでしょう?」
「いや、からっきしだ」
「からっきしというほどではないわ。天才的ではないというだけで、それなりの実力はある。そうでしょう?」
「──まさか、この状態で剣を振るえと?」
「その通り。物分かりがよくて助かるわ」
その微笑みに圧を感じて、ギルデルドは苦笑するしかない。誉められているのか、いいように利用されているだけなのか、真意は不明だ。
「それで、一体、どこで戦えばいい?」
「陛下を追いかけて。チアリターナ様はミーザスに向かわれているみたいだから」
「──もしかして、走って行くのかい?」
「ええ。あなた、逃げ足だけは速いでしょう?」
それはそうだが、あそこまで走るほどの体力はない。ミーザスまで走れと言われても、一体、どれだけ距離があると思っているのか。普通なら、一日全速力で走り通したとしても、到底、たどり着けるような距離ではない。
「ギルデの足なら、三十分、全力で走り通せばいけるわね」
「三十分全力で走れるとでも!?」
さすがに、カッコつけきれなかった。だが、普通の人には、無理だということくらい分かってほしい。
「他でもない、あのマナ様の危機なのよ!? マナ様の危機にあなたがいなくてどうするの!」
「ええ、怒られた……。というよりも、マナ様って、その呼び方──」
「言ってなかったっけ? 私、昔からマナ様の大ファンなの。今でもね」
「……なるほど。僕が君に一目惚れした理由が分かったよ」
マナを愛するもの同士、何か感じるところがあったのだろう。──それからしばらくして、自分の失言に気がついた。
「え! あ、いやっ! これは、その……」
「今はとにかく、マナ様の元に向かって! 三十分もかかるんだから!」
「わ、分かった!」
なかなかに理不尽なことを言われたと気づくのは、しばらく経ってからだった。
──考え事をしながら恥ずかしさに包まれていれば、疲れなど感じる余裕もない。そうして、あっという間にマナの元へとたどり着く。
彼女を白装束が取り囲んでいるのが見えた。どうやら、正教会が関係しているらしい。ギルデルドは腰から下げていた剣を取り出し、走ってきた勢いのまま、柄で周りを昏倒させていく。探知に引っかからないためか、敵の反応は鈍い。
「ギルデルド──」
すべてを虜にしそうな、彼女の安堵の笑みを受け取ると、それだけでいつまででも動けそうな気がしてくる。それどころか、もっと成果を上げたいとさえ思うが、斬り合う必要があるほどの相手はいなかったため、むしろ、やや燃焼不足だ。
自分の顔を見た瞬間に、膝から崩れ落ちそうになるマナを、彼は支える。見ると、柔らかそうな肌にはいくつもの傷がついており、片腕はひしゃげていて、見ているだけでこちらが痛くなるほどだった。
「マナ様、ご無事でしたか!?」
「うん……赤ちゃん、ノアで、何かあった?」
表情から読み取られてしまったらしい。まだまだだと、自分を
「はい。実は──」
そうして事情を話すと、マナはぐっと踏ん張って一人で立ち、ノアへと視線を向ける。
「ダメですよ、マナ様。ご無理をなさっては」
「でも、アイネちゃんが──」
「アイネ様の元には、ベルセルリア様とロロ様がいらっしゃいます。何も心配されることはありません」
「でも、アイネちゃんと、ずっと一緒、って、約束したの。早く、戻ってあげなきゃ……」
そうして踏み出す足に、まるで力が入っていない。気力だけで立っている状態だ。自分がいかに、甘えたことを言っていたのか気づかされる。
そうしてギルデルドは、自分の頬を思い切り殴った。
「いっづぁ!?」
「──赤ちゃん、馬鹿なの?」
「申し訳ありません。お見苦しいものをお見せしてしまい」
それから一言断って、ギルデルドはマナを抱き上げる。
「マナ様。約束を守ることは、確かに大事なことです。アイネ様のことですから、今まで一緒にいられなかった分、泣いてマナ様との別れを嫌がったことでしょう」
「赤ちゃん、何でもわかるんだね」
「それくらい、誰にでも分かります。──ですが、本当にアイネ様をお守りしたいのであれば、もっと未来のことまで考えるべきです。となれば、何を優先すべきか、聡明なマナ様なら、お分かりですよね?」
マナは少し考える素振りを見せ、ノアの方を一瞥した後で、手を差し出してきた。
「赤ちゃん、一度、魔力を共有してくれないかな? ステアちゃんのこともあるし、嫌なら別にいいんだけど」
それは本来、婚姻を結ぶときに行う儀式のようなものであり、戦略として使われることはまずない。
「──いえ。それがマナ様のご判断でしたら、しかと受けさせていただきます」
「ありがとう」
差し出された手を取り、共有した魔力をマナへ送ると、マナは問題なく、自分の足で立ち上がれるようになり、代わりに、ギルデルドの視界はだんだんと白くなっていく。
「からからだけど、ないよりはましかな。非活性のも、全部もらうね。念話で迎えを呼んでおくから」
「はは……。死なない、程度に、おねが、い……」
生存本能に抗うことはできず、意識はシャットアウトされた。
「──アイネちゃんをお願いね」
そんな声が、最後に聞こえた気がした。
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