第8-4話 叶わずの今

 アイネたちに断りを入れて、まなに言われた通り、私はヘントセレナに来ていた。相変わらず、大陸ごと沈没していて、白いベールのようなものに覆われている。


 以前のように侵入すると、また、目の前に箱があった。以前、壊したはずだがと思いつつ、また小さいまなに会えるかもしれないと思って、箱を開けた。


「──」


 広大な草原が広がり、空は青く、白い雲が浮かんでいる。草原には笑い声が響いていて、私は近くへと意識を引き戻す。


 そこには、あかねとまながいて、アイネが楽しそうに駆け回っていた。


「アイネちゃん、あまり遠くまで行かないでねえ。パパ、追いつけないから」

「やだー!」

「ちょっと、言ってる暇があったら、追いかけなさいよ」

「無理だって! アイネちゃん、マナの運動神経、もろに引き継いでるんだよ!?」

「魔法でもなんでも使えばいいでしょ?」

「えー。マナ、アイネちゃん追いかけてきてえ?」


 私は声も出せないまま、あかねやまなに近づく。


「マナ、どうかした?」


 あかねの声で、私はやっと気がつく。


「クレセリア様ですか」

「おっと、また気づいたの? 今度は気づかないかなって思ってたのに」

「私は、榎下愛ですから」

「なるほど、文字だから分かったってことね。いや、メタい!」

「マナ、早くしないと、アイネがどこかで怪我するかもしれないわ。行きましょう」


 だが、白髪の少女やアイネは本物そっくりだ。思わず、まなの言う通り、追いかけてしまいそうになる。


「マナ、どうしたの?」


 まなの肩に手を当てると、そこには、感触があった。本物でも幽霊に会うのと、偽物でも体温があるのとでは、全然、違う。


「こうなることも、知っていたんでしょうか、まなさんは」

「マナ?」

「もう、なんで追いかけて来てくれないの!」


 そうして、アイネが頬を膨らませて、戻ってきた。まるで、そこに本当にいるかのようだ。


 だが、これはあるはずのない光景だと、私は知っている。


「アイネちゃん、ちょっと、いや、だいぶ速すぎるんだよね」

「パパ嫌い」

「どわっはあぁっ!?」

「まなちゃんもどうして来てくれないの?」

「えー、だって、疲れるじゃない」

「疲れても子どもと遊ぶのが大人の役目でしょ!」

「ほら、ママに頼みなさい。ママならどれだけ走っても疲れないから」

「ねえー、ママー。二人とも遊んでくれないー」


 そんな今も、あったのだろうか。


 何かが違えば、まなが生きていて、私が自殺しようとすることもなくて、それにあかねが巻き込まれることもなくて、こうしてアイネと一緒に、みんなで笑っていられたのだろうか。


 ああ──。


「──ずっと、ここにいたいな」


 心配そうに見つめるまなや、可愛いアイネが目に入る。それでも、私にはやらなければならないことがある。


「アイネ。帰ったら、いっぱい遊びましょうね」

「今じゃダメなの?」

「我慢ばかりさせて申し訳ありません。──クレセリア様。お話がしたいのですが、どちらに向かえばよろしいですか?」

「別に、ここでゆっくり話せばいいじゃん?」

「いえ、ここは危険すぎます。現実に戻れなくなると、困るんです」

「……君は本当に強いよ」


 クレセリアが──あかねにはできないのだが──彼の体で指を鳴らす。すると、景色が一転し、アイネとまなが消えた。


「ま、その辺に座りなよ。前とは違って急ぐ用もないでしょ?」


 そうして、私はクレセリアの隣に座る。


「あの箱は、前と同じものですか?」

「そう。モンスターの一種だね。大昔に、記憶を食べる種族がいて、その種族のために効率よく記憶を集められるようにって、開発されたモンスターだよ」

「名前は?」

「ココロプカ」

「……相変わらず、間の抜けた名前ですね」

「そう言ってあげないでよ」


 私の知るモンスターを列挙すると、ノラニャー、モーファロー、ハニーナ、カルカル、シーティリア、クラゲベス、それから、ココロプカ。クラゲベスなんて、人の命を脅かすこともあるのだから、クラゲノドンとかにしてしまっても構わないような気がしてくる。


「それはともかく、どうして、今回はこのような夢になったのでしょうか」

「そりゃ、あかねの死に対しての考え方が変わったんじゃない? 前のときはだいぶ辛そうだったけど、今はそうでもないみたいだし」


 確かに、生きているあかねの姿を目の前にしても、もう、そんなに辛くはない。まったくというわけにはいかないが、目を背けたくなるほどではない。


 泣いて、泣き喚いて、泣き続けて。彼のことを考えて続けて、やっと、泣き止んで。私を庇って死んでしまった彼のことを、ようやく、許せたのかもしれない。


 まなが会いに来てくれて、私はもう、彼なしでも生きていけると、気づいたからかもしれない。


 レイが人を殺してはいけないと言ったから、心の中でだけは、生かすことにしたのかもしれない。


 もしかしたら、あかねがこの間よりも、本物にそっくりな気持ち悪い体格をしているからかもしれない。


「──何年も変わらなかったものが、変わるときには一瞬ですね」

「終わってみれば、そんなものだよ」

「いえ。まだ、何も終わっていません。レイがどうして死ななければならなかったのか、その理由が不明です」

「そういう意味じゃなかったんだけど、そうだね。僕が知ってる限りのことを話すよ」


 それから、クレセリアは話し始めた。

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