第5-13話 幸せにしてあげる

 ──白い天井が目に入った。果たして、私が気絶するのは、一体、これで何回目だろう。


「マナ様……! 誰か来てくれ! マナ様がお目覚めになられた!」


 意識を失う直前の記憶が、鮮明に思い起こされる。理解は私の心を待ってはくれなかった。


 ──彼は、私の下敷きになったのだ。


 どうして、助けたのか。どうして、私は生きているのか。どうして、私は彼に、同じことをしてやろうとしなかったのか。どうして、どうして、どうして。


「マナ様、お目覚めになられて、大変、嬉しく思います」

「あのまま、終わらせてくれればよかったのに」

「……僕は、マナ様に生きていてほしいです」

「彼は、あかねは、どうなったの」

「──申し訳ありません。力及ばず」

「そっか」


 まなが亡くなったときは必死に堪えた涙が、あかねが亡くなったときには、一滴たりとも、流れそうになかった。


「失礼します! マナ様、大変お伝えしづらいのですが──」

「マナ様は、今お目覚めになったばかりだぞ。状況を考えろ!」

「で、ですが……」

「いいから、そっとして差し上げろ。分かったな?」

「……はい」

「──それでは、僕もこれで、失礼いたします」


 咄嗟に、立ち去ろうとする人物の袖を掴む。


「マナ様?」


 引き留めたその手が、優しく包み込まれる。


「側にいましょうか?」


 私は何も答えなかったが、彼──ギルデルド・マッドスタは、ずっと側にいてくれた。


 その後、何人もの人が私に用があると、病室を訪れた。それを、ギルデルドはすべて断って、私をそっとしておいてくれた。


 そうして、私が眠るまで、そこに居続けてくれた。


***


 ──目が覚めると、何人もの人が私の目覚めを待っていた。そこに、ギルデルドの姿はなかった。


「マナ様! お目覚めになられましたか!」


 その大きな声に、耳鳴りを覚えつつも、なんとか、声と表情に優しさを含ませようと努める。


「──ギルデルドは?」

「彼は今、席を外しておられます。それよりも、マナ様、我々にはマナ様のお力が必要なのです! どうかお助けください!」


 私が口を挟む間もなく、順番を待ってはいられないとばかりに、一斉に口を開く。


「エトス様がお亡くなりに──」

「魔王軍が新たな軍を編成し、領土が侵食されつつあり──」

「カルジャスが戦争をしかけてきて──」

「ベルセルリアが暴動をお越し──」

「カルメス様が対応なさってはいますが──」

「マナ様、お辛いかとは存じますが──」


 私の耳と脳は、それらを正しく、同時に処理する。ちゃんと、聞いてやらなければならない。今まで、散々、迷惑をかけてきたのだから。



「私が、辛い?」



「……はい。榎下朱音に心中を強要されたと伝え聞いております」

「は」


 ──なんでそんなことになってるの。私が彼を殺したのに。


「ちが」「しかし、マナ様は生きておいでです。こうして、一年ぶりにお目覚めになられたのも、きっと、この国を引っ張っていくため。私たちには今、あなたのお力が必要なのです!」

「それにしても、あの男には顔以外にいいところがなかったな。ハッハッハ」

「マナ様の御前でそのような下品なことを……。でも、確かに。マナ様を殺そうとしたわけだしね」

「あんなやつに騙されて、可哀想なマナ様……」

「しかも、勇者であるとずっと嘘をついていたんだ。許されることではない」

「彼は死んで当然だ。そうされても仕方のないことをしたのだから」


 ──何も知らないくせに。いつもいつも、私の周りばかり悪人にして。全部勝手に押しつけて。


 ああ、本当に。誰も私のことなんて、見てくれていない。表面だけの、薄っぺらの愛だ。


「マナ様?」


 ──落ち着け。アイネのときみたいに、止めてくれる彼はいないのだから。感情的になってはいけない。


「……彼を、悪く言わないで」

「ああ、マナ様、あの男に騙されて」


 ──何かが、ぷつんと切れる音がした。


***


 白い部屋が赤く染まっていた。


 肉片が飛び散り、地面に散乱していた。


 頬に触れると、返り血で手が赤く穢れた。


 気がつくと、私はその場にいた全員を、内側から氷の刃で四散させていた。


「あーあ、やっちゃった」


 ──でも、やっと、静かになった。


 そのとき、病室の扉を開いた赤髪の青年が、驚愕を顔に表して、しばらく、呆けた顔で突っ立っていた。


 ──誰だっけ。ま、ちょうどいいや。


「ねえ、あなた。私と一緒に来て?」

「──はい。僕はいつでも、マナ様の味方ですから」


 私は血溜まりに素足を下ろし、散らばる汚物を踏みつけて、真っ赤に染まった手を差し出す。


「私、榎下愛って言うの。よろしくね」


 笑顔。そう、笑顔だ。笑顔が一番いい。あかねがそう言っていた。


「──ギルデルド・マッドスタと申します。改めてよろしくお願いします、マナ様」

「そうなんだ」


 どうでもいい。


 赤髪の青年は私の赤い手を、両手で包み込むようにして、泣きそうな笑みを浮かべた。


***


 素知らぬ顔で城に戻り、宝物庫からドラゴンの血液を取り出してきて、一同を集め、一気に飲み干す。


 ──喉が焼ける。ひたすらにマズイ。吐きそう。全身が融けそうなくらいに熱い。舌が割れそう。


 だが、しっかりと、飲み込んだ。口から湯気が立ち昇り、全身からは滝のような汗が流れる。


「──現時刻を以て、私がルスファ国王の座を引き継ぎます」


 即位の儀は本来なら二日かけて行われる。それを短縮し、儀式の最期に飲むことになっているドラゴンの血液だけを、無理やり飲んだ形だ。


 それをしても許されるほどに、現在の国政は逼迫していた。私が寝たきりで一年過ごしている隙に、ルスファ王国の権威失墜を狙った動きが各地で見られるようになり、かつてないほどの、激動の時代を迎えていた。


 ゴールスファの直系のみが王位を引き継ぐ、という伝統にも、前々から不満を募らせていた者は多く、現在、叔父のカルメスが補佐につくことで、その伝統が内部から変化することを期待されているらしい。


 ただ、それでも、私が即位することは変わらず期待されているようだ。


「それで、マナ様、まずはどうされますか?」

「──皆さんは、何があっても、私についてきてくださいますか?」


 そう尋ねると、全員が寸隙なく、肯定の意を示した。


「よかった。今まで、お世話になってきたみんなのこと、殺したくなかったから」


 私は立ち上がり、みんなに告げる。


「ルスファ王国は、解体しよう?」

「──それは、一体、どういうことでしょうか?」

「この国は、大きくなりすぎちゃった。他国への絶対の抑止力として機能してきたけど、魔力とか、土地とか、富とか。色んなものを独り占めして、歪んじゃった。だから、バラバラにするの」

「それは、マナ様の一存だけで判断できることでは──」

「みんな、何があっても、私についてきてくれるんでしょ? そう言ったよね? 嘘だったの?」


 ──みんな、何か言いたそう。でも、言えないって顔してる。


 そっか。頭を覗けばいいんだ。そうすれば、何を考えてるか、分かるよね。




 直後、私はその場の大半の人間を処刑していた。




 機を見て、私を取り押さえようとする者。


 あかねのことを憎く思っている者。


 協力するフリをして、私を謀ろうとする者。


「みんな、酷い人たちばっかり。ずっと、小さいときから、信じてたのに」

「──う、うわあっ!?」


 残された者たちが、その光景に悲鳴を上げる。


「みんな、静かにしてね。うるさいのは嫌いなの」


 口を手で押さえたり、涙を流したり、全身を震わせたりしながらも、ちゃんと静かにしてくれる。


「ごめんね、怖い思いさせちゃって」


 そのうちの一人がおずおずと手を挙げる。


「うん、なあに? 誰かさん?」

「あ、アイネ様は、どうされますか」

「アイネ? ──ああ、すっかり忘れてた。そう、アイネちゃんね。私の可愛いアイネちゃんはー、んー、どうでもいいから、捨てておいて?」

「……どうでもいい? ふざけるな! 自分の子どもが、どうでもいいだと!?」

「しーっ。静かに。私、うるさいのは嫌なの」

「大概にしろよ、この偽物が──」


 四散させる。


「とりあえず、レイに話して、あ、一応、カルメス叔父様にも話しておいた方がいいよね?」

「──」

「みんな、何か言いたいことでもあるの?」

「い、いえ! そうされるのが、賢明かと……」

「うんっ。私はいつでも、絶対に正しいから。みんな、安心してね」

「マナ様、よろしいですか?」


 側に立つ、赤髪の青年が発言の許可を求める。それを無下にすることはしない。


「なあに?」

「何に対して安心するよう仰るのでしょうか? ついうっかり、マナ様に不敬を働き、殺人を犯させてしまうかもしれないという恐怖の中で、マナ様は我々に、何を安心するよう仰るのかと思いまして」


 他の人たちが怯えてばかりの中、この人だけは臆することなく、私に尋ねる。確かに、これは、私が悪い。


「ごめんね、説明が足りてなかった。でも、大好きなみんなのためだから、私が誰かを殺すことに責任を感じなくていいよ。だから、安心して。──安心して、私を愛して? 本当の私なんて見ようとしなくてもいいし、過剰な期待の押しつけをしたっていいし、今まで通り、口先だけで愛を囁いてればいいよってこと。分かったかな、誰かさん?」

「──はい。よく分かりました。ありがとうございます」

「うん。他の人たちも、気になることがあったら、何でも聞いてね。みんなが何を考えてるか、私も知りたいから」

「──皆、返事を」

「……はい」


 私の意を汲んだ赤髪が、返事を促してくれた。


「ありがとう。私もみんなをとっても愛してる」


「だから」


「いつか、私が殺してあげるね」



***

~あとがき~


次回からは第六話です。


ターニングポイントの第五話は終了しました。


次回もお楽しみに。


【挿絵】

https://kakuyomu.jp/users/sakura-noa/news/16816927861231013695


※人は傷つけちゃダメだよ!

※心中する前に、誰かに必ず相談しようね!

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