第8-12話 夢の意味
ミーザスは国土の大半が草原で占められている。その草原には、何かが通過した後が残されていた。──先ほどの光線の焼き跡だ。
高い木はなく、見通しはかなりいい。栄えている都市がどこにあるか、一目で分かる。そちらに向かってゆっくり、歩く。少しずつ回復しながら、ゆっくりと進み、門の前でせき止められる。
「陛下、こんなところに何の用ですか?」
私は無言で、ある人物の絵を創造し、見せつけてから地面に落とす。
「踏みなさい」
二人いる門番のうち、片方は躊躇いもなく踏んだが、もう片方が動けずにいるのが分かった。
「あなたは正教会の中でも、分離派に属する人ですね」
その言葉に、教徒でない方の門番が動揺し、もう片方は返事をしない。数年間のさばらせておいただけなのに、信仰心はかなり高いようだ。
私はその門番に魔法が使えなくなる手錠をつけ、門を通る。
それから、フードを被り直し、またゆっくりと、王城までの道を真っ直ぐ進む。
私たちの敵が誰か。予想はしていた。だが、信じたくはなかった。
「お久しぶりですね」
そう声をかけると、目の前の人物は首を傾げた。まるで、今まで、出会ったことがないとでも言うかのように。それは彼にとっては、ごく自然な反応だっただろう。
「あなたがお腹の中にいるときに、私はあなたに会っていますよ。ルクス」
王座には濃い緑髪の少年が、濃厚な赤い瞳を輝かせて、やや場違いな様子で、タルカの席であるミーザスの玉座に座っていた。だが、彼で間違いない。彼こそが私たちの敵だ。
「どうして、分かったのですか?」
ルクスは柔らかい口調でそう問いかけてくる。声は幼く、年齢もアイネと大差ないため、気を許してしまいそうになるが、それ以上に、本能が侮ってはならないと、警鐘を鳴らしていた。
「チアリターナさんが目をかけているとなれば、自ずと選択肢は限られてきますから」
「それでも、確証は得られないのではありませんか?」
「私が導き出した答えが、間違いのはずありません」
「随分と、自信をお持ちなんですね?」
「そちらから問いかけられてばかりですね。そろそろ、こちらからもご質問させていただいて、よろしいでしょうか?」
「ああ、申し訳ありません。配慮が足りませんでした。どうぞ、お好きにご質問なさってください。答えられる範囲でなら、お答えさせていただきます」
小さいのにしっかりしている。さすが、賢者れなの子どもといったところか。まあ、彼女はイカれていたので、シニャックの方に似たのかもしれない。
私が魔力で勝てない相手があかねだとすると、頭脳で勝てないのは、れなといったところだ。彼女の先見性は誰よりも優れており、本当に世界のすべてが見えているかのような動きをする。
そして、私が口を開きかけたとき、
「どうして、このような凶行に及んだか、ですか?」
──完全に心を読まれた。ルクスはまだ魔法が使えないはずだ。となれば、そう考えるのが自然だ。そうして動揺を誘うのが狙いなのだろうが、そうはいかない。この程度なら、誰でも予測がつく。
「そうですね。僕からしてみれば、なぜ分からないのかが分かりません。凶行に及んでいるのは、あなたの方ではありませんか」
「あくまでも、血の皇帝から世界を救うためだと仰るのですか?」
「ええ」
「それは嘘ですね」
そう切り返すと、ルクスは動揺を顔に浮かべる。こういうところは、まだまだ子どもだ。
「どうして嘘だと思われたのでしょうか? お得意の勘ですか?」
「それもありますが、あなたが世界を見ているとは、到底思えないからです」
「……と、仰ると?」
「その歳で、信仰心を利用して、ここまで人々をまとめ上げたのは、素直に称賛すべきことです。──ですが、そのせいで、世界ははっきりと二分しました。魔族と人間という分かりやすい区別より、もっと複雑に。つまり、主神を崇める者たちと、主神を悪だと見なす者たちの二つに」
「──」
「魔族と人間は、共存の道を辿りつつありました。しかし、新たな二つの教派が相容れることは、決してありません。長い目で見たときに、この世界が争いの絶えない、より血の濃い時代へと突入することは目に見えています。──本当に世界のことを考えるなら、自分の心がどうであろうと、主神を崇めるよう、皆を導くしかなかったと思います」
「……なるほど。僕が私情で動いていたことは、お見通しというわけですね」
これで、一勝一敗といったところか。出鼻を
「その通り。僕は、あなたが嫌いです。大嫌いです。皇帝としてのあなたではなく、あなた自身が。たとえ刺し違えてでも殺してやりたいくらいに、嫌いです」
「そうですか」
嫌われることには、慣れていない。それを心地よくも感じるし、なんとも思わないような気もするし、少し寂しいような気もする。
「それで、私を殺す算段はつきましたか?」
ルクスはゆっくりと首を横に振り、諦めたように笑みを浮かべ、さらに問いかけてくる。
「先ほどの光線、見ましたか?」
「はい。かなりの魔力が込められていたかと存じます。ちょうど、ミーザスとヘントセレナの民、全員から魔力をかき集めたくらいの」
「ご明察です。あれでダメなら、他にあなたを殺す方法などありはしません。たとえ、直撃していたとしても、殺すことはできなかったでしょう。あのチアリターナですら、あなたには勝てなかったのですから。──やはり、あなたは、最も敵に回したくないお方だ」
現に、先の戦いで受けた傷は、ドラゴンの血液の効果で、すでに回復しつつある。ひしゃげた腕は、さすがに、魔法でないと治せないだろうが。
「……どうしてあのとき、助けてくれなかったんですか?」
ルクスの呟きに、私は思わず眉をひそめる。彼の母親のことを指しているのだろうかと思い、私は答える。
「れなさんの死については、私も先日知ったばかりです。それ以前にも、亡くなるようなことも、何も仰っていませんでした」
「なぜ母が死んだか、分からないと?」
「はい」
そう答えると、ルクスは貼りつけたような笑みを浮かべて、懐から短い杖を取り出す。翠の宝石がついているその杖は、シルエットに特徴があった。
「その杖──」
「そう、ブリェミャーの杖です。一日だけ時を戻すことができるという、伝説の杖ですが、その価値も分からない人々によって、長年に渡り、取引がされてきたようで、見つけるのに苦労しました。それから、こちらも」
そう言ってルクスが取り出したのは、命の石だった。あかねが契約破棄を申し出た際、魔王の手に渡った物だ。
「最後に、これですね」
そう言って、ルクスが取り出した小ビンには、光を受けて虹色に反射する、透明な液体が入っていた。
「これが何か分かりますか?」
「──ドラゴンの涙」
「正解です。であれば、僕が説明する必要もありませんね」
ブリェミャーの杖、命の石、ドラゴンの涙。この三つが揃うことにより、なし得る奇跡の魔法がある。ゴールスファ家の間でも、王位を引き継ぐ者にのみ伝承されてきた、国家機密の一つ。
「時間遡行、ですか」
「その通りです」
「……時を戻して世界をやり直すつもりですか? ですが、あなたが生まれた直後まで戻したとしても、未来はそう簡単に変わらないと思います」
そう問いかけると、ルクスは穏やかな笑みを浮かべた。チクタクと、秒針が時を刻む音が響く。ふと見ると、ちょうど、日付が変わるところだった。
「これで引き分けですね。──ナーア」
二つの針が真上を指すと同時に、杖、石、涙の三つが浮き上がり、私の周りを漂って回る。
「まさか──」
「はい。時を戻るのはあなただけですよ。榎下愛さん」
ナーアと呼ばれた少女から、膨大な魔力を感じる。間違いなく、願いの魔法の力だ。だが、彼女は魔法を知っているはず──、
「ナーアから、記憶を消したんです。思えば、簡単なことでした」
八月二十五日が、彼女の産まれた日であり、今日、八歳になるのだとすれば、
「魔法に関する記憶を消しておけば、八歳になる瞬間に、願いの魔法の力を使い、時を戻すことさえできるんですよ」
「その代償については考えなかったんですか!? あなたが次に生まれてくる確証だって──」
「マナ・クレイア」
「え──?」
そうして、ルクスは続ける。
「マナ・クレイアが死ぬことが運命づけられたから、母は自ら命を落としたんです。──あなたのせいでッ!!」
直後、ブリェミャーの杖が私の心臓を貫いた。私は魔王とは違って、心臓を貫かれれば間違いなく死ぬ。
──その瞬間、私の時は止まり、周りの景色が時間を遡り始める。
まなのお墓参りに、一度も行けていない。
ウーラに、ナーアを会わせてあげられていない。
クレセリアに報告もできていない。
ギルデルドとステアの成り行きを見守ることもできなくなる。
ロアーナのことも、匿っているだけで、何も解決してはいない。
ロロが非行に走らないよう、見届けなければならないのに。
アイネに、会えなくなってしまう。あの子との約束を、破ることになる。また、あの子の成長を見ることが、できなくなる。
──まだ、やり残したことがたくさんある。それでも、時は無情に戻っていく。この世で最も強い、願いの魔法に逆らう方法など、この世に存在しない。
私は咄嗟に無限収納を開き──ローウェルが遺した、魔力の結晶を取り出す。そこから魔力を取り出して、白い日記に、ここで起こったことのすべてを記す。
それから、全魔力を解放し──今から戻る過去の世界と、この世界とを繋ぐ、通り道を作る。
「ははは、すごい──! やっぱり、あなたは天才です。僕は、いや、この世の誰も、あなたに勝つことは、できないでしょうね」
貫かれた心臓の代わりに、命の石が鼓動を与える。時空の歪みに引き裂かれ、散らばった体を、ドラゴンの涙が修復する。
『過去と未来を繋ぐ、その代償をいただく』
頭の中で、声が反響する。
それを理解できないまま、時が戻る。
「マナ・クレイア──彼女を守ることが、あなたの役目です。これだけは、忘れないでくださいね」
そうして、私の意識は閉じた。
(第二章 溺れる日記 END)
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