番外編 三度目の破壊 1
「あかりちゃん、あかねちゃんのオモチャほしい」
「えーやだ。あかねちゃんが、さきに、つかってたんだもん」
あかりはいつも、人のものを欲しがった。
「あかねちゃん。あかりちゃんにあげなさい」
「でも、これ、あかねちゃんが、さきに……」
「あかりちゃんは、あかねちゃんのなんだっけ?」
母はいつも、同じことを尋ねた。
「あかりちゃんは、あかねちゃんの──」
母がいつもの一言を言い終える前に、あかねはオモチャを投げた。
「もういい!」
あかねは、些細なことで癇癪を起こして泣いた。双子なのにどうして、と。
「あー……ごめんね、今のはお母さんが悪かった。でも、物を投げるのは危ないからダメだよ。分かった?」
「……ごめんなさい」
「よしよし、ちゃんと謝れたね。偉い!」
良い母だったと思う。父も良き人だった。
ただ一人、あかりを除いて。彼らはごくありふれた、幸せな家族だった。
***
目覚めてすぐに、視界を腕で覆う。
──久しぶりに、この世界に召喚される前の夢を見た。元の世界に戻りたいと思ったことはない。むしろ、召喚してほしいと毎日のように思っていたくらいだ。
転生を夢見て、トラックに突っ込んで病院で目覚めたり。
たまたま遭遇した通り魔に突っ込んで病院で目覚めたり。
はたまた、偶然出くわしたテロリストに喧嘩を売って病院で目覚めたり。
過労死を目指して、寝ないようにしてみたり。
お酒を飲みまくって急性アルコール中毒を目指したり。
冬場に冷たい海水を浴びて、下半身が浸かった状態で寝たり。まあ、馬鹿なので、風邪すら引かなかったのだが。
ともかく、こんなことを繰り返していたら、そのうち、普通に死んでいたであろうことは想像に難くない。むしろ、なぜこれまで一度も死ななかったのか、不思議なくらいだ。
「はあ……ん?」
ため息とともに体の力を抜き、やっと、頭の下に柔らかい感触があることに気がつく。はっとして、目の上の腕をどけると、焦点が合う前に、首を横にグキッとやられた。
「痛あっ!?」
「上を見るのはダメ。恥ずかしいから」
「先に言えばよくない!?」
「急だったから、ビックリしたの」
「自分が力強いってこと忘れてない? マジで折れたかと思った……」
「そうなったら魔法で治してあげる」
「ありがとう。……ありがとう??」
自分の口から出た感謝を疑問に思いつつも、その感触をしばし、楽しむことに決める。これは俗に言う、膝枕というやつだ。もちろん、僕の最愛の彼女──愛の。
「あー、天国だあー」
「そんなに?」
「うん、最高」
「今度、私も、やってみようかな」
「え? 自分で自分の膝に寝るの?」
「うん。分身して」
「分身してまでやることかなあ……。僕にとっては愛の膝だから特別なんだよねえ」
「じゃあ、あなたの膝で寝させて?」
「おっ、そうなったらやりたい放題だねえ。いいよ、おいでおいで」
僕も起き上がって正座をする。が、正座ができないということを忘れていた。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
ものの数秒で感覚を失った足に、愛の小さな頭が乗せられる。その顔は、下から僕の顔を除き込んでくる。この可愛さのために、いつまで我慢できるだろうか。
「足、しびれてるでしょ?」
「分かっててやってるんだ? ふーん」
さて、どうしてやろうかと、悩んでいると、足に電撃が走った。──つつかれたのだ。
「何かしようとしたら、足、ツンツンしちゃうから」
「……やっぱり逆にしない?」
結局、僕は愛の膝に頭を乗せて、横になる。まだ足が痺れているな、などと考えていると、短髪の頭が優しく撫でられて、僕はくすぐったさに目を閉じる。
「嫌な夢、見てたの?」
「うん。昔の夢だった」
「辛い?」
「──ごめん。もう少しだけ」
全部、鮮明に覚えている。妹にされたことは、すべて。
両親を殺されたことも。
その血肉を、無理やり食べさせられたことも。
背中に刺青を無理やり入れられたことも。
色々なことが浮かんできて、頭から離れない。
「あー。今日、ダメかもしれない」
「それは困ったねー」
そう言いながらも、琥珀色の髪の毛をいじって遊んでいる愛のお腹に、そっと手を当てる。
「なんか、不思議だね」
「そうだね」
「どう? 実感湧いてる?」
「ううん、全然」
「だよね。──ちょっと、安心した」
お腹の中に別の生命がいるなんて、まだ考えられない。見ただけでは、妊娠しているかどうか、はっきりとは分からない程度だから、余計なのだろうか。
そんなことを考えていると、扉の外から声が聞こえてきて、僕たちはそれに耳を澄ませる。
「だから、二人でいるときは入らないようにと、何度も言っているだろう!?」
「は? 別に、マナに本返すだけなんだからいいじゃない」
「なぜ分からないんだ!?」
「まあ、クレイアに、常識を期待する、お前が悪い」
「それはどういう意味かしら?」
「ははは。すまんすまん」
「いいから、下に降りるぞ──!」
声量を抑えようと努力している者が若干一名いるのは分かるが、残る二人が騒いでいては、意味がない。声の主については、おそらく、あの三人だろうと見当はつく。
「ちょっと僕、呼んでくるよ」
「大丈夫?」
「うん。みんながいた方が気が紛れるし」
そうして、柔らかい膝の感触を名残惜しく思いながらも、廊下で揉み合いになっている三人──まな、ハイガル、そしてギルデルドを部屋に招き、改めて五人で集まる。
「それで、僕たちは何をすればいいんだい?」
「んー、暇だから、何か楽しい話して?」
僕のお願いに、ギルデルドとまなは露骨に嫌そうな顔をし、それを見た愛が苦笑する。ハイガルは、何を考えているのか不明だ。
楽しい話をしろと言われると、一番困るという認識はあるが、あえて言ってみた。気をそらせたら儲けもの、くらいの気持ちで。何をすればいいのかと尋ねてきた相手が、憎っくきギルデルドだったから、嫌がらせに、というのも大いにある。
「本も返したし、あたし、もう帰りた──」
「あれは、ざっと百年前のこと」
「ちょっとハイガル。遮らな──」
「ルジは、さきイカというものと出会った」
マイペースなハイガルが急に話し始め、まなは不満げに閉口する。抗議の言葉を半ばで遮られたまなを見る、愛の視線は、ハイガルへの嫉妬の炎で薄く揺らめいていた。
「さきイカとの出会いは、運命的なものだった。当時、まだ店舗数の少なかったトンビニに、ルジは気まぐれで入ってみたんだ」
「すると、そこには、さきイカがあった。出会った瞬間、一目惚れをしたルジは、迷わず、棚に並んでいるさきイカを買い尽くし、在庫にまで手をつけようとした」
「その後、各都市のトンビニやスーパー、果ては漁場にまで行き、買える限り買い尽くした。何かに取り憑かれたようにさきイカを購入したルジは、家に帰り、やっと、自分が一度もさきイカを食べていないことに気がついた」
「ルジはそこで、もし美味しくなかったらどうするか、と自問自答した。そうして、一週間ほど悩み続けた」
──沈黙。
「え、終わり?」
「ああ、そうだが」
嘘ではないか、と問いたくなるほど、もやもやとするところで生まれた沈黙に、全員の気持ちを代弁してまなが問いかける。しかし、ハイガルは悪びれる様子もなく平然としていた。
「気になるっていうか、何も終わってないわよ」
「ああ、まあ、普通に、食べたんだろ、多分」
「そりゃあ、食べたんでしょうけど、初めて食べたときにどうだったかとか、気になるじゃない」
「そうか? ルジは、さきイカを食べたら、ヘッドスピンするんだぞ。つまり──どういうことだ?」
「だから気になってるんでしょ……」
まなとハイガルの会話に、聞いている僕たちまで脱力感を覚える。ルジはさきイカを食べると、華麗なヘッドスピンを披露する習性がある。つまり、それほどに美味しいということなのだろうが、どうしてヘッドスピンなのかは不明だ。僕もそれほど興味があるわけではないが、やはり、少しは気になる。
「俺もそこまで、あの人について、詳しいわけじゃ、ない。詳しくなりたいとも、思わない」
「はいはい、反抗期ってやつね」
まながそう軽く流すと、ハイガルは少し苛立ったような顔をして、
「俺は今、不機嫌です」
と自己申告をした。まなが首を傾げ、愛がハイガルよりもさらに苛立った顔をし、ギルデが鼻で笑い、僕は面倒なことになりそうな気配を感じ取って、少し憂鬱になっていた。
「なんで不機嫌なのよ」
「クレイアのせいです」
「は? 反抗期なのは事実でしょ?」
「事実です。でも不機嫌です」
「そんなに指摘されたのが嫌だった?」
「違います」
あーあ、痴話喧嘩が始まった。まなの前なので言えないが、ハイガルは魔王幹部の一員だ。こうして、まなとも仲良くしているが、本来、幹部にはまなを魔王城へ連れ戻すという旨の指示が出されており、ハイガルはそれに背いていると見えなくもない。
そのため、同様に幹部であるルジのことが気に入らないのだろう。とはいえ、ルジにもまなを連れ戻す気はなさそうだが。
だが、それをまなに察しろと言っても無理な相談だ。観察力はある彼女だが、こと自分のこととなると、とたんに鈍くなる。
「もういいです。クレイアなんて知りません」
「ええ……これ、あたしが謝らなきゃダメ?」
「いや、まなちゃんのせいだからね? 自覚ないみたいだけど」
一応、教えてやった方がいいだろうと判断し、口を挟む。
「え、そうなの? そうとは知らずに悪かったわね」
「まなさんが謝る必要はありません。その人が勝手に不機嫌になっているだけです!」
しかし、事情を把握しているはずの愛は、それでも、ハイガルを責めた。愛はまなが大好きなので、そちらを責めることはしないだろうと、予測はついていたが──、
「む。そんなことはない。それに、俺は鳥だ」
「鳥なら鳥らしくしててください!」
ハイガルのよく分からないこだわりに、愛が反論しようとするが、彼はそれを意にも介さない様子でまなの方を見る。
「クレイア、ちょっとこっちに来い」
「この辺?」
ひょこひょことハイガルに近づくまなに、愛が負けじと声を張る。
「まなさん、私の方に来てください。その男は危険です!」
「危険? 何、爆弾でも仕込んでるの?」
ハイガルと愛に取り合いをされて、まなはどちらに行ったものかと、立ち尽くす。
「いいや、仕込んでないぞ」
「爆弾みたいなものです! まなさんから離れてください!」
「そう言われてもな。クレイアの姿は見えないからな」
「見えなければ何をしてもいいと思っているんですか?」
「そんなことは言ってない。──ただ、不可抗力というやつは起こりうる」
あの愛をここまで苛立たせるのだから、ハイガルという男は相当だ。愛は怒りで肩を震わせて、レモン色の瞳に金色の炎を湛える。
「──まなさん! やっぱり、そいつは危険です!」
「そいつって。あはは」
「笑いごとじゃありません!」
まなの笑顔に、愛は顔を真っ赤にして激昂する。とまあ、こうなる気はしていた。していたのだが、
「愛の婚約者は僕なんだけど、この場合、僕はどういう気持ちでこれを見てればいいの?」
「マナ様を得体の知れない男にとられて、しかもその男から、今こうして相談を受けている僕は、一体、どういう顔をすればいいんだい?」
唯一、同じ取り残された組のギルデルドに今度はこちらから問いかけると、彼は疑問で返してきた。普段なら喧嘩になっているところだが、多少は罪悪感があるのと、愛を射止めた分だけ余裕があるので、こちらが大人になることにする。
「いや、ギルデはどう思ってるのかなあと思って」
「まあ、まなさんだからなあ、としか」
「ああ……まなちゃん、タラシだもんね」
「タラシ、って何? てか、助けなさいよ!」
ハイガルとまなを取り合う愛を、僕はなんとも言えない気持ちで見つめていた。
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