第7-11話 海底の玉手箱

 ロロにアイネとタルカを任せ、タルカには魔力封じの腕輪をつけた。私なら素手で壊せるが、普通はそういうわけにもいかないだろう。


 私はいまだ連絡のないレイを案じて、ヘントセレナへと向かい、探知でレイとギルデルドを探す──が、見つからない。そして、


「これは──」


 沈んだと聞いてはいたが、本当に北の大陸が消え失せていた。上から覗けば、沈没しているのが見える。


 が、それを、白い透明なドームのようなものが覆っているのも見えた。試しに探知してみると、海底にいる人々は、今のところ、生きているらしい。レイたちもそちらにいる可能性が高い。


 ゆっくりと海面に近づき、気配を感じて咄嗟に回避する。──何かが、前髪を掠めた。


「最近、見えない攻撃が多いなあ。でも、そのおかげで、慣れてるけどね」


 この手のものは、魔力探知をすれば、だいたい見える。すると、海から丸太ほどの太さの、無数の触手のようなものが生えているのが分かった。どうやら、沈んだ大陸に繋がっているらしい。


 攻撃を回避し、魔法をぶつけて、潰していく。


「クラゲベスちゃんたちのボスみたいだけど、一体、何が目的なのかな?」


 あまりやりすぎると、モンスターが死んでしまうので、ほどほどにして、空気の球を作って、海底へと侵入する。海中でも触手は襲いかかってくるが、空気を閉じ込めるついでに、障壁も張ってあるので、避ける必要はない。


 そうして、空気の球が水圧で歪んでいるのが分かるほど深く潜って、やっと、白いドームのようなものに接触できた。障壁を解き、内部に侵入すると、瞬間、浮力が消え、重力により地面へと引っ張られる。


 危なげなく着地し、辺りを見渡すと、人々が気絶して倒れていた。触手に引っ張られてきたのかもしれない。見上げると、太陽の光がドームで散乱して、優しく内部全体へと降り注いでいた。


「綺麗──」


 久しぶりにそんなことを思った。そうして、昔、あかねから聞いた、竜宮城というものを思い出す。助けた亀に海底へと連れていかれる話らしいが、そこでは息もできるという。そのときに持たされる玉手箱は、決して開けてはならないという話だ。


 ──そして、今、目の前に、怪しげな箱が鎮座していた。どこから現れたのかも分からない。


「見るからに怪しい……」


 魔力が箱によって遮られているらしく、少しも外に漏れ出していないため、探知をしても中身が分からない。そして、あかねの話に従えば、開けると私はおばあさんになってしまうらしい。


「おばあさんになっても、きっとまなさんもあかねも、可愛いって言ってくれるから、問題ないけど」


 問題は、何が入っているか分からないことだ。もしこれが、パンドラの箱だとしたら、開けた瞬間に災いが訪れる。


 ──とはいえ、私自身が災いそのものだと考えれば、何も怖いものなどないのだが。


「まあいっか、開けちゃお」


 何が入っているのだろうかと、不思議に思いつつ箱を開けると、中から、白い煙が出てきて──。


***


 何度かまばたきをして、視界の焦点を合わせていくと──目の前に、手のひらサイズのまながいた。しかも、二頭身で、両手をぱたぱたさせて飛んでいる。


「マナ、起きた?」

「まなさん! なんでそんなに小さく? ここはどこですか!?」

「お、落ち着いて──うぐっ」


 宙に浮かぶまなを掴んで引き寄せ、じっくりと観察する。


 ──とっっっても、可愛い。可愛すぎる。まるで、妖精さんみたいだ。可愛いという言葉は、この子のためにあるんじゃないだろうか。


「な、何?」

「まなさん、こう、くるっと回ってみてください」

「こう?」


 私の手の上で、小さなまなが、ドレスをふわっとさせて回り、こてんとお尻から転ぶ。


「はわわ、可愛いです……!」

「ちょっ、やめなさい……」


 指で頭を撫でると、まなはその指をどけようと、小さな両手で掴んでくる。幸せすぎる。


「となると、ここは、幸せな夢を見せてくれる場所ということでしょうか?」

「いや、気づくの早くない?」


 そう言いながら、歩いてきたのは、短髪の琥珀髪──あかねだった。しかも、身長が高いバージョン。


「そのようなことを仰るということは、あなたはあかねではないということですね」

「ま、そういうことだね。悪いけど」

「んー」

「え、何々? 何かついてる?」


 あかねの顔をじっと見つめ、それから全身を見て回る。なんだか、全体的にカッコいいのだが──、


「私のあかねは、もっと残念な感じですよ」

「残念な感じって何!?」


 私の記憶から再現されているのなら、こんなに理想的にはならないだろう。私はカッコよさも、完璧さも求めてはいない。むしろ、抜けてる可愛さを味わいたい。


「それに、この雰囲気、前にもどこかで──」


 じっくりと考えて、私の夢に入り込んだ異物の存在を感知する。


「あ、もしかして、クレセリア様ですか?」

「だから、早い!」


 龍神クレセリア。随分前に封印された龍だが、魂の封印はすでに解けており、あかねに取り憑いたこともある。ただし、最後に取り憑いた者の記憶や性格をコピーする習性があり、まだ彼そっくりの性格らしい。


「なんで分かったの?」

「本物はもっと気持ち悪い体格をしています。今は私の理想に近すぎて、逆に気持ち悪いです」

「いや、彼が可哀想だからやめたげて!?」

「──それに、私の望む幸せの中に、彼はいませんから」


 だから、こんなに可愛く小さいまなが存在するような、私にとってとびきり幸せなこの場所に、あかねがいるはずないのだ。


「え? それ、本人聞いたら泣いちゃうよ?」

「そうでしょうか。本物の彼なら、真意を汲み取ってくださると思いますが?」

「うわお、信頼がすごいねえ……。それで、その真意ってやつを、僕にも分かるように説明してくれる?」


 本当に、彼そっくりだ。彼とクレセリアの違いは、惚けているか、本心から尋ねているかだ。もちろん、後者の方が好感が持てるが、残念ながら、あかねは前者だ。


「……彼は、私のせいで亡くなったんです。もう、どこにもいないんですよ。時を戻すことも、死者を生き返らせることも、天上に行った魂と話すことも、私には、できない。魔法はなんでも願いを叶えてくれるわけじゃない」

「つまり、どういうこと?」

「生きているはずがないのに、生きている姿を見て幸せだなんて、到底、思えません。辛いだけです」


 しかし、まなは、見ているだけで幸せになれる。生前からそういう、特別な存在だった。


 ──あのとき、あの場を離れなければと、思わない日はない。それでも、彼女が私たちのためを思ってしてくれた、そのすべてが、とても嬉しくて。思い出すのは、楽しいことばかりだ。彼女は知らないところでも、私に、たくさんの幸せを残してくれた。


「やっぱり、まなちゃんは特別?」

「特別です。こんな私を支えてくれた、本当に、大切な人ですから」

「じゃあ、彼のことはどう思ってるの?」

「あかねは、私が一番、支えてあげたいと思った、最も罪深い人です。それが、いつの間にか逆になっていたことに、生前は気づけませんでしたが」

「つまり、君を死なせないでくれたのはまなちゃんで、君を生かしてくれたのが彼ってこと?」

「回りくどい言い方をされていますが、それはどちらも同じことでは?」

「ニュアンスが違うじゃん! それに、なんとなく、カッコよくない?」

「よくないです」

「なかったねえ、うん、ないよね、知ってたあ!」


 そんなあかねを黙殺し、目をぱちくりとさせている手乗りまなの頭を、また撫でる。心の底から、愛らしい。


「なぜ、まなさんはそんなにも可愛いんですか?」

「は? あんたの方が可愛いじゃない。嫌味にしか聞こえないわよ」

「ほら、やっぱり可愛い」

「……どういうこと??」

「クレセリア様。この子、どうしたら現実に持っていけますか?」

「持っていけませんっ」

「えー」

「えーじゃない」

「おー」


 最後におー、と言ったのは、まなだ。少し照れた様子でそっぽを向くのも可愛い。


「しかし、そろそろ、本格的にここから出る方法を探さなければなりませんね。先ほどの箱のせいだとは思うんですが」

「そうだね。あれは、あるはずのない幸せの中に、人を取り込む煙だから。もしかしたら、君は多くを失わずに済んで、みんなが生きている世界を望むんじゃないかと思って、心配してきたんだけど」

「──そんな世界、あるはずがないでしょう。常に私は、何かを選ぶ代わりに、何かを切り捨ててきたんですから。それらに未練なんて残していたら、帝国を引っ張っていくことなど、到底できません」


 本当は、未練がないわけじゃない。叶うなら、大切なみんなに、生きていてほしかったとも思う。別の道だって、きっとたくさんあっただろう。


 だが、そうして立ち止まっていてもどうにもならない。


 こんな私には、弱い自分を切り捨てて、強く進んでいくしか道がないのだ。


「……僕、すっごい心配してたんだけど、必要なかったね。君がどれだけ強いか、よく分かったよ」

「私はそうは思いませんが、ありがとうございます。──でも、そう思えたのは、あなたのおかげですよ、あかね」

「僕はあかねじゃないけどね」

「それでも、言わせてください。あなたとまなさんがいてくれたから、私はここまでやってこられました」

「そこでまなちゃんと並べられると、複雑なんだけど。一番は僕なんじゃなかったの?」

「はあ? 何を言っているんですか。あなたはもう、とっくに一番ではありませんよ」

「うえっ!?」

「アイネがいるんですから、当然じゃないですか」

「え、ちょっと待って。──まなちゃんは何番目?」

「まなさんはまなさんですから、順番なんてつけられませんよ。ねー、小さいまなさん?」

「いや、それは卑怯だって!」

「それで、どうやってここから出るんですか? 早くレイと、ついでにギルデルドも助けに行かなければ」

「え、ああ、うん。この世界が偽物だって気づけたなら、あとは強く念じるだけだよ」

「それでは、行きますね」

「あ、うん。すごいあっさり……」

「とにかく、この通り、私は大丈夫ですから。安心してジョーブツしてください」

「成仏なんて言葉、教えたっけ……って、ん?」


 最後にまた、まなの頭を撫でて、私は現実世界へと戻った。

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