第5-6話 死後の世界

 空には雲があって、その上にはまた空があって、そのさらに上の、もっともっと上に、わたしはいる。


 そこから、唯一の心残りの白髪の少女を、ただじっと、見守っている。そして、霊解放のときには地上に降りていって、彼女に顔を見せる。そんな、死にきれない生活を送っている。まあ、生きていないのだが。


「あなた、生きてるときから遊びに来てたよね? それって、ずるくないかな?」

「まー、賢者は特別だからねん。死者と話したりもできるわけさ」


 相変わらず、ふざけた話し方をする女だ。相手の警戒心をなくすためなのだろうが、生前に会っていたなら、イラついて仕方なかったと思う。


「こっちにいるときは、賢者じゃなくて、『死神』だよね」

「そーそー。あたし、死神なの。ふっふっふ……そう! 我こそは神なり! どー? すごいっしょ!?」

「同じことばかり、もう百回は聞いてるかな」

「やーっ、今日も可愛いね、まゆ! マイ妹よ! 抱きしめてあげるから、さあ、れなの胸に飛び込んでおいで!」

「あはは、全然いらない」

「あれあれ? 目が笑ってないよ?」


 わたしは、これみよがしにため息をつく。それから、地上を見つめる。ここからだと、ほとんど頭しか見えないので、髪色ばかりが目につく。


 ただ、わたしが見守っている白髪の少女は、現在、仰向けで寝ている状態だ。こうしていると、顔がよく見える。元々、空を見上げるのが好きで、よく赤い瞳を見せてくれた。


「──そっか。まな、死んじゃうんだね」

「やっぱり、生きててほしかった?」

「そりゃそうだよ。だって、わたしの可愛い妹だもん」

「あ、ずるい! れなの妹なのに!」


 空色の瞳でわたしは地上のまなを見つめる。そして──傍らに、やってきたばかりの、まなの魂を見つめる。


「……は?」


 わたしとれなが見つめると、まなは間抜けな声を出して、わたしたちを凝視する。幼い頃、人との関わりが極端に少なかった彼女は、表情というものを知らずに育ち、結果、恐ろしいほどのポーカーフェイスの持ち主となった。


 ただ、こちら側に来てしまえば、魂はあるべき姿に還元される。そして今、彼女はまさに、間抜けな顔をしていた。それをわたしは、なんとなく、嬉しいような気持ちで見つめ返す。


「……え、なんで何も言わないわけ?」


 戸惑うまなをわたしたちはさらに見つめる。こうして近くで顔を見られることに、色んな感情が膨らんで、とてもじゃないが、言葉が出てこない。


 それから、まなは不気味そうにわたしたちから目を離すと、地上の光景に気づき、目を細める。


 横たわる白髪の少女の傍らには、桃色と琥珀色の頭がいた。


「ちょっと待って。あたし、死んでる……?」

「見れば分かると思うけどなー」

「は? こんなの見ただけで理解できるわけ──って、まゆみ!? なんでここに──」


 わたしはまゆみ。まなの、お姉ちゃんだ。


「死んだからに決まってるよね。それくらい、聞かなくても分かるでしょ?」

「あ、なるほど……ってなるわけないでしょ!?」

「まな、うるさいー。ここは神聖なところだから、静かにしなきゃいけないんだよ?」

「そ、そうなの……。何も知らなかったとはいえ、悪いわね……」

「うん、嘘だけどねー」

「騙したわね!?」


 わたしは笑って、適当に謝って流す。昔から、まなをからかうのは楽しくて、やめられない。


「──ずっと、見守ってくれてたの、お姉ちゃん?」

「うん。ずーっと見てたよ」


 そう、ずっと昔。わたしがまなの姉になったときからずっと。


 まなを残して先立ってから。彼女を残して逝くことを決めたのはわたしなのに、どうしても、この場を離れられなかった。こんなことなら、最初から、側にいてあげれば良かったのに。


 そんなわたしの気も知らず、嬉しそうに頬を緩めるまなの感情のベクトルを、今、あるべき方へと向ける。


「でも、まさか、こんなに早く来るなんて、思ってなかったけどね」


 まなはわたしの指差す先、地上の光景に目を向け、手向けられた涙と惜しむ声を聞く。


 琥珀髪の少年は、涙を流した。


 桃髪の少女は、涙を流さなかった。


 そして、二人とも、いつまでも、その場を離れようとしなかった。


「──あたし、本当に死んだのね」


 白髪の少女は、ぽつりと呟いた。


***


「もー、れなのこと忘れたみたいにイチャイチャしちゃってー。ぷんぷん」

「悪かったわよ……」

「はーあ。なんでわたしまで怒られないといけないのかなあ」


 ほんとーにしつこいなあ。だいたい、まなはわたしのことが大好きなんだから、仕方ないじゃん、という言葉は胸の内に留めておく。言ったらさらにうるさくなりそうだ。


「確かに、悪いのはまなちゃ一人だよ! この、まなちゃめ!」

「しつこい!」


 まなが何も言わないのをいいことに、調子に乗ったれなが逆ギレされて落ち込む。煽ったのはわたしだけど。


「それで? あたしはこれからどうすればいいわけ?」

「ちょっとは自分で考えたらどうかな?」

「あ、なんかこの感じ、久しぶりだわ。まゆみって理不尽よね、本当に。あはは」


 まなに笑って返されて、わたしは毒気を抜かれる。嫌味を嫌味と指摘してくるところが、まならしくて、こっちまで釣られて笑ってしまう。


「じゃあ、れなが説明したげるね」

「ええ、よろしく。まず、なんでここにあんたがいるの?」

「それは話すと長くなるし、まなちゃにはほとんど関係のない、つまんなーいって感じの話なんだけど、今、話さないと、ダメ?」

「じゃあいらない。できるだけ短く話して」

「りょかりょか。──ここは天上って呼ばれてて、地上で死んだ魂が来る場所なのね。今のまなちゃは体がない、魂だけの状態ってこと。まなちゃみたいな魂には、大きく分けて二つ、選択肢がある」


 れなはピースした手を、まなに向ける。


「ここ、天上から地上を見守るか、さらに上にある、天界ってところに行って、そっちで暮らすか」

「天界って?」

「まあ、簡単に言えば、神様の世界だよん」

「へえ。神様なんて本当にいるのね」

「いるよん。実はれな、こう見えても死神様なのです。ふふん」

「あっそ、どうでもいいわ。死んだあたしには関係なさそうだし」

「……はっ!?」


 とんでもない事実に気がついた、という様子でこちらを見てくるれなから、わたしは意識的に視線を外し、天を見上げる。


「死神には、地上の魂を刈り取る以外に、天界や天上で悪さをした魂たちを、処刑する役割もあるんじゃなかったっけ?」

「あ、そうだった!」


 思い出した、というような反応をするれなだが、別に忘れていたというわけでもないだろう。


「まあ、どっちにしても、あたしには関係ないわね」

「さてさて、それはどうかなー?」


 れなが嫌味な笑みを浮かべるのを見て、まなは眉間にシワを寄せる。


「悪さって言っても、天界基準だからね。道徳そっちのけの、完全倫理方式だから」

「──つまり、天界の法律みたいなものがあって、どんな事情があってもそれに従わないと、悪ってことになるわけね」

「そう! さすがまなちゃ! 賢い! 素敵! 可愛い! 抱きしめちゃう!」

「苦し……くないわね。ああ、あたし、死んでるんだったわ」

「天界は死の概念がないから、長ーい時間を過ごすことになるの。それで、苦痛は必要最低限しか感じないよーになってるんだよん。まったく感じないわけじゃないけどね」


 まなは妙に納得した様子で、質問を投げかける。


「天界では何をするの?」

「天界に行けばわかるけど、まあ、生前の行いによって待遇が変わってくる感じ?」

「……そういえば、結局、あたしって、どうやって死んだの?」

「そっか、その説明忘れてた! 死ぬときの記憶って、強制的に消されるんだけど、まあ、普通、覚えてたくなーよね。追体験もできるけど、たまに、魂ごと消滅するケースもあるから、おすすめはしない」

「さすがにあたしも二回も死にたいとは思わないわよ」

「だよねん。じゃあ、天上からの映像を見て、おさらいしよっか!」


 本当に、レナ・クレイアという魔族は、何を考えているのか分からない。気味が悪い。


「……わたし、見たくないからあっち行ってるね」

「ほいほい」


 まなが死ぬところなど、二度も見たくはない。一度だって見たくなかったくらいだ。


 それでもまだ、鮮明に覚えている。あれから一日と経っていないから、当然と言えば当然なのだが。

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