第3-6話 私のせい
それから、まなは、少し休むと言い残して、部屋に戻っていった。彼女の部屋を通り越して、自分の部屋に戻ろうとすると、あかりは私の手を掴んで引き留めた。その黒瞳が、「静かに」と言っているように見えて、私はしばらく部屋の前で気配を消し、待ち続ける。
やがて、あかりが静かに、まなの部屋の扉を開けた。私もそれに付き合う形で、そっと覗く。
──まなは、広い部屋の隅の方に縮こまって、頭を抱えていた。
何をしているのだろうと、観察していると、彼女は首を左右に振りながら、
「私のせいだ、私のせいだ、私のせいだ──」
そう何度も繰り返す。そうして、次第に、息が上がっていき、
「……ぅぁぁぁああああああ!!!!」
──発狂した。
急に、まなは腰に下げているナイフを取り出し、自分の目に向ける。
驚き固まる私をよそに、まなの腕を、あかりが押さえる。モンスター用の武器は、対魔族用の武器とも言われ、魔族であるまなの柔肌、まして、眼球など、容易く傷つける。
しかし、あかりは人に触れるのが苦手なはずだが──と思っていると、案の定、みるみるうちに、顔から血の気が引いていく。異常なほどに震え始め、空いた手で口元を抑える。
それでも、彼は、なんとか、まなからナイフを取り上げ、それを玄関の方に蹴り、その場に座り込んだ。
「いや、いやだ……。私のせいで、みんな、私のせいで、いなくなっちゃう……。いやだいやだいやだあぁぁ……っ」
──まなが泣くのを、初めて見た。
身が引き裂かれるような泣き声だった。
呆然としながらも、半ば無意識に近寄ろうとすると、
「来ないでぇえッ!!」
──拒絶された。
大粒の涙が流れる赤い瞳は、真っ直ぐに私を見据え、鋭い敵意を向けていたが、まるで、私のことなど見えていないかのようだった。
その小さな体を抱きしめてやりたいという想いが、指先のわずかな動きに現れると、
「いやあぁああ──!!」
その、ぴくりと動いただけの指先に、まなは過剰なほどの金切り声を上げ、頭を抱えて、震える。
その狂気に縛られるようにして、私がその場から動けずにいると、代わりに、あかりが真っ青な顔で、彼女の小さな背中を擦る。
「あああぁぁぁぁ……ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「──まなちゃんのせいじゃないよ」
あかりがそう何度も優しく声をかけるが、まなに届いている気配はない。そうして、彼女は。
「ごめんなさい。ごめん。私のせいなの。ごめんなさい。嫌だ。ごめんなさい。嫌。私がいなければみんな幸せだったのに。やめてください。なんで。生まれてきてごめんなさい。全部私が悪いです。私のせいだ。すみません。どうしてですか。ごめんなさい。許してください。ごめんね。謝りますから。なんで。もう外に出たいなんて言わない。嫌だ。ごめんなさい。死にたい。ごめん。嫌です。許して。何も知らないままでいいですから。ごめんなさい。やめてよ。なんでですか。どうして。謝るから。やめてください。生きててごめんなさい。死なせて。やめて。ごめんなさい。すみません。許して。許してください。もう何も持っていかないで。お願い。ごめんね。殺してください。ごめんなさい。許して。なんで私だけ生きてるの。なんで。どうして。殺して。ごめんなさい。申し訳ありません。本当に嫌なの。ごめんなさい。お願い。お願いします。ごめんね。殺していいですから。だから、もう、許して──」
あかりは何度も、諭すように、まなのせいではないと繰り返す。それでも、まなは、壁に繰り返し繰り返し、こつんこつんと、頭をぶつける。あかりは壁と頭の間に手を差し込んで、その衝撃を受け止める。
やがて、静かになったと思うと、まなは眠りについていた。頬に涙の跡を残して。
理解に置き去りにされ、私はその場から動けずにいた。
そのうち、ベッドにまなを横たえたあかりに連れられて、私はまなの部屋を後にした。あかりがナイフを拾ったのが辛うじて認識できたくらいで、心はぐちゃぐちゃで、何も考えられなくて。
そんな私の心がやっと、落ち着いたのを見計らって、彼は口を開く。
「──魔王から聞いたんだけど、まなちゃんって昔、酷い扱いを受けてたらしいって話でさ」
そんな話を、ぽつぽつと、始めた。
「魔王は、まなさんのお父様ではないんですか?」
「そうなんだけどね。白髪の女の子っていうのは、魔族にとって、すごく縁起が悪いんだってさ」
「縁起……?」
「忌み子ってやつ? 本当なら、生まれてすぐに、処刑する予定だったらしいよ。でも、なんやかんやで、生かすことになったとかで、そのときに。ま、結局、脱走したみたいだけど」
あえて軽い調子で話すあかりだが、笑って流せるような話ではない。
「……あの取り乱しようは、そのときのトラウマが原因だと?」
「多分。なんでも、ずっと狭いところに閉じ込めてたらしいよ。外に出ようとすれば、厳しくしつけたりしてね」
初めて聞いた。──いや。そもそも、私は彼女のことをほとんど知らないではないか。事情があったとしても、魔王の娘だからと、勝手に彼女の過去を憶測で測ったのだ。
追われているのは、過去に何かしてしまったからなのだろうと、勝手に推測していた。間違っても、あんなに真面目な彼女が、追われるほどの何かをするはずがないのに──最低だ。
「脱走したために、現在も、魔王に追われているということですよね。そして、父親でありながら、彼女を虐待し続けたと──」
「あー、違う違う」
またしても、勝手に事実を作り上げようとしていたところを、あかりの否定で止められる。
「その辺がちょっとややこしいんだけど、魔王は別に、まなちゃんを追いかけてないじゃん? むしろ、 監視って建前で、僕にまなちゃんを守るよう頼むくらいだし」
その事実を思い出し、私は酷く、困惑する。魔王が彼女を監禁し、脱走した彼女を手下に追わせていると考えれば都合がつくものが、肝心の魔王がそれでは話の筋が通らない。それに以前、まなと魔王が親しげに話しているのを、私は見た。
「魔王は魔族の王ですよね? 魔王が追う気がないというのに、どうして──」
そんな当たり前のことを尋ねてしまうくらいには、分からなかった。ずっと、違和感はあった。だが、それでも、積極的に知ろうとはしなかった。
すると、あかりは少し躊躇うように口を動かして、告げる。
「魔王の幹部たちが、早とちりしたんだってさ。白髪の女の子なんだから、魔王サマは処刑するつもりに違いないって。魔王自身は別に、まなちゃんが白髪の忌み子だからって、処刑する気はなかったんだけど、魔王っていうイメージがあったから、そんなこと言えなかったらしいよ。だから今も、魔族とは関係のない外野の僕に、まなちゃんを守るよう頼んでるってわけ」
一瞬、理解が遅れて、放心する。
早とちり? 白髪の忌み子? イメージ?
──つまり、魔王というイメージを保つために、早とちりした幹部たちを放置したと。
それも、白髪の女子は縁起が悪いからという、わけの分からない理由だけで、彼女を監禁し、辱しめ、折檻する幹部たちを黙認したと。
何も悪いことなどしていない彼女に、魔法の存在すら教えず、あんな風になるまで心を壊すことを許したと。それよりも、自分の魔王としての立場を優先させたと。
──なんだ、そういうことか。
「──許せない」
強く握った手のひらに爪が食い込み、血が流れる。少しでも気を抜いたら、魔力が暴走して、周りに被害が出そうだ。
「……ちなみに、続きがあるんだけど」
「聞かせてください」
私の顔色をうかがう彼に、私は強い口調で答えた。
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