第2-14話 弱さを吐息に乗せて
「妊娠おめでとう、マナ」
「──まなさんって、いい匂いですね」
「急に何……? 怖いんだけど……?」
「すんすん……とても落ち着く匂いです……」
こっちが照れてしまいそうなのを、必死に誤魔化した。そんな風に祝ってくれるなんて、思ってもいなかったから。
一時の感情に流されるなんて
だから、心がくすぐったくて、また涙が流れた。
そんな、まなの優しさに溺れて、沈んでいくかのように、眠りについた。
──目が覚めると同時に、誰かが私の手を握っているのに気がつく。硬い皮膚や大きな手は、まなのものではない。
見ると、化粧を落としたあかりが私を心配そうに見つめていた。私はその顔をぼんやりと眺める。燃えてしまったために短髪にした彼だが、よく似合っている。
「……あんまり見ないでよ、すっぴんとか、結構、恥ずかしいから」
「素顔も好きですよ」
「嘘だ。
「あなたの顔だから好きなんです。もっと近くで見せてくれませんか?」
観念したように、彼は私の瞳を真っ直ぐ見つめてくる。相変わらず、整った顔だ。私の好みではないが、これが彼の顔であるのだから、好きに決まっている。私はその頬に手を伸ばし、ゆっくりと触れる。
「愛してる」
「ちょっと、そういうの恥ずかしいから……」
照れる姿が面白くて、私はその頬をくすぐってみる。すると、彼は私の手を捕まえて、自分の膝の上で重ねた。
「聞きたいことがあります」
「何?」
「どうしたら、私のことを嫌いになりますか?」
「嫌いになんて、絶対になれない」
「信じてもいいですか?」
「僕も
真剣な空気を感じ取った彼が、私の手を強く握る。それで、やっと、覚悟が決まった。
息を深く吸い込んで、全部吐き出し、弱さを吐息に乗せて、捨てる。
「お腹に、子どもがいるんです」
「……そっか。それで、最近おかしかったんだね」
「はい。──嫌いに、なりますか?」
彼は私の前髪を上げて、おでこにキスをした。
「ならないよ。絶対に」
そんな強い声を聞いて、私は、彼を信じきれていなかった自分を、恥じた。そして、彼に重荷を背負わせてしまうのだと思うと、苦しかった。
「……ごめんなさい」
「悪いのは僕も一緒だよ。それよりも──安心した。
彼は私のお腹にそっと手を当てて、穏やかな笑みを浮かべる。
「すっごく嬉しい──って言ったら、また馬鹿だって、怒る?」
私はその不安そうな手に、自分の手を重ね、引き寄せる。
「ううん。──本当はね。私もとっても嬉しかったの」
それから私たちは、眠りにつくまで、これから先、歩むことになるであろう、幸せな未来について語り合った。
彼女のおかげで、彼と一緒なら、きっと、大丈夫だと、そう思えた。
***
後日、あかりと一緒に、病院に行った。まだ少し、実感が湧かないけれど、何をすべきで、何をすべきでないのかは、はっきりした。学校には行っていたし、体育の授業にも参加していたけど。てへっ。
とはいえ、それからの日々は、想像しているよりも、ずっと目まぐるしく、日記を書いている余裕もないほどだった。夏休み真っ只中の今、何か書こうと思い出しているところだ。私に忘却という機能はついていないが、特筆するようなことがすぐに浮かぶほど、便利な頭でもない。
──嫌なことを思い出した。誰かの早弁の臭いで気絶しかけたことがあったのだ。それもまあ、一つの思い出だ。だが、もう二度と、あんな思いはしたくない。
それから、気持ち悪くて、ほとんど何も受けつけなかったが、まなが作ってくれた料理だけは、それが何であっても、不思議と食べられた。まなは私の神様だ。そろそろ、まな教を立ち上げてもいいかもしれないとさえ思う。
とはいえ、世界の大半は、マナ教──私教であり、正教会がある限り、他の宗教が流行る余地などほとんどないのだが。
他に変わったことを二つ思い出した。
校庭の砂が溶けたことがあったのだ。そのうちにその現象は収まった。自然現象なのか、人為によるものなのかさえ不明のままだが、死者負傷者等の被害もかなりあったらしい。
それから一ヶ月後、チアリタンと呼ばれる山が燃える事件が発生した。世紀の大火事と呼ばれたその火事で、チアリタンは全焼した。
ちょうどその日、まなは、ギルデルド──宿舎の一階に住んでおり、私やあかりと昔から付き合いのある、レックスの息子──を伴って、チアリタンに行っていたらしい。あかりは分身を上手く扱って監視していたとか。
翌日になって、まなもギルデルドも、ところどころ火傷して帰ってきたので、あの日は驚いた。
「死ななくてよかったわ、本当に。それに、こんなの、薬ですぐに治るわよ」
と、まながほざいていたが、私からしてみれば、可愛いまなに、一つでも傷をつけた時点で許せなかったので、ほっぺたをぷにぷにさせてもらった。右腕を握っていたところからも、彼女が強がっているというのはすぐに分かった。
まあ、それくらいだろうか。
ともかく、体調のいいときを見計らったり、あかりに頼ったりして依頼をこなしているうちに、夏休みも半分を過ぎた。
「それで、どうやって誤魔化す?」
私の部屋に集まり、三人で会議をしていた。夏休みが明ければ、当然、また学校が始まる。そうすれば、腹の膨らみが隠しきれなくなってくる。色々と面倒なので、学校に露見するのは避けたい。
「とりあえずは、大きめの制服でも着ておけばいいと思うけれど」
「それなら、僕のを貸してあげるよ」
「問題はそれで隠せなくなったときね。授業中は、分厚い毛布か何かを膝に乗せてたとしても、さすがに、歩いてるときまでは……」
最悪、魔法で隠せばいいのだが、そこにも問題がある。魔法が使えない子どもには、魔法が効きづらいという問題だ。
それは、妊娠している間も同じらしく、子どもが成長するにつれて、魔法を使う際に受ける制限が大きくなってきた。なんとかなる、と思っていると、そのうち、痛い目に合いそうだ。
さあどうすると、頭を抱えていると、あかりがこんなことを言い出した。
「じゃあ、まなちゃんを抱き枕にすればいいんじゃない?」
「は? あたし?」
私にはその言葉の意味がすぐに理解できた。そうして、私はまなの両肩に腕を絡ませ、後ろから抱きつき、頭に顎を乗せる。最近、まなは髪型を変えて、サイドテールからハーフアップになった。その尻尾のような毛に
──ああ、いい匂い。シャンプーもリンスも同じはずなのに、なぜこうもいい匂いがするのか。涎が出そうだ。
……などと考えつつも、それを表に出すことはしない。
「いいですね。なんとか隠れそうです」
「いや、隠れるわけないでしょ……」
可愛い、いい匂い、小さいのテルツェットだ。心の底から愛してる。
「まあいいけど……」
「じゃ、まなちゃんが頑張っていい感じに隠すってことで。大丈夫大丈夫。僕も隣についてるし、壁際歩いてれば行けるでしょ」
「あたしは、無理だと思うわ……」
私も正直、無理だと思う。
それでも、そんなくだらないことを、三人であれこれと考えている時間が、このときは、何よりも楽しかった。
***
~あとがき~
次回から第3話です。
激動の第2話は完結しました。モブがいっぱい死んでそうな感じでしたね!
いよいよ、先が見えなくなってきたぞ。さあ、果たして、この物語はどこに向かっているのか!
いやー、実にほのぼのだね!
※避妊はちゃんとしようね!
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