番外編 三度目の破壊 3

 ──仰向けになる彼の喉元に、木刀を突きつけ、私は終了を宣告する。


「今日はここまでにしましょう」

「あのさあ……これ、やる意味ある?」

「少しずつですが、確実に強くなっていますよ」


 足元で寝転がるあかりに手を差し伸べると、彼はその手を払い、草地に手をついて、自分の力だけで立ち上がる。そして、よろけながら室内に戻っていった。


 それを見届けて、私は彼からもらった、ピンクトルマリンの指輪の表面をそっと撫でる。


「マナ様、お疲れ様です」


 横からかけられた声に、悩みを振りきって、私は咄嗟に笑みを浮かべる。琥珀髪のツインテールに黒い瞳の、小柄な少女だ。今は使用人として城に仕えており、黒メイド服を着用している。メイド服のデザインは先日、私が考えたものに変更された。


「ありがとうございます、あかねさん。ですが、全く疲れてはいませんよ」

「あはは、今日も一瞬でしたもんね。でも、あれで本当に、あかりは強くなっているんですか?」

「私はただの強さの指標ですから。強くなれるかどうかは彼次第です。それに、おおかた、レックスにでも指導してもらっているのですよね?」


 レックスは私に剣を教えてくれた、先代の勇者であり、剣神と呼ばれる存在だ。私に一本取られてから修行に出たが、あかりが召喚されてから、城に戻ってきた。


 きっと、弱いものいじめが大好きで、あかりをいじめて楽しんでいるに違いない。その結果、あかりが強くなるのはいいのだが、どうにも、気に入らない。


「なんだ、知ってたんですね。でも、あかりには内緒にしてあげてください。本気でやってるの、マナ様には知られたくないみたいですから」

「そうなんですか、気をつけますね。──それにしても、『私に勝てたら、お願いを一つ聞く』と約束はしましたが、まさか、ここまで本気になってくださるとは。思いもしませんでした」


 正直、すぐに諦めると思っていたので、不満を言いながらも、一ヶ月近く続いていることに、私は深く感心していた。


 ──きっと、あかりの願いとは、勇者を辞退することなのだろう。それほどまでに、勇者を辞退したいから、頑張れるのだ。


 とはいえ、彼には運動における才能が壊滅的になく、このままがむしゃらに練習を続けたところで、私に勝てるとは到底、思えない。


 もちろん、私も強くなるために日々訓練をしている。あかりの成長を見て、気を引き締める。そんな日々が続く。


 ──瞬間、破裂音が響き、私はとっさにあかねを庇う。ガラスが数枚割れ、破片が外に散らばり、風が髪をさらう。ガラスから離れたところにいた私たちにも伝わるほどの衝撃だ。


「お怪我はありませんか?」

「は、はい……」


 これほどのことができる人物は、能力的にも、精神的にも、今、ここには、あかりしかいない。私たちの他にこの建物には誰もいないのだから。


 おそらく、いつものように物に当たったのだろう。すぐに癇癪を起こすのは彼の悪癖だ。


「様子を見に行くので、ついてきていただけますか?」

「もちろん、行きます」


 廊下を歩き、割れたガラスを、魔法で再生する私の後ろに、あかねが続く。


 これで、彼が城を破壊するのは何度目だろう。城のものなら、何を壊してもいいとでも思っているのだろうか。


 とはいえ、たいていのものはすぐに直せるので、人を傷つけさえしなければ、別に壊してもらっても構わないのだが。


「──また、魔力が強くなっていますね」

「前よりもたくさん壊れてますもんね……。申し訳ありません、マナ様。あかりが迷惑ばっかりかけてしまって」


 拳を壁にぶつけるくらいなら可愛い八つ当たりだが、そうではない。彼は辺り構わず、自身で制御もできない魔法を、本気で放つのだ。


 ──まあ、屋外でやられると、どこに被害が及ぶか分からないので、せめて、屋内でやるようにと指示したのは私なのだが。


「あなたが謝ることではありませんよ、あかねさん。それに、このくらい、大した迷惑ではありません」


 最初に出会ったときなど、彼は国王に土下座を迫ったのだ。あれ以上の迷惑はそうそう起こさない、と信じたい。


 そうして、進んでいくと、すぐにあかりは見つかった。しかし、なぜか床に倒れている。


「あかり、どうし──」


 近寄ろうとするあかねを、私は手で制止する。


 衝撃でガラスが吹き飛んだのはともかく、直接あかりが怒りをぶつけた物は何だろうかと、辺りを見渡し──、床に転がる、龍神クレセリア像の首を見つけた。


「──嫌な予感がします。下がってください」


 前方への警戒を緩めず、私とあかねはゆっくりと後ろへ下がる。今日はクレセリアの生誕祭で、街にはこの像のレプリカが飾られている。──つまり、今、本物が壊されたというわけだ。


 そんな大事な像を変なところに置いておくなと思うかもしれないが、龍と称されるだけあって、宝物庫に入れられる大きさではない。そのため、ここは、ほぼ、クレセリア像専用の施設なのだ。


 その敷地の庭を、あかりが私に挑む場として提供し、施設自体は彼がストレスをぶつける場所としている。


 ──さらに言えば、この像は簡単に傷がつくようなものではない。たとえ、あかりに壊されるのが三度目であったとしても。


「確か、あの像って、クレセリアの魂が封印されてるんですよね?」

「そう伝えられています。クレセリアは人々と魔族の仲を修復するために、自らが世界の敵となり、この世の生き物の数を半分に減らして封印されたそうですから。さすがの私でも、太刀打ちできないかもしれません」

「半分に……」


 とはいえ、ただの言い伝えだ。私も皆も、本気で信じているわけではない。だからこそ、この建物を使用していたのだ。


 ──不意に、あかりの体が宙に浮き、操られるようにして、ぎこちなく立ち上がった。明らかに普通ではない。


 そのとき、感情の色を失った黒瞳が、こちらに敵意を向けているような気がした。


「ど、どうしましょう、マナ様?」

「とりあえず──っ!?」


 意識を集中させていたにも関わらず、あかりの姿をしたそれは、知らないうちに息のかかるほどの距離にいた。


 私は咄嗟にあかねを抱えて、後ろに跳び、軽く三発ほど魔法を発射する。しかし、簡単にかき消されてしまう。


「あかねさん、逃げてください。決して、人を呼ばないように」

「マナ様……無理はしないでくださいね」


 理解の早いあかねに感謝しつつ、相手から放たれた、通路を塞ぐほどの炎の球を、大量の水で相殺する。この世に私以上に強い存在はいないので、誰かに来られても邪魔になるだけだ。


「へえ、なかなか強いじゃん」


 あかりの声でそう言ったのが聞こえて、私は隠さず顔をしかめる。本人そっくりな話し方だ。確実に本物ではないけれど。


「これは何の冗談ですか?」


 そう尋ねると、あかりの親指が自身を指差す。


「こいつが三回もあの像を壊してくれたおかげで、やっと封印が解けたんだよねえ。その上、今日は生誕祭で、世界中からが集まってるみたいだから。──でも、クレセリアの像を三回も壊す馬鹿なんて、絶対いないと思ってたからさ、ほんと感謝だよ」


 生誕祭までに三回壊すことが、封印を解く条件だったのだろうか。それを知っていたら、二回の時点で何かしらの対策を講じることができたかもしれない。──今さら考えても、仕方ないが。


「馬鹿という部分は非常に共感できますが、それはそれとして。あなたは、どちら様ですか?」

「そりゃあ、龍神クレセリアの像から出てきたんだからさ、説明、いる?」

「名乗る気はないということですか。ならばここで切り捨てるまでです」


 工具用の槌を氷で造形し、手中に顕現させ、そっと指輪を撫でる。気合いを入れる、おまじないのようなものだ。


「いや、ハンマーでどうやって切るのさ……?」

「もう一度問います。あなたは、誰ですか? 五、四、三──」

「ま、待って待って! 僕は、榎下朱──」


 首めがけて、槌をカーブさせて投げ、囮とする。その間に走って近寄り、本命の背中に隠しておいた剣で、槌とは反対側から首を狙う。


 しかし、そのどちらもが反りの姿勢でかわされた。

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