第5-5話 最期の贈り物

『まなと仲良くしてくれて、ありがとう。わたしもまなも、天上から見てる』


 ──声が遠ざかっていく。


 目を開けてすぐ、手が握られていることに気がついた。見ると、そこにはあかりの姿があった。どうやら、寝ているらしい。また泣いていたのか、顔は相変わらず汚い。以前のように、私はその顔にティッシュをぺたぺたと貼りつけていく。


「う──ハックショォエイ! ……うわ! またなんか、貼られてるっ」


 彼は鬱陶しそうにティッシュを顔から引き剥がし、新しいティッシュで鼻を噛む。私は口の横によだれで貼りついていたティッシュを、爪で剥がしてやり、尋ねる。


「アイネは?」

「ギルデたちに見てもらってる。怪我はないから、安心して」

「そうですか。──それで、まなさんは」

「……魔王の血を引いてるから、なんとか生きてるけど、生きてるのが不思議なくらいだって。それに、予言では、今日が命日だから──」

「まなさんに、会わせてください」

「まだ起きちゃダメだよ。先生呼んでくるから、待ってて」


 起き上がろうとする私を制止して、あかねは部屋を去る。彼がいなくなった病室で、私は改めて周りを見渡す。まだ一日と経っていないのに、数えきれないくらいの、見舞いの品々が並んでいて、冷蔵庫を開けると、トンビアイスが大量に入っていた。


「あかね、ごめんね」


 魔力の残量と、体の具合を確認し、靴を履いて私は瞬間移動で病室から抜け出した。


 ──どしゃ降りの雨だった。


 移動先は、魔王城。誰もいないであろう、私の部屋。瞬間移動するためだけに設けられたと言っても過言ではない。本来、瞬間移動というものは、移動先に何もないことを確認してからしか使ってはならないのだ。


 そうして、私は魔力探知をし、目的の人物を探して、走る。やっと見つけた、その小さな影を抱き上げて、こちらを向かせる。


「──愛様。急にこういうことをされては、私も驚きます」

「ル爺さん、お願いです。まなさんを助けてください。まなさんが大変なんです。出血が酷いのに、魔法が効かなくて。あなたの魔力なら、治せるはずです。お願いします」


 私は混乱しながら、懇願するように、抱き上げたまま、ル爺の目を見つめる。しかし、ル爺は、ゆっくりと首を横に振った。


「できかねます」

「どうしてですか!?」

「そうするメリットが、私にないからです」


 私は半ば放心して、ル爺の顔を見つめる。それから、少しずつ、理解していく。


 ──時代が変わったのだ。魔王が封印されたとはいえ、戦時における被害者は、多数いる。それに、彼女が亡くなった魔王の娘だとしても、彼女には魔法が使えない。頭は回るが、政治はできない。それを一瞬にして、理解した。


 だとしても、あまりにも、冷たい。


「それに、ユタザバンエ様の封印に、まな様は一役買っております。魔王様を封印した勇者を助ける魔王の手下など、どこにいましょうか?」


 私はル爺を下ろして、頭を深く下げる。


「──お願いします。どうしても、あなたの力が必要なんです。どうしたら、私のお願いを聞いてくれますか」

「それでしたら、代わりに榎下朱音の首を差し出してください」


 一瞬、言われたことの意味が分からず、私は頭を下げてもなお、視線の下にいる小さなル爺の顔を見つめる。いつもと変わらない、シワだらけの優しい顔をしている。


「聞こえませんでしたか?」

「──なぜ、そんな」

「私が、彼を、心の底から憎いと、そう思っているからです。殺してやりたいと、そう思っているからです」


 言葉が出ない。


「首さえ差し出してくだされば、どのような殺し方でも構いません。もし、生きたまま、この城まで運んでくだされば、次の勇者の命は助けてやりましょう」

「……アイネの命まで狙っているんですか」

「当然でございます。魔王様の封印が解けたとき、勇者がこの世に存在していては不都合ですから」


 ──ル爺は、宿舎の管理人でもあるが、魔王の側近でもある、元魔族だ。あかねが城で働いていた頃、懇意にしてもらったと聞いている。


 あかねも私も、人を見る目がないのだろうか。こんな人に頼ろうとした自分が、馬鹿らしく思えてくる。


「最後に一つだけ。……どうしてあのとき、まなさんにブランケットをかけたんですか?」

「──はて、何のことでしょう?」


 これ以上は時間の無駄だと判断し、私は宿舎へと移動する。そして、そこからノアのギルドへと走り、


「レイ!」


 扉を開け、昔の世話役の名前を呼ぶ。今はノアのギルドマスターをしている彼女だ。


 すると、レイはすぐ、私に気がついて声をかける。


「マナ様!? どうしてこちらに……」

「れなさんは──大賢者は、今どちらにいますか!?」


 周囲のざわつきすら、耳に入らない。それほどまでに、私は焦っていた。


 レイの存在にだけ、集中して──、


「こちらを、渡すようにと」


 懐から取り出した手紙を、レイに手渡される。二つ折りになったそれを開くと、私宛の、れなからの手紙だった。


「マナ様だぞ……」

「偽物か?」

「いや、あの美しさは本物──」

「少し黙っててッ!」


 周りの喧騒を怒声で静寂に変え、その内容に、集中する。今は、どんな些細な音すらも、鬱陶しい。



 榎下愛様


 まなを助ける方法が、大きく分けて、二つあります。


 まず一つ。朱音の首をルジ・ウーベルデンに差し出すこと。そうすれば、必ず、かの老人はまなの命を救います。


 そして、もう一つ。ゴールスファの血には、ドラゴンの治癒力を引き出す能力が備わっています。そのため、ゴールスファの血を引くものが、『ドラゴンの血液』を体内に取り込めば、その血液は万能薬にも等しい効果を得ます。


 知っての通り、ドラゴンの血液は、女王即位の際にのみ、使用を許された液体です。女王即位の儀をなくしてその液体を飲むことは、禁忌の一つとされており、これを侵せば激しい苦痛と代償に苛まれます。


 また、魔族と人間の血液が交わることも、禁忌の一つです。私の母である、魔王の正妻は、人間の身でありながら、私を身籠った際、毎日のように自殺未遂を繰り返していたそうです。


 つまり、まなの体内にあなたの血液が入った瞬間、まなは精神的に大きな負荷を受けることになります。それに耐えられる保証はどこにもありません。


 ただし、先にまなの血液を、あなたの体内に流しておけば、その負荷はあなたが受けることになります。ですが、人間と魔族のハーフであるまなよりも、あなたが受ける苦痛の方が遥かに大きなものとなります。


 最初の一滴で抗体が生まれ、二滴目以降から、拒絶反応が起こります。そのため、この方法を実施する際は、必ず、二回に分けて、二滴以上、体内に取り込むようにしてください。接種方法は、なんでもいいです。傷口の上に垂らしてもいいし、飲み込んでもいいです。間隔は、三十分も開ければ十分でしょう。


 ただし、ドラゴンと魔族、二度の拒絶反応は凄まじいものであり、最悪、意識を失う可能性もあります。そうなった場合、時間切れで、まなを救うことはできません。


 また、まなを救うには、あなたの失血死は免れません。ドラゴンの血液は、治癒力を高める程度のものであり、少量ではほとんど効果がありません。とにかく、時間がないので、血の流れやすい箇所はすべて出血させて、それを容器に溜め、すべて口から飲ませるくらいのことをしないと、彼女は救えないでしょう。


 ちゃんと、考えてください。


 これからの生活と、まなの命と、どちらが大切なのか。


 すべてを犠牲にしたとしても、まなを救いたいと、心からそう思っているのか。


 他の方法についても書いておきます。


 この手紙を朱音に見せれば、彼は生きたまま、ルジの元へと向かい、その首を差し出す可能性があります。それも、また、まなを救う方法の一つです。


 それから、命の石を使えば、まなの命だけは助かります。ただし、おそらく、意識は永久に戻りません。


 また、『ブリェミャーの杖』を使うことで、時を戻すことができます。杖単体では、せいぜい、一日程度しか戻せませんが、まなの運命を変えるには十分でしょう。ですが、商人の間で取引されているらしく、今、世界のどこにあるかは分かりません。


 まなの願いに期待するのは無駄です。彼女は、願いを使ってしまったからです。詳しい事情は朱音が知っています。


 時は一刻を争います。現在、私から提示できる方法は以上です。もちろん、奇跡を願うというのも一つの選択ですが、まず助かりません。


 最後に、まなちゃからお姫ちゃんに、伝言があります。




 ──白髪の少女が、立体映像となって、現れる。


「──あ、あー、あー……。これ、ちゃんと録音できてるわけ?」

「うん! どぞどぞ、お姫ちゃんへの愛の告白、いつでもしちゃって」

「告白って……。んん。えーと、マナ? 元気?」

「まなちゃ、電話じゃなーから返事来ないよ?」

「あ、そうね。えっと、今日は二〇八六年八月──」

「そういうのいらなーから、早くしちゃって!」

「はい。──あたしは今日、れなに余命宣告を受けました。なんでも、このままマナと一緒にいると、一年後くらいに死ぬそうです」

「……なんで敬語なん?」

「なんとなく? じゃあ、普通に。今度こそ、普通にね。──あのね、マナ。魔族と人間のハーフっていうのは、そもそも、そんなに長生きできないの。って言っても、魔族と比較してって話だから、人間の寿命と同じくらいなんだけど。優性遺伝子が魔族だし、お父さんが魔王だから魔族って名乗ってるけど、実際は、純血じゃないから。魔族と人間の血が拒否反応を起こすのは、この手紙にも書いてあったと思うけれど、それが、体内でも起こってて──」

「そういう話は省略して! 巻きでいって! 巻きで!」

「え、ええ」


 ぐだぐだな映像に、緊張感が霧散し、肩の力が抜けていくのを感じる。


「つまりね。それでも、あたしは、マナと一緒にいることを選んだの。マナとあかりが、初めてできた、あたしの友だちだから。すごく、大切にしたいと思ったの。


 昔のことがあって、誰も信じられなくなって、人の顔色ばかり窺うようになって。分かりたくなくても、見ればその人が何考えてるか、大体分かるから。周りの視線がすごく怖くて、前以外、見ないようにしてた。


 クレイアって家名があるから、魔王の娘だってすぐに知られちゃうし。そうすると、すごく怖がられたり、嫌われたり、軽蔑されたり。好奇の目で見られるわ、利用されそうになるわ、魔王からも追われるわで。でも、隠すのは、違うような気がして。


 だから、全部、どうでもいいと思うことにしたの。全部抱えて、全部に向き合って生きるなんて、絶対に無理だと思ったから。


 でも、マナはちゃんと、魔王の娘としてじゃなくて、あたし自身を見ててくれる気がした。ちょっと、目が怖いときもあったけれど。


 マナは、あたしのために、怒ってくれたわよね。あかりがベルと遊んでたとき、あたしが何の気なしに言った言葉に、心の底から反発してくれた。そんな気は全然なかったから、驚いたけれど、すごく嬉しかった。


 あたし、今、すごく幸せなの。怖いくらいに。逃げ出したいくらいに。だから、ちょっと、安心してる。この幸せが終わるときが、あたし以外の誰かが死ぬときじゃなくて良かったって。


 ──だから、マナ。もし、あたしに何かあったら、あたしのことは忘れて、幸せになって。


 あかりを、一人にしないであげて。


 アイネから、お母さんを奪わないであげて。


 マナ自身の幸せを、大切にして。


 これが、あたしの今の願いです。少し、欲張りだけどね」


 映像が消え、沈黙が訪れた。

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