第8-7話 殺さないから
元々は宿舎メティスがあったこの場所に城を建てた。多くの家屋を魔法で強制退去させる必要があったが、ユタの封印を管理する目的もあり、どうしても、ここでないといけないと判断した。
そうして、私はユタが埋まっている辺りにしゃがみ込む。
「あなたがまなさんを殺したこと、私は忘れていませんよ」
意識はあるはずなので、声は聞こえているだろう。ただ、返事はできない。声を出せるようにしてしまえば、詠唱により大魔法を行使できてしまうからだ。
「それを聞いたとき、私は、心の底から、あなたを殺してやりたいと、本気でそう思いました。自分の中に、こんなにも醜い感情があったのかと驚きましたよ」
ユタザバンエの脳天を貫くイメージで、土をとんとんと、指でつつく。
「今の私が言うのもなんですが、殺人は当然、いけないことです。だから、誰にも悟らせないように、殺意を隠し続けてきました」
これでも、ユタザバンエは魔王だ。となれば、勇者にしか倒せない。となると、ショウカのように、自殺させるしかない。
──どうせ、私が何をしたって死なないのだ。ならば、何をしたっていい。なんだってできる。
そんな風に考えていた。
「頭の中で、あなたをどうしてやろうかと、毎日毎日、考えました」
だが、封印があったため、ただちにユタザバンエを罰することはできなかった。
そして、たがが外れ、初めて人を殺してしまった後、抑えることを忘れた怒りの矛先は、レイへと向いた。あの頃のことはよく思い出せないが、レイだから耐えられたのは、間違いない。
「それから、何人も殺して。きっと、罪悪感や抵抗感なんて、二度と感じることはないだろうと、そう思っていました」
だが、実際は。
「実際は、罪の意識も、殺すことへの躊躇いも、どちらも消えてはくれませんでした。むしろ、人を殺す度に体が重くなっていくような気がして。……きっと、私は、何かに取り憑かれているんでしょうね」
夜になると、自分に殺された者たちが、枕元で自分を見下ろしているような感覚に襲われる。いつ、復讐されてもおかしくはないと、おちおち、寝てもいられない。
そして、限界を迎えると、所構わず寝てしまうという状態が続いていた。今思えば、こうなる前から睡眠不足の傾向は見られたが。最近は、少しずつ眠れるようになってきて、あんな往来のど真ん中でも眠れてしまうほどになった。
「私はあなたが、憎い」
平然を装えるようになったというだけで、感情の濃さは当初から変わっていない。ただ蓋をしているだけだ。
「今でも殺してやりたい」
あかねが、妹に復讐してやりたいと、あれほどまでに固執して、譲ろうとしなかったのも、納得がいく。
──なのに。
「なのに、きっともう、私に殺人は、できないんでしょうね」
人を殺すことの罪深さを知ってしまった。
そして、レイが死んだあの日から、赤の庭園を散歩するとき、周りの音を聞くことを避けている自覚があった。
あれ以来、一人も殺していない。それどころか、帝国内の国々と皇帝である私との間に、和平を目的とした条約を結んでいるくらいだ。我ながら、
昔は、魔族の腕を切り落とすことくらいなら、なんの躊躇いもなかった。だが、今は、
「それどころか、傷をつけることですら、恐れているのだと思います」
──とても悔しい。こんなことなら、もっと早くに封印を解いて、思いつく限りのことをしてやればよかった。
だから、こう考えることにした。
封印があったおかげで、ユタザバンエを──まなの弟を、傷つけずに済んだと。
「ですが。もし、そこから出てくるようなことがあれば、私はあなたを、ただで生かしておける自信がありません。そうなったときには、早めに自殺することをおすすめします。──絶対に、殺せはしませんから」
そうして、もう一度、土をつついた。
***
チアリターナは、ユタザバンエのことを気にかけていた。
そのチアリターナがいるのは、ミーザスだ。だが、まなの幽霊にミーザスに行くなと言われたので、直接は頼みに行くのは抵抗があった。
「となると、念話するしかありませんね」
普通は、両者の了解があって初めて念話を繋ぐことができるのだが、私はドラゴンの血を取り込んでいるため、一方的に念話を繋ぐことも可能だ。
しかし、チアリターナに頼るのは、あくまでも、ベルを救えなかったときの話。だが、事が起こってから対応していては遅い。
そうなると、やはり先に連絡するしかないのだが、相手の出方について考えておく必要がある。
「ベルさんを一人の友として、善意から助ける可能性は低いでしょうね」
情に厚いドラゴンだが、今のところ、チアリターナがベルに働きかけている様子はない。
チアリターナはユタザバンエを特別目にかけており、そのユタザバンエが封印されてから、塞ぎ込んでいる印象だ。死んだわけではないが、やはり、思うところがあるのだろう。
「となると、ユタさんの封印を解けと言われる可能性が高いですが──」
私としては、ユタザバンエをただで生かしておくつもりはない。まなを殺したからだ。
しかし、この考えが露見すれば、チアリターナの協力を取りつけられない可能性が高い。
仮に、ユタの封印を解くとしても、それは、アイネが魔法を使えるようになってからだ。しかし、それまで待っていては、ベルが死ぬ可能性がある。
「さあ、どうしましょうか」
ひとまず、連絡してみようと、城内でも人通りの少ない場所で念話を試みる。ユタの封印がある場所ということは伏せてあるが、立ち入り禁止にしてあるため、ここには誰も寄りつかない。
すると、以外にもあっさりと繋がった。
「チアリターナさん。聞いてほしいことがあるんです」
「──ベルセルリアのことか」
さすがだなと思う一方、どこまで分かっているのかと、恐ろしくもなる。
「ユタの封印を解くというのなら、あやつがゾンビとなって暴れた際、混乱を鎮めるために尽力してやろう」
「──分かりました。条件を呑みます」
念話越しに、チアリターナが息を呑むのが分かった。他の条件を提示したところで動かないであろうことは、容易に想像がつく。となれば、こうするしかない。
もっとも、ベルを救うことができれば、無効になる契約だ。私には、その自信がある。根拠は──私だから。それだけで十分だ。
「……魔法契約を結びたい」
「それは構いませんが、私は訳あって、ミーザスにはうかがえません。今から、カルジャスの地に向かうので、できればそちらからも向かってほしいのですが」
「分かった」
万が一、チアリターナの手を借りることになった際の作戦はいたって簡単で、ユタザバンエの封印を解いた後、すぐにまた、封印する。以上だ。
城の地下には軍の転移用に用意した、数多くの魔法陣がある。持ち主が使うのが当然一番だが、実は、他者にも使用可能であり、私が魔法陣に込めた力の一部を使うことができる。
そして、この魔法陣を使えば、ユタザバンエを封印することも容易い。あの、いかにもあかねが好きそうな、わりと恥ずかしい詠唱をする必要はあるが、たいした苦にもならないだろう。
「ふう……」
あかねやまながいたら、録音でもされていそうなため息をつく。隠し事をするというのは、神経を使うため、疲れる。また、自分よりはるかに高みの存在であるチアリターナに会うということで、どこか緊張している節もあった。
だからだろうか。背後の気配に気づくのが遅れた。
「ママ──?」
悲哀の色が滲む声に振り返ると、そこには悲しそうな顔をするアイネの姿があった。
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