第5-10話 病

 まなのおかげで、城とは円滑に関係が修復できた。私は城に子どもが生まれることも知らせていなかったし、元より、知らせるつもりもなかった。


 だが、やはり、未熟な私たち二人だけで育てていくなんて、どう考えても無理だ。経済面以外にも問題が多すぎる。そうして、まなが亡くなったことにより、それは顕著なものとなり、結局、城に頼らざるを得なくなった。


「この部屋を瞬間移動用に貸し出してくださるそうです。向こうに借りた部屋とここを使って通学してください」

「ごめんね。僕だけ通うことになっちゃって」

「仕方ないですよ。母が病に倒れてしまったんですから」


 高校は自主退学した。そもそも、アイネが生まれてから、一度も行っていないのだが。


 アイネの話だけではない。母──現在の女王が、病に倒れた。いつ亡くなるかも分からない状況だという。


 そうして、母の看病とアイネの世話をするために、私はこちらに戻ることを決めた。もちろん、あの場所にいたくないというのも理由の一つだったが。


 本当なら、使用人たちに任せているところだが、父はすでに他界しており、兄エトスは女王が動けない分、王としてさらに働かなくてはならなくなった。頼みの綱であった姉モノカは、戦犯として処理されてしまい、弟のトイスは、バサイと戦った際に、戦死している。その下の弟妹は幼すぎる。


 そうなると、家族が誰もいないでは、母が寂しがる。そして私は、そんな母を、見捨てることができなかった。


 それでも、自分から家を出ておいて、アイネは城に預ける、なんて都合のいい真似、当然できるはずがない。ただ、母の面倒を見ている間だけは、預かってもらえることになった。


「申し訳ありません。あれだけ啖呵を切っておいて、こうして戻ってくることになってしまって」

「仲直りしたでしょう? それに、あなたが側にいてくれれば、心強いわ」

「本当に、すみません」


 私が謝ると、母は辛い体でわざわざ起き上がり、私の頭を撫で、その胸に抱きしめる。


「ここまで来るの、大変だったでしょう?」

「……途中で、あの子がぐずってしまって。何度か、新幹線を降りました」

「あら、マナを困らせるなんて、なかなかやるわね。そんな孫の顔が見たいわ」

「人見知りなので、泣き叫んでしまったら、申し訳ありません」

「謝ることじゃないわ、泣かない子なんていないんだから。そう思うと、あなたは小さい頃は、手のかからない子だったわね。いつも、誰に対してもニコニコしてて、ちょっと、心配になるくらいだったわ」

「……すみません」

「あらあら、本当にまいってしまっているわね。せっかく、城にいるのだから、使用人たちの手も借りて、ゆっくり休んでいきなさい」

「本当に、ご迷惑をおかけします」

「あ、それから」


 そう前置きして、母は口を開く。


「あなたにプレゼントを用意しておいたわ」

「プレゼントとは?」

「それは聞かない約束。ふふっ、きっと、見ればすぐに分かるわよ」


 嬉しそうな母の顔を眺めていると、次第に泣き声が近づいてくるのが聞こえて、私は苦笑する。そんな私を見て、母はクスリと笑う。


「本当に元気だこと。さすがのマナでもあれには敵わないわね」

「はい。それに、生まれたばかりの頃、彼は徴兵に応じていたので、まだお互いに慣れていなくて。私がもっとしっかりしなくては──」

「大丈夫よ。可愛い時期なんてあっという間に過ぎていくから。それですぐに、こんな城出ていく、って言うようになるわよ。まったく、可愛いあの子はどこに行ったのかしら」


 本当に、たくさん迷惑をかけてしまった。


「……すみません」

「それも成長したってことよ。なんでも完璧にできるわけないんだから、少しくらい、肩の力を抜きなさい」

「はい。善処します」


 そんな私に母は苦笑する。それから、大きな泣き声とともに、部屋に入ってくるアイネを胸に抱き、その可哀想な泣き顔を、愛おしそうに見つめていた。


***


 あれだけ気丈に振る舞っていた母も、原因不明の病──父と同じ病状の進行には逆らえず、やがて命を落とした。あっという間だった。


 当然、父のときから、総力を上げての治療や研究がなされてはいたが、結局、母も救えなかった。


 私も以前から、できる範囲で研究に加わってはいたが、それ故に、すぐに治せるものでないことも分かっていた。それよりも、これは直系の王族を中心に感染する病であり、唯一の感染者である父が亡くなっている今、その発生源が謎だった。


 とはいえ、結局、感染を止めることは叶わなかった。その感染力は非常に強く、進行は思いの外、ゆっくりと進む。そのため、無症状ではあったが、エトスにも感染していたらしく、現在、王である彼は城から隔離されている。


 また、この感染症の特徴として、十六歳未満の王族にはかからないといったものがある。


 十六歳になると、直系の王族にのみ、正式な継承権が与えられ、血液にも特異な変化が生じる。どうやら、この感染症はその部分に作用しやすいようだった。トイスが亡くなった今、一番上の妹は現在十三なので、なんとか回避した形だ。


 私はと言えば。


「どうだった?」

「陰性──奇跡的に感染は免れたようですね」

「良かったあ……。まあ、エトスとかお義母さんのこと考えると、手放しに喜べる状況でもないけどね」

「私は運も強いので」


 どれだけ運が悪くても、起こり得ないことは起こらない。


 ──その逆も然り。当然、私も感染していた。


 ただ、しばらく王家から離れていたこともあってか、そちらに関しては運がいいのか、進行は遅く、今のところ自覚できるような症状が何もないのも事実だった。


 ──そして、厄介なことに、この感染症は粘液の接触などにより、王家でなくとも感染する可能性があった。血液では感染しないのだが。


「ねえ、愛。久しぶりにどこか泊まりで出かけようよ。アイネはお城に預けてさ」


 出かけたい。とても出かけたい。とっても出かけたい。


 宿舎にいるときは、いつでも二人きりになれたが、城にいるとなってはそうもいかない。常に見張りがついており、どこに監視の目があるかも分からない状況だ。


 そんな公衆の面前も同様の城内で何かするなど、さすがの私も無謀が過ぎることくらい分かっていた。前科があるので、見張られるのも仕方がないのだが。


 とはいえ、あまり私に近づいていると感染しかねない。だが、心配はかけたくない。


 彼を傷つけず断るには、どう言えばよいのだろうか。これがなかなか難題だ。


 私はベッドに座りアイネをあやしながら思考し、彼を責める方へと展開することに決める。


「……あかねは、何人子どもがいるんですか?」

「え、急に何? そんなこと言うなんて、なんか、怒ってる?」

「どう受け取っていただいても構いません」

「んー……」


 そうして唸ると、あかねは私の肩に腕を回して、


「僕が愛してるのは、君とアイネだけだよ」


 と耳元でささやき、私の腕で眠るアイネの額にキスをする。以前なら、これに騙されていたが、そうはいかない。


「何人ですか」

「釣れなくなったねえ、愛ちゃん」

「あなたのせいです。早く答えてください」

「──三人。アイネも合わせて四人だよ。でも、知ってて聞いてるよね? なんで聞いたの?」

「それを、私の方から言う気はありません」

「愛ってさ、多分だけど、浮気しても怒ってくれないよね」


 何の話だろうか。


「当然です。あなたに言い寄る他の方は、しょせん、私の引き立て役にすぎませんから。他の方と浮気したところで、結局、私が一番だと気づくだけです。とはいえ、相手方に迷惑がかかるので、見定めはしてくださいね」

「ははっ、すごいこと言うねえ。ま、浮気なんてしないけどさ。んー……あ、あれでしょ。僕に気づかれないように、さっきの話、なかったことにしようとしてるんだ」


 こういうときだけ、やたらと鋭い。やはり、経験の差だろうか。


「わざわざ言わなければ、百点でしたね」

「愛が誤魔化そうとするからだよ」

「私のせいですか」

「じゃあ、何か隠してるのは、僕のせい?」


 あかねのせいではないのだが、それを認めると、すべて話さないといけないような気がして、私は口を閉じる。すると、あかねが私の腕で眠るアイネを取り上げて、ベビーベッドに寝かせた。寝かせるのだけは、なぜか上手だった。


「……」

「黙ってちゃ分からないよ」

「いいじゃないですか。隠し事の一つや二つ、あったって」

「いいんだよ。隠してたって。僕にだって言えないことはあるからさ」


 そう言いながらも、あかねは私の両肩を掴み、瞳を見つめたまま、少しずつにじり寄ってくる。


「な、何ですか?」

「何隠してるのかな、アイちゃん?」

「さっき言わなくていいと、仰ったではありませんか」

「言わなくていいとは言ってないよ。隠してもいいって言っただけで」

「同じ意味だと思いますが……」

「そうかなあ? まあ、問い質さないとも言ってないしねえ」


 目をそらしたいのに、そうさせてくれない。以前、私が彼を泣くまで問い質したという、罪悪感もある。


「それで、なんで僕を避けるのかな?」

「避けてません」

「それくらい目を見れば分かるんだよ」


 脳内で警鐘が鳴る。こうして、二人でいるのが久々だからか、見つめられるだけで心臓が高鳴る。


 マズイマズイマズイマズイ──。ここで負けたら、彼は、死ぬ。


「し、死にたくないなら、それ以上は近づかないでくださいっ」


 こつんと、額がぶつかった。


「……やっぱり、感染してるんだ?」


 隠そうと心に誓って、数分で露見してしまった。


「なんで嘘ついたの?」

「心配、させたくなかったんです」

「それだけ?」


 私が小さく頷くと、あかねはこう言った。


「それは嘘だね」

「嘘じゃありません」

「自分で気づいてないだけだよ」

「何にですか?」

「目の色が変わったことに」


 その意味が理解できずに、私は思考を巡らせる。いつも鏡で見ている限り、そんなことはないはずだが。魔族でもあるまいし。


 そんな私の思考を読み取ったかのように、彼が言う。


「鏡で見て分かる色じゃなくて、もっと、心の底からやってくる色のこと」

「何の話ですか?」

「まなちゃんのことが忘れられないって、そう書いてある」

「それは、まだ亡くなって、一ヶ月も経っていませんし、大切な人だったんですから、当然ではありませんか?」

「違う。全然、違う。そんなに綺麗な感情じゃない。もっと、歪な感情だよ」


 そう言うと、あかねは私に顔を近づけて、ベッドに横たわらせ、息のかかる距離で瞳を見つめてくる。


「まなちゃんがいないこの世界に、君は意味を見出だせないでいる。だから、僕に気づかれず、静かに一生を終えるつもりだった。いつかの魔王と同じようにね」

「そんなことはありません。私はアイネを育てると誓ったんです」

「それは、まなちゃんが願いを使ってまで守ったからだよ」

「違います。身籠ったときから、その覚悟はできていました」

「昔はそうだった。でも、今は違う。今の君は、僕とアイネなら、迷わず僕を選ぶだろ? まなちゃんがいなくなった穴を埋める、心の拠り所を探しているから。今はまだ、自分の心に開いた穴の大きさに気づいていないだけだ」

「それは──。でも、まなさんがどれだけ大きな存在であったかくらい、理解しています。彼女がいなくなった分、私がアイネを守ろうと、決意したんです」

「その感情が歪だって気づいてないのが、その証拠だよ」


 私と額を合わせた彼は、ゆっくりと離れて、代わりに手を差し出す。私はその手を取って起き上がる。


「出かけよう、愛。何もしないって約束するから」

「どうして、そんなに出かけたいんですか? どちらにせよ、護衛がつくので、二人きりにはなれないかと思いますが」

「ああ、そっか、自覚ないんだったね」

「何の話ですか?」


 彼はなぜか、私の頭を撫でた。


「愛、自分が思う以上に疲れてるんだよ。お義母さんが亡くなってから、毎日毎日、アイネは自分が面倒を見るって言って、付きっきりなんだってね?」

「それは、母親として、当然のことです。その上、自分から城を出たのに、母の面倒を見るという名目で、結局戻ってきてしまったんですから。都合のいいときだけ頼る、を地で行くような行いであるので、これでも、最低限の節度だけは守るようにして──」

「それが頑張りすぎなんだよ。たまには休んだ方がいいって」

「母親に休みなどありません。それらはすべて、私が恵まれた環境にいるからこそ、叶うことです。以前まででさえ、まなさんに頼りきりだったんですから、もっと、お母様や、まなさんのように、しっかりしなくては」

「愛──」

「ぎゃあああう!」


 あかねが何か言いかけたタイミングで、アイネが泣き出して、私はすぐに抱き抱える。


「ぎゃああん、びゃあああ!!」

「うわお、相変わらずすごいねえ……」

「元気な証拠です」


 耳を塞いで、逃げ出してしまおうか。放っておけば、そのうち、疲れて泣き止むのではないか。この子はどうしてこんなに泣くのだろうか。ダメな私を責めているのかもしれない。ちょっとつねったら、泣き止むかな。


「愛」


 あかねに優しく肩を揺すられて見ると、私の指がアイネの腕に伸びていた。アイネは目を丸くして泣き止んでいて。


 ──次の瞬間、さらに大声で、わっと泣き出した。


 あかねがアイネを取り上げて、優しく揺する。


「よしよし、怖かったね」


 泣き叫ぶアイネを見て、私の口から言葉が漏れる。


「何してるの?」


 ──私、今、何考えてた?


 どうしよう。絶対にやっちゃいけないのに。何やってるの。なんで、私はアイネを傷つけようとしたの。アイネは何も悪いことなんてしてないのに。


「大丈夫。愛は何もしてないよ」


 あかねがそう言ってくれるが、そんなの、彼が止めてくれたからに過ぎない。


「今、あかねがいなかったら私、絶対に、アイネを傷つけてた。……何が違うの? 傷つけたのと同じだよ」

「僕には、ちょっと触ろうとしただけに見えたけどね」

「じゃあ、なんでこんなにアイネは泣いてるの? あなたはどうして止めたの? 私がそうすると思ったからでしょ!?」

「アイネちゃんが泣いてるのはいつものことだし、僕が愛の名前を呼んだのは、愛がぼーっとしてたからだよ」

「赤ちゃんが腕にいるのに、ぼーっとしてるお母さんなんていな──」

「愛さ、まなちゃんが亡くなったとき、泣かなかったよね」

「……急に何?」

「いや、なんでかなと思って」

「──なんで? むしろ、どうして私が泣けるの? 殺されたあの子自身が、悲しいのは分かるよ。でも、私は、あの子の死を悼んでいいくらい、あの子を想ってた? 大好きだって言ってただけ。言葉だけ、表面だけ、想ってるフリをしてただけ。あの子が私にしてくれた分、私は何か一つでも、よくしてあげた? ううん、結局、何もしなかった。そんな私が、どうして泣くの? 泣いていいわけがないじゃない」


 あかねはアイネをあやしながら、聞いているのかいないのか、分からない調子で、「そっか」と短く返事をした。それから、こう続けた。


「一ヶ月──いや、一週間でもいいけどさ、アイネをお城に預けない?」

「できないよ。お城はもう、頼るところじゃない。今、こうして置いてもらってるだけでも、本来なら許されないことだし、それだけでも、とっても迷惑をかけてるのに。……それに、まなさんはあんなによくしてくれたのに、私はまた、何もしないの? せめて、アイネはちゃんと育てなきゃ。私のせいで、生まれてきたんだから」


 まだ、アイネは泣いていた。まなが子守唄を歌うと、すぐに泣き止んでいたのを思い出す。


「私が歌えないせいで、こんなにも泣かせて、ごめんね。アイネちゃん」


 あかねが小さく、「ここまでしてもダメなのか」と呟いたのが聞こえた。一体、彼が何をしたのかは分からなかったが、尋ねることはしなかった。

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