第3-7話 気づけなかった人
「チアリタンが燃えた事件、覚えてる?」
「はい」
まったく関係のなさそうなところから、彼の話は始まる。
「そのチアリタンのドラゴンがさ、えっと、なんて名前だっけ?」
「チアリターナさんですか」
「チアリターナにもさん付けなんだ……。まあ、今回のことにチアリターナは大して関わってないんだけどね」
説明が下手だが、まあ、今に始まったことではない。
「まなちゃんがその山に行くってなって──」
あかりの説明は長い上に、分かりにくかったので省略する。それでも、根気強く聞いていれば、なんとなく、分かってくる。
「えっと、分かった?」
「……はい。つまり、事の発端は、れなさんから送られてきた手紙だということですね」
れなというのは、私も常々お世話になっていた、大賢者れなのことだ。世界のすべてを見通す力を持っており、その知識を活用して、救いの手を伸ばし続ける、世界でただ一人の賢者だ。
その正体は、魔王の娘の一人。正妻の娘で長女に当たる。また、この宿舎の下に住んでいるユタの実姉で、私も度々お世話になっているユタの母親の娘で、何より、まなの実の姉でもある。
だが、人間も魔族も区別することなく、両者に等しく利益をもたらしている。
その理由はおそらく、母親が人間だからだろう。
そう、魔王の正妻は、魔族ではなく、人間なのだ。もちろん、正妻というからには当然、内妻──つまり、側室もいるのだが、そちらはすべて魔族らしい。それはともかく。
そんなれなからは、まなの元に、毎日のようにラブレターが届くらしい。その一通が発端となって山が燃えたとあかりは言っているわけだが、その内容というのが、
「まなさんのお母様を救うには、チアリタンに生息しているとされる、伝説のチア草を摘んでくるしかないと書かれていたと」
まなの母親、つまり、一階に住んでいるユタの母親の体が生まれつき弱いということは、先日、まなから聞いた。──もっとも、そのときにまなが彼女を母親と認識していたかどうかは不明だが、ともかく、実は同じ話を、れなからも聞かされていた。
そして、そのれなが、ついに、チア草でしか救えないと、実の妹であるまなに──彼女がれなを姉として認知しているかはともかく──伝えたのだから、それが嘘であるはずもない。
「そうそう。それで、僕、チアリターナに聞いてきたんだよね。チアそうって何? って」
「しかし、チア草は存在しなかった。厳密には、かなり前に、絶滅してしまった」
別名、伝説草とも呼ばれるチア草は、どんな病気も治すことができる、万能薬であると言い伝えられているらしい。だが、ただの言い伝えであり、少なくとも、私はその存在すら知らなかった。
チアリターナ曰く、過去には存在していたらしいが、今は、採集しすぎて絶滅したそうだ。
「うん。だから、まなちゃんに諦めさせようと思って、全部燃やした。山火事って、だいたいヒートロックが原因じゃん? だから、それを利用して、人がやったって思われないようにした」
ヒートロックというのは、モンスターの一種だ。とはいえ、自ら動くことは滅多になく、山中に生息し、外敵に反応して発熱するという特性を持っている。あかりの言う通り、山火事の九割はこいつが原因だ。
彼がまなに諦めさせようとしたのは、嫌がらせでもなんでもなく、ただの良心だったのだろう。探しても見つからないと知っていて、それをただ見ている方が、心がない、とそう思ったのだ。
だが、全焼はやりすぎだ。普通に考えて犯罪行為だと分からないものだろうか。──そういえば、彼は投獄されるくらい、なんとも思わないのだった。文化の違い、というよりも、彼自身の性格に問題がある。それはともかく。
「怒られませんでしたか?」
「いや、めっちゃ怒られた。てか、チアリターナに殺されかけた。ドラゴンって、あんなに強いんだね。まあ、結局、逃げたんだけど」
そんなことよりも、もっと驚くべき出来事が、私の知らないところで起こっていた。
──そう、チア草など、存在しないのだ。賢者であるれなが、それを知らなかったわけがない。
それなのに、わざわざそんなことを言ったということは、つまり。
「──まなさんは、お母様を亡くされていたんですか」
そう独り言のように尋ねると、あかりは静かに頷き、肯定した。
「……でも、気づかなかったのも仕方ないと思うよ。愛は、それどころじゃなかったんだしさ」
「それでも、あれだけ毎日一緒にいたのに、少しも気づけませんでした。自分のことばかりで」
まなは、私のことも考えていてくれたのに。
──ああ、だから、あのとき、「死ななくてよかった」、「こんなの、薬ですぐに治る」と言ったのか。母の不治の病による死を意識していたから。だから、不安がって、右腕を握っていたのだ。
「……お母様が亡くなられたときも、私の知らないところで、あんな風に泣いていたんですか?」
先の一件を思い出して尋ねると、彼は首を横に振った。
「まなちゃんは、毎日、マナのために動いてたから。少なくとも、見てる限りでは、平然としてたよ」
つまり、私のために、泣かなかったのだ。涙を我慢したのだ。耐えた分の悲しみを、ずっとそのまま抱えて、今日まで来たのかもしれない。
何事もないように振る舞って、私のために、ずっと側にいてくれたのだ。おそらく、亡くなったハイガルは、そんな彼女の支えになってくれたのだろう。
そして、その支えを失った途端、彼女の脆い心は、一気に崩壊した。
──そんなにも、まなに気を使わせていたなんて、知らなかった。我慢させてしまったことに、気づかなかった。
泣かせてあげられなかったのが、とても悔しい。そんなことにも気づけなかった自分が情けない。私の異変に、最初に気づいてくれたのは、彼女だったのに。
「ま、隠してたまなちゃんも悪いってことになるじゃん?」
「まなさんの気遣いは美徳であって、彼女を責める理由にはなりません」
「ええ、いつの間に相思相愛になったの?」
「彼女の観察眼は素晴らしいものです。おそらく、あなたと同じくらい、私のことをよく見ていますよ」
すると、あかりはちょっと、ふて腐れた顔をした。
「愛、どこにも行かないでね」
そんな子どもじみたことを言う彼に、私は思わず笑ってしまう。まなに私がとられるとでも思っているのだろうか。そんなはずがないのに。──いや、和ませようとしてくれているのか。
「……ふふっ」
「ちょっ、笑わないでよ!」
「相変わらず、女々しいですね」
「いや、否定はしないけどさ。うわあ、言わなきゃよかった……」
「一生、守ってあげますよ」
「嫌だあ、守られたくないー。むしろ、守られてよー」
そんな会話を挟み、ようやく少し、心が落ち着いてきた私は、思い切って、彼に尋ねてみる。
「あかりさんは、まなさんをどう思っているんですか?」
「ライバルかなあ? それか、コイガタキ?」
「真面目に答えてください」
すると、あかりはため息をついてしゃがみ、私がいるベッドに伏せ、顔を横に向ける。
「……どうだろう。正直、迷ってる」
彼がまなを、本当に利用しようとしているだけには、どうしても、思えなかったのだ。いくら、彼が血も涙もない男だとしても、今回のことにまで何も感じていないとは思えない。いや、そんな風に思いたくなかった。
「そもそも、まなさんは、なぜ、願いを使おうとしないんですか?」
彼女の願いが何であるか、私は知らない。だが、あかりなら知っているのではないかと、私は考えていた。
だが、その返答は思いもよらないものだった。
「それがさ。なんでだったか、忘れちゃったんだって」
「忘れた? まなさんが、ですか?」
「うん」
出会ったときの、あの目を思い返し、ここ最近と比較してみれば、確かに、肩の力が抜けているような印象を抱く。
単に、私たちに慣れてきたからだとも考えられるが、そう考えるのは、先の彼女を見ている以上、都合が良すぎる。むしろ、何か、彼女の中で、大きな変化があったと考えた方が自然だ。
あるいは、それを忘れたせいで、ここまで心が砕けてしまったのかもしれない。
「だから実は、結構前から魔王サマに、監視はしなくていいって言われてるんだよね。それよりも、何を忘れたか調べろって言われてる」
「そう、ですか。……何を忘れたかなんて、どうやって思い出すんですか?」
「それね。むしろ、僕が知りたい」
一時、納得しかけたが、おかしな話だということはすぐに分かった。何を忘れてしまったのか。そんなこと、本人が忘れてしまえば、誰も覚えていないのではないか。
「でもさ。──まなちゃん、思い出したくないんだって」
「え?」
彼女の、やると決めたらやり通す頑固さと、妙に諦めのいいところが同時に浮かぶ。だが一方で、あかりが妹への復讐に燃えているのと同じくらい、まなにも何か、叶えたい願いがあるのだと、私は感じていた。
あかりを見ていて思う。まなが忘れてしまったことというのは、簡単に捨てられるようなものではなかったはずだと。しかし、あかりはこう続けた。
「そんなことどうでもいいから、今は、
──言葉にならない。あの子が愚かすぎて。
あかりの大願を叶えるために、私たちはまなを利用しようとしている。
なのに、私たちのために、まなは八年も抱き続けた願いを、忘れようとしている。
きっと、あかりが頼みさえすれば、今のまなは彼に願いを譲るだろう。そうすれば、彼の願いは叶えられる。
──だが、本当にそれでいいのか。
どうして彼女は、気づいてほしくない微妙な変化には気がつくくせに、肝心なところには気づいてくれないのだろうか。
「打ち明けろって、そう思う?」
思わない。なぜなら、
「私に、そんな勇気はありません」
「……だよね」
それによって、願いが叶わなくなることや、誰かに悪事を吹聴されることを恐れているのではない。
ただ、私には、まなが必要なのだ。
本心を知ったら、きっと、彼女は私たちから離れていってしまう。
──彼女を失うこと。それが、今の私にとって、何よりも、一番、怖い。
「それでも、あかりさんが打ち明けるというのなら、私もその場に一緒にいさせてくださいね」
「もちろん。──それで、やっと魔王の話に戻るんだけど」
「はい、聞かせてください」
世間体ばかりを気にかける父親に見捨てられ、母を亡くし、心の支えとなっていたハイガルまでも失った、というところまでは聞いた。だが、その先があるはずだ。
まだ、これだけの傷を抱えてなお、魔王と普通に話していたことの説明がついていない。
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