第6-9話 クラゲベスの襲撃

 案内された場には、白装束の方々が集まっていた。それは、さながら、正教会の集会のようにも見える。実質、この国を仕切っているのは、正教会だということなのだろう。


 しかし、町を見る限り、正教会が台頭している気配は少しもなかったのだが。


「彼らはいつも、何をされているのですか?」

「基本的には、税金の引き上げです。ミハナ陛下が贈り物をするための資金を、国民から捻出しているとのことです」


 それは建前で、ミハナが失墜するまでの間、裏でこそこそと教会の資金を集めているのだろう。だから、国民はミハナに対して厳しい目を向けていたのだ。


 一方、ミハナが財産を他国への貢ぎ物に使うからこそ、財政が圧迫されて、教会も台頭するほどの力を得られないという一面もある。まあ、ミハナを追いやってから力をつければいいとの判断かもしれないが。


「申し訳ありません。このようなことまでお聞きしてしまい」

「いえ。今は、陛下の命が何よりも優先されるときですから」


 ミハナが明日、処刑されれば、運営は教会に取って代わられてもおかしくはない。そうなれば、権力が大きく動き、国はさらなる混乱に包まれる。だが、それをあのミハナに理解しろというのは、到底、無理な話だ。


「他に国内で困りごとはありませんか?」

「ええ、今のところは。有事の際は、自由に兵を動かしていいと、陛下よりお許しをいただいておりますので、ご安心を」


 ユースリアは小さな島国であり、陸のモンスターは掃討済みだ。しかし、海や空のモンスターの被害は避けられない。


 食料の自給自足も難しい。味が変わってしまった以上、魔法植物だけというわけにはいかない。だが、魔法を使わず育てるとしても、人口に対する国土面積が、圧倒的に足りない。


 この国の名産といえば、魚介類に尽きるが、保有する海の面積はそう広くはない。当然、それだけでは経済が潤うはずがない。しかし、新たな名産を生み出す可能性のある、新事業を興すことのできる者が、果たして一体、どれだけいるだろうか。


 それ以外にもこの国には様々な問題がある。とてもじゃないが、ミハナ一代でそれらを解決することなど、不可能だ。


 ──そのとき、兵士の一人が走ってくるのが見えた。


「客人の前でみっともないぞ!」

「く、クラゲベスが繁殖期に入りました!」


 兵士の慌てようを見て、見張り──おそらく、それなりの地位を持っているであろう彼は、顔を強ばらせる。


「分かった。すぐに行くとしよう。申し訳ありません、ギルデルド様」

「いえ。お詫びと言ってはなんですが、私も同行させていただくことは可能でしょうか?」

「──はい。では、ついてきてください」


 そうして砂浜に着くと、海が一面、白い透明の無数の丸で覆われていた。クラゲに類似したモンスター、クラゲベスだ。


「これでは、海に出ることは不可能だな……」

「しかし、三日ほどで収まるかと──」

「たわけ。クラゲベスが発生したということは、海の生物の命が脅かされているということと同義だ。それに、ただでさえ、今は経済が困窮している。教会のやつらの手を借りるわけにもいかない。となると、他国から負債を借りるしかない。その状況が分かっているのか?」

「も、申し訳ありません」

「──それほどに困窮しているのですか?」


 ギルデルドの何度目かの問いかけに、彼は素直に頷く。


「はい。国民に税を課すにしても、これ以上、引き上げれば、物自体よりも税金の方が高くついてしまうほどです」

「なるほど。どうりで物価が高いわけですね」

「ええ。……クラゲベスを掃討しようかと見に来てみたのですが、これではとても、手が足りそうにありません。それに、教会の人間に知られれば、すぐにでも、税金の引き上げが行われるでしょう」

「ささやかながら、尽力させていただきましょうか?」


 ギルデルドにできることなど限られてはいるが、マナに仕えることになってから、ある程度訓練も実戦も経験している。そこらの兵士よりはやれるだろう。


「それはありがたい申し出ですが、帝国に借りを作るわけには……」

「私個人として協力させていただきます」

「何がお望みですか?」

「見返りということですか? ──そうですね。では、美味しい魚介の店を教えていただけたらと」

「……そんなことでいいんですか?」

「はい。私の陛下に、美味しい魚介を食べさせてあげたいのです」


 とはいえ、現在のマナは味が分からないのだが、雰囲気だけでも楽しんでもらいたい。それに、ロロが喜べば、マナも嬉しいだろう。


「──ありがとうございます。ギルデルド様」

「いえいえ。……そういえば、お名前をまだうかがっておりませんでしたね?」

「これは、失礼を。──ユースリア王国近衛兵士団副団長、マルドーセル・ラスカートと申します」


 背中に背負った一振の大剣を横凪ぎに放つと、それだけで、海岸沿いにいたクラゲベスはほぼすべて、消滅した。


「……これはこれは、副団長殿でしたか。さすがにお強いですね」

「ははっ、ご冗談を。剣神と呼ばれた、レックス・マッドスタ様のご子息様にはとても敵いません。あのバサイにも勝ったと伝え聞いております。皇帝陛下がお認めになられたのも、その実力あってのことでしょうから」


 ──それは、父親の話であって、自分にそこまでのものはないのだが。いや、謙遜ではなく、マジで。


 バサイを倒したのも偶然だし、マナに仕えているというのも、たまたま、その場に居合わせたからという部分が大きい。要は、自分は運がいいだけの男だ。


 とはいえ、自分を従えているマナに恥をかかせるわけにはいかない。


「私は沖の方の討伐に向かいます。こちらは一人で十分ですので、マルドーセル様たちは、海岸付近をお願いいたします」

「承知いたしました」


 こうして、別行動を取ることで、へっぽこな腕を曝すことを免れたのだった。


 ──その日、一日をかけて、クラゲベスはなんとか掃討できた。クラゲベスの繁殖力は非常に高く、この時期になると海岸に産みつけた卵を回収しにくるのだ。


 クラゲベスの巣は海全体であり、倒せばそのまま命が失われる。とはいえ、体のほとんどが水でできているため、死骸を放っておいても被害はない。


「さすが、ギルデルド様! いつもなら掃討しきれないところを、たった一日で解決されてしまうとは!」

「いえいえ! 本当に、たいしたことはしていません。たまたま、クラゲベスの数が少なかったのでしょう」

「本当にありがとうございます! 魚たちへの被害も最小限に抑えられました!」


 自分も尽力はしたが、マルドーセルの活躍ぶりには遠く及ばない。本当にたいしたことはできなかったのだ。


「後は、陛下が反省文をお書きになれば……」


 空を飛ぶのは魔力の消費が激しく、魔法の絨毯は城に置き去りにしてしまった。瞬間移動も、魔力の消費が大きい。そのため、ギルデルドたちは歩いて城へと向かった。


***


「……これは、一体」


 海と城との間には距離がある。それでも、普通は気がつくはずだが、海に集中していて、まったく気づかなかった。


 闇夜の中で城だけが、波打つように不規則に照らされる。黒煙が立ち込め、視界が利かない。汗が滲むほどに、その周りだけが熱い。


 ──ユースリア城が、燃えていた。


***


 すぐに、マナの仕業だと考えたギルデルドは、一体、なんと言ってやったらよいのかと、思考を巡らせて──、すぐに、隣のマルドーセルが笑みを浮かべているのに気がついた。見渡すと、家臣たちの誰もが、同じような顔を浮かべていた。


「マルドーセル様?」

「これで、俺たちはもう、搾取されなくて済む」

「このクソみたいな王国も終わりだ……!」

「もう、あいつのワガママに振り回されなくていいんだ!」

「万歳──!!!!」


 皆一様に、声を上げる。


 ──誰も、ミハナを心配する様子は見せない。それを見たギルデルドは、一目散に城へと駆け出す。


 すると、城門の前には、自らの危険も顧みない人々が立ち並んでいた。兵士たちかと思えば、そうではなく、そこに並んでいたのは国民たちだった。


「あと一日なんて待ってられるか!」

「燃やしてやったわ、この手で……!」

「あたしたちが今まで味わってきた苦しみは、こんなもんじゃなかったわ! 存分に味わいなさい!」

「──そんなことより、命の方が大切だろう! 通してくれ!」


 そう声をかけるが、人々にその場を動く様子は見られない。先の掃討で魔力を消耗している以上、強行突破も難しい。


「ミハナ様は、まだ中にいらっしゃるんだろう!?」

「そのミハナ様──いいえ、ミハナを殺すために燃やしたのよ」

「なぜ……」

「あいつのせいで、あたしの主人は休む暇もなく働くことになって、過労で命を落としたのよ! 二人の子どもと三人で、どうやって暮らしていけっていうの!?」

「あいつが医療費を全額負担にしたせいで、わしの家内は手術を受けられなかった……。そのせいで死んだ!」

「学費が底上げされて、奨学金を受けるために勉強もしなきゃいけないのに、生活にかかるお金も増えるばっかりで。シングルマザーだから、私も働かなきゃいけなくて、寝てる暇もないの。全部、ミハナのせいよ。それなのに、あなたはミハナを助けようって、そう言うの?」


 何が国民の感情に火をつけたのかは分からないが、こうしてみれば、恨まれて当然と言えよう。働いても働いても報われず、大切な人は失われていくばかりで、救いを求めることもできないのだから。


「──それでも、亡くなっていい命なんて、一つもない」

「先に奪ったのはアイツでしょ!?」

「だからって、やり返していい理由にはならない! 僕は彼女を助けに行く。そこをどいてもらおうか」


 一触即発の気が蔓延する。ガソリンのように周囲に殺気が満ち、次の瞬間には爆発する。


 そのとき。


「──はいはい。みんな、喧嘩はやめようね」


 指が鳴る音がする。それに、反射的に身を硬くすると──次の瞬間、黒煙は消え、城の炎も消え、ついには、夜闇さえも消え、昼になった。


 そこには、桃髪の女性が佇み、とびきりの笑顔で辺りを見渡していた。ただそこに彼女がいるというだけで、民たちは自然と平伏させられ、彼女が纏う雰囲気にわずかに怒気を孕ませると、近衛までもが膝を折る。マルドーセルはさすが、副団長とあって、頭をわずかに下げる程度にとどまっていた。


 そんな中で、ギルデルドは真っ直ぐマナを見つめていた。彼女の顔に、見とれることはあれど、恐れることはない。


「あ、誰かさん、いたいた! もう、探したんだよ?」


 顔では分からなかったから、圧に耐えられるかどうかで試したというわけか。覚えられていないというのは寂しい限りだが、なんとも、彼女らしい。


「ミハナ様はご無事でしょうか?」

「うん。大丈夫だよ。ちゃんと約束は守るから」

「それはよかった。ロロ様はどちらに?」

「ろろちゃん、寝ちゃったから、レイに預けてきたの。疲れちゃったみたい」

「そうですか」


 二人が無事ならば、ひとまずは安心だ。国民はこの通りここにいて、兵士たちも命を落としてはいない。


「それで? 他に何か言いたいことは?」

「他に、と申しますと?」

「もう! 私が何のために色々してあげたと思ってるの?」

「それは、私を見つけるためではないのですか?」

「はあー? ……もういい! 誰かさんなんて、知らない!」

「え? 違うのですか? であれば、なぜこんなことを?」

「私がなんのためにミハナちゃんのところにあなたを送ったと思ってるの!?」

「それは、彼女の、ご自身の健康や立場、地位を顧みない態度を改めさせるためかと──」

「……誰かさんって、なんでもそうやって難しくするのが好きなの?」

「それは、どういう意味でしょうか?」

「自分で考えて。私、その辺にいるから」

「お待ちください」

「何?」

「一人で出歩かれては危険です。ロロ様がいらっしゃらないのであれば、私と一緒にいていただかないと」


 一人で残せば、寂しさで発作を起こして、ユースリアを滅ぼしかねない。そうなれば、今までのことがすべて無駄になる。


「……はあ。はいはい、分かりました。ミハナちゃん、行こう?」

「お、おー。そうじゃの……」


 いつからか、マナの後ろに隠れていたミハナが、しょげた様子でうつむいているのが見えた。


***


 ミハナが書いた反省文には、国民のために行動することや、もう二度と我が儘は言わないこと、人の言うことを聞くことなどを誓う旨が書かれており、最後の方には、「これからは、本当に人のためを思って行動する」と書かれていた。


 ──その日の深夜十二時、ミハナは皇帝の手により処刑された。


 その首は城の門に吊るされ、国民たちはこぞって集り、その首に石を投げたり、落書きをしたり、振り回したりして、最後には魔法で燃やしてしまった。

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