第7-10話 セキュア
「あれから、もう八年になるんすね」
「それで、何が仰りたいんですか?」
「あいつ、殺されたんっすよ。鳥に乗ってたら、その鳥が誰かに撃たれて墜落。目が見えないのと、魔法が封じられてたので、海で溺れて、命を落としたんす」
──聞き覚えのある話だ。とても、聞き覚えのある話。私にも、馴染みのある話。
「そうですか。やはり、あなたは、ハイガルさんのお父様でしたか」
「──覚えててくれて、ありがとうっす。やっぱり、陛下は悪い人じゃないっすね」
そう言って白い歯を見せられて、私は困惑する。自分が悪になりきれていない、その自覚はあった。いい人だと言われたら、間違いなく否定していたけど。
「彼を殺した犯人を捜しているんですね」
「そうっす。噂では、陛下は犯人捜しに尽力されているとかで、何か知ってることがあったら、教えてほしいっす」
「……それは、いまだ、なんの情報も得られていないからでしょうか?」
「そうっす。何も、掴めてないんす。この八年。何しろ、海のど真ん中だったから、誰も見てないんっすよ。その場にいたのは、ハイガルとルジさんだけで」
その情報は、当然、私も掴んでいる。なぜ尽力するのかと言えば、それが、まなの宿願であり、私たちのために捨てた夢だったからだ。申し訳ないが、ハイガルに対する思い入れはない。
「ルーク……乗ってた鳥の方は、弓みたいなもので射抜かれてて。それから──ルジさん曰く、そのとき、空に琥珀色の髪を見たとかで」
つまり、あかねがあの場にいたことと、その関連性を疑っているというわけか。
「彼が何か言っていなかったかと、そういうことですか?」
「そうっす」
「それさえ伝えれば、アイネを解放してくださいますか?」
「包み隠さず、知ってること全部教えてくれたら、解放するっすよ」
解放した瞬間にローウェルの命を奪うこともできるのだが、その辺りはどう考えているのだろう。しかし、そのつもりで来たとも言っていたし──。
「八年も経ったら、痕跡なんてなんにも残ってないっすよ。加えて、海の上だったんで。ま、俺が自暴自棄になったきっかけは、頼みの綱のルジさんが亡くなったことっすけどね」
「え、ル爺さんが?」
魔王幹部の中でも、飛び抜けて強い力を持っていたと言われるルジ。寿命など少しも感じさせなかったが、彼は一体、なぜ──。
「陛下でも、そんな顔するんっすね」
「……どんな顔ですか」
「どんな顔すればいいか分からないって顔っす」
まるで、内心を見透かされているようで、気分が悪い。だが、それだけ、自分が感情を表に出してしまっていたのも事実だ。
「それで、知ってること、全部話してくれるっすね?」
それはもちろん、アイネのためならば構わない。だが、知っていることは少ない。帝国の権力を以てしても、事件の真相を暴くことはこの五年、叶っていないのだ。
「あかねは、自分は通りがかっただけで、何も知らないと。撃たれるところも見ていないそうです」
「通りがかったって、海の上をっすか?」
「はい。タマゴとは別件で、魔王に内部調査を任されており、その帰りに。たまたま、海でも見ようかと、空中散歩をしていたそうです」
「──その場にいたなら、助けられたんじゃないんっすか?」
「ぼんやりとしていたらしく、音がして海に何か落ちたことには気がついたそうですが、それがハイガルさんだとは思いもよらなかったようです」
「……他に情報はないんっすか」
「凶器の弓矢は見つけましたが、海水で洗い流されていて、なんの痕跡も見つかりませんでした」
私は空間収納から、弓矢を取り出し、ローウェルに手渡す。
「徹底的に海を捜索しましたが、犯人の手がかりとなりそうなものは、細胞一つ、ありませんでした。ただ、一つだけ、分かったことがあります」
「何でもいいっす、教えてくださいっす!」
執念とも呼べるそれに、目をギラギラと光らせるローウェルから、私は目をそらす。
「ハイガルさんに恨みを持っていそうな方は、調べる限り、いませんでした。強いて言うなら、さたたんのタマゴを盗んだ罪に問われていただけです。また、彼の乗っていたモンスターの傷口から、弓矢は背後から撃たれたものと推測されます。回避できなかったのもそのためでしょう」
「……はっきり言ってくださいっす」
私は深く息を吸い込み、鼓動を無理やり落ち着けてから口を開く。
「犯人の狙いは、ハイガルさんではなかったということです」
「──」
「罪に問われていた彼を追っていた、ル爺さんが、本来の狙いだったのではないかと」
「それは、あいつは巻添えになったってことっすか」
私はゆっくり頷く。すると、ローウェルから濃度の濃い魔力が漏れ出す。彼のように腕の立つ魔法使いであれば、日頃は魔力を抑えていることがほとんどだ。感情が昂ることで、制御が利かなくなり、自動的に魔法が発動することがある。私もそれで、人を殺した。
私がここにいる限り、この場の誰かを死なせるつもりはないが、背中のタルカは、怯えて震えている。
「ル爺さんの交流関係を洗いざらい調べました。すると、今度は、彼に恨みを持つ存在が多すぎて、特定できませんでした」
そうして、捜索は打ち切られたと、私はローウェルに語った。すると、ローウェルは、乾いた笑みを溢して、
「当然、調べ尽くしたんっすよね?」
「はい。該当する人物がその時間どこで何をしていたかは、すべて把握済みです。委託殺人等の可能性も考慮して、徹底的に調べさせましたが、何も見つかりませんでした」
「……それじゃあ、誰が犯人か、分からないってことっすか」
「そういうことになります」
それから、と前置きして、私は一冊のスクラップ帳を渡す。
「これは?」
「まなさんが独自で調べていたものです。当時の新聞の切り抜きや、何らかの方法で調べたと思われる、帝国が調べた以上に詳細な情報までもが載っています。ただ──」
簡潔に詳細な情報が書き込まれており、誰が見ても見やすいと思うだろう。帝国の権限を用いれば、多くの情報を得られるが、まなの方が圧倒的に多くの情報を集めていたのは、なんとも不思議な話だが。
「なんだか、途中で調査を打ち切ったみたいに見えるっすね」
「──私の育児のことがあったせいです。彼女は自分の子どもでもないあの子を、私が大変だろうからと、自分を犠牲にしてまで面倒を見てくれましたから」
あのまま、調査を続けていれば、彼女ならあるいは──。
「ちょうど、戦争が起こったときっすか」
「それも、私たちのせいです。氷像を破壊しようとしたために、姉は──モノカは、あのタイミングで、愚行に及んだんです」
「でも、それはもう過ぎた話っす。そんなこと言い出したら、オレだって、まな様に魔法を教えないようにした元幹部の一人っす。それで、まな様が願いを使わなかったから、封印が解けてしまった。誰のせいとか、やめましょう? 犯人以外の誰も悪くないんっすから」
──そのタイミングで、やっと、私はアイネの周りに仕掛けられていた罠をすべて解除し終えた。
アイネを救出し、腕に抱く。それを見たローウェルは、たいして驚きもせず、気まずそうに頬をかいた。
「ローウェル。国に戻りなさい」
「処刑しないんっすか? きっと、後悔するっすよ」
「タルカとの契約がありますから。アイネが無事である以上、あなたを殺すことはできません。これだけ教えたのですから、黒幕の名前も吐いてくださっていいんですよ?」
「悪いっすけど、それはできないっす。こっちも色々とお世話になってるっすから」
そう言って、ローウェルは魔法で目映い光を放つと、何かを投げてきた。それは、透明な宝石のようだった。
「これは一体──」
見ると、ローウェルの体には、深くナイフが刺さっており、ところどころ、透明になって消えかかっているのが分かった。以前、彼を討伐したときと似ているが、まったく違う。
これは、禁忌魔法の一つ、セキュアだ。
「使ってくださいっす」
それは、自身が一生で得る魔力のすべてを、魔力の結晶に変える魔法。私が受け取ったこの結晶には、ローウェルがこの先、生きたとして、得る可能性のあった全魔力が込められている。
その代償は、術者の命だ。
「何をしているんですか!?」
「……やっぱり、他人のでも、子どもは殺せないっすね。ははっ」
私は、ハイガル殺しの犯人として、ローウェルのことも疑っていた。すると、魔王に殺すよう命じられた子どもたちを、秘密裏に孤児院で保護して、養育していることが分かった。
その時点で、私は彼に、実の子を殺すことなどできないだろうと、半ば確信していた。
とはいえ、彼はアイネを道連れにする魔法もかけていたので、少し疑ったが、様子を見るに、どうやら、私の手で解除されるのを待っていたらしい。
「陛下ならきっと、犯人を見つけてくれるって、信じてるっすよ」
「そんな無責任な……!」
「知ってるっすか、陛下」
「……何を」
「──誰だってみんな、昔は子どもだったんすよ?」
なんということはない、当たり前の事実だ。今さら、驚くべきことが隠されているわけでもない。
ただ、子どもを選択的に殺さないようにしていたつもりの私に、その言葉は、深く、刺さった。
──全員、誰かの子どもなのだ。そもそも、子どもと大人の境目だって、曖昧だ。
この世に生まれた時点で、誰しもが、誰かに愛されている。
「だから殺してはならないと、そういうことですか?」
「……それもあるっす、けど」
ふらついて、ローウェルは床に座り込み、壁に背を預ける。
「オレが、言いたい、のは──」
私は耳を澄ませて、その先の、途絶えそうな言葉を拾う。
彼は言った。
誰にでも、愛される資格があるのだと。
時には、誰かに甘えてもいいのだと。
──そして、私に、生きてほしいと。
それから、言伝を一つ言い終えて、ローウェルは血の一滴も残さず、姿を消した。巣に戻ったのではない。消えたのだ。この世界から。
背後ですすり泣く声が聞こえる。より関係の深かっただろうタルカに最期を譲ってやれなくて、申し訳なくも思う。だが、彼の言葉は、私にも必要だった。
だから、尋ねることはできなかった。──あのとき、私が妊娠していることに気づいて、手心を加えたのかと。
本当はあの場で私を殺すことだって、できたのではないかと。その答えを聞くことは、永遠に、できない。
──すすり泣きが寝息に変わるのを待って、私は城へと戻った。
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