幕間3 アイネちゃんの歌
「ふふん、ふんふーん、ふふん、ふんふーん」
──アイネが、歌を歌っていた。
「うわ、下手くそ」
と、つい、本音が漏れてしまった。
すると、アイネは驚いた顔をして、こちらを見つめる。──それから、顔を真っ赤にして、
「ママの、馬鹿!」
と叫んだ。
「下手なのは事実です。そんなものを歌と呼んでは、歌に対して失礼ですよ」
「ひっどい! なんでそんなこと言うの、馬鹿!」
「また馬鹿と言いましたね。人に向かってそんな口を利いては──」
「ママがお客さんに、馬鹿って言ってるの聞いたもん!」
「……私がしていたら、何をしてもいいんですか? 私のようになるなと、いつも教えているはずですよ?」
「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿ばーか!!」
「──アイネの歌は、そのうち人を殺しますよ。そのくらい下っっっっ手くそです」
「にゃっ!? そ、そんなに言うなら、ママが歌いなさいよ!」
「それは……」
「ママなんてもう知らない! ふんだ!」
そうして、アイネはどこかへと走り去った。護衛が追いかけているので、心配はない。ないのだが。
「マナ様は馬鹿ですよ」
と、ギルデルドが至極真面目な顔で告げる。
「うるさいっ。だって、下手なんだもん!」
「下手とは言いますが、マナ様と比較したら誰でも下手になりますよ」
「だって、アイネちゃん、あかねと同じくらい下手くそなんだもん」
「まだ幼いですから」
「私は昔から上手だったもん」
「はいはい、マナ様はすごいですねー」
「何その言い方!」
それにしても、私の子なのに、どうしてこうも下手なのだろうか。
腹いせに、バナナにかぶりついていると、ふと思い出す。
──そういえば、私の母は、あかね以上に音痴だったなと。
「いずれにせよ、どう考えても今のはマナ様が悪いです」
「……知ってる」
足の速さだけは私に似たらしく、姿はあっという間に見えなくなっていた。護衛も魔法を駆使しないと追えない速さだ。
「私だって、教えてあげたいけど、歌えないんだもん」
「でも、レイ様によると、歌っていたそうではありませんか?」
「あのときは必死だったし、どうやって歌ったか、覚えてないの」
紅茶で喉を湿らせて、軽く喉を鳴らす。それから鋭く息を吸って、
「──」
声を出してみる。昔と比べたら、声が出るだけましだが、歌と呼ぶにはどこかぎこちなさが残る。
「やはり、気持ちの問題ではありませんか?」
「そんなことは知ってるの」
「知っていたらできるはずでは?」
「……最近の赤ちゃん、可愛くない」
ギルデルドにダメージを与えつつ、私は考える。一体、以前はどうやって歌っていただろうかと。
「昔は、歌うのがとっても楽しかったっけ」
「今は違うのですか?」
「どうかな、分かんないや」
蜂歌祭で歌えず、世界の味を変えてしまった。その罪悪感が、喉に蓋をしている。それは分かっている。その上、まなが声を盗んだ理由も分からないままだ。
「歌うことに対して、こんなに色々考えたこと、なかったなあ」
「何も考えず歌っていたのでしょうか?」
「何もってわけじゃないけど、こう、魂がぐわあーって感じだった」
「魂がグワー」
「……なんとなく、分かるでしょ!」
「いえ、さっぱり」
「もう! 赤ちゃんの馬鹿!」
カットされたリンゴを咀嚼する。味は分からないが、多分、美味しいリンゴだ。
「歌えなくても、教えることはできるのではないですか?」
「できるけど、アイネちゃんは私の歌を聞きたいんでしょ? それなら、歌ってあげなきゃ」
「そうですか。とりあえず、謝罪されてはどうですか?」
「むむむ……」
***
なぜ、謝罪というのはこうも、抵抗があるものなのだろう。
「アイネ、先ほどは、その……すみませんでした」
「ううん! 私も、馬鹿って言って、ごめんなさい!」
アイネは、なぜこうも、素直に謝れるのだろう。さすがは私の子だ。
「では、仲直りですね」
「うん!」
アイネをぎゅっと抱きしめて、そのつやつやな髪を撫でる。温かい。
「ねえママ、一緒に歌って!」
黒い大きな瞳をきゅっと細めて、アイネは私の手を握る。実は歌えない、とは、とても言えなかった。
ならば、アイネのために、歌うしかない。
「「せーの!」」
一音目で悟った。──いける。
「あなたは魔法だった──」
その瞬間、それが、私があかねのために作詞作曲した、まさに、プロポーズとも呼べる歌であったことを思い出した。
***
結果、歌えるようになったはいいものの、アイネを置き去りにして歌ってしまった。ちなみに、昔は、私の歌を聞くと、数日間、何も手につかなくなる、と言われていたのだが、ブランクがあったため、今回は全員、数時間放心する程度で済んだ。とはいえ、国の一大事だった。
「幸せの魔法なんてないから 一歩ずつ歩いていこう
信じる勇気なんてなくていい 一歩ずつ歩んでいこう」
私の歌を聞いてコツを掴んだのか、先日よりはましな歌が、城内に響いている。聞いているだけで、もう泣きそうになってしまう私は、相当、涙もろくなってしまったらしい。歳を感じる。
「いつか、あかねのこと、アイネちゃんに話す日が来るのかな」
「……どうでしょうね」
ギルデルドには、すべてを話した。私がいつ、どうなったとしても、アイネが真実を知る機会を得られるように。
知りたいと思う日が来るかもしれない。来ないかもしれない。
知らなければよかったと、そう思うだろうか。知らないままでいるよりはましだと、そう思うだろうか。
あれでも、聡い子だ。今は事故死だと伝えてあるが、それが嘘だということには気がついているだろう。
「アイネちゃんは、すべてを知ったとき、私を嫌いになるかもしれない。憎んだり、恨んだりするかもしれない。──でも、その覚悟は、できてる」
皇帝としての道のりを知ってもなお、アイネは私を無条件に愛してくれている。しかし、レイが亡くなった争いでも、私は多くの命を奪った。
怨嗟の声が、死の恐怖に悶える声が、それでもなお、私に希望を抱き、期待する声が、頭の中で、絶えず、こだましている。
「アイネちゃんになら、殺されてもいいなって、そう思うの。アイネちゃんを人殺しにしたくはないけど」
「そうなったときは、私があなたの首を討ちます」
「──ありがとう、ギルデルド」
未来のことは、そのときにならないと分からない。
私が城を捨て、彼を選んだときに見えていた未来とは、随分、変わってしまった。
──それでも、今の方が幸せだと、胸を張って言える。
「ママ! 私の歌、サイテンして!」
走ってくるアイネが、本当に愛らしくて、私は思わず笑みを浮かべる。
「私の採点は厳しいですよ」
「にゃっ!? い、いいよ? 私、歌上手だもん!」
そうして、アイネは歌を紡ぐ。
「あなたは魔法だった 幸せの魔法だった──」
ずいぶん、ありきたりな、クサイ歌詞をつけたものだと、自分でもそう思う。あかねに想いを伝えるには、ストレートな方がいいと思ったのだ。まあ、若気の至りというやつだが、私が作ったというだけで人気が出てしまったので、実は、顔から火が出そうなくらいに恥ずかしかったりする。
「──魔法なんてなくていい 私が幸せにするから」
ああ、本当に、私は馬鹿だなあ。
「ねね、何点?」
「百点です」
「……ほんとは?」
「十一点」
「うにゃっ!? なんでよ! 上手かったでしょ!」
「怒るくらいなら、最初から聞かないでください」
「厳しいにも限度があるでしょ!」
涙を堪えるのに必死で、よく聞こえなかったとは、言わなかった。
***
~あとがき~
次回からの第8話で、溺れる日記は完結となります。
アイネちゃんが城にやってきてからの貴重な日々を幕間としました。一旦、心が和んだことと思いますので、最終話までついてきてくださると幸いです。
それではまた次回。
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