第8-3話 あの日の真実

 そこには白髪の少女がいた。目つきの悪い、赤い瞳がこちらを見ていた。私は何度か目をこすり、自分の頬をはたいて、これが夢でないことを確信する。


「……なんで」

「なんでって、あんたが心配だったから、わざわざ天上から来てあげたのよ。一応、ハーフだから、人間の霊解放で降りてこられたってわけ」


 この物言いは、間違いなく、彼女だ。この声も、表情も、すべてが、目の前の存在が彼女であることを証明している。


 聞きたいことは、山のようにあった。


 だが──。


「まなさん」

「何?」

「まなさん」

「何よ」

「……。まなさん……っ!」

「何、マナ?」

「──うわあああん!!」


 まなが困っているのは分かっていたが、それでも、涙を堪えることはできなかった。


***


「本当によく泣くわね」

「ごめんなさい──」

「別に、あんたの涙なら、誰も咎めたりしないでしょ」

「まなさんも、ですか?」

「ええ、もちろん」


 その笑顔に安心して、私は目元に残る涙を雑に拭った。


「なぜ、見えるんですか?」

「それは、あんたが死にかけてるから」

「ちゃんと薬を飲んでいますから、ゴールスファ病の進行は抑えられていますよ?」

「知ってるわ。でも、死期が迫ってるのは事実よ」


 思い当たる節は多いが、一番濃厚なのは、今回の事件の首謀者が、ミーザスを訪れた私を暗殺するというパターンだ。レイは、どこかに監禁されて、魔力を吸われ、満身創痍にも関わらず、瞬間移動で私の元に駆けつけた挙げ句、雑兵にやられた。私は、そんな風にやられるつもりはないが。


「よく、分かります」

「ミーザスに行くのはやめなさい。死ぬわよ」

「亡くなったまなさんに言われると、説得力があるような、ないような……。というよりも、まなさん、自分が死ぬと分かっていたのに、黙っていましたよね?」

「そりゃあ、あたしが死ぬって知ってたら、あんた、無茶するでしょ?」

「そのせいで、とっても寂しいんですが」

「それはあたしを葬ったユタに言いなさい。今も封印されてるんでしょ? ここの地下に」

「……はい」


 私は思考のまとまらないまま、まなの顔を見つめ、生返事をする。


「それで話を戻すけれど、しばらく、ノアで療養してなさい。セトラヒドナにも行かない方がいいわ」

「しかし、放置しておくわけには──」

「こんな助言くらいしかできないんだから、ありがたく受け取っておきなさい」


 そう言われてしまうと、彼女の願いを聞いて、動かない方がいいのだろうが。


「もし、どうしても、どこかに行くんだとしたら、まず、ヘントセレナね。あの箱の正体とか、突き止めてきたら? 何見てたかは知らないけど」

「手のひらサイズのまなさんの夢を見ていました」

「あんた、どれだけあたしを小さくしたら気が済むのよ……?」


 こんな風に話しているだけで、自分がどれだけ、彼女のことが好きなのか、思い知らされる。それから少しして、別れ際のことや、その後に見た夢のことが思い出される。


「まなさん、蜂歌祭で声を盗ったのは自分だと、そう仰いましたよね」

「ええ、事実よ。悪いとは思ってるわ」

「──なぜ、そんなことをなさったんですか? 何か理由があったんですよね?」

「理由があっても許されることじゃないでしょ」

「それでも、せっかくこうして話せたんですから、教えてください。それだけが、まなさんとの間で、ずっと、心残りだったんです」


 その手を掴もうとして、触れることは叶わなかった。私のことが見えているのかどうかさえ、疑いたくなるほどに、彼女の存在は希薄だった。


 すると、まなはため息をついて、仕方ないといった様子で語り始めた。


「……お父さんに聞いたの。正式に即位した女王以外が蜂歌祭で歌うことは、許されていないって。たとえマナでも、女王以外が代理として歌えば、ハニーナが暴走して、大きな針でその胴体を貫くそうよ」


 つまり、あの場で歌っていれば、私はハニーナに体を貫かれて死んでいたということだ。返り討ちにしていた可能性もあるが、どのみち、平和には終わらなかっただろう。


「──ほら、やっぱり、私のためだったじゃないですか」

「そりゃあ、嫌がらせで盗ったりしないわよ」

「まなさん、愛してます」

「はいはい」


 本来なら、あの日、宿舎に帰ってからしていたはずの話。その答えが数年越しに、ようやく聞けた。


 あの後、冷静になってから、まなが理由もなく、酷いことをするはずがないということには、すぐに気がついた。それでも、こうして、彼女の口から聞きたかったのだ。


「まなさんは、私をどう思っているんですか?」

「また、面倒な彼女みたいなこと言い出したわね」

「ちゃんと答えてください」


 照れた様子で目を反らそうとするまなの目を、真っ直ぐ見つめる。


「どうしてまなさんは、私たちのためにここまでしてくれたんですか?」

「ちゃんと手紙で伝えたでしょ? あんたたちが大好きだからよ。伝わらなかった?」

「伝わりました。とっても、伝わりました。でも、いつからですか? きっかけはあったんですか? 私は、ここまでしてくれたまなさんに、何も返せなくて。何も知らずに生きてきた自分が、どうしても、許せなくて。本当に、本当に、とても後悔して──」

「馬鹿ね、あんたは真面目すぎるのよ。あたしが友だちだって思ってるんだから、それでいいじゃない」

「良くないです!」


 私が叫ぶと、まなは少し驚いた顔をして、それから優しく笑った。


「確かに、あたしだって逆の立場なら、怖くて逃げ出してたかもしれないわね。だから、マナには何も言わなかったのよ。あたしを避けてほしくなかったから」

「そんなに優しくされたって、優しくされた方は辛いだけです……」

「それが分かってても、そうしたかったんだから、仕方ないでしょ? それに、あんただって、自分のことなんて顧みずに、四天王からあたしを助けたらしいじゃない」

「四天王ごときでは返しきれません……。全然、足りない……っ。なのに、どうして勝手に死んだりしたんですか!? それじゃあ本当に何も返せなくなるじゃないですか!!」


 自分でも何を言っているのか、よく分からない。まなを責める理由はどこにもないはずなのに、彼女は何も悪くないのに、どうして、責めてしまうのか。


「あんた、本当にあたしの前だと、よく泣くわよね」

「まなさんのせいです……!」

「あはは、ありがと、マナ。そんな風に、素直に感情をぶつけてくれると、すごく、安心する。きっと、立場が逆だったとしても、マナがいてくれたら、大丈夫だったんじゃないかしら」

「そんなことないです。私はまなさんがいないと、何もできなくて」

「いつまでも甘えてんじゃないわよ、まったく。──あたしがいなくても、もう大丈夫だって、早くあたしを安心させなさい。あんたが心配で、全然天界に行けないわ」

「まなさんでも、天界に行けるんですか……?」

「はっ倒すわよ。──あはは」


 まなが笑顔でいてくれるから、それに笑顔で返そうとするけど、やっぱり、上手く笑えない。大丈夫だと言えない。


「まなさんのお墓、セトラヒドナにあって、全然、お参りに行けていないんです」

「知ってる。誰も存在すら知らないから、埃被っちゃって、結構可哀想なことになってるわよ」


 まなは搬送先の王都で命を落とした。だが、彼女には魔王の娘という肩書きがあるため、魔王城に身柄を送るという話も当然出た。


 しかし、まなの両親はすでに他界しており、ユタが即位したことで、実質、まなから王女の資格は失われていた。加えて、ルジの一言もあり、私は当時の王都に勝手に埋葬してお墓を立てた。


 だというのに、その地を護ることができなかったのだ。それだけが、唯一の大失敗だ。


「もう! なんで私はあんなところにお墓を建てたんですか!」

「まあ、無理に取り返さなくても──」

「取り返します。意地でも、取り返してみせます」

「別にいいけど、あたしはもう死んでるんだから、生きてる人たちを優先してあげなさいよ? アイネだって、今まですごく寂しがってたんだから」

「……あんなによくしてくれたのに、アイネ、まなさんのこと、覚えてないんです」

「別にいいわよ。まあ、ちょっとは覚えててほしかったけど、仕方ないわ。まだ小さかったし」

「でも、まなさんのちょっとは、とても、という意味ですよね」

「勝手に翻訳しないでくれる?」


 ふっと、笑みが溢れた。二人で笑い合って、笑って、笑って、涙が流れてきた。


「まなさん、ずっと側にいてください──」

「それは無理。もう行くわね。さようなら」

「え! ぅ、あ……」

「あ、伝言を忘れてたわ」


 引き留める言葉が思いつかず、まごまごしていると、まながそんなことを言った。


「他人に頼るのは、悪いことじゃないわよ。それだけは、覚えてて。それじゃあ──」

「あ、待って!」


 今度こそ立ち去ろうとするまなに、私は声をかける。それから、とびきりの笑顔を浮かべて。



「私はもう、大丈夫です。まなさんや、あかねや、レイがいなくても、もう、大丈夫ですよ」



 それは、ただの強がりだったけれど。


「──すごく、安心したわ。ありがと、マナ」


 その一言が、聞きたかったのだ。


「本当に、ありがとうございました。まなさん」


 彼女が去り、再び流れ始める涙が収まるのを待って、目元を冷やして腫れを引かせる。それから、何食わぬ顔で、私はアイネたちのもとへと戻った。まだ少し赤いが、夕焼けのせいにしてしまえば、なんとでも誤魔化せるだろう。

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