番外編 三度目の破壊 4

 ──だが、それも含めて、計算通りだ。


 私は剣を手放し、空中に置き去りにすると、あかりの足を、ヒールで躊躇いなく、踏みつけた。


「いったあっ!? 刺さってる刺さってる!」


 逃げられないよう、力は抜かない。抵抗をされても、ここからなら絶対に勝てる自信がある。だから、その姿勢のまま、持ち直した剣を首に突きつけて、問いかける。


「正直に名乗りなさい。これが最後の勧告です」

「せめて零まで数えてよ!」

「誰が五秒待つと言いましたか?」

「騙されたっ!」


 ヒールをぐりぐりとねじると、彼は、また悲鳴を上げ、ついでに両手も上げる。ある程度、手加減はしているつもりだが、なにせ、ヒールで人の足を踏んだことはないので、具合は分からない。


「だから、記憶がないんだって!」

「あまりふざけたことを抜かすと、私も手加減できないかと」

「本当に本当なんだって! 信じてよ!」

「そうやって、あなたには何度も騙されていますから。信用できません」

「それ僕じゃないし! 分かった、ちゃんと説明するから! 足どけて! 痛い!」

「その前に手を後ろに組みなさい。それから、魔法を使えないように拘束もします」

「もうちょっとこいつを信用してあげて!?」


 そうして、手錠を壁に繋ぎ、私は渋々、説明を聞くことにした。一応、防音魔法をかけて。


「僕、元々、自分がどんなだったか覚えてないんだよね」

「言いたいことはそれだけですか?」

「ま、待って。それから、取り憑いてる人の思考をのぞくことができて、自然と性格もその人に似ちゃうっていうか。あ、一応、自分がクレセリアの魂だってことは自覚してるんだけど」


 要領を得ない説明まで、本人そっくりだ。いや、本人よりはまとまっているだろうか。


「──つまり、あかりさんの記憶を見られるということですか?」

「そうそう! てか、こいつの過去に興味あったりするの? 今なら、どれだけでも聞かせてあげるよ?」

「いえ。あかりさんごとき、私にとってはどうでもいい存在です」

「ごときって、すごい言われよう……」


 弱味を握れるという意味で少し興味があったが、そもそも、そんなことをするまでもなかったと、思い直す。


 それよりも、目の前の人物の言葉は、信用できない。主に、顔と声が。


「もしかして、実はあかり本人だと思ってる?」

「いえ。本人でないのは確かです。先の身のこなしを見ればそのくらい分かります。彼はあの性格にして、頭も悪ければ、運動もできませんから」

「事実だから否定できない……。でも、こいつにだっていいところくらい──」

「いいところが一つもない人など、いないと思いますが?」

「その通りだけど! ほら、顔がいいって、それだけですごくない?」

「世間の評価は高いようですが、私の好みではありませんね」

「可哀想すぎる!」


 人から評価されているのだから、私一人に評価されなくても、別に、可哀想ではないと思う。万人に好かれるものなど、この世に存在しないだろう。


 それに、もちろん、あかりにもいいところはたくさん……いくつかはある。本人が気づいていないところも。まあ、本人には、言わないけど。


「仮に、あなたの発言がすべて真実だとして、どうしてあなたはあかりさんに取り憑いたのですか?」

「え? だって、千年くらい封印されてたんだよ? 僕。外の世界とか、普通に見たくない?」

「それなら、私たちを襲った理由は?」

「えええ、先に襲ってきたのそっちじゃん……」


 私はよく考えてみる。


 確かに、彼は私の目の前に移動しただけで、攻撃はしていない。とはいえ、あのときは、明確な敵意を感じ、反射的に反応したと思ったのだが、今は、まったく感じられない。


「まあ、それで良しとしましょう」

「良かったあ……。てか、マナもよく僕に手加減しなかったよね。本当に首が切れてたらどうしてたのさ?」

「彼は勇者ですから、そう簡単には死にません。それに、死んだらそのときです」

「いや、殺さないで!?」


 とはいえ、時計塔の予言は絶対。勇者と魔王はお互いにしかお互いを殺せない。過去数千年の歴史の中に、例外は一つたりともない。過去に魔王や勇者を狙った事例も多々あるが、すべて、失敗している。つまり、記述がない限り、勇者が死ぬことは絶対にないのだ。


「あと、足がすごく痛いんだけど」

「それくらい自分の魔法で治してください」

「冷たい……」


 そんな会話をしながら、私はため息を飲み込む。冷たいと言われたことに対してではない。──ただ、実際のあかりは、私にここまで心を許していないのだ。


 彼が他の人に対して、こんな風に話しているところはよく見かけるが、私だけがいつまで経っても警戒されている。出会ったときからずっとこうだ。


 それが気になって、足を治している彼に、つい、問いかけてしまう。つい先日、なぜか彼から渡された指輪を撫でながら。


「あかりさんは、私が嫌いなのでしょうか?」


 とはいえ、ほぼ確信していた。なにせ、初対面の印象がある。出会い頭に殴られたのだから、少なくとも、向こうにとっては印象最悪だろう。


 ──でも、私にとっては、それまでの悩みのすべてから解放してくれたような気がして、実は、わりと好印象だった。


 だから、できることなら、もう少し、仲良くしたい。せめて、差し伸べた手を取ってもらえるくらいには。


「嫌いじゃないよ。ただまあ、怖いっていうのと──」

「怖い? こんなにも、か弱い私のどこが怖いと?」

「か弱いって言葉の意味、知ってる?」


 クレセリアカリの言葉を遮って質問し、問い返された私は、小さく咳払いをする。──嫌いではなかったのか。


「人の心を勝手に暴露してしまうのは、倫理に反しています。あかりさんの意志がそこにない以上、彼がどう思っているか口外するのはやめてください」

「いや、聞いてきたのそっちじゃん。それに、知りたいんでしょ?」

「知りたい以上に、人としてどうかと」

「今、ここには僕とマナしかいない。それなら、君さえ黙っていれば、誰も傷つかずに済むって、そう思わない?」

「ダメなものはダメです」


 人から相談されて、口止めされている事柄を他人に告げ口するようなものだ。いや、すでに許可もなく心を覗いている以上、いっそうタチが悪い。


「じゃ、言い方を変えよう。──お願い、マナ。彼を救ってあげてほしい。それができるのは、きっと、君しかいないんだ」


 ──そう頼まれると、私は弱かった。


 困っている人を放っておけないのは、ある種の弱さでもあると、自覚はしていた。


 ただ、届くところには手を伸ばしたいと、そう思い、行動することの何が悪いのか。


「まだ、あなたの発言のすべてを信じたというわけではありませんよ」

「信じなくていいし、手錠も外さなくていいけど、今しかないからさ、聞いてよ」

「今しかない? ──分かりました。聞くだけ聞きましょう」


 あかりに取り憑いた何者かは、手錠をつけたまま、静かに話し始めた。


***


「こうして、得体の知れない何かに取り憑かれたあなたは、自分の過去について話し始めました」


 僕は、そこで、待ったをかける。


「いや、ちょっと待って。──過去って、どこからどこまで聞いたの?」

「それを聞いたら、また倒れてしまうかもしれませんよ」

「そのときは優しく介抱して」


 愛は、思わず魅入ってしまうほど、美しい微笑を湛え、言葉を選んで口を開いた。


「……そうですね。少なくとも、あなたの口から聞いたことはすべて」

「ってことは、親、殺される、食べる、吐く、の下りも?」

「聞きました」


 それは、つい最近まで、言わないようにしてきたことだった。親を食べたなんて聞いたら、誰でも嫌悪感を抱くだろう。すごいパワーワードだなと思う。


 ただ、分かっていることではあったが、愛はそれでも僕を遠ざけたりしなかった。その優しさに今までどれほど甘えてきたことか。


「じゃあ、車椅子だったことも、学校に通わせてもらえなかったことも、家から出してもらえなかったことも、嫌がらせされてたことも?」

「はい。知っていました」

「……女の子たちと、その、させられたことも?」

「千人は相手がいたと聞きました。最初はあかねさんから被害を受けたとも。当時は何の話か分かりませんでしたが」

「いや、千はさすがに言いすぎ──」

「一年が一体何日あると思っているんですか?」

「……百日くらい?」

「三六五日です。それが三年と経たないうちに千日を超えるんですよ?」

「うわあ、そう言われると、なんかありそうな気がしてきた……」


 顔と名前を覚えるために、相手の女性──たまに男もいたがそれはともかく──彼女たちのフィギュアを僕は作った。小麦粘土で色までつけて、そこに知っている限りの情報を書き込んでいた。あれも千体を超えていたということになる。


「それから、背中に刺青を入れられたこと、とある組織に引き込まれて拷問や暴力をさせられたこと、下っ端で、殴る蹴るの暴行は当たり前に受けていたとも聞きました。俗に言う、清掃業というやつを請け負っていたと」

「そこまで知ってたんだ。でも、そうやって人から聞くと、僕って結構、可哀想な気がしてくるね」


 それがすべてではないが、刺青は僕の人生でも、トップスリーに入るくらいのトラウマだ。その傷は一生消えることがなく、これのおかげで、愛との婚約もなかなか認められなかった。というか、認められていない。主に、シスコンのお兄さんが、背中の皮を剥いで差し出すくらいのことをしないと、許してくれそうもない。


「私はカッコいいと思いますよ」


 内心を見透かしたように言う愛に、僕は内心、ほっとする。それから、愛は立ち上がって僕の背中に抱きついてきた。


「大丈夫。私がついてます」

「──うん。ありがとう」


 愛の体温をたっぷりと感じ、心が落ち着いてくると、今度は背中に当たる、柔らかい感触の正体に意識が集まり始め、心臓が高鳴るのを感じる。


 ──いやいやいや、いつから僕はこんなにピュアになったんだ? 少し前まで、むしろ何も感じないことを悩んでいたはずだけど? おっと、これはマズイぞ? おっとおっとおっとととー?


 そのとき、耳に息を吹きかけられて、


「ひゃんっ!」


 と、自分でも引くレベルの高音が出た。


「何を今さら、そんなに緊張しているんですか?」

「愛が可愛すぎるのが悪い!」

「そうですか。大変ですね」

「いや、ほんとに色々と大変だから、ちょっと離れて?」

「んー、やだ」

「このままだと死ぬ! マジで死ぬから!!」

「やだ」

「やだ。じゃなくてさ!?」


「──元気になったのはいいけれど、さすがにちょっとうるさいわよ」


 と、隣の部屋からまなの声が聞こえて、僕たちは冷や水を浴びせられたように正気に戻る。ここの壁は壁の役割をしてくれないということを忘れていた。


 愛はまなのお叱りとあって、さすがに素直に聞き分けていた。僕が言っても聞かないのに、格差を見せつけられた気分だ。


「──話を戻すけど、愛はその頃から全部知ってたってことだよね?」

「はい。あれは確か、あなたが来て、まだ一ヶ月も経たない頃でしたね。──そんな短期間で三回もクレセリア像を壊したんですか。こら」

「こらって可愛い……じゃなくて、それは、ほんとに、ごめん。てか、そんなときから? え、じゃあ、知らないふりして話とか聞いてくれたりしてたの? ──愛ってどんだけ優しいの?」

「私の優しさは世界を救います。とはいえ、今、教えてしまいましたが」

「そりゃあ、世界だって救えるよ……」


 むしろ、彼女は、もう少し自分の行いに対して、見返りを求めてもいいと思う。まあ、欲を見せないのが彼女の主義であり、それは解けない呪いのようなものなのだが。


 ──愛にすべてを話したのは、出会って二年経った頃のこと。つまり、彼女はその二年もの間、そっと見守ってくれていたのだ。僕が妹に酷いことをされないように。


 もしあのとき、それを知っていたら──いや。仮にそうだとしても、おそらく何も変わらなかっただろう。


 何があっても、僕は一度、愛と別れるべきだったのだ。

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