第6-14話 ステアちゃんの憂鬱

 連絡を入れたところ、ロアーナの先輩は、無理に区切りをつけて、その日のうちに来てくれた。


 薬草を淡く煮出したような黄緑の髪に、ターコイズ色の切れ長の瞳。視力が悪いのか、眼鏡を着用しており、髪の毛は後ろでお団子に纏められている。


「ステア・ユレリトスと申します」

「じゃあ、ステアちゃんだ。私は榎下愛」

「はい。よく存じております。皇帝陛下」

「無理に呼び出しちゃってごめんね。ちょっと話したいことがあって」

「いえ。陛下の命とあらば、無下にもできませんので」

「……なんだか、ロアーナちゃんに似てるね?」

「え、どこが、ですか?」

「遠回しに嫌味なところ」


 私の命令がなければもう少し暇だったのに、忙しくされて散々だ、とでも言いたげだ。ロアーナが無自覚なのに対し、ステアは自覚して言っているような節が見えるが。


「それで、ご用件は何でしょうか?」

「ロアーナちゃんにメールで送ってもらったと思うんだけど」

「王様になりませんか、だけでは、理解しかねます」

「ああ、それじゃあ分からないよね。ごめんね。一から説明すると、かくかくしかじかで……」


 そうして私は事情を端的に説明する。


「なるほど。陛下でも慈悲を見せることがあるんですね」

「うん。みんなに喜んでほしいから」

「……それで、二人で王様というのは?」

「待ってる間に調べたんだけど、ステアちゃんって、相当有名な弁護士さんだよね? きっと、予約も先までいっぱいだと思うの。違う?」

「いえ、その通りです」

「だよね。だから、しばらくの間は、ロアーナちゃんと協力して国政をしてほしいなって。それで、顔が必要なときには、ステアちゃんが出ていくの。どう? 引き受けてくれると、助かるんだけど」

「正直に申し上げてもよろしいですか?」

「うん。なんでも言って?」

「こんなに急に、あなたの都合で王に指名されて、はっきり言って、迷惑です。私には私が今まで築いてきた、弁護士としての信頼と実績があります。それを捨てて、今さら王になれなどと、そんな簡単に決められることではありません。──以上です」

「うん。よく分かった」


 正論だ。だが、ますます、私の国に彼女が欲しくなった。


 とはいえ、王とは言っても、帝国に数多ある国のうちの一国の王だ。それに、この国は国民のためにあるというよりは、亡命を防ぐ目的の方が強い。


 そう思うのは、私がそういう環境に慣れているからであって、一般人には、そこに住む国民全員の生活の責任を背負う決断など、容易にはできないことも、理解はしている。


 だが、なってもらわないと困るのだ。


「ステアちゃんが断るなら、国ごと潰しちゃうけど、それでよかった?」

「暴論ですね。それに、おおかた、ロアーナに虐殺を止められたのでしょう? だから、私を頼らざるを得なかった。違いますか?」

「正解! よく分かってるね。さすが弁護士さん」

「お褒めに預かり光栄です」


 まったく、光栄ではなさそうだ。こうまでふてぶてしい態度を取れるのは、自分が殺されることはないという、絶対の自信があるからだろう。


 ──よく分かっている。今の私は、ロアーナが喜ばないことはしない。


「でも先輩、国政を執り行いたいって……」

「言いました。ですが、それは昔の話です。こんなに不安定な状態の国を、立て直せるかどうかも分からないのに、引き受ける気にはなれません」


 ステアは後輩のロアーナに対しても敬語らしい。私よりはいささか、砕けてはいるが。


「ステアちゃんの親戚とかに害が及ぶかもよ?」

「生憎、数年前にシングルマザーだった母が他界して、天涯孤独の身となりました。今の私が持っているのは、弁護士として歩んできた道のりと、良い後輩が一人だけです」

「……ごめんね。無神経だった」

「人の命をモノ以下として扱い、殺戮を繰り返してきたあなたに、同情されたくありません」


 ──その通りだ。返す言葉もない。


 ステアのターコイズの瞳は、静かに炎の色を湛えていた。内心に怒りを秘めつつも、それを表立って表さないのは良いことなのか。はたまた、ここはもう少し、素直に感情を表してもよい場面なのだと、助言するべきなのか。


 そのどちらであるかが大事なのではなく、私が殺戮を繰り返しているという事実が最も問題視されているということは、言うまでもない。


「じゃあ、交渉しよう。ステアちゃんの欲しいものをあげるから、玉座に着いて?」

「殺戮の起こらない、安寧の世を授けてくださるのであれば、今すぐにでもお受けいたします。最悪、あなたの首でもいいですよ」


 と、いつもならこの辺りで、赤ちゃんが怒っているところだが。──横目で見ると、彼の緑色の眼差しがステアに釘付けになっているのが一目で分かる。


 少し面倒なことになった感は否めないが、それもあって、彼女を処刑することは避けたいと感じていた。あればっかりは避けられないということを、私はよく知っている。


「もし、私がロアーナちゃんを処刑しなかったら、他国がこの国に不満を抱くと思うの。元々、私の同級生だからっていうだけで、優遇されてる、みたいな根も葉もない噂はされてたんだけどね。そうなると、私の意思に関係なく、この国は潰れちゃうかも」

「そんなことで、簡単に戦争は起きません」

「大丈夫だよ。戦争、起こすから」

「マナ様、やめてください! 私の大切な民たちを、戦争に巻き込まないでください!」

「それなら、他のところで戦争が起きるだけだよ。自分のところだけ良ければそれでいいの?」

「そ、そんなあ……」


 困り顔のロアーナを視界から外し、私は赤ちゃんとステアの顔を見比べる。


「──分かりました。そこまでするというのなら、即位させていただきます」

「ごめんね、無理言っちゃって。でも、本業の方が落ち着くまでは、顔だけ貸してくれればいいから」

「はい。……それで、そちらの彼はさっきから何なんですか? ずっと私を見ていますよね?」


 赤ちゃんは少しして、それが自分に向けられた言葉であると気づくと、はっとしたように息を吸って、むせる。


「ごほっごほっ、も、申し訳、ありません……」

「大丈夫ですか?」

「ええ、はい。問題ありません」

「──しかし、顔が赤みがかっています。彼、熱でもあるのではないですか? 部下の健康管理も一つの大事な仕事ですよ」

「私と赤ちゃんは悪くないよ」

「赤ちゃん……? ともかく、私が悪いと、そうおっしゃりたいのですか?」

「そうだねー。ステアちゃんが可愛いから悪いんだよ」

「可愛い……? それは一体、どういう……」

「そのままの意味」


 ステアは要領を得ないといった感じで、眉をひそめる。どうやら、自覚がないらしい。


「赤ちゃん」

「は、はい」

「二人だけじゃ大変だろうから、しばらくの間、この国に来て、面倒を見てあげて」

「よろしいのですか? いや、しかし、それはお断りさせていただきたいような、いや、でも──」

「一日一回は様子を見に行くこと。その間、私はろろちゃんと遊んでるから。分かった?」

「承知いたしました」

「うん。よろしい。じゃあ、自己紹介がてら、少し親睦を深めておいて。私は帰るから」

「はい。私は、ギルデルド・マッドスタと申し──え? マナ様、今、なんと?」

「レイ、帰ろう」

「はい。行きましょうか、姫様」

「マナ様、私は一体、どうすれば──」

「適当なところで切り上げて帰ってきてくれればいいから。ばいばい」

「ちょ──」


 分かりやすく一目惚れした赤ちゃんの言葉を聞き終える前に、私はレイとともに、瞬間移動で城へと帰った。

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