第3節 世界を憎んで

第3-1話 げれよっちみゃーか?

「なんでも」


 最近、定期的に予知夢を見る。なんでも、なんて、約束にしても、それ以外にしても、簡単に使える言葉ではない。


「なんでもお願いを聞いてくれる」

「なんでも言うこと聞いてくれる」


 前者にはちょっとした幸せを。

 後者にはこの上ない悲しみを。


 どちらも私の声ではあるが、果たして、それは、誰に向けられる、誰の言葉なのだろう。


 なんでも聞くと言われたら、私は、誰に、何を望むだろう。


***


「まなさんまなさんまなさん」

「一回で聞こえてるわよ」

「──えへへ」


 私は後ろから抱きついて、顎に頭を載せる。相変わらず、いい匂いがする。抱き心地も最高だ。何より、可愛い。


「まなさん、愛してます」

「嫉妬したあかりに殺されそうだから、ほどほどにしてくれると助かるわ」

「ゴオオオオ……」


 隣で歩くあかりは、羨望を嫉妬に変え、それを隠そうともせず、むき出しにしていた。


 現在、妊娠がバレないように作戦実行中だ。夏休みもあっという間に終わり、目標金額にはなんとか達した。だが、思った以上に私のパフォーマンスの低下が大きい。


 ちなみに、奨学金は給付型ではなく、その一つ下の、返済義務のある方を申請した。もちろん、申請は通ったので、後期に受け取った分からは卒業後に返済することになる。だから、少しだけ、余裕ができた。後から返さなければならないが、それは、今はいいだろう。


 とはいえ、あかりにも同じようにさせるのは、到底無理な話で、全国から天才が集まるノア学園では、努力だけで一番を取ることは難しい。


 それをわずかな才能の後押しだけでやってのけるのが、マナ・クレイアであるのだが。さすがに、彼女と同じだけのものをあかりに期待するのは、酷な話だ。


「仲良くやっているみたいだな」

「あ、ティカちゃん。おはよべふうっ」

「教師をちゃん付けするな。おはよう」


 バインダーで思い切り頭を叩かれていた。今、声をかけてきた彼女こそ、ティカ・ラームウェル。我が国が世界に誇る研究者だ。彼女の授業目当てにこの学園に入学する生徒も少なくはない。


「おはようございます。ティカ先生」

「ラームウェル教授、ごきげんよう」

「ごきげんようとかいつも言わなくない?」

「言います言います」

「初めて聞いたわよ」

「……お前ら、揃いも揃って朝から元気だな」


 ラームウェル教授が私たち三人に目をつけたのは、魔法測定のときだ。入学して、一ヶ月ほど経った頃、身体測定に伴って行われたのだが、それ以来、何かと絡んでくる。


「聞いたぞ、三人でパーティーを組んだらしいな?」

「そうそう、聞いて! メリーテルツェット、略してメリテル。どうどう? 可愛くないべふうっ」

「教師にため口を使うな。それで、活動の方は順調か?」

「先日、カルカルの群れを誘導してきました」

「シーティリアの捕獲もしましたよ。ほとんどマナの手柄ですけど」


 シーティリアの捕獲といえば、ルスファ海での一件が思い出される。しかし、この頃、魔王幹部が静かだ。魔王の心境に何か変化があったのだろうか。


「その様子だと、ランクも相当上がったんじゃないか?」

「そりゃあ、僕たち三人、最強だからさ? ──ます」


 ティカ先生のバインダーが見えて、あかりは咄嗟につけ足した。


「その調子なら、そのうち、大きな依頼を任される日が来るかもしれないな」

「いやあ、僕たちにできるかなあ……ですべふうっ──なんで!?」

「調子に乗るな、榎下朱里。たとえお前が勇者でも、鍛練を怠れば実力は間違いなく落ちる。くれぐれも、油断するなよ。お前には守るべきものが三つもあるのだからな」


 私とマナに視線を向けると、ラームウェル教授は去っていった。


「三つ──はっ!?」

「三つってことは、バレてるって思った方がいいわね。マナとその子と、あともう一つは知らないけれど──」


 ちらと横目でうかがうと、あかりにはもう一つが何であるか、よく分かっているようだった。


 妊娠に関しては、おそらく、ラームウェル教授の察しが異様にいいだけであり、他の先生や生徒たちには気づかれていないと思う。彼女がわざわざ報告しているとも考えにくい。


「……はあ、緊張したあ」

「肝の小さい男ね」

「肝の小さい……って、どういう意味?」

「簡単に言えば、怖がりということですね」

「なるほど、誉め言葉じゃないのは分かった」


 ──この翌日、私は彼と、最初で最後の大喧嘩をすることになるのだが、今回はそこに至るまでの経緯を記そうと思う。


***


 時は少し遡る。


 夏休みもとうに半分を過ぎた。あかりが依頼に行くなと止めるのだが、私は動けるうちに稼いでおこうと思っていた。


 そんな考え方の違いで幾度か衝突が起きたりもしたが、なんとか、後期分の費用は稼ぎ終わりそうだ。とはいえ、偶然、依頼に恵まれていただけで、先の保証はない。貯蓄もまったくといって差し支えないほどに、できていない。


「まなさんの監視に行かなくていいんですか?」

「一応、分身に追わせてたんだけど、見失っちゃったんだよね。だけど、ま、いんじゃない? マナがそれどころじゃないし」

「おそらく、あなたが思っているほどは辛くありませんよ」

「いや、出てけって言うなら出てくけどさ」

「じゃあ、ここにいてください」

「じゃあって。相変わらず、素直じゃないねえ」


 まなは休みの間も、まったくじっとしてくれなかった。あかりがいないときは私に構ってくれたが、丸二日、部屋を開けることも何度かあったし、一日中いないのは、むしろ当たり前だった。


 何をしているのかと聞いてもはっきりとは答えてはくれなかったが、ぽろっと漏らした情報によると、下の階のハイガルとかいう青髪の男と出かけているらしい。


 なんでも、ハイガルは、育ての親兼この宿舎の管理人であるル爺に、一人で外出するのを止められているとかで、付き添ってやる必要があるとか。


 ──そんな、あかりとの会話を思い出し、やや嫌な気持ちになりながら、帰宅する。


 ちょうど、たいそうお忙しいまなサマを連れ回して、適当な依頼をこなしてきたところだ。暑い一日をなんとか乗りきり、やっと宿舎へとたどり着く。


 宿舎の玄関は空調で冷やされており、扉を開けた瞬間、冷気が体を冷やしてくれる。


「ぽっころー」


 声のした方に顔を向けると、玄関横の小さな丸椅子には、ルジ・ウーベルデンが座っていた。


 大きな禿頭に、華奢な体。子どものような体型で、シルエットはさしずめ、椎茸といったところか。シワだらけの顔を、笑顔でさらにしわくちゃにしているような老爺で、この宿舎の管理人でもある。


「だから、ぽっころって何さ?」

「ぽっころっつばびーしゃじぇいけまっぴりゅりゅりゅ」

「ル爺、ぽっころ」

「ぽっころです」

「ぽっころー」


 まな、私、ル爺と続く中、あかりだけが冷めた目で見ていた。乗ってきそうなものだが、これで意外と、変なところだけ現実的思考であり、ノリが悪いときがある。むしろ、まなの方がほいほい乗ってくる。


 ル爺は、ル爺語と呼ばれる未知の言語を操る老人で、マスコットのような存在だ。ちなみにル爺語は、古語に訛りをつけ足したような感じ、とまなには説明してあるが、まったくの出鱈目である。趣味はゲームだが、徹夜してやるほど好きらしく、そのため、宿舎にはいないことの方が多い。


「てか、ルジさん。今日はゲームしないの?」

「いえそー。わそもたみゃにゃーぽらっとぴい」


 あかりが尋ねると、ル爺が肯定の意を示す。


「何言ってるのか全然分かんないわね……」

「たまには休みたいと仰っています」

「むしろ、アイちゃんはなんで分かるの??」

「私からしてみれば、分からないことの方が不思議です」


 聞いていれば、なんとなく分かると思うのだが。普通にルスファ語だし。


「きょんばどげちぜけけるゆっじちょかあばっちば?」

「今のところ、特にありませんね」


 私が返事を返すと、あかりは表情を落として、まなに顔を向ける。


「……まなちゃん分かる?」

「いいえ、さっぱりね」


 尋ねられたまなにも、意味は伝わらなかったらしい。となれば、私が翻訳するしかない。


「今日はこの後、外出の予定などありますか?」

「え、そんなこと聞いてたの? いや、ないよ」

「あたしもないわ」

「だそうです」


 すると、ル爺は懐から小さく折り畳まれた紙を取り出し、広げて差し出す。


「ざ、げれよっちみゃーか?」


 見ると、そこには、魔術大会と書かれていた。どうやら、優勝者には賞金も出るらしい。


「魔術大会ですか」

「えーっと、賞金は──うっはあ! 桁多すぎて分かんない」

「トンビアイス五千個分!?」

「いや、まなちゃん、どんだけトンビアイス好きなのさ」


 まなの計算速度の速さにあかりが目を剥く。


「ちょぴーりしゃーくぢきっちばっ!」

「飛び入り参加できるんですかっ、あかりさん、ゴーです!」

「おお、急な展開だねえ。待って待って、どこでやってるの?」


 賞金に釣られ、勢いでゴーサインを出す私を制止して、あかりは冷静に紙を見る。


「ミーザス、って書いてあるわね」

「ミーザスって、どこ?」

「チアリタンのあるところです」


 まなが指差す先を、目の悪いあかりは顔を近づけて見、首を傾げる。それを受けて私は、一番分かりやすい──少し前に全焼した山、チアリタンの名前を出す。最近、勉強に精を出しているあかりなら、これくらいは分かるはずだ。


「あー、あそこね。──てか、受付終了まで時間ないじゃん!」


 よく見れば、受付終了時刻まで、あと十分といったところ。しかし、ミーザスまで電車を乗り継いでいくとなれば数時間はかかる。


「場所は──あー、よく分かんないけど、とりあえず、行ってみるね! じゃっ!」


 そうして、あかりは宿舎を出ると、空を飛び、チアリタンの方へと真っ直ぐ飛んでいった。迷いさえしなければ間に合いそうだが、どうだろうか。彼は方向音痴なところがあるし。まあ、チアリタンを認識できているだけでもよしとしよう。


「どうする? 見に行く?」


 まなの問いかけに、私は少しだけ迷った後、交通費を考えて、行かない、という選択をする。


 ただ、それを前面に出すと、まなが気を使うかもしれないと判断し、別の理由を告げる。


「出場さえできればあかりさんの優勝は間違いなしですから、見応えはないと思いますが」

「ああ。そういえばあの人、勇者だったわね」

「はい。それに、こと魔力において、あの人に並ぶ者はいませんから」


 魔族は年齢とともに魔力を高めていくという特徴がある。


 現在の魔王──まなの父でもあるのだが、彼は齢四十であり、歴代魔王の中で最高齢の魔王だ。そして、その魔王すら凌ぐ魔力を持っているとされるのがあかりだったりする。


 それならば、なぜ魔王を討伐しないのかという話になってくるが、簡単に言えば、魔王を倒したところで、その下の代に引き継がれるだけだからだ。


 目的は魔王を倒すことだけではなく、内戦を終わらせることなので、今、戦いを引き起こす利点がない。むしろ、大人しい今の魔王に任せておく方が何かと、都合がいい。次期魔王である人物は、現役の魔王より強いと評されることもあるくらいだし。


「あかりさんが帰ってくるまで、部屋でいちゃいちゃしましょう。まなさん」

「はいはい」


 まなと二人で私の部屋まで上がっていく。それから、私は楽な服装に着替えてベッドに座る。


「大丈夫?」

「はい。お気遣いいただき、ありがとうございます」


 まなが目の前にいてくれさえすれば、困ることなど、そうはない。監視という意味でも、個人的な気持ちの面でも。

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