第2-13話 気持ち悪い

「あたしも、その子を育てるのはやめた方がいいと思うわ。これから先、何があるか分からないし。今のだって、全部、憶測に過ぎないでしょ?」


 ──まなの言う通りだ。


 そう、それらはすべて、架空の話に過ぎない。あくまでも、実現するかどうか分からないことを、生活の糧として組み込んだ仮定の話。そんなに上手くいくかどうかは分からない。


 私は今まで、失敗した経験があまりにも少ないから、つい、それができる前提で考えてしまう。


 だが、どれほど優れていても、私は決して、全能の存在ではない。それにもう、王女ではない上、親兄弟とも縁を切ったのだ。そんな私が、子どもまで持ったとして、この世界でやっていけるだろうか。最悪、一人でやっていかなくてはならなくなるかもしれない。──そう考えると、とても、不安だ。世の中はきっと、私の想像以上に甘くはない。


「それでも、嫌です」

「あんた、学校のこととか、体のこととか、これからのこととか、色々、本当にちゃんと考えたの?」

「考えました。とても、考えました。……考えるつもりがなくても、考えますよ。私は彼が好きなんですから。それでも、育てるって、決めたんです」


 無用な愛想を省いて、まなの赤い瞳を、ただ、真っ直ぐに見つめる。すると、まなはいっそう瞳の色を強くする。


「でも、すごく辛そうな顔してるじゃない」

「……クレイアさんは、本当によく気がつきますね」


 それは、決して悪阻つわりだけのせいではない。


 たくさんの愛を注がれて、大事に大事に、育てられてきた。生まれたときから、私は世界で一番幸せだった。


 何一つ不自由のない暮らしを与えられていた。

 すべてにおいて、人類の頂点に君臨していた。

 何かを失ったことなど、父が病で他界するまで、一度もなかった。


 世界はいつでも、私を中心に回っていた。

 すべて、私の思う通りに事が進んだ。

 国を意のままに動かす権利を持っていた。


 ──だから、私は、怖かった。


 いつか、失敗するようなことがあったら、一生、立ち直れないのではないか。


 私の実力以上に寄せられる大きな期待に、いつか、応えられなくなるのではないか。


 今までもらった幸せの分だけ、いつか、とんでもない不幸に襲われるのではないか。


 ──生まれたときから、完璧すぎた。自分が何においても完璧で、非の打ち所がなかった。それは、私よりも努力している人たちを嘲笑あざわらうかのようで、自分で自分が人間であることを、疑うことさえあった。


 達成感など、感じたことがなかった。成功するのが当たり前だったから。だから、出来る限りの努力をした。そうするごとに、人でなくなっていくような気がした。


 すべて与えられてしまうから、何一つ、欲しいと思わなくなった。欲求がないということは、生きる理由が見つけられないということだ。この世界にいたところで意味がない。そう思うことも何度もあった。


 何もかも与えられるということは、すべてを奪うことと同じだった。そして、全部満たされて、欠乏がなくなってしまったら。何も楽しいことがなくなる。全部同じに見える。機械と同じ。ただそこにいるだけ。資源を食いつぶすだけの偶像だ。


 そんな風になりたくなかったから。私は国を導いていこうと思った。きっと、終わりがない道だと思ったから。


 でも、そんなものでは満たされなかった。常に最善を選び続けて、国をどんどん発展させて、何一つ、不自由のない幸せな国にして。


 それできっと、私は国を駄目にしてしまう。私と同じ、国ができる。すべて持っているけれど、どこか満たされない。そんな国が。


 ──でも、こんなに贅沢ぜいたくな悩み、誰にも打ち明けられなかった。言ったところで理解されない。上手くいきすぎて怖いなんて、自慢にしかならない。


 そんなときに彼に出会って。失敗ばかりのあの人を見て。何一つ持たないのに、それでも必死にあがいている彼が、どこか自分と重なって見えて。


 だから、きっと、私はどうしようもなくかれたのだろう。


 そして、彼以外のすべてを天秤にかけたとしても、彼と一緒にいたいと、そう思ったのだ。


 彼と結ばれたい。

 ずっと一緒にいたい。

 ──彼の子どもが欲しい。


 それは、紛れもない本心だった。


 でも。


 失ってみて初めて、私は自分がどれほど多くのものを持っていたのか知った。


 城の堅苦しさが恋しい。

 周りの人々の、大きすぎるくらいの愛情が愛しい。

 毎夜、家族のことばかり考えて。──とても、寂しくなる。


 国を選べば、きっと、彼は私を選んでくれなかった。彼を選ぶ私のことは、世界中が許さなかった。


 だから、どちらか、選ぶしかなかったのだ。そうして、私は彼を選んだ。


 なのに。まるで、失ったものの穴埋めを彼にさせるかのように。絶対に駄目だと知りながら。──彼も駄目だと言っていたのに。


 今すぐに、子どもが欲しかったわけじゃないのに。彼と一緒にいられるだけで、それだけで幸せだったはずなのに。


 私は、自分という存在が分からなくて。ただひたすらに、怖かった。気持ち悪かった。嫌悪感すら覚えた。


 きっと、こんなに醜い存在は、私以外に存在しない。


「もう、どうしていいか……。自分が、どうしたいかすら、分からないんです。自分で自分が気持ち悪い。とても不快で、受け入れがたくて、本当に救えない……」


 私が泣きながらそう言うと、まなは私のお腹に手を当てて、優しく擦った。


「──この子を守りたいんでしょ?」


 私が何を考えているのか。そのすべてが分かったわけではないだろうに。


 守りたいと。そう思っているのだけは、確かだった。そうでなければ、こんなに辛い悪阻つわりに耐えようなどとは思わない。


「でも、覚悟なんて、できるわけがない……自分が、本当は、どうしたかったのかも分からないのに」


 繋がりが欲しかったのだろうか。確かな愛の形が。


 ただ単に、本当に、欲望に負けただけだったのだろうか。


 それとも、深く考えるのをやめて、ただ、自分の感情の流れに身を任せていたかったのだろうか。


 きっと、なんとかなると、どこかで思っていたのかもしれない。


「子どもが欲しかったの?」

「分かりません」


「まあいいや、って思っちゃった?」

「分かりません」


「何も考えたくなかった?」

「分かりません」


「自分なら大丈夫だろうって、そう思った?」

「……分かりません」


 まるで、すべて見透かしているかのように、まなは質問を繰り返す。


 あるいは、こんなに辛いと知っていれば──。


 そんな風に考える私の頬を、まなは少し強く引っ張る。


「甘えてんじゃないわよ。まったく」


 その声はとろけそうなほど優しくて、しかし確かに、心の一番深いところに、深く、鋭く、痛く、刺さった。


「お母さんになるんでしょ?」

「──はい。絶対に、これだけは譲りません」

「だったら、これからは、その子のために生きればいいのよ。分かった?」


 その問いかけに対する答えは、自然と紡がれていき、想いそのものを込めて、口から漏れ出す。


「まなさん」

「……何?」

「──ありがとう」


 強くなりたい。この子のために、もっと、強く。何もかも満たされているようで、何もかも足りていないから。この子に、誇らしく思ってもらえるような、そんな自分になりたい。


 それが、今の私の、生きる意味だ。


「……焦ったわ。てっきり、告白でもされるのかと」

「告白の方が嬉しかったですか?」

「あんたに愛をささやかれたら、本当に好きになりそうで怖いわね」

「まなさん──愛してます」


 ちょっとからかうつもりでそう言うと、まなにでこぴんされた。照れた顔が可愛い。可愛いのに、痛くないのに、また、涙が溢れてくる。


「ぴゃああん……」

「あたしの指と心の方が痛いわよ。それから、あたしはクレイアよ」


 私はまったく痛くないのだが、そう言うと、まなが余計に怒りそうな気がしたので、黙っておいた。まあ、あえて怒らせるのも悪くないのだが、


「……また、気持ち悪くなってきました」

「そろそろ、お腹が空く頃ね。あかりに何か作ってもらったら? まあ、追い出しちゃったけど、あんたに呼ばれればすぐに戻ってくるでしょ」


 彼の名前が出て、私は頬を固くする。彼にもいつかは言わなければならないが、様々な思考がぐるぐる回る。


 怖くなって逃げたりしないだろうか。私を嫌いになったりしないだろうか。自分を責めたり、しないだろうか。


「あかりさんには、まだ、言わないでください」

「早いに越したことはないわよ」


 私は首の動きだけで拒否する。すると、まなは私の手を小さな両手で包み込んだ。


「もしあかりに振られても、あたしが責任をとってあげるわ」

「──結婚してくださるんですか?」

「それだとあかりがあんたのところに戻ってこられないでしょ? ──だから、死ぬまでずっと、友だちでいてあげる。何かあったら、いつでもあたしを頼りなさい」


 まなに何ができるのだと、笑い飛ばすこともできた。魔法も使えない。頼れる身寄りもない。その上、魔王に追われているというのに、警戒心もない。そんな彼女に、一体、何を頼れと言うのかと。


「それから──」


 でも、そんなまなの言葉だからこそ、とても心強くて、何より、自分をこんなにも想ってくれているという事実が、嬉しかった。


「妊娠おめでとう、マナ」

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