第6-5話 喜びを、あなたに。
「ぴぴちゃん、ロロの血を吸って」
「ぅ……」
ピピの症状は思った以上に重そうだった。それでも、なんとかピピは、鋭い犬歯をロロの腕に食い込ませて、血を啜る。
女王の血液を直接吸うよりは効果が落ちるが、恐らく、数日で完治するだろう。
「どう? 病気、治った?」
「うん。少し楽になったよ。ろろちゃん、ありがとー」
「ん、どーいたしまして!」
私はといえば、そんな眩しい光景を横目に、死体の焼却を行っていた。疫病が発生すれば、ここの近所に迷惑がかかる。
いっそ、教会ごと潰してしまおう。誰も利用しないとなれば、建物はすぐダメになってしまう。特に旅人が立ち寄るような場所でもないし、避難所として使うということもなさそうだ。
「ろろちゃん、おとーさんとおかーさんは?」
「ん? 殺したよ? 最初に」
「……え?」
ロロがきょとんとして答えると、ピピの顔が青ざめていく。思った通り、この子は普通の子だ。普通のいい子。幼くて可愛いけど、それだけ。
「ろろちゃん、嘘だよね?」
「嘘じゃないよ。ほんとーに殺したよ」
「な、なんで? あんなに今まで、楽しくて、幸せだったのに、どうして? どうして、殺しちゃったの?」
「ぴぴちゃんを助けるために、たくさん血がいるから、おとーさんとおかーさんは殺しちゃったの。二人もね、ぴぴちゃんを助けるためならなんでもするって」
「なんで……」
ピピの目から大粒の涙が流れるのを見て、ロロは狼狽える。
「ど、どうして泣くの、ぴぴちゃん。助かったんだよ、嬉しいでしょ?」
「嬉しくなんてない! 近寄らないで! ろろちゃんなんて、大ッ嫌い!!」
ロロは傷ついた様子でピピから後ずさり、後ろにいた私に受け止められる。
「なんで、なんで? ロロ、確かに、おとーさんたち殺しちゃったけど、でも、ぴぴちゃんを助けるためで……」
対するロロは、倫理観が欠落している。私好みだ。
「あのね、ろろちゃん。ぴぴちゃんは、自分も助かりたかったけど、それ以上に、お父さんやお母さんと、ずっと一緒にいたかったんだよ」
「──そうなの、ぴぴちゃん?」
私の言葉を信じるようにと言ったのに、妹の言葉を優先するとは、悪い子だ。まだまだしつけが必要らしい。
ピピは姉の問いかけに、泣きながらも頷いた。するとロロは、
「そっかー。ごめんね、気づかなくて。──これからは、ずっと一緒にいられるから、だいじょーぶだよ」
そう言って、掌中に歪な氷の欠片を顕現させる。そして、それを、ピピめがけて、躊躇なく、振り下ろした。何度も、何度も、何度も。
「ごめんね、ぴぴちゃん。痛い思いさせちゃって。ごめんね。ごめんね。ごめんね──」
繰り返し謝罪し、涙を流しながら、ロロはピピの血を吸う。自分の中でも、両親と一緒にいさせてあげたいと、そう思っているのだろう。
今回の教団の嘘がなければ、ロロは人を殺すことを知らなくて済んだ。いずれ、何かの機会で殺すことがあったとしても、今回のように無差別な大量殺戮を起こすことはなかっただろう。
きっと、妹や両親とも、幸せに暮らせていたはずだ。そして、家族を殺すという大罪を、無自覚のうちに起こすこともなかったかもしれない。
どちらにせよ、救いたいと願う妹を、その手にかけることなんて、しなくても良かっただろう。
──どうして、止めなかったのか? それは、とっても簡単な話。
そうしたところで、きっと、ろろちゃんは喜ばなかったから。それだけの簡単な話。
「ぴぴちゃん、ぴぴちゃん……!」
泣きじゃくるロロを後ろから抱きしめて、私は耳元で囁く。
「ろろちゃん。うちにおいで? 今度は、ぴぴちゃんみたいに誰かが悲しむことがないように、幸せにみんなを助ける方法を探そう?」
「……ん」
ロロが落ち着くまで頭を撫でて、それから、一緒に、ピピの死体を土に埋めた。
「ぴぴちゃん、ちゃんと、おとーさんたちのところに行けたかなあ」
「うん、大丈夫だよ。ちゃんと、お空の上で見てるから」
ゾンビになっている間は、見守ることもできなくなるが、先に島ごと燃やしておいたので、ゾンビになっていた魂は、ピピよりも先に、空へと昇っていたことだろう。となれば、きっと、ピピを待っていてくれたに違いない。
果たして、二人は私に誑かされているロロを見て、どう思うのだろうか。
「ろろちゃんのこと、とっても、大切にしてあげる」
──こうして、マリキェ島事件は幕を閉じた。
***
「姫様。島ごと燃やしたそうですね? それに、そのような少女まで連れ帰ってきて……」
こうして始まったレイのお小言は、かれこれ一時間ほど続いている。あの後、ついに限界を迎えた船を、帝国は受け入れることにした。一週間程度様子を見るそうだが、何も起こりはしないと私は知っている。
「少女とはいえ、殺人鬼なのですよ? 分かっていらっしゃいますか?」
「でも、可愛いもん!」
「可愛いからすべて許されると思うのは間違いです」
「可愛いは正義だもん!」
レイは私が姫でなくなった今も、姫様、と呼んでいる。私も気にはしていない。むしろ、そちらの方がしっくり来る。
「わけの分からない屁理屈を並べるのはお止めください」
「可愛ければ許されるの!」
「姫様! どのような理由があったとしても、人を殺してはなりません! 何度言ったら分かるんですか!?」
「むー……レイの分からず屋! どうせみんな死んじゃうんだから、大好きな私に殺された方がシアワセに決まってるでしょ!」
「……姫様は、アイネ様が何者かに殺されたとしても、なんとも思わないのですか!?」
そう問われて、私は答えに詰まる。
「──知らない。アイネって、誰」
とても、イライラする。抑えきれないくらいに、怒りが膨れ上がっていく。
そして、理性の糸が、切れた。
「そこのあなた」
「はい、マナ様」
「これをつけて、地下牢に放りこんでおいて」
私は魔力を喰らうことで力を高める腕輪を、空間収納から取り出し、床に転がす。魔力を吸われ続けるというのは、契約を破ったときに発生するペナルティと同じだ。
「──期間はいかようにいたしましょう?」
「知らない。反省するまで放っておいて」
「姫様! まだお話は終わっておりません!」
「うるさいうるさいうるさいッ!! 早くして!!」
「──承知いたしました」
「姫様! このようなことをなさってはなりません! 姫様、姫様──!」
レイの声が消えると同時に、私は倒れるようにして、眠りについた。
***
ギルデルド・マッドスタがかねてよりお慕いしている、最も尊き桃髪の女性。その指示通り、レイを地下牢に運んだ後で戻ると、その女性は眠ってしまっていた。その場にいた水色の髪の少女も、急な変化に慌てている様子だ。
「マナちゃん、急に寝ちゃって……」
「大丈夫です。いつものことですので」
こうして寝顔を見ていると、まるで、子どものようで、昔と何も変わらないような心地がしてくる。
「寝室にお運びいたしますね、マナ様」
「えと、ろ、ロロも何か手伝えること、ありますか?」
「そうですね。ついでに、お部屋にご案内させていただきます。ついてきてください」
「は、はい!」
このように素直な少女が、百を超える人を殺したとは、想像しがたい。だが、事実、彼女は幼いながらも、魔力を精密に扱い、教団から受け取ったナイフを、糸のような魔法で操ったのだ。彼もその力は自分の目で確認している。
「あの、マナちゃんを、あんまり怒らないであげてください。ロロのために、色々してくれただけだから」
「──マナ様を気遣ってくださり、ありがとうございます。お気持ち、しっかりと、私の胸に刻んでおきます」
「はい! こちらこそ、ありがとーございます。えっと……」
「ああ、自己紹介がまだでしたね」
マナをベッドに横たえ、毛布をかけてやってから、彼は礼に則った挨拶をする。
「申し遅れました。ギルデルド・マッドスタと申します。マナ様にはなかなか、名前を思い出していただけないので、彼女の前では赤髪の人、とでもお呼びください」
「はい! よろしくお願いします! 赤いお兄さん!」
「はい。よろしくお願いいたします。ロロ様」
ただ、マナに気に入られたことが、何より、この少女が普通でないことを証明しているのだった。
──彼女は、自分が殺されてもいいと思える人物しか、側に置かないのだ。
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