第4-14話 震える。

 それから、さらに半年ほどが経過した。私は無事、小さな命をこの腕に抱くことができていた。桃髪に黒い瞳の女の子だ。


「ぎゃあああ!!」


 白髪の少女が、赤い瞳をきらきらさせて、赤子の顔を覗き込む。


「アイネー、いないいないばあ」


 周辺一帯に響いていそうな大絶叫だ。私の腕に抱かれるアイネに、まなが必死に変な顔をするが、おそらく、まだそんなに目が見えていない。あえて言わないが。


 時刻は深夜二時。泣いている原因が分からない。堰を切ったように泣き出すので、いつも驚いて目が覚める。育児書など、いくら読んでも参考にならないと気がつくまでに、そう時間はかからなかった。宿舎で育て始めて、まだ半年にもかかわらず、この体たらくだ。


 前線に比べれば平和なノアでは、変わらず学校が開かれているが、通っている暇などありはしない。アイネを預けて稼ぎに出るか、貯金を崩して付きっきりで面倒を見るか。


 出産して最初の数週間、働くことができない間に、散々、考えた。アイネの今後も考えれば、計画的に貯金をする必要があるため、無駄遣いは避けたい。そのため、前者、と言いたいところだが、私のように扱いにくい存在を雇ってくれるところなど、そうありはしない。


 預けようにも、宿舎では住所にならない。学歴もない。職もない。勢いだけで家を飛び出してきては、保護者もいない。こんな元王女というだけの十六――いや、十七歳の小娘を、誰が信じるかという話だ。


 中小企業には、優秀すぎて雇いづらいと言われ。大手企業には、大学院を卒業しろと言われ。個人営業の店には、早く王女になってくれだの、どうせ王女にしかなれないだの、冷やかしに来たのかだの、世間の厳しさを学んでこいだのと、好き放題言われ。王女時代に経営難から救ったことのある企業にさえも入れてもらえず、それどころか、落としたことを城には黙っておけと釘を刺された。一番堪えたのは、農家に行ったときか。お前のせいで野菜が売れなくなったと言われては、働かせてくれと頼むことすらできなかった。面接すら受けてくれないところなど、いくつもあった。しかし、ある程度の給料がないと、彼を大学へ行かせるどころか、アイネを育ててもいけない。


 託児所付きの求人に行けば、ここは会社だ、託児所じゃない、と言われ。一日体験で託児所に預けに行ってみれば、他の母親から、まだ若いのに何を考えているのかとか、〇歳から預けるなんて可哀想とか、マナ様なら一人で育てられるはずだとか、城に頼ればいいのにとか、しまいには、夫に逃げられたに違いないとか言われる始末。施設にしても、預けて逃げるつもりだろうとか、お金は国に請求すればいいのかとか、王族になれない子どもが可哀想だとか、あれやこれやと騒がれて。挙げ句、私の子どもと同じところに預けると、差別されそうだからやめる、なんて言われては、施設側も預かろうとはしない。


 これを、まなに打ち明けると、「旦那に頼んで、世界を滅ぼしてもらえばいいのよ」と言われた。え、怖っ。


 ──まあ、いつまでも、そんなことを言っていても仕方がない。ダメなものはダメなのだから、いつまでも気にしていては、時間の無駄だ。アイネのために、時間は有効に使わなくては。



 結局、昼間はアイネの面倒を見て、まなが帰ってきてからは、心苦しくはあるが、アイネをまなに任せて、夜のバイトに出ることにした。



 最初はお酒の出る店での水商売を考えていたが、母乳への影響を考えて辞めた。今は肉体労働をさせてもらっている。これはこれでセクハラが多いのだが、もう仕方がない。徴兵の給料だけでは、貯金ができない。私一人なら、魔法の水を飲んでいればいいが、そういうわけにもいかないのだ。



 最初はまなも学校に行かないと言っていたが、さすがに申し訳ないので、無理やり通わせている。


「ぎゃあああ!! うぎゃあああ!」

「本っ当に、けたたましい泣き声ね……。うん、今日も元気だわ」


 ダメだ、眠い。でも、泣き止ませないと。アイネの耳を胸に当てたり、優しく揺らしてみるが、まったく泣き止む様子がない。色々試してはみたが、今のところ、泣き疲れるまで付き合う以外に、どうしようもない。


「マナ、大丈夫? 代わるわよ」

「お願い、します……」


 そうして、まなに渡した瞬間──ぴたりと泣き止んだ。


「アイネは、私のことが、嫌いなんでしょうか……」

「馬鹿言ってんじゃないわよ」

「だってえぇ、ううぅっ……」

「あんた、自覚なさそうだけど、寝不足で疲れてるのよ。たまにはゆっくり、寝てていいわよ」

「んー……無理ー……寝れないー……」


 どのみち、アイネが寝つくまで寝られない。その上、一度起きると、今度は私が寝つけない。そんな毎日が続いていた。


「ねむねむねーむー、ねむねーむー」

「にゃんですか、その変な歌……」

「創作ソングよ。子守唄はまだ試してないと思って」


 ちらと見ると、アイネはよく眠っていた。私もなんとか歌えないだろうかと、口をぱくぱくさせてみるが、やはり、あの日から、歌えないままだ。


「──歌えないくらいで、そんなに自分を責めなくて大丈夫よ」

「でも、私は歌姫ですよ?」

「何言ってんの。あたしなんて、魔法が使えないのよ? 魔王の娘なのに」


 まなはおどけたように、もう一度、「大丈夫」と言って、笑う。その笑顔に何度救われたか分からないなと思う。結局、一睡もできないまま、仕事に出た。



 とある休日。いつものように、アイネは泣いていた。


「──ぎゃあああん!」

「……はいはい、ご飯ですね」


 食事を与えながら、こっくりこっくりしていると、まながブランケットをかけてくれる。


 そして、やっと、飲み終わったと思えば、またすぐに泣き出す。


「もうおむつー……?」

「あたしが替えておくわ。今のうちに、あかりに連絡しておきなさい」

「すみません……お願いします……」


 そうして、私は基地へと電話をかけてみる。日に一度は、連絡を試みるようにしていたが、戦況によっては、数日間、繋がらないときもある。昨日も一昨日も、繋がらなかった。


 しかし、今日は、運よく、すぐに繋がった。


「榎下朱里を、お願いします」

「ああ、マナ様ですね。少々お待ちください」


 電話越しに、「あかり! 愛する嫁さんからの電話だぞ!」「ひゅーっ、若いねぇ、お熱いねぇ!」「爆ぜろリア充!」などと聞こえてくる。あかねは完全に無視だ。


「もしもし、愛?」

「もひもひ……」

「元気なさそうだね、やっぱり大変?」

「いいぇ、全然、余裕れす」

「だいぶダメそうだけど!?」

「寝不足で、寝不足が、ねぶそ、ねぶ……」


 全然頭が回らない。前にちゃんと寝たの、いつだっけ?


「お、おお、分かった分かった。──いやあ、でも、早くアイネちゃんに会いたいなあ。写真、めっちゃ可愛いじゃん」

「はっ、見てるだけなら、そうでしょうね……」

「ええ、何、そんな大変なの?」


 大変……? 大変ってなんだっけ。もう分かんない。分かんないけど、なんかムカつく。


「……もう! 早く戻って、こき使わえてくらはい!」

「はいはい、分かったよ」


 ダメだ。しっかりしなきゃ。


 ──あかねはとうの昔に魔王を倒したのだが、それで内戦は終わらなかった。戦場から下げてもらうことはできず、現在、残存勢力の掃討に追われている。


 まなの覚悟は凄まじく、父が亡くなったと聞いても、涙一滴流さなかった。それどころか、私に、「おめでとう、勝ててよかったわね」と言ったくらいだ。


 通例であれば、魔王か国王が崩御した際、停戦し、次期王が即位して、次の戦いの準備が整うまで、仮初の平和が続く。徹底的に潰さない理由は、ただ一つ。潰そうとすると、魔力が枯渇し、それにより、自然災害が起こる。すると、戦争どころではなくなってしまうからだ。


 過去に何度も同じ過ちを冒しているため、暗黙の了解として、それ以上は干渉しないようにしている。


 ──ただ、今回は、国民の感情が収まりきらなかったことと、優秀な元魔族が戦場の勢力を動かしていることが原因で、内戦は継続することになった。


 魔法による争いは、言ってしまえば、魔力が尽きない限り、永遠に続けることができる。私たちが使う魔力は大気中に漂っているが、元々は、惑星の中心で生み出されており、特にここルスファでは、平時には、無限にも思われるほどの魔力が存在する。


 だが、戦いなどで使い続ければ、土地が疲弊し、魔法植物が育たなくなってくる。魔力の戻りも遅くなってきて、いずれは、戦闘の継続が困難になる。そうすれば停戦せざるを得なくなる。


 そして、現在、戦況は芳しくない。元々は旧魔族勢力を無血で抑えきれるほどの戦力があった人間の軍だが、魔王を打ち倒した直後、疲弊し、安堵しきった兵と、人数が多い分、不足していく物資。その隙を突かれて、大陸の一区画を占領されてしまった。


 さらに、そのタイミングで魔力の枯渇による、大洪水が発生。氾濫した水が海に流れ込むほどの局所的な大雨により、大陸にたどり着いたばかりの旧魔族軍への被害は少なかったものの、付近に駐屯していた人間たちは、そのほとんどが命を落とした。


 そして、旧魔族勢力は北の大陸から本拠地を本土へと移し、敏腕な将の指示で、少しずつではあるが、着実に領土を広げつつあった。


「でも、誰が向こうの軍、仕切ってるんだろうね?」


 いくつか候補はあるが──、


「ぎゃあああん!!」

「あわわわわ……。今度は何かしら……」


 まなが困っていることと、あかねも暇ではないことを考えて、切り上げることにする。戦場に不確定な情報を渡すのを恐れた一面もある。


「……まなさんに任せているので、そろそろ戻りますね」

「うん。じゃ、またね、愛。愛してる」

「はい。私も愛していますよ」


 そうして通話を切り、私はアイネとまなを視界に入れる。


「またご飯ですか……。よく食べる子ですね」

「へえ、よく分かるわね、さすがお母さん」


 アイネは、手を伸ばしてご飯を催促してくる。


「もうありませんよ」

「あーうー」

「いたた」


 何も残っていないのに、ぎゅーぎゅー吸われる。しっかり抱き寄せると、さらに吸われる。もう出ないよー。


 魔法で粉ミルクを作り、頬に当てて温度を確認する。


「あーあー」

「はいはい、どうぞ、可愛いお嬢さん」


 ……一瞬で無くなった。


 それから、背中を軽く叩いて息を吐き出させると、今度は眠ってしまった。私はアイネを腕に抱えたまま、ソファにもたれかかる。


「あー……眠い、寝たい、眠れない……」

「お母さんもご飯にしたら?」

「食欲がないです……」

「今ならできたてよ。それに、アイネのためにも食事はしっかり取らないと」

「……食べます」


 そうして、柵付きのベッドにアイネを置こうとすると、その瞬間、ぱっちりと目を覚ました。


「あぅ……」


 泣きますよ、と脅されて、私はアイネを抱え、眠りについたのを確認し、再びそっと、ベッドに置き──また目を覚ます。


「うううぅ──!」

「まなさんー……!」

「あはは……。まあ、預かっておくから、ゆっくり食べなさい」


 アイネをまなに預けて、私は昼食を取る。置いたら起きるというあれは、一体、どういうシステムなのだろうか。背中にスイッチでもついているのか。あるいは、ダメな母親に対する嫌がらせだったりして──、


「赤ちゃんは敏感だから、置くときにちょっとでも違和感があると、起きちゃうのよ、きっと」

「色々試してはみたんです。でも、絶対に起きるんですよ……おかしいです……!」

「じゃあ、マナのことが大好きなのね。きっと離れたくないのよ。ねー?」


 横目で見ると、完全に目覚めたアイネの黒い瞳が、私を求めているようにも見える。でも、まなといる方が落ち着いているようにも見える。


「あうー」

「ほら、離れたくないそうよ」


 絶対そんなこと言ってない。──でも、ちょっとだけ、気が楽になった。


「まなさんがいなかったら、私はもう、死んでいた自信があります。情けない話ではありますが──」

「大丈夫よ。あんたは十分頑張ってるわ」

「まなさん……愛してます」

「はいはい」


 ご飯は美味しくない。それは、彼女の腕が悪いわけではなく、あのとき、私が歌えなかったからだ。こんなにも早く味が変わるとは思っていなかったが。


 アイネのために、美味しいものをとは思うのだが、価格が高騰しており、いいものを買うことなど、できるはずもなかった。


 とはいえ、栄養分が変わるわけではないので、生育に大きな影響はない。味覚に影響が出たらどうしようとは考えるが、それは、後々にならないと分からないことなのだった。


***


 そんな日々が続いたある日のこと。


 不意に、どうしようもなく、彼に会いたくなった。


 魔力の結晶が毎日綺麗に磨かれている以上、生きてはいるのだろう。


 それでも心配だ。──いや、それよりも、もっと、ずっと、寂しい。


 彼に触れたい。


 彼も私と同じように、会いたがってくれているだろうか。


 昔、彼が言っていたことがある。「会いたくて震えるって、どんな感じだろう」と。そのフレーズがどこから来たものかは知らないが、よく言ったものだと思う。


 以前、海岸に行ったときに撮った写真を眺めていたが、それだけでは我慢できなくなって、棚からピンクトルマリンの指輪を取り出し、その表面を撫でる。


 召喚した彼からもらった、最初のプレゼントで、一つ目の婚約指輪だ。端的に言うと、この指輪には、録画機能がついており、魔力を込めると、その映像が再生できる。その特性から、思い出を閉じ込める、なんて表現がされたりもする。


 録画されているのは、なんでもない、日常のワンシーン。特別な思い出というわけでもない。


 それでも、彼と一緒ならば、特別な思い出だ。


 それから、なぜ、こんな気持ちになったのか、考えて──すぐに、今日は、アイネが静かだということに気がつく。


 急に心配になって、しばらく様子を観察してみるが、ただ、寝ているだけみたいだ。


 これはチャンスだと思い、指輪に魔力を込めて、寝顔を録る。前の映像は上書きされるが、まあいいだろう。


 それでも、大人しくしていたので、スケッチをしておく。耳の形が彼そっくりだ。頬はぷにぷにで、手は親指くらい小さい。足も小さくて、爪は綺麗な形をしている。顔立ちは小さい頃の私によく似ているから、きっと、美人に育つだろう。まだ髪の毛が薄くて、頭を撫でると、そのフサフサ感が、癖になる。


 それにしても、全然動かない。


「アイネちゃん、生きてる? 死んでる?」

「ネテルー」


 料理をしてくれているまなが、裏声でそう答えた。


 不意に、扉がこつこつと叩かれて、すぐにあかねのノラニャーだと判断した私は、扉を開ける。エサをやって、背中を撫でてやり、大人しくなったところで、アイネの横に並べて、チェケでツーショットを撮影する。その後すぐ、外に出してやった。


 そう言えば、外から来たのに、シーラの足を拭き忘れたなと、床を見ると、玄関近くの床に足跡が残っていた。──そこに、人の足跡のようなものも見える。アイネの周りは清潔に保っているが、玄関前なんて、掃除した記憶すらない。


 一体、なんだろうかと、考えていると、


「ごめんなさい、こんなご飯しかできなくて」


 味見を終えて、まながそんなことを言い出した。


 ──ご飯が美味しくない。それだけのことだが、それがどれだけ、日々の生活に影響を与えるか、身をもって感じていた。


 美味しいご飯が、日々の活力となり、明日も頑張ろうという気になる。単純なことだが、大事なことだ。食事が美味しくないことによる、鬱病すら起こりうる時代となった。


 だが、それはまなのせいではない。


「まなさんのせいでは──」

「違うの。あたしのせいなの」


 そうして、彼女は続けた。


「あたしなの」

「何が──」

「声」


 そう短く呟いてから、まながこう言った。


「あのとき、マナの声を盗んだのは、あたしなの。本当にごめんなさい」

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