第8-6話 判断基準
「本当に、このまま、ダメになってもいいですか?」
本心から、そう尋ねると、あかねは、
「いいよ。ずっと、甘やかしてあげる」
そう答えた。
──直後、私は夢を操り、剣を出して、その首を斬り捨てる。
「そうだよ。僕は、クレセリアさ。ま、一緒なのは見た目だけだよ。例えるなら僕は、彼に変装してて、彼の日記を盗み見ただけの、彼とはまったくの別モノって感じかな。──でも、よく分かったね?」
落ちた首が喋る。それを視界に入れないようにして、私は返事を返す。
「さすがとしか言いようがないですが、最後が理想に叶いすぎていましたね」
「いや、いかにも言いそうじゃない?」
「私は忘れませんよ。あなたが私のカッコいいところが見たいと言ったこと。ふざけんなって思いました」
「ふざけっ……」
「それから、妹に復讐がしたいとほざき、あまつさえ、それをしていいかどうかの判断を私に委ねたこと。心の底から、彼の死を渇望しました」
「ウケるんだけど」
「他にもいろいろと言いたいことはありますが、最後にもう一つ」
「え、まだあるの?」
「私を生かしたことです。そのせいでどれだけ苦しい思いをしたことか」
「──」
「あのまま、死なせてくれたなら。私はここで、夢に捕らわれて、永遠の眠りについていたことでしょう。ですが、あそこで死んでいたら、私はここにはいないんです」
「……本当に、僕の負けだよ」
それにきっと、彼は、私を心の底から信じている。だから、こんなところに様子を見に来たりはしない。しかも、元の世界とはいえ、アイネの他に、三人も子どもがいる彼のことだ。私のことなどすっかり忘れて、あの世で女遊びに耽っているかもしれない。──とっても嫌だけど、ありそうだ。
「聞きたいことがあるんだけどさ」
「なんでしょうか?」
「どうして、人を殺したの?」
答えはちゃんとある。馬鹿みたいな理由だ。
「失うのが怖かったから。自分から殺してしまえば傷つかないと、そう思ったんです。──それに」
「それに?」
「私が殺してしまったみんなが──まなさんや、お母様たち、それに、あかねが、死ぬ瞬間までシアワセだったらなって。だから、私に殺されたことがシアワセだって、どうしても、証明したくて」
「証明なんて言っても、そもそもの答えが違うんだから、できるはずないんだけどね」
頭の回転も、あかねの数倍、速い。
「やっぱり、あなたはクレセリア様です。私の夢なのであかねしか知らないことも知っていたのでしょうが、それはともかく。こんなところに姿をお見せになるなんて、一体、何があったんですか?」
「──ま、いっか。説明してあげるよ」
そうして、クレセリアが指を鳴らすと、また風景が変化した。
結局、目の前の人物が一体、何であるのか、その答えは出なかった。もしかしたら、あかねでもクレセリアでもない、ただの夢だったのかもしれないし、そうでなかったのかもしれない。
あかねだって、今なら、甘やかしてくれたかもしれないし。
***
そこは、焦土と化した、かつてのカルジャス。ここにいるのは、愛しの兄──あかねを失って、傷心している炎魔龍ベルセルリア、ただ一頭。
五年ほど前に暴れたきり、何の動きも見せず、静寂を保っていた。あれだけ、遊ぼうと、しつこく誘ってきていたあのベルがだ。
「ベルは、五年前、あの焦土で翼を畳んだきり、一度も動いていないんだ。知ってるよね?」
「はい。時々、様子を見には行っていました。ただ、食べ物や飲み物を与えようとしても、一向に受け取ってくださらなくて」
魔法で無理やり栄養を摂らせることも試みたが、吸収される前に、魔法で栄養を取り出して、元の食材に戻してしまう。
それでも、定期的に通ってはいたのだが、どう声をかけても、立ち直る気配はなかった。
「こう見えて、ドラゴンは情に厚いからねえ。懇意にしていた存在が死ぬと、数年落ち込むのは珍しくもないんだよ」
「──それでも、五年も飲まず食わずのままで、ドラゴンというのは生きていけるものなのでしょうか。前回、お会いしたときも、憔悴しきっていて、生きているか死んでいるかさえ、分からないほどでした。それに、とても、嫌な予感がして」
私の予感はよく当たる。予知夢──つまり、夢で見た未来が現実になることも、少なくない。
「そう。実はベルセルリアは死にかけてる」
「やはり……」
「しかも、瀕死のベルセルリアを殺そうとしてる存在がいる」
「──今回の件の首謀者ですね」
「そう。それで、彼女をゾンビにしようとしてるんだ」
ゾンビと言えば、マリキェ島で起きた事件のことを思い出す。ロロが利用されて、ゾンビを大量に作らされたあの事件だ。
「しかし、今回は相手がドラゴンですからね……」
「しかも、この話には続きがあるんだよ」
私はその続きに意識を集中させる。
「ベルセルリアの魂は衰弱してて、たとえゾンビになったとしても使い物にならないんだよね」
「となると──」
「そう。僕の魂が、ベルセルリアの肉体に無理やり入れられそうになってるんだ。どうも、魂だけで現世を長い間さ迷ってると、空の肉体に入りやすくなるっぽくてさ」
「つまり、ベルさんが死亡すると、クレセリア様の魂がゾンビになると」
「そうなんだよ。ドラゴンのゾンビなんて過去に例がないから分からないけど、多分、めちゃくちゃ強い。ま、簡単に言えば、世界の危機だね」
「軽いですね」
「君がいるから大丈夫かなって」
頼られたくないというのは、贅沢な悩みだ。持って生まれたのだから、受け入れて、割りきって、頑張るしかない。
「ここにマナが留まってくれると、僕の魂は夢の中に捕らわれるから、ゾンビにならなくていいんだけど」
「それではベルさんが死んでしまいます」
「助けるつもりなの?」
「見捨てるおつもりですか?」
私の返答に、クレセリアは困った顔を浮かべる。
「あれ以上、あの子に生きる力があるとは思えないけど」
「それでも、まだ取り返しがつくんですから、諦めるわけにはいきません」
私だって立ち直れたのだから、彼女だってきっと、なんとかなる。何より、私はあかねのことを知る彼女に、死んでほしくない。
「それで、もし死んじゃったら、ゾンビになるけど?」
「そうなったら、私が責任を持って倒します」
「マナが強いのは認めるけど、ドラゴンを倒せるほどかは分からないなあ」
「さすがに一人でどうにかなるとは思っていませんよ」
人類最強とはいえ、私は人間だ。ドラゴンに勝てる確証はない。五分五分といったところか。
「ってなると?」
「水神竜チアリターナさんの力を借ります。だから、安心して待っていてください。それか、早く現世を離れてください」
「君に待っててって言われたら、待ちたくなるに決まってるじゃん?」
そう茶化してはいるが、クレセリアの私を見つめる瞳には、不安の色がありありと浮かんでいる。
「そんなに心配しなくても、私は大丈夫ですよ」
「そこはほら、親心的な? いつまで経っても、どれだけ強くても、やっぱり君のことが心配なんだろうね。自分のことだけど」
「ありがとうございます。もう行きますね」
「素っ気な……」
反応の薄さに呆然とするクレセリアに、愛想笑いを返して、夢の世界を出た。
──戻ったとき、周囲はすっかり暗くなっており、大勢の人がいて、私を取り囲んでいるようだった。特に警戒するような気配もないと判断し、ゆっくり起き上がると、人々は一斉に後ろに下がった。
私は冷静に状況を把握する。ヘントセレナの国民たちが倒れている私に気づき、様子をうかがっていたと考えるのが自然だ。
ココロプカにやられたことは見て分かったのだろう。そのため、救急車を呼ぶことはしなかったらしい。とはいえ、どこかに運ぶにしても、相手が血の皇帝となれば、触れることも恐ろしく、だが、放置するわけにもいかなかった、といったところか。
視線が集まっているのを感じる。今さら緊張することもないが、問題は別のところにある。注目されている原因だ。
私は、頬を涙が伝っていくのを、確かに感じていた。衆目に、こんな情けない姿を晒すつもりはなかったのだが、いつの間に、こんなに涙もろくなったのだろうか。
──とても、幸せな夢だった。
現実に戻ってきて、それが決して、叶うことはないのだと知った。
すすり泣きをしているうちに、次第に嗚咽が混ざり始める。止めどなく溢れる涙がどんな感情から来るものなのか、自分でも分からない。ただ、目の奥の熱と、声量だけが増していく。
どれだけ涙を流しても、きっと、心のもやが晴れて無くなることは、決してないのだろう。
「だ、大丈夫、ですか?」
泣き喚く私に、一人がそう声をかけてくる。それだけのことに、どれほどの勇気が必要だっただろうか。だというのに、私はそれに、ろくな返事を返せない。
いつまでも、泣いてばかりはいられない。
「……うん、だいじょうぶ」
強がってみても、声は震えているし、涙は流れていくし、嗚咽は抑えられないけれど。これ以上、みんなに不安を抱かせるわけにはいかない。
何より、ベルの命が危険なのだ。立ち止まっている暇はない。
涙を拭い、砂を払って立ち上がる。大きく息を吸って、気持ちを落ち着かせる。
「ごめんね、心配かけて」
そう言うと、国民たちの間にどよめきが広がる。最初は、私が謝ったことや、泣いたことに対しての動揺の色が濃かったが、やがて、
「そうだよなあ。陛下もまだお若いもんなあ」
「なのに、ご家族もあかね様も失われて……」
「陛下も人間だったんだって、ちょっと安心したよな」
「マナ様だったときから、わりと人間離れしてて、遠い存在ー、みたいなとこあったし」
「泣いてるところ、初めて見たよねー」
「ヤバい、本物、超可愛い……」
そんな声ばかりが聞こえてくる。
きっと、ここにいるのは、私に家族や友人を奪われた人ばかりだ。知り合いが一人も死んでいない人など、そうはいないだろう。
だというのに、誰一人、私を責めない。そんな、理想でしか叶わないようなことが、現実に起こり得てしまう私自身の力に、心が痛む。
だが、私は無理やり笑みを浮かべる。皆の唱える理想でありたいと、そう思うから。
「みんな酷いなあ。私のこと、そんな風に思ってたの?」
その一言で、一瞬にして場が静まり返った。
ちょっとした皮肉のつもりだったのだが、効き目がありすぎたらしい。
それもそうか、と思い直す。今の私なんて、みんな怖いに決まっている。
そうして、これ以上の長居は迷惑をかけるだけだと判断し、私は軽く大陸を持ち上げ、エリザクラをポカッと殴った後で、ノアへと戻った。
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