第8-9話 帰らないと

 眠るアイネの頭を撫でつつ、ベルが体力の低下を苦にしながら、ゆっくりと食べ進めるのを見守る。ドラゴンの食事となると、かなりの量となるが、私もこれで、皇帝様だ。そのくらいは用意できる。


「ねえ、勇者ちゃん」

「その呼ばれ方も久しぶりだね」

「──ボク、ドラゴンなのに、お兄ちゃんを守ってあげられなくて、ごめんね」


 そうして目に涙を湛えるベルの体を、アイネを撫でていた片手で、そっと撫でる。


「誰も、ベルちゃんが悪いなんて、思ってないよ」

「でも──」

「話の続きは、ご飯が終わってからにしよう? ご飯は美味しく食べなくちゃ」

「……うん」


 そうして、全部食べるのを見届けてから、アイネをチアリターナのふかふかの尻尾に預けて、魔法でベルの簡易的なメディカルチェックをする。


「うん、大丈夫そうだね」

「ありがとう、勇者ちゃん」

「どういたしまして」


 それから、アイネを抱き上げて、


「チアちゃん、ノアまで乗せて行って?」


 また、図々しく背中に乗って──と考えていると、突然、尾が鋭く振られて、私はとっさに避ける。それから、慌てて、アイネに怪我がないことを確認する。


「──何かな?」

「ユタを復活させよ。でないと、その娘がどうなるか分からぬぞ」

「それはおかしいよ。第一、本当にアイネちゃんをどうにかする気なら、さっき尻尾に預けてた時点で人質にすればよかったのに。そうしなかったってことは、本当は殺したくないんでしょ?」

「そやつは勇者じゃ。隠そうとせずとも見れば分かる。故に、魔王にしか殺せぬ。じゃから、手を出さなかった」


 それは事実だ。だが、彼女の気迫がどこか凄みに欠けているのもまた事実。


 つまり、少なくとも今の時点で、アイネをどうにかするつもりはないということだ。


「ユタくんを助けたい気持ちは分かるけど──」


 言葉の最中、狙いに気づいた私はアイネをベルの陰に預け、すぐさまベルの前に出て、障壁を張る。


 ──瞬間、チアリターナの鋭い爪が容赦なく振るわれた。重い衝撃を足から地面へと流す。その衝撃波だけで、辺りの草が一斉に倒れる。


 ベルが風除けとなったため、アイネをベルの陰に置いたのは正解だった。


「……え? トリコちゃん、どうして──」

「ベルちゃん、飛べる?」

「少しくらいなら、と思う、けど」

「じゃあ、アイネちゃんを連れてノアに行って」

「この子を? で、でも、ボクの力じゃ……」

「大丈夫。ベルちゃんなら潰さない。ベルちゃんにしか頼めないの。お願い」


 そう信じている。あのとき、頑張って力加減を覚えていたベルなら、きっと、大丈夫だと。


「──分かった!」


 力強く返事をして、ベルはそっと、アイネを抱えると、ノアへと飛んで向かう。


「──約束、破ってしまいましたね、アイネ」


 しかし、完全に姿が見えなくなるのを見届けるまで、チアリターナは動かなかった。


「お主一人で妾の相手が務まると、本気で思っておるのか?」

「これでも、魔力が回復しきっていないので、手心を加えてくださると助かるのですが」

「生憎と、妾のコンディションも、そう良くはないのでな。加減を誤っても責め立てるでないぞ?」

「コンディション、とあなたが言うと、おかしな感じですね」

「老体故、時代に遅れぬようついていく努力をしておるからな」

「その割に、話し方は昔のままですね?」

「話し方まで変えてしまったら、威厳がなくなるじゃろうが」


 これ以上の話し合いは無意味だ。チアリターナはユタザバンエを解放するためなら何でもする。たとえ、千年近くの時を共にした友であっても、殺そうとする。


 そこまで彼女がユタザバンエを想っていたとは、知りもしなかった。最近、我ながらミスが多いと、そう思う。


「ふふっ──あなたに威厳なんてありませんよ。ただ、少しばかり長生きしているドラゴンというだけです」


 できれば戦いたくなかったが、私にも優先順位というものがある。恐れる気持ちはあるが、彼らを守るためには、チアリターナをこの先へ行かせるわけにはいかない。


 その返答は待たずに、私は有利だと思われる先手を打つ。ドラゴンの鱗は固く、同じくドラゴンからできた素材でできた武器を用いるか、最大限の魔力を使わなければ、一撃も与えることはできない。


 故に、レックスの剣なら、貫ける。


「いきます──」


 ドラゴンに対して、私の体は小さい。そこを生かして、捉えどころのない動きをくりかえすことにより、少しずつダメージを蓄積させていく。ドラゴンの治癒力が並外れたものであることは、この体がすでに証明済みだ。


 大きな一撃を与えるよりも、長期戦の方が有利だと判断する。ひとまずの話にはなるが。


「剣神の得物か。どうりで、刺さるわけじゃな」


 これを、私が用いて刺さらないとなれば、この世の誰にも、ドラゴンを貫くことはできない。そうして、少しずつ、鱗を剥いでいき、攻撃を当たりやすくする。


「──そろそろ、動かねばならぬの」


 突然、たたまれていた翼が広がり、空気を下方に押し出して高く飛び上がる。その風圧だけで骨ごと押し潰されると判断し、それよりも少し速く、上空へと飛び上がり、チアリターナの背中に貼りつく。


 だが、背中が安全とは限らない。ドラゴンにも、魔法が使えるのだから。


 チアリターナが背中から魔法陣を顕現させて、火柱を噴出する。それをかわしながら、着実にダメージを与えていく。──だが、そちらは囮で、本当は私の分身に透明化を施して、翼の痛覚のない部分を狙わせている形だ。


「これは──!」


 気づいたときにはもう遅い。チアリターナの翼は奪った。


 上空に氷の針山を顕現させ、そこに剥ぎ取った鱗を埋めて、踵落としで叩きつける。大きいと小回りが利きにくいため、ドラゴンの体でそれを避けることは叶わず、深く刺さった。瞬間、氷を消滅させると、地上に血の雨が降り注ぐ。


「ぐっ──!」


 乱発される魔法をかわし、相殺し、受け流して、体への衝撃は最小限に抑える。


 瞬間、翼を回復して、飛躍するチアリターナが眼前に迫る──が、それを好機と捉え、かつて、剣神の愛剣であったレクサーで、眼球をほじくる。眼球の怪我はたとえ彼女であっても、そう簡単には治せない。以前、ベルの目を傷つけようとしたあかねを、私が止めたように。


 その際、脳をかき回すように、奥まで腕を突っ込んだが、届いたかどうかは微妙なところだ。ただ、刀身に魔力を付与させておいたので、内部に魔力を送り込むことに成功した。


 とはいえ、こちらも、腕一本がひしゃげた。治すよりも痛覚を消す方が早いと判断する。切り落としてしまうと、体のバランスが変わるので、ぶら下げたままだ。


 ──罪悪感はある。だが、綺麗事だけではやっていけないというのは、痛いほどに感じていた。だから、生ぬるい血の臭いに込み上げる吐き気を、グッと堪える。


「ギアアアア!!」


 咆哮の直前、咄嗟に耳を塞ぐ。この至近距離でもろに食らえば、鼓膜が破れる。治せばいいだけの話だが、魔力の消耗はできる限り避けたい。


 送り込んだ魔力を氷柱にして、体内をかき回すと、チアリターナが吐血した。その隙に、チアリターナの頭に乗る。飛行する魔力の節約だ。


「満身創痍とはいえ、仮にもドラゴンだというのに、とても実力を出し切っているようには見えませんね。誰かに脅されて、仕方なく悪役ヒールを演じているのでしょうか?」

「──貴様に語ることなど何もない」


 その会話の隙に、私は角をへし折って、目の前に差し出す。


「妾の、角が──」


 ドラゴンとはいえ、角だけは、折れたらそこでおしまいだ。魔法を使って元に戻すことはできない。その角を無限収納にしまう。痛覚があるわけではないが、角を折られることは、それだけで、ドラゴンや人魔族たちの、一生の心の傷となる。あかねの、背中の刺青みたいなものだ。


「誰の差し金ですか?」

「……言えぬ」

「このままだと、あなた、死にますよ?」

「お優しいのう。こっちは殺してもらっても構わぬがの」

「──全員、同じ存在から命令されているんですか? ローウェルやクロスタ、ウーラの配下たち、それに、セトラヒドナの国民たちまで。一体、誰の指示を聞いているんですか?」

「一つ、言えるとすれば、お主でも気づかぬほどの存在ということじゃな」


 そんなことは分かっている。私はすでに、レイを失っている。ギリギリのところではあったが、間違いなく、私が負けたのだ。


 つまり、相手は私と同等か、それ以上に頭がキレる。だが、そんな存在には、今まで、一人しか出会ったことがない。


「れなさんですか?」

「あやつはもう、とうの昔に死んでおる。今頃は魚の餌じゃな」

「……やはり、そうでしたか」


 もともと、れなのことは昔から信用しているため、疑ってはいなかった。だが、これでますます、犯人が分からなくなった。


「どうして教えられないんですか?」

「それも言えぬ」

「皆さんは、恩があるからと言っていましたが」

「そうか」

「言わないとなると、恩以外ということになるわけですね。先ほどああは言いましたが、やはり、あなたが脅されて従うようなタイプには見えません。今こうして、私と命がけで戦っていることがそれを証明しています」

「そうか。まあ、好きに分析するがよい」

「となると、個人的に情があるから、ではないでしょうか」

「どう思おうとそちの勝手じゃ。好きにせい」


 呼吸、脈拍、体温を辿るに、最後で間違いなさそうだ。チアリターナが目をかけている存在となると、魔王に近しい存在となるが──。


「あ──」


 体内をかき回し、鱗を剥ぎながら会話する最中、私の脳が、ある一つの正解を導き出した。そうして、手元が狂い、体内の氷柱が心臓を潰す。


 とはいえ、もう、何度も心臓を貫いてはいるし、脳もぐちゃぐちゃにしている。それでも魔法で回復したボロボロの翼で飛び続けるのは、さすがドラゴンといったところか。


 そして、恐らく、私をここで倒すことを目的としていないのだろう。倒すのではなく、私をどこかへ誘導するのが目的だ。


 明らかに、チアリターナはミーザスへと向かっていた。そこに向かえば死ぬという、まなの進言に従い、私は飛行でその場から遠ざかる。


「そうはさせぬ」


 気づくと、目の前にチアリターナがいた──速い。やはり、ドラゴンの全力は、あんなものではない。片目が潰れているというのに、殊勝なことだ。


 なんとか目で追える速度の攻撃に、カウンターを食らわせ、少しずつ、ミーザスから遠ざかる。──瞬間、背後にも気配を感じ、咄嗟に上昇、同士討ちさせる。


 どうやら、チアリターナにも、分身が使えるらしい。


「そち、気づいておるか?」

「何の話かによります」

「このまま、妾を殺せば、何が起こるかということにじゃ」


 ──このまま、チアリターナを殺せば、クレセリアの魂は間違いなく、彼女の体内に吸収される。要は、死ぬのはベルでもチアリターナでも構わないということ。私もその可能性に気がついてはいたが、この程度ならゾンビになっても倒せるという確証めいたものがあった。


「しかし、あなたまでクレセリア様の存在を知っているとなれば、話は別です。当然、私の敵も知っているということになりますから」


 つまり、ベルを殺すか、あるいは、チアリターナ自身が死に、そこにクレセリアの魂が入ることは、皆を操る誰かの、作戦の一部だということ。


「そうじゃのう。さあ、どうする、人間の女王?」

「……そんな風に自分の命を利用されてまで、成し遂げる必要はあるんですか」

「そんなに悲しい顔をするでない。何の得にもならぬ」


 そういうチアリターナの可愛らしい声にも、悲しみの色がありありと現れていた。


「せめて、ベルではなく、妾を犠牲にしてくれ。頼む」

「ベルさんは、そんなことをされて喜ぶ方ではありませんよ」

「分かっておる。何年の付き合いだと思っておるのじゃ。──じゃが仮に、妾の死に心を痛め、再び立ち直れぬようになることがあったとしても、そちが居れば大丈夫じゃと、先ほど見せてもらったからのう」

「何人、周りの人を失おうとも、それに慣れることは決してないんですよ」

「それも、よく分かっておる。妾が一体、何年生きておると思っておるのじゃ」

「千年ほどですかね」

「そうじゃのう。──もう、そんなにも生きておったか」


 私は素早いチアリターナの攻撃に対処しながらも、隙を見つけて、薄く、剣で傷をつけていく。


 クレセリアに何も言わず、こんな選択をするのは間違っているかもしれないと、自分でも思うが、それでも、生かしておけば間違いなく被害が出る。


 これは、私にしかやれないことだ。


「心なしか、攻撃の手が弱まっておる気がするが?」

「死ぬときに、骨だけになっているとゾンビにならないんですよ。ご存知でしたか?」

「それは、一体──」


 ロロの一件で、ゾンビについての実験は一通り終わっている。そして、あの閉鎖的な島の住人たちは、経験から、死体を燃やせばゾンビにならないと知っていた。


 どれほど、クレセリアの魂がドラゴンの死体と結びつきやすいかは分からないため、なるべく一瞬で、炭にしてしまう必要がある。


「──これは」


 チアリターナが何かに気づいたように小さく呟く。だが、気づくのが、遅い。


 私は攻撃の手を弱めたわけではない。鱗の消えた体表面に、剣で魔法陣を刻んでいたのだ。


「時空の歪みに誘導しようかとも考えたのですが、そちらに魂が吸収される可能性も否めませんから、確実な方法をとらせていただきます」

「……妾の負けじゃ」


 同時に多数の魔法陣を発動させるため、一気に魔力を込めていく。


 ベルとの違いはただ一つ。──彼女にはこれ以上、生きる気力がないというところだ。私では、彼女を生かしてやれない。


「最期に何か、言いたいことは」

「──ベルセルリアに伝えよ。妾は貴様を、刺し違えてでも殺してやりたかった、とな」


 どんな言い方をしても、ベルには、いいようにしか伝わらない。チアリターナの内心は不明だが、その想いは、きっと、正しく伝わる。


 ──魔法を発動させ、細胞一つ残さず、消す。流れた血液も、すべて処分し、ついでに骨も焼き払った。


 沈黙の中、自分の息づかいだけが聞こえる。


 だが、さすがに、魔力も体力も、限界だ。


「……一度、ノアに引きましょうか」


 そうして、地上に降り、ミーザスに背を向けようとした瞬間──巨大なエネルギーを感じて、私は咄嗟にその場を飛んで離れる。


 直後、レーザービームのような、大きな光線が目の前を通りすぎていった。


 直撃は免れたが、余波で所々にかすり傷を負う。全身に薄く裂かれたような痛みが広がり、それでやっと、片腕が使い物にならなくなっていることを思い出した。だが、治す魔力は残っていない。


「早く、帰らないと──」


 急いで、ノアへと帰る道を駆けようと、体勢を立て直す。だが、真っ直ぐ進んだとしても、ここからノアまで駆け抜けるには、それなりの時間がかかる。魔法を使わず行こうとしているのでなおさらだ。


 ──そのとき、やっと、周囲の気配を探る余裕が生まれ、取り囲まれていることに気がついた。

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