第6-3話 女王の血液
「怖かったね。でも、大丈夫だよ。私はあなたをどこかに突き出したりしないから」
「……」
野生動物のように、なかなか、なついてくれる気配がない。その声が聞きたいと思い、私は少女の脇の下を抱えて、抱き上げる。
「ほら、高いたかーい! どう、楽しい?」
「……」
「んー、じゃあ、くるくるくるー!」
少女を高く掲げたまま、その場でくるくると回ってみる。まなの姿では、少女とたいして背が変わらず、高さが足りないのだろうか、と考えていたのだが、
「お、下ろして……目、回る……」
「あ、やっとお話ししてくれた!」
地面に下ろすと、少女は床──実際には船の上なのだが、に手をついた。私はしゃがんで少女に尋ねる。
「ねえねえ、あなた、お名前は?」
「……ロロ」
言いたくなさそうだったが、私の瞳の圧に負けて答えた。
「ろろちゃんって言うの? 素敵な名前だね。うちにおいで?」
「そんなの、急に言われても……。それに、ロロのこと、怒らないの?」
「ああ、そうだったね。なんであんなことしたの?」
理由になどたいして興味はないのだが、尋ねてほしそうだったので、そうする。
「色んな人の血、ロロが飲んで、妹に飲ませてあげるの」
「ろろちゃんは、人間だよね?」
「でも、妹はキュラン。ふーいんが解けたとき、おかーさんのお腹の中にいて、まほーにかからなかったから」
──そう。結果として、魔族は絶滅しなかった。生まれる前の赤子は、魔族として生まれてきたのだ。
「そうなんだ。妹ちゃんは、何か病気なの?」
「ん。ロロがたくさんの人を殺して、たくさんの人の血を飲んだら、ロロの血に色んな人の成分が混ざるの。それを、妹に飲ませてあげたら治るって言ってた」
「そうなんだ」
そんな症例は聞いたことがない。キュラン特有のものだったとしても、血をもらうだけなら、殺す必要はないはずだ。子どもが殺戮するのを見て楽しむ変人か、あるいは──。
「ねえ、ろろちゃん。どんな病気でも治る血があったら、欲しい?」
「欲しー!」
食い気味に答えるロロに、私は少しだけ驚く。
「……どんな代償があるとしても?」
「ん! なんでもする! 妹を助けられるなら!」
幼さ故の即断だとしても、迷わずそう答えられる彼女の瞳が眩しい。私は、まなの命と、自分の未来を天秤にかけて、散々悩んだ挙げ句、結局、未来の方を優先したから。
──だというのに、私は一体、何をしているのだろうか。
「どーかしたの?」
「ううん。ろろちゃん、ドラゴンの血って、知ってる?」
「ん、知ってる。一滴でどんな怪我でも治せるんでしょ?」
「そうなの。ろろちゃん、物知りだね」
「でも、テーコクの『あのお方』しか手に入れられないって言ってた」
「あのお方?」
「ん。コーテーヘーカのこと。名前を呼んじゃいけないんだって」
私はそういう目で見られているのだと納得する。そう仕向けたのは私だが、こうして人から聞くと、少し寂しい。
「そうなんだ。じゃあ、問題です。もう一つ有名な血ってなーんだ?」
「ジョーオーの血液」
「そう! 正解! いい子いい子ー」
その柔らかい水色の瞳を撫でると、ロロは不審がる目で私を見つめる。
「ドラゴンの血を飲んだルスファの女王の血液はね、どんな病気でも治せる万能薬に等しい効能を持つって言われてるんだよ」
ただし、女王の血液が貴重だという話であって、女王が病気にかからないわけではない。現に母は、病に倒れ、命を落とした。
病にかかったと聞いたとき、私がすぐに即位して、血を分けていれば救うことができた。それでも、私は母を見捨てた。介抱して、心配しているフリをして、罪悪感から目を背けた。今さらだけど。
ともかく、姓を捨てたとしても、私の体に流れる血は、ゴールスファ家のものであり、ドラゴンの血液を飲んだのも事実だ。
つまり、私の血液があれば、治せない病気もケガもない。そして、私の保有している感染症は、血液では感染しない。
私が自分の血液を外に出して飲んだところで、治りはしないというのが、どうにもややこしい話だが。
「それでろろちゃん。人を殺したら妹ちゃんの病気が治るって、誰から聞いたの?」
「白い服の人たち。長いローブ? みたいなの着てた」
「それって、こんな、印がついてなかった?」
光で宙に、私が滅ぼしたルスファの国旗を描く。
「ん! そんな感じだった!」
白装束に身を包んでいる集団となれば、まず始めに思い付くのは、正教会だ。
「そっか。その人たちはね、正教会の人だよ」
「せーきょーかい?」
「うん。主神を信じてる人たちの集まりなの」
正教会も、私が皇帝になってからおかしくなってしまったらしく、今では、主神マナをこの世に蘇らせようとする派閥と、変わらず私を主神の生まれかわりとして崇める派閥に分裂しているらしい。
しかし、私はその運営にはなんら関与していない。つまり、放置している。
ただ、今回のように、純粋な子どもを騙すのはダメだ。
「──やっぱり、主神を蘇らせるための生贄を集めてる」
「どーかした?」
「ううん。なんでもない。その妹ちゃんはどこにいるの?」
「その人たちに連れてかれた。でも、そこには、さいしんえーの技術が揃ってるんだって」
そうなると、妹の方は、もう、手遅れかもしれない。
「そっか。──ろろちゃん、私の血を一滴、飲んでくれる?」
「一滴じゃどーにもならないよ?」
「この中にはね、ドラゴンの血が含まれてるの」
「ドラゴン、って──」
この子は純粋だ。私が何を言っても、きっと信じる。私の言葉に偽りはないが、その思考は、とても危うい。
「ところで、自分より幼い子を殺したことはある?」
「うん。色んな血を集めるよーに言われたから」
「そうなんだ」
見たところ、この子は生き物を殺すということについて、何も思わないらしい。
彼女は、帝国に必要な人材だ。何より、可愛い。だから、なんとしてでも、手に入れる。裏切られたらそのときだ。
「それよりも、あなたって──」
「一滴。飲めば分かるよ」
色んな血が混ざったロロには、現在、命の危険がある。本来、飲むだけで体内に血液を取り込めるはずはないが、残念ながら、彼女は魔法が使える年齢だ。そうなれば、魔力が結合している血液は取り込めてしまう。
体は一つしかないのだから、他者のものを取り込み続ければ、いずれ、死に至る。キュランであれば体質が異なるが、彼女は人間なのだ。
そのため、人間であるロロを救うには、こうするしかない。
「でも、女王以外が飲むと、拒否反応がすごくて、死んじゃうって」
「大丈夫。一滴だけなら、体がほんわかするくらいだから」
言い終える間に、氷の刃で指先を切り、ロロに舐めさせる。傷はすぐに完治した。
女王の血液は、世界で私の中にしか流れていない。たかが一滴でも、貴重な一滴だ。
「大丈夫そう、ろろちゃん?」
「うん。へーき」
「よかった。それで、どうやって島に戻るよう言われてるの?」
「ぜーいん殺したら迎えに来るって」
どうも、教団にロロの妹を助ける気はないらしい。その上、ロロを利用するだけ利用して、全員殺させた後で、彼女をも生贄にするつもりなのだろう。
──嘘はよくないね。うん。嘘は、よくない。
「ロロちゃん、ちょっとちくっとするね」
私は細い針を生成し、ごくわずかの血を採取しながら、もう片方の手で虚空に魔法陣を描く。そして、血液を魔法陣の真ん中に乗せる。
「何これ?」
「妹ちゃん捜索の陣! どやー」
「へー」
ロロには凄さがいまいちよく、伝わらなかったらしい。ともかく、これは、薄まった血の中から、ロロの元々の血を探して、妹を探す魔法だ。
魔法陣は一人一つ。強い魔法を行使する際に用いる。魔法陣は個人情報の塊であり、魔法陣から個人を特定することも可能だ。特定する作業は、解体と呼ばれ、解体には特殊な技術が必要になる。
「じゃあ、ちょっと、集中するね」
「ん」
混ざりあった血液の中から、ロロ本来のものを探す。元がキュランであること、年齢や性別、量などを考慮して、見つけ出す。
そこから、妹の魔力をたどる。あまねく気配の中から、一筋の糸を見つけ出す。見つけられたということは、生きているということだ。
まだ、生かしてくれてはいるらしい。
「じゃあ、ろろちゃん。行こうか」
──私は自分の姿を元の桃髪に戻し、ろろをお姫様抱っこして、瞬間移動する。
「え、わ、えっ!?」
「ろろちゃん、教団から武器とかもらわなかった?」
「あ、えと、はい……。それでとどめを刺すようにと……」
「それ、没収ね。危ないから。あと、敬語禁止」
「うえ!? は、ん、んっ……」
素直に差し出されたナイフを、移動しながら調べる。やはり、魂を現世に縛りつける、鎖のような魔法がかかっていた。
一度、ゾンビになってしまった魂が自力で元に戻ることは不可能だ。となると、
「燃やしちゃお」
「──?」
マリキェ島にゾンビが多数発生しているのは、遠くを見通す魔法で確認済みだ。いちいち相手してやるのは絶対に嫌なので、島ごと燃やす。
──ウイルスじゃなかったけど、面倒だから、許してね。魔族のみんなには悪いなとは思うけど。妹ちゃんもそこにはいないみたいだし、ろろちゃんはもう、私のものだから。帰る家なんて、必要ないでしょ?
とは言わないけど。
「えっと、ロロ、あなたのこと、なんて呼べばいー?」
「私? マナでいいよ」
「で、でも、その名前は呼んじゃダメだって……」
「ろろちゃんは、私が怖いの?」
「怖くはないけど──」
「じゃあ、マナちゃんね」
「マ、マナ、ちゃん……!?」
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