第4-13話 絶対の絶対の絶対

 内戦が起こり、私は一兵力として、招集される。


 はずだった。


「何を、言っているんですか」

「榎下朱里を勇者として最前線に出す」


 呼び出された玉座の間で、兄だったその人──エトスは冷たく言い放った。


 最前線に出るということは、魔王と直接対峙するということだ。


「彼が勇者でないことは、すでにご存知のはずです。それに、彼はまだ、十六なんですよ?」

「それがどうした。現在、最も強い魔力を有するのは榎下朱里であり、国民はやつが勇者だと信じ込んでいる。魔王と戦わせるとしたら、やつしかいない」

「陛下、失礼を承知で申し上げます。──それは、あなたらしくありません。国民を謀り、偽の勇者を魔王城に向かわせるなど、正気を失っておいでですか?」

「無論、正気だ。その上で、極めて理性的に判断した」

「以前に申したはずです。戦時においては、すべて、王の意向に従うと」

「お前は戦場には出さない。それが、王である私の判断だ」

「私の方が、彼よりも戦えます。それに、もう、魔力を共有しているんです。彼の魔力を使って私が前線に出れば、魔王は必ず──」

「なんと言われようと、お前を戦わせる気はない」


「なぜですか!?」

「お前は勇者ではない。──せめて、腹の荷物を卸してから言え」

「っ……!!」


 歯を食いしばり、エトスの顔を睨みつける。エトスはそんな私の目を、真っ直ぐ、見つめ返してきた。


「……そんなに、私を守りたいんですか」

「──ああ、そうだ。お前だけは、危険な目に合わせるわけにはいかない」


 少しの迷いもなく、エトスは隠す様子もなく、淡々とそう言った。それは、紛れもなく、本心なのだろう。


「あなたが、そんなに馬鹿だとは、思いませんでした」

「奇遇だな。私もだ」

「国のことなど、どうでもいいんですね」

「お前にだけは言われたくない」


 私は氷剣を手中に顕現し、腹に向ける。


「今ここで、腹を裂き、中身を取り出せば戦場に出してくれるんですね?」

「できるものならな」



 ──その手は、どうしようもないくらいに震えていた。



 両手で握り、なんとか震えを抑えようとするが、魔法にかかったかのように、どうしても、思う通りにならない。


 やがて、剣はその形を保つことさえできなくなって、消滅した。


「お前に戦場は任せられない。以上だ」


 膝から崩れ落ち、床を拳で叩いたが、力のない八つ当たりでは、ヒビすら入らず、固い感触が返ってきただけだった。


***


「あかね、私と一緒に逃げて」


 いつかそうされたように、私は彼に手を差し出す。勇者でない彼と、王位を捨てた私に、戦う義務などありはしない。


 彼は私の手を両手で包むと、首を振り、否定の意を示した。


「どうして──」

「僕がここで逃げたら、愛が笑えないじゃん?」


 なぜこんなときに、そんなことを言うのか。笑えと念じても、笑えない今に限って。


「私はあのとき、一緒に逃げてあげたのに。全部捨てて、あなたを選んだのに。今度は私より、世界の方を選ぶの?」

「うん。早く戦争を終わらせてくるからさ。全部終わったら、平和な世界で、ずっと、幸せに暮らそう」

「そんなの、他の誰かに任せればいい」

「そうだね。──でも、今の魔王を倒して、勇者になったらさ、エトスもみんなも、僕たちのことを認めてくれるかもしれない。そしたら、王都で、大きな結婚式を挙げよう」


 結局、全部、私のためだ。


「絶対に、帰ってきて」

「うん。絶対、帰ってくるよ」

「絶対の絶対」

「うん。絶対の絶対の絶対に帰ってくるよ」

「約束」

「うん。分かってる。大丈夫。僕、魔法だけは強いから。それに、愛の魔力も使えるしね」


 不安で仕方なかった。不安しかなかった。


 数ヶ月で前線を少しずつ押し上げ、なんとか、魔王城までの道を作る余裕ができた。


 その上で、最も問題視されていたバサイは、元勇者のレックスと第二王子のトイスを筆頭に、数の利で応戦し、その二人を含む、大勢の犠牲を以て、ギルデルドがとどめを刺したそうだ。


 すでに、知人が二人も死んでいる。それも、ギルデルドの父であるレックスと、仲のよい弟だったトイス。当然、その死を弔うためだけに、王都を訪れることはできなかった。


 エトスから、前線に出さないと言い渡されたときに墓を訪れたが、あれは、エトスなりの不器用な優しさだったのだろう。


 だが、エトスは、あかねが勇者でないことを知りながらも、隠している。つまり、エトスは初めから、あかねを皆の希望として祀り上げるつもりだったのだ。──正直さだけは認めていたというのに。


 こうなってしまえば、当然、あかねは戦場に赴かないわけにはいかない。


 だが、もし、彼が亡くなったら、その身柄は王都に引き取られ、国葬が行われることになるかもしれない。そうなれば、二度と、彼に会うことはできなくなってしまうかもしれない。そんな嫌な想像はしたくないが、あり得ないはなしではないのだ。


 そんな風に、いつものように思考を巡らせていると、頭に硬い手が乗せられた。


「大丈夫。僕はこんなところで死んだりしないよ」

「信じて、いいですか」

「うん、信じてよ。ま、いざとなったら、ギルデを身代わりにしてでも、生き延びるから」

「それは、本当に、最後の手段にしてくださいね」

「ははっ、分かってるって」


 安心させようと、気を張っているのは見れば分かる。なにせ、あのレックスが命を落としているのだ。レックス・マッドスタ──私を王都に連れ帰った男だ。


 元勇者であり、先代魔王を倒した末に引退した、通称、剣神。剣の実力だけなら、私と同レベルの彼が、まだ粗はあるが、同程度の剣の才を持つトイスと組んで、両者とも命を落とした。


 ギルデルドがその場にいなかったら、バサイは誰にも倒すことができなくなっていたかもしれない。


 そんな戦場で、魔王と戦うというのだから、いくら彼でも、恐怖がないはずがない。ただ、それを私に見せないようにしているというだけで。私以上に恐怖を感じていながらも、私を安心させようとしてくれているのだ。


「ねえ、愛。名前、どうしよっか」

「なぜ、今、その話をするんですか」

「いや、なんとなく、今したいなって」


 彼は私のお腹を優しく撫でる。


 気づけば、季節は冬真っ只中。臨月に差しかかっていた。子どもの名前を三人で考えていたのだが、どうにも決められず、気づいたら、今になっていた。


「ねえ、君はどんな名前がいいと思う?」


 そうして、子どもに話しかける。そういうときの彼は、決まって優しい顔をしていた。


「ま、いいや。帰ってきてから話そう」

「それは、フラグというものでは?」

「……はっ! しまったっ」


 不安に不機嫌を重ねて顔に表すと、彼はいつもの調子で謝って、私を抱きしめた。


「ちゃんと戻ってくるから、待ってて」

「はい」


 そうして、口づけを交わす。


「──もう一回」

「ええ? 仕方ないなあ……」


 それから、もう一度。


「じゃ、行ってくるね、愛」

「はい。いつまでも、待っています。あかね」


 彼が扉を閉めてから、私は彼の部屋のベッドに潜り、その中で、いつまでもいつまでも、声を上げて泣いていた。


 願わくば、この泣き声で、彼を引き留められないかと。


***


 扉を閉めた直後、彼女の泣き声が廊下に響き渡る。彼にも戻りたい気持ちはあった。


「マナ泣いてるわよ。慰めにいかないの?」


 自室の前にいた白髪の少女にそう問われて、彼の気持ちはますます、大きく揺れる。


 だが、覚悟は決まっている。


「煽るねえ……。でも、今戻ったら、絶対、行けなくなるから」

「ふーん。それにしても、残念ね。最期に見る顔があたしで」

「あれれ、漢字違くない? てか、このままのテンションだと、宿舎の階段で足滑らせて階段で頭打って死にかねないんだけど」

「幸せに死ねて良かったじゃない」

「まだ死んでないからね!?」


 ユタザバンエたち魔族は、ルジも含めて魔王城に帰ったが、まなは宿舎に残ることを決意した。やがて、ギルデルドが戦場に出ると、宿舎に残ったのは、彼ら三人だけとなった。


 宿舎の管理は名義をギルデに引き継ぎ、人間側の朱音たちが使えるよう、魔族側であるはずのルジが取り計らってくれた。


 ──ここ学園都市ノアは、シンボルである学園の経営者は魔族、土地自体は人間の領土という、少し、難しい立ち位置にある。


 経営者が魔族であるが故に、なんと言っても、暮らしている魔族の数が多かった。その他、移民なども入り乱れており、そのため、各地で小競り合いが頻発していた。最近、ついに死者が出たほどだ。あるいは、今まで出なかったことを幸運と見るべきか。


 とはいえ、この大陸に絶対に安全な場所など、決してないが、この宿舎は血筋や能力など、何かしらの条件を満たさないものには見えないため、他よりは比較的安全だと言える。


 そんな宿舎の壁に、念入りに手を当てて、かすかに魔力を込め、彼は最後の確認をする。そして、何か言いかけたが、先にまなが声を出した。


「まあ、何かあっても、あたしがマナを嫁にもらってあげるわ。だから、もう戻ってこなくていいわよ」


 そう言いつつも、まなが右腕を握っているのを、彼は視界の端に捉える。


「うわ、僕よりイケメン……。って、いやいや、愛は僕のだから。ほら、婚姻届も出したし、指輪もあるし」

「知ってるわよ。相変わらず、ピーキャーとうるさいわね」

「だって、盗られたら嫌だもん」

「盗るわけないでしょ、まったく……。マナが待ってるんだから。──だから、また自殺しようなんて、考えるんじゃないわよ」


 彼の耳には、それが極力、感情を抑えた声に聞こえた。だから、努めて笑顔で答える。


「うん、大丈夫」




「マナを泣かせたら、またビンタするから、覚えておきなさい」

「いや、あれほんと痛いから。洒落になんないから……」


 とは言いつつも、彼はこう思っていた。「君がいれば、愛は大丈夫だよ」と。


 一度、転びかけながらも、朱音はなんとか、階段を降りきって、宿舎の壁、床、そして、天井をじっくりと眺めた後で、玄関へと向かう。


 ──そして、扉に手をつき、魔力を込め、確認を済ませる。


「ごめん」

「何が?」

「魔法陣と封印のこと。ほんとは、ここを守るためのものだったのに」

「──何も知らない。知らないわ。だから、何も言わないで」


 少女の強い否定を受け、朱音は口をつぐむ。


 それから、振り返ることもせず、言う。


「ごめん、まなちゃん。お父さん、殺しちゃったら」

「謝る必要なんてないわよ。これは、戦争なんだから。あたしはこっちについたんだし」

「……まなちゃんは、強いね」

「そう見せてるだけ。ただの強がりよ。あんたが死なないためのね」


 それから、片足を外に踏み出して、立ち止まり、念押しする。


「──愛とあの子のこと、よろしく」

「ええ。必ず、帰ってきなさい」


 やはり、ただで任されてはくれないのだなと、彼は思う。


 ──必ずなんて言葉は、もはやこの世に存在しない。誰だって、いつ、命を落とすか、今や誰にも分からない。


 それでも、彼らは、破ることのできない約束を交わした。

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