第7-16話 無意識の自傷

 目を開くと、ぼんやりした意識の中に、眩しい光が入ってきて、私は少しずつ、意識を覚醒させていく。


「お目覚めになられて、大変嬉しく思います」


 その優しい声と、込み上げてくる、なぜの感情、喪失感まで、あのときそっくりだ。


「レイは?」


 その続きを聞くのが、怖かった。それでも、聞かなければとそう思った。


「──どうぞ、こちらへ」


 しかし、赤髪の彼は簡潔に答えることはせず、私を車椅子へと移動させ、運んでいった。


 あかねも昔、乗っていたという、車椅子だ。私の場合、下半身が動かなくなったわけではなく、体力が回復しきっていないというだけで、歩けなくもなさそうだが、そこまでして歩く気力は湧いてこない。


「お早いお目覚めでしたね」

「どのくらい経った?」

「まだ、数時間ほどです。内乱が継続している地域もありますが、そちらに兵を集中させているので、直に収まるでしょう」

「そっか。前は、一年寝てたもんね」

「はい。あのときは、本当に心配しました。しかし、一年眠っていたにも関わらず、リハビリもなしに全盛期と同じように動けていたのには、さすがの私も驚きましたよ」

「さすがに、全盛期とまではいかなかったよ。あれからだいぶ、訓練したもん」


 訓練と言っても、主に実戦だが。やっと、国勢が落ち着いてきたと思ったら、この大反乱だ。首謀者には、それ相応の罰を与えるつもりだが──今は、そんなことは、考えたくない。


「どこまで行くの?」

「もう少しです。心の準備をしておいてください」

「……そんなこと言われても、どんな準備をしておけばいいか、分かんない。覚悟なんて、どうやってもできるわけない。現実はいつも、想像できるよりもずっと、残酷で、悲しくて、辛いもん」

「マナ様──」


 言ってしまってから、自分がいかに身勝手なことを言ったかということに気がつく。自分が現実と向き合いたくなくて、八つ当たりしただけだ。彼だって辛いはずなのに。


 彼の顔を見上げる元気もなくて、私はうつむいたまま、


「ごめんね」


 謝った。すると、彼は、


「謝る必要はありませんよ。むしろ、久々にマナ様の本心が聞けたような気がして、大変嬉しく思います」


 八つ当たりされて喜ぶなんて、彼は変態なのだろうか。──いや、昔から、彼は私を慕ってくれていたド変態だ。何を言っても、彼はそれが私の言葉であれば喜ぶのだ。それを今、思い出した。


「気持ち悪い」

「これは自慢ですが、私ほどマナ様のことをお慕いしている人は、他にいないと思います」

「自慢なの?」

「はい。私が唯一誇れるものです」

「ごめんね」

「今度はどうされましたか?」

「私、ギルデルドのこと、アイネとまなさんと、レイとろろちゃんと、お父様にお母様、お兄様にお姉様、トイスや妹、弟たち、それから、あかねの次くらいに好きだよ」

「それはつまり、ギルデルドのことが好きだと。相思相愛だと、そういうことですね? よし、ならば結婚しましょう、マナ様」

「馬鹿言わないの。未亡人でも手を出したら、ステアちゃんに嫌われちゃうよ?」

「それは困りましたね。未亡人という響きが素晴らしくそそられるところではあったのですが」

「大真面目に何言ってるの、もう。世の中の旦那さんを亡くしちゃったみんなに謝って」

「だいたいマナ様のせいですよ?」

「それは冗談にならないから、失格」

「しかし、事実です」

「もう、明るくしようとしてくれてるのか、シリアスしたいのか、どっちなの?」

「……見抜かれていましたか」

「分からいでか」

「──今、なんと?」

「知らない。あかねがたまに言ってたから使ってみただけ」


 そんな会話でほぐした緊張も、いざ、部屋へ入るとなれば、すぐに全身の硬直となって現れる。


「心の準備はできましたか?」

「──止まらないで」

「承りました」


 そうして、車椅子に乗っていると、寝台が近づいてきた。見ると、そこには肩からシーツをかけられて苦しんでいる、レイの姿があった。


「生きてる──」

「失礼いたします」


 そうして、ギルデルドがシーツを剥がすと、そこに、レイの下半身はなかった。それどころか、胴体すらも、半分ほどが無くなっており、断面は腐食して、内臓がむき出しになっていた。車椅子の低い目線からはそれがよく見えた。


 私は言葉を失い、ギルデルドが再びシーツをかけるところを、ただ呆然と見ているしかできなかった。


「太刀に毒が塗られていたそうです。刺されたのが腹部でしたので、そこから下を切断したのですが、すでに毒は全身を巡った後で──」


 私の血液なら、治せるのではないか。いや、治せたのではないか。あのとき、レイが私の血液を傷口に塗り込んでいれば、あるいは。


 ──そのとき、私の頬にレイの手が触れた。


「姫様──」

「レイ、私の血を使って。私はどうなってもいいから」


 そう言うと、レイは首を横に振って、私の頭を優しく撫でた。


「ギルデルド、治らないの?」

「──はい。魔法とそうではない毒を併用して用いているらしく、マナ様であっても同じ状態になっただろうとのことです」


 となれば、偶然、生き残ったのではなく、息を潜めて、機を窺っていたのだろう。


 私の負けだ。完敗だ。それも、私を殺すのではなく、私からレイを奪ったところまで含めて──完璧だ。


「助ける方法はないの」

「──ありません」


 分かっていた。私の血で治らないのなら、いかなる方法を以てしても、決して治すことはできないだろうと。今、こうして生きていること自体、奇跡なのだと。


 どこに、これだけ体を失って、内臓をむき出しにして、生きていられる人がいるというのだ。


「レイ、死んじゃうの?」

「そう悲しい顔をなさらないでください」

「ねえ、死んじゃうの?」

「姫様には、笑顔が一番お似合いですよ」

「嫌だ。死んじゃ、やだ」

「そう駄々をこねられると、困ってしまいます」


 魔法での治療が間に合わないほどに、腐食の進行は速いのだろう。それでも、私の魔力が元に戻っていれば、治してやれたのではないか。


「私が元気だったら、治してあげられた?」

「無理です。駆けつけた救命士がすぐに切断してしまいましたから」


 私が焦らず、心を乱されず、冷静に判断して、魔力を残して、気絶しなければ。


「私が生きてる兵に気づいて、気絶してなかったら、こんなことにならずに済んだ?」

「姫様は、気絶したがりですから。もっと自分を大事にされてくださいね」


 私のせいだ。争いが起きるこんな世の中にしてしまったところから、あかねを殺したところから、まなを助けられなかったところから、彼を選んで国を捨てたところから、すべて。


「全部、私のせいでしょ。どうして、怒ってくれないの?」

「姫様が一番、ご自分を責めていらっしゃるからです」

「レイが怒ってくれなかったら、誰が怒ってくれるの? たくさん、たくさん、悪いことしたの。まだ全部、ちゃんと怒ってくれてない!」

「……そうですね。姫様は天下を揺るがす、悪逆非道の大罪人です。世間では血の皇帝なんて呼ばれて、一体、どこでどうなってしまったのやら」


 もっと、怒ってほしいのに、そこで言葉を区切り、レイは嘆息して、私の顔を見つめる。


「姫様。私が叱ったところで、姫様の犯した罪が消えて無くなることは、決してありません」


 そうして、私の頬を引っ張ろうとする。その力すら弱々しくて、痛みも感じない。


「姫様は、一生、ご自分を責め続けなくてはなりません。押し潰されそうなほどの、その思いが、あなたの犯してきた罪に対する罰です。殺人を犯せば、誰かに救いを求めることなど、決して叶わないのですよ」


 叱ってほしかった。それで、許されるような気がしていたから。きっと、それを分かっていて、レイは私を叱ってくれていたのだ。


 しかし、自分で自分を責めるだけでは、


「──それだけじゃ、罰にならない。全然、足りない。みんなが悲しんだ分にも、痛い思いをした分にも、台無しになった人生の分にも、全然、足りない。ねえ、どうすればいいの、レイ?」


 力のないレイの手を掴んで、頬に当てると、その手を涙が伝っていき、レイが驚いた顔をする。


「──姫様。どうして、人を殺してはならないのか、お分かりになりましたか?」

「分かんない。全然、分かんない……。何が正解なの? どれも、ちゃんとした理由じゃない。生き返らないから? 罪に問われるから? 悲しむ人がいるから? 子どもだから? 恨みが続いていくから? 死ぬのは怖いから? どうして、殺しちゃいけないの?」

「そのすべてが正解だと、私は思っています」

「じゃあ、レイは? どうして、人を殺しちゃダメだって言ったの? そのどれかなの?」


 レイの言葉を聞き逃さないように、私は意識を集中させる。


「姫様の心が、誰かを殺す度に傷ついていくのを、見ていられなかったからです。──私も、決して、いい人ではありませんから」


 レイは、殺された人のことよりも、私のことを一番に考えてくれていた。いつも、私のことばかりだった。それに、今の今まで、気づけなかった。


「そんなことない……! レイは、いい人だよ。私、レイのこと、好きだもん。とっても、とーっても、大好きだもん……」

「私も、姫様のことが、大好きですよ。──だから、笑ってください。幸せになってください」


 泣きながらも、懸命に笑おうとすると、レイは、笑った。窓から射し込む光が、笑顔を照らしていた。


「素敵な歌を、ありがとう」


 それから、ふっと、腕が重くなって、見ると、腐食が進んで、腕が根本から取れていた。


 その笑顔のままで、レイは命を落とした。

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