第5-8話 封印
──目の前には、まさしく、惨状と呼ぶべき光景が広がっていた。
全身からおびただしい量の血液を流すまなの姿と、その頭を平然と撫でるユタ。ただ、彼の持つ剣は血で赤く染まっており、何が起こったかは、考えるまでもなく分かった。
「うぎゃあああっ!」
直後、けたたましい叫び声が、宿舎の空気を震わせる。動かないまなから離れ、ユタは声のする方へと向かっていく。
「──待ちなよ」
僕はユタが拾い忘れた剣の刃を、彼の喉元に押し当てる。 まなはひとまず、ロビーに運んだが、僕に治療はできない。
「君がやったの?」
「ああ、そうだ。なかなか、思ったよりも楽しめたぞ」
そう答える少年の喉を切り裂き、頭を胴体から切り離す。
──だが、本物の魔王は、それくらいでは死なない。
魔法で首と頭を縫合し、すぐにくっつける。
「なかなかに、痛かったな」
「まなちゃんはもっと痛かったよ」
「そうか。次からは遊ばず、一撃で仕留めるとしよう」
「──なんで、そんな風になったんだよ。殺すのがダメだって、本当に分からないのか?」
「もしかして、余は、怒られているのか?」
「ああ、そうだよ。僕は君に、怒ってる」
「……なんで、怒るの!? ムカつく、ムカつく、ムカつく!」
ユタはころっと態度を変え、目に涙を溜めて、魔法を展開する。
「殺してやる! 余に怒るやつは、大嫌いだ!」
──瞬間、無造作に向かい来る不可視の刃を、氷の壁で防ぐ。
「このっ! えいっ!」
気の抜けるような掛け声とともに、宿舎を溶かし尽くすほどの熱の球が飛来する。避けるわけにはいかず、すべて空間収納にしまう。
「なんで当たらないの! ムカつく! 死んじゃえ!」
ユタは感情のまま、大木の直径ほどの岩石を撒き散らす。宿舎が壊れる危険性を加味して、僕は自分に当たらないものさえ収納する。
──と、正面、収納が閉じた瞬間、ビー玉くらいの水の球が飛んでくる。思わず、手で受け止めようとすると、手に、穴が開いた。
「やった! やあっ!」
その穴を氷で塞ぐ。続いてやってくる水球は剣で切る。
「なんでそういうことするの!? 師匠の馬鹿!」
「僕は君の師匠じゃない。お前みたいなのを、弟子にしたつもりはない!」
「ううっ……また、怒ったあああ!!」
泣きながら、四色、さまざまな魔法が、四方八方、僕の居場所など関係なしに散らばる。僕はそれに、一つ一つ、対処していく。
ここを壊されるわけにはいかない。
「なんで! ねえ、なんで!? 僕のこと嫌いなの!?」
嫌いだと言おうとして、思いとどまる。頭にベルのことがよぎったからだ。誰かを傷つければ、マナが悲しむ。だから僕は、嘘をつく。
いや、完全に嘘、というわけでもないか。
「──好きだよ。だから怒ってるんだ」
「何それ、わけわかんない!」
「だから僕は、君を止める」
大会同様、水の球で補足し、氷結させるも、すぐに蒸発させられてしまう。間髪入れず、脳天めがけて氷柱を降らせると、それを掴んで、振り回そうとする。
その長さでは、僕には当たるはずもない。ただの八つ当たりだが、非常にマズイ。
──壁に、数多の魔法陣を埋め込んである。戦前から、こうなることを見越して、準備を進め、何度も確認した。そう、この宿舎が丸ごと、彼を封印するための施設であるため、壊されるわけにはいかないのだ。
それを知らずに壊そうとする彼の冴えに、背筋を冷や汗が伝う。
魔力を操り、すぐに氷柱を消滅させる。自分で作ったものであったため、かろうじて自分の意思でどうにかできた。
「もう、なんで邪魔するの!」
「君にこれ以上、罪を重ねさせないためだ」
魔法陣が発動できるようになるまで、あと三十秒。それだけ壊されることなく保つとなると、厳しい。だが、やるしかない。
「せいやっ!」
ユタが地面から何本も火柱を起こし、天井を貫かんとする。それらすべてに障壁を張るが、防御というのは、基本的に、攻撃よりも難しい。
「それっ!」
火柱はどんどん増えていく。これ以上、障壁の数を増やせば、一つ辺りに割ける魔力が少なくなり、間違いなく、割れる。だが、
「もう一丁!」
さらに火柱が追加される。立ち上る火柱の先には、封印の核となる、最も重要な部分が隠れていて。
すべてを守る賭けに出るか──いや。
一ヶ所、防御を捨て、核の方を守り抜く。刹那、古い天井が激しく燃え始める。
「やった、燃えた!」
──あと、二十秒。
すぐさま鎮火すると、ユタがつまらなそうに唇を尖らせる。
「ぶー」
今度は風が四散し、壁に傷をつけようとする。愛なら風で相殺するところだが、僕にその技術はない。
壁全体を氷の膜で覆い、宿舎へのダメージを減らす。次第に、広範囲から、先程の天井の付近を狙い撃ちするようになり、氷の壁もそこだけ分厚くなっていく。
──そのとき、大きな音とともに、視界外の壁が崩れたのが分かった。
クソッ、上手く注意をそらされた。
だが、あと、十秒。
「へへーん! 僕の方が強いもんねーだ!」
ユタが人間になったこともあり、実力は僕の方が上だが、ユタが破壊を躊躇わないのと、封印にかける魔力を残すために、下手に魔法を使いすぎるわけにはいかないという理由から、防戦一方を演じるしかない。
「ねえねえ、また水で力比べしよ!」
──僕の体が埋まるほどの水球が、容赦なく飛んでくる。それを操り、飛来を防ぐ。
単純な魔力比べなら、僕の方が上だ。だが、先のようにどこか別の場所を狙っている可能性は否めない。
気配を探りつつも、水球に集中する。そして、それらよりも、魔法陣を発動させることを優先する。
「てやああ!」
「──はああああっ!」
遊び気分のユタを水球に封じ込め、ぐらぐらと煮ていく。凍らせるより、中の様子が確認しやすい。その分、水を追加し続ける必要はあるが。
沸騰する湯に、呼吸と身動きを封じられたユタは、全身を真っ赤にして身をよじらせる。その体内にも煮え湯を流し込んでいく。
すると、ユタは風を発生させ、その推進力で水球の外に出る。結果、宿舎の壁がひび割れる。それから、体内に取り込んだ水を操り、消滅させる。
魔法で生み出した物質や現象は、基本的に、生み出した側に操る主導権がある。だが、ユタが体内に取り込んだ水は、僕の主導権の範囲外だ。
しかし、時間稼ぎにはなった。あとは、隙を作るだけ──、
「ぎゃあああん!!」
そのとき、アイネの声が聞こえて、意識が一瞬それる。その隙に、ユタは声のする方へと光の速さで移動する。
「あーもう、うるさい!」
僕の部屋のドアが壊されて、ユタが中へ入っていったのだろう。
慌てて追うと、そこには、初めてこの目で見るアイネと、アイネに向かって手を伸ばすユタの姿があって。
「黙れよ!」
アイネに触れかけている指先を腐食するか、手首ごと切り落とすか、いや、いっそ、一思いに──。
封印のことなど忘れ、一か八か、内臓を切り刻むという判断を下そうとした瞬間、
「ぎ、ぐわあぁあぁあ!?!?」
弾かれたようにユタが叫び、のたうち回る。その手は真っ黒に焦げていて、痛みを誤魔化そうと、必死のようだった。
直後、自分の短絡的な思考に気づき、笑みが漏れる。──どれだけ取り繕おうと、人なんてそう簡単に変わらない。
今、殺すべきか。いや、勇者でない僕にはそれができない。
となれば、この機を逃さず、封印を施すだけだ。
僕は息を吸い、白髪の少女と繰り返し覚えた詠唱を、頭に思い浮かべる。
「──世界を創生せし主神よ、死を司りし死神よ、我らを見守る天上人よ。我が声を聞き届けたまえ。役目を放棄し、逸楽を求め、世界を混沌に陥れ、運命を狂わす大罪人に、これより、罰を与える」
「痛い、痛いよぉ……」
「真懇集いし満時まで、磨魂を以て、魔恨を永遠の牢獄に封ぜよ──封印地獄(アド・ザクリトエ)」
発動の瞬間に分かった。壊されてしまった分、魔法陣の数が足りない。
しかし、封印は発動してしまったため、不足を補うための代償を払うことになる。
──代償に、指輪の宝石が割れた。そして、その結晶が媒体となって封印を施す。世界で最も強固な、魔力の結晶による封印だ。
すると、ユタの動きが止まる。それには目もくれず、僕は慣れないながらも、昔、練習した通りに、アイネを抱き上げる。
「な、何? 動けない──」
「本物の勇者が仲間たちと一緒に、今度こそ、本当に君を倒しに来る。その日まで、君を封印する」
「お願い、たす、け……て……お母、様」
「ちゃんと反省してたら、助けてくれるよ。きっとね」
ユタが結晶に飲み込まれたのを見届けて、僕は階下のまなの元へと向かう。
「まなちゃん、まなちゃん!」
呼びかけても揺すっても反応はなく、か細い息だけがある状態だ。回復魔法は効かない。助けるための知識もない。
愛がいれば、こんなことにはならなかったかもしれない。彼女なら、まなを助けられるかもしれない。彼女はアイネをまなに任せて、どこに行ったのだろうか。
「考えろ考えろ考えろ──」
混乱する頭を振り、無理矢理考える。
愛は料理をしないから、あまり買い物にも行かせない。気分転換させようと、まなが追い出した可能性もあるが、そういうときは必ず連絡が来る。それに、どちらかと言うと、まながアイネを連れて出ることの方が多い。服などの日用品はアイネを連れて三人で買いに行くそうだし、今日が給料日というわけでもない。
となると、何か、特別な用があったのだろう。
となれば、十中八九、城関連だ。このご時世なら、徴兵と考えるのが一般的だが、生憎、かなり前前から、今日、新魔王を封印することは決まっていた。
魔法陣は前々からエトスに用意しておくよう言われていたので、徴兵前から仕込んでおいた。つまり、国王であるエトスには、今日、僕がユタをここに追い込むことが、分かっていたはずなのだ。
「──愛だけ避難させたのか」
まなはともかく、アイネを見捨てるとは考えにくい。ならば、なぜ。
──そうか、知っていたからだ。今日、まなが死ぬことを。
時計塔に、勇者であるまなの死が刻まれたのだろう。アイネのことは分からないが、愛だけが呼ばれた理由はこれで説明がつく。
となれば、彼女は今、城にいるはずだ。僕が彼女と共有している魔力まで使っている上、僕への配慮をして魔法を使わないだろうから、簡単には帰ってこられない。
残りの魔力でまなを連れて瞬間移動できるのは一回だけだ。これがもし、間違っていたら──いや、いずれにせよ、この推測があっていた場合、予言に従い、まなは死ぬ。
「それなら、余計、愛にまなちゃんの顔を見せてあげないと──」
慣れないおんぶ紐に泣き叫ぶアイネを乗せて、血の止まらないまなを抱える。考える時間が長い分、決断は一瞬だ。
──城の扉の前に移動すると、見計らったようなタイミングで扉が開かれ、愛が現れる。
直後、目眩がしてふらつく。足りない分を非活性の魔力で補ったため、魔力が尽きたのだ。当然、それは魔力を共有している愛も同じはずで。
目の前の愛は、満身創痍といった様子だった。目が虚ろで、気力だけで立ち続けているような。僕の顔が見えているかどうかも怪しい。
そんな彼女はやがて、視線を落とし、まなの存在に気がつくと、その頬に手を当て──まなを引き取ろうとして、膝から崩れ落ちた。僕はそれをなんとか支え、ゆっくり地面に下ろす。が、力が入らないのは、こちらも同じだ。
「愛──」
それでも、なんとか体を支えてやると、愛は、流れる血をすくおうとしているのか、何度も手を地面に擦りつけていた。やがて、それが無意味だと悟ったのか、横たわるまなに覆い被さるようにして、抱きつく。
奥から兵士や使用人に混ざって、エトスがやってくる。困惑する彼らにエトスが指示を出す。
「──」
音が遠くなってきた。当然だ。魔力を使い果たせば、意識を失う。以前、愛でさえ、一日寝ていたことがあるくらいなのだから。
「まああ!! ああああん!!」
半ば朦朧とする意識の中、背中にアイネがいることを思い、近づく地面と、嫌に残る鉄の臭いに、意識を溶かしていった。
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