第6-2話 マリキェ島

 移動しながら、姿を変える。変える相手は白髪に赤い瞳の少女。声も少女のものに変える。私を知らない人など、この世にそうはいないので、そのまま行くわけにはいかない。


「んん。あ、あー……。よしっ。えーっと、フネ、フネー──あ、あった。あれは、アランロブの船だから、多分、マリキェ島かなー」


 船を覚えておけば、どの国のものかはすぐに分かる。見ていれば、その船が波に流されているだけだということはすぐに分かる。


 そして、航路とそこを通る船をすべて把握しておけば、どの船が通常と違う動きをしているかということはすぐに分かる。


 ──ひとまず、船内の状況把握といこう。


 私は船に侵入し、乗客に溶け込んで、状況把握に向けて動き出す。


「怪しい子はどこかなー──」

「お嬢さん、こんなときに一人で出歩いちゃあ危険だよ」


 振り返ると、鼻の下に髭のついた紳士がこちらを見下ろしていた。髭は、ワックスで固めてあるのか、つやつやしていて、先がつんと上を向いている。男性が指でぴんと弾くと、びよよんと揺れた。


「だあれ?」

「私はビンセント。お嬢さんは?」

「んー……さあ?」

「分からないということはないだろう? 見たところ、お嬢さんはそこまで幼くはない」

「お嬢さんは、お嬢さんなのです」

「わっはっは! そうかそうか。一人かい?」

「うん、一人なの」

「お父さんやお母さんは?」

「あそこにいるよ」


 私は大陸の方角を指差す。そこには、両親や兄弟たちの墓がある。ルスファ大陸では土葬が主流なので、どこにいるかと尋ねられたらそう答えるしかない。


 そして、それは、島の方角と一緒だった。もちろん、意図してのことだったが。


「島に? 島の人たちは皆、この船に乗っているはずだが……」

「みんな、死んじゃったの」

「それは……辛いことを聞いたね」

「辛い?」


 そう聞き返すと、ビンセントは一人納得したように、ショックで頭がおかしくなったのだとか、可哀想にとか、色々と想像で補完しているらしかった。


「どこの部屋か覚えているかい?」

「お部屋?」

「そうだよ。何人かでチームを作っただろう?」

「なんのために?」

「怖ーい殺人鬼が潜んでいるかもしれないから、お互いに見張りあっているんだよ。家族は家族で固まっているけど、君の場合はそういうわけでもないようだから」

「そうなんだ。それで、何人死んだの?」


 私がそう尋ねると、ビンセントの顔色が青くなっていき、次第に、誤魔化すようにして、髭を指で整え始める。


「……五人だ」

「二週間も経つのに、それだけ?」

「そういうところは覚えているんだね。──知らされている数字は、五十人。だが、それにしては、人の減りが速すぎる。私はその倍は死んだんじゃないかと考えているよ」

「死んだ人はどうなったの?」

「最初の死体がゾンビになってからは、みんな、遺体を保管しておくことも嫌がってね。今では全部、簡単に火葬して、骨だけ保管しているよ。心が痛む話だがね」

「そうなんだ。おじさんは一人で歩いてていいの? 見張ってるんでしょ?」

「ははは、こりゃ参ったな……。ずっと一緒にいるっていうのも、気が滅入るからね。こうして、こっそり抜け出したりしてるんだよ。みんなには内緒だよ?」

「そうなんだ。──ところで、あなた、さっき、島の人たちは皆、この船に乗っているって言ったよね?」

「ああ、そう言ったよ。確かに」


 島の規模から推察するに、人口は五千人程度。この船では、最大で四千人程度しか乗せられない。


「本当に皆だった?」

「え?」

「旧魔族のみんなは、置いてきたんじゃないの?」

「お嬢さん。あの島は昔、魔族に酷い目に遭わされてきた。だからね、魔族を助ける必要はないんだよ」

「そうなんだ。それが、あなたの考えなんだね」


 直後、紳士は顔を真っ赤にして、もがき苦しみ始める。気道を塞げば、なんということはない。魔法で抵抗しようにも、そこらの人間が、私に勝てるはずがない。


「あなたの罪は三つ。勝手な想像で私を可哀想な子にしたこと。私に嘘をついたこと。それと、みんなを平等に思いやれなかったこと。私は優しいから、二つまでは見逃してあげるけど、三つはダメ。生かしておけない。ごめんね」

「お前は、一体……」

「そっか、それも教えてあげないと。この子が恨まれたら困っちゃうもんね。──私は、榎下愛。帝国メリーテルツェットの皇帝様だよ。だから、恨むなら、ちゃんと、私を恨んでね。誰かさん」


 まなの姿で人を殺すが、まなに責任を押しつけるわけにはいかない。優しく、気高く、尊い彼女が恨まれることなど、万が一にもあってはならないのだから。


 充血した目が、顔を醜く歪めて、私を見つめる。

その瞳に最期に映るのが、どんな顔なら嬉しいだろうかと考えて──私はいつも、とびきりの笑顔を浮かべることにしていた。


 彼が、それが一番だと、そう言ったから。


***


 不可視の結界を張り、遺体と私を外から見えないようにして、船の天辺に固定した。もし、これでも死体がゾンビになるようなら、この辺りにはウイルスか何かが蔓延していると考えていいだろう。そうなれば、辺り一体を焼き払うなりするしかない。


 だが、まず、そうはならないと、私は考えていた。原因はおそらく、殺人鬼の持つ武器にある。


 近年、増加しつつあるゾンビだが、それゆえに研究も進み、死体がゾンビになることを防止する武器も開発された。そして、その逆もまた、作ろうと思えば作れなくはない。


 一日経ったが、死体がゾンビになることはなかった。決まりだ。


 目の前の死体の人形を作り、それを操って内部を調査することに決める。だが、紳士の言う以上の情報はほとんど得られなかった。死者数もおおよそ、予測通りのようだ。


「噂を聞く感じだと、殺人はいつでもどこでも起こるみたいだね。特に相手を選んでる感じでもなさそうだし、家族とか、グループごと殺しちゃうこともある。──でも、多分、それじゃあ、血が足りてない」


 すでに、犯人の目星はついている。魔力の気配をたどれば簡単な話だ。ただ、各々が防御魔法を発動したり、犯人を探ったりしているため、魔力は複雑に絡み合った糸のようになっている。それでも、糸が切れることはないので、問題はない。


「本当は、旧魔族の血も欲しいんじゃないかなあ。それに、狭い船内じゃ動きづらいから、たくさんは殺せないし。殺したのがバレて、捕まったら、殺せなくなっちゃうし。うーん、どうしようかなあ」


 助ける基準は、可愛いか可愛くないかだ。


 そして、あの殺人鬼の少女は、幼くて、可愛い。今のところは。


 だからこそ、誰も警戒しない。


 先ほど、紳士が私に近づいたように、人形が少女に声をかけたら、高確率で殺される。


 そうして、殺したはずの紳士が自分を捕まえたりしたら、驚くだろうか。


「いたずらしてみよっ。ふふっ」


 私は紳士の姿で一人、出歩く少女に話しかける。死体を確認しに行くところのようだ。


 最初はグループを組んでいたらしいが、被害者が増えれば、そんなものは機能しなくなってくる。組み直すにしても、グループの生き残りなど、疑わしくて、受け入れられない。


 そうなれば、一人で出歩くことも容易い。犯人にとっては、好都合だ。


「こんなときに一人で出歩かれては危険ですよ。お嬢さん」

「……」

「部屋は分かるかい? 私がついていってあげよう」


 ──瞬間、魔法で作った紳士の首がぱっくりと割れた。血が流れる演出もばっちりだ。


 そうして、人形に死んだフリをさせると、少女はその死体に歩みより、傷口へと顔を近づけていく。


「こんなにすぐ、罠に引っ掛かってくれるなんて、可愛い」


 油断した少女の体躯を掴み、口を押さえると、案の定、大きな濃い黄色の瞳をさらに真ん丸にして、体を硬直させた。


 直後、紳士に、少女を抱えて走らせる。厳密には、人形にくくりつけた糸を、肉眼では捉えきれない速さで巻き取っていく。


「んー! むー!!」

「大人しくしてておくれ! わっはっは!」


 私にたどりつく寸前で、少女は人形の足を切った。英断だが、判断が遅いのと、もう一つ。


 魔力で作られた人形なので、損失した部位の治療は、人形が倒れるよりも速くできる。


 まさに、足が生える、という光景を目の当たりにして、少女は表情に恐怖の色を滲ませる。そして、ようやく、私のもとにたどり着いた。


「お疲れ様」


 少女を地面に下ろさせ、人形を煙に変える。それから、私に恐れをなして震える少女の不安を少しでも取り除こうと、微笑みかける。

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